http://www.mori7.com/ 1999年11月1週号 通算第638号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  11月3日(水)は休み宿題

 11月3日(水)は、休み宿題です。先生からの電話はありません。教室も空いていません。11.1週の課題は自宅で書いて送ってください。先生の説明を聞いたほうが書きやすいという人は、別の曜日に教室に電話をするか別の曜日に教室に来てください。

  ホームページの全文検索ができます

 言葉の森のホームページの「検索の坂」http://www.mori7.com/kennsaku/kennsaku.htmlで、主なページの全文検索ができるようになりました。

 過去4年間分の言葉の森新聞と過去2年間分の全掲示板の発言がすべて検索できます。(あまり使う人はいないと思いますが。^^;)

 インターネットに掲載されている情報量が多くなると、これまでのようにリンク先を順番にたどっていくということが困難になってきます。ホームページを作った当の本人でさえ、どのファイルがどこにあるかわからなくなってきます。そうしたとき、検索エンジンがあると、思いついた語句で何千ページもあるファイルを一挙に検索できます。

 このことを教室に来ている人に教えると、早速「はげ」という文字で検索している人がいました(こむ君 中2)。勉強に使えよなあ。

  メーリングリストがスタート

 メーリングリストとは、そのリストに登録したメンバーどうしがメールをやりとりできるシステムです。メーリングリスト用のアドレスにメールを送ると、そのメールがメンバー全員に届きます。そのメールに返信を出すと、その返信がまたメンバー全員に届きます。

 ホームページの掲示板は、場所を探したりブラウザを開いたりするのがわずらわしいので、常連になっている場所でなけらば利用しにくいものですが、メーリングリストは、自分のメールを受信するだけですから、手軽にできます。

 ただし、メーリングリストの中には、メンバーが何千人もいたり、一日に何十通ものメールがやりとりされるものがあります。そういうメーリングリストに入っていると、数日メールを開かないだけで、どっさりとメールが入ってしまい、読むだけで半日仕事になるということもあります。

 幸い(と言っていいかどうか)言葉の森のメーリングリストは、それほどたくさんのメールがやりとりされるおそれはありません。

 メーリングリストに参加を希望される方は、ホームページの「森メール」http://www.mori7.com/moriml.htmlからお申し込みください。

◆対象:言葉の森の生徒・父母・OB・先生を中心に、言葉の森に関心のある方どなたでも。

◆目的:自由な意見交換の場です。

◆登録方法:ホームページから登録するか、自習用紙にメールアドレスを書いてお申し込みください。

◆脱退方法:参加や脱退は自由です。手続きはホームページからできます。

◆費用:無料

  先生と生徒(続き)

 先生というのが、先に生まれた人という意味であれば、人生には何歳になっても先生がいます。10代の子供に20代になったとき何が必要かわからないように、40代の人もまた60代になったとき何が必要かわかりません。

 明治維新から今まで、日本は激動の時代をくぐってきました。ですから、10年も20年も前の人の経験は、あとに続く者にとって役に立たないことのほうがむしろ多かったという時代がずっと続きました。

 しかし、これからの時代は、社会の枠組みが決まり、長期間の安定する社会が続くことが予想される時代です。親子の断絶というのは、決していつの時代にも普遍的な的なものではありません。むしろ、社会が安定してくれば、親子こそが理想の先生と生徒の関係になるものです。もちろん今はまだそうではありません。たいていの家庭では、子供は親の頭が固いと思っていますし、親は若い者はよくわからないと思っています。しかし、その状態はこれから急速に変わります。

 今、親となっている30代、40代の世代は、子供のころ親に勉強を教えてもらった経験は少ないと思います。小学校低学年のうちはともかく、小学校高学年にもなると、勉強の内容が違いすぎて教えようがなかったからです。

 しかし、今の親はそうではありません。時間があれば、中学生になっても高校生になっても、自分の子供の勉強を見てあげることができます。勉強の内容に関して、親子の間での差がほとんどなくなっているのです。

 こういう時代になると、子供の勉強は、昔のように子供本人ががんばればいいというものではなく、家庭の総力戦のようになってきます。特に学校の教育力が低下してくると、子供の学力の差は、本人の努力や能力ではなく、家庭でいかに面倒を見るかということで決まってくるようです。

 教室で小中学生のかばんの中を見ると、いつもきちんと整理されていること、いつも乱雑な子とに、はっきり分かれます。この乱雑な子が、学校や塾の先生に注意されて、急に身の回りの整理整頓をきちんとするようになるとか、ある日突然自覚してカバンの中をきれいにしはじめるとかいうことは、まずありません。これは、毎日一緒にいる親が時に優しく時に厳しく叱りながらでしか直せないのです。

 整理のきちんとしている子と乱雑な子の学力の差は、もともとは全くありません。しかし、学年が上がるにつれて、この生活習慣の差が、成績の差になり、やがて学力の差になってきます。

 戦前の家父長制は、日本の社会が民主化するためには、一度は崩壊しなければならないものでした。しかし、今、核家族で、親子は祖父母から切り離され、また子供自身も親から切り離され学校や塾で十把一からげの教育を受けています。

 祖父母・父母・子供のつながりを取り戻し、親が子へ伝える教育を子供の教育の重要な柱にしていくことがこれからの社会には求められています。

 戦後すぐのように、家庭環境の違いに関係なく、どの子も同じように均等な学校教育を受けられるという時代は終わりつつあります。これからは、家庭環境の違いが子供の教育の違いに大きく影響してくる時代になります。とすれば、学校や塾に任せるのではなく、それぞれの家庭がそれぞれの子供に何を教えるのかを意識的に選択することが必要になる時代が来ているのだと言えるでしょう。

  教育の歴史的位置

 人間が生きる目的は、幸福を感じ、自己を向上させ、新たなものを創造し、社会に貢献していくことだと思います。人によって、人生の目的はいろいろな言葉で表わされると思いますが、以上のように述べても多くの人の考えと大きくずれていることはないと思います。

 さて、この人間の目的を実現するために、科学技術が発達してきたと考えると、科学技術の向上は、人間の幸福、向上、創造、貢献を、一面的にしか実現してこなかったと思います。

 私が中学3年生のころ東京オリンピックがあって、そのころからテレビが家庭に普及し始めました。それまでは、夕方、家族が集まってラジオの連続番組を静かに聴いているというような過ごし方が普通でしたから、テレビが初めて家に来たという日の感激はきわめて大きなものでした。

 こういう感激は、多かれ少なかれどのような科学技術の発達にも伴っていたものだと思います。江戸時代のころの生活から想像してみると、家庭にテレビがあって、ビデオがあって、ゲーム機があって、自動車があって、自転車があって、パソコンがあって、時計があって、携帯電話があって、エアコンがあって、洗濯機があって、冷蔵庫があって、街に出ればスーパーがあって、コンビニがあって、宅急便があって、バスがあって、鉄道があって、学校があって、病院があって、図書館があって、選挙で民主的に選ばれた政治があって、というような生活は、どれだけ人間の幸福を拡大していることかと考えられると思います。しかし、実際は、私たちは、この豊かな科学技術の恩恵の中で、心の中にかすかな空虚を感じながら途方に暮れているというのが現実の姿であるように思います。

 今後、インターネットの常時接続を手に入れたり、MPウォークマンを手に入れたり、プレステ2を手に入れたり、太陽電池で動く自動車を手に入れたり、今よりももう少し大きい家を手に入れたり、週休三日制を手に入れたり、ときどき海外旅行に行く余裕を手に入れたり、家の近くにディズニーランドができたりしても、私たちの幸福感の大勢に、もはやあまり大きな変化はないと多くの人が感じています。(週休三日になったら、すごくうれしいかもしれないけど)

 外側の道具や環境がいくら整っても、肝心の中身である自分自身が変わっていかなければ本当の幸福や向上は得られないのだと多くの人が感じているのが現代の先進国の姿だと思います。

 自分自身の中身を変えるというのは、言葉の広い意味で教育の分野の仕事です。宗教も、自分という中身を変える役割を果たしてきましたが、客観性や合理性を最初から捨て去って「信じるものは救われる」というような考え方にとどまっているものは、人間の進歩を科学以前の世界に引き戻すものですから、多くの人の支持はもはや得られないと思います。

 学校崩壊や学力低下や受験の低年齢化など、学校や教育をめぐる問題が、今次々に出てきていますが、教育というものが置かれている歴史的な位置を以上のように大きくとらえて対策を立てていくことが必要であると思われます。

  来週11.2週のヒント(小1−小3)

 小学1・2年生 11.2週 自由な題名

 小学1・2年生は自由な題名です。朝晩がだいぶ涼しくなってきました。公園の中の地面の低いところには落ち葉がたまっています。ダンボールを一枚持って、公園の斜面ですべりっこをするのも楽しいですね。

 小学3年生 11.2週 ●旅行に出かけたこと ◎お父さんやお母さんと遊んだこと

 秋の青空を見ていると、どこか旅行に出かけたくなります。秋は、昔から旅のシーズンでした。小学生のみなさんも、旅行というほどでなくても、ちょっと遠くまで足をのばしてみようかという気になることがあると思います。

 家族で出かけたこと、自分ひとりで出かけたことなどを思い出して書いてみましょう。でも、家出をしないようにね。(笑)

  光る表現(小1−小3) 1999年11月1週

キメラモンさん(あつき/小2)の作文より(はるな先生/10.2週)

 このごろ、夜になるとコオロギや、すずむし、ウマオイなど「ガチャガチャ リーンリーン」とないて、あんまりねむれません。夏のときはかえるが「ゲロゲロ」とないて、やはり、あんまりよくねむれませんでした。きのはっぱがいっぱいおちていっぱい風がふくけれど、虫がうるさいです。....「秋を見つけたこと」より抜粋 (講評);虫やカエルの鳴き声のちがいを、具体的に書いて、夏から秋への、移り変わりを上手に示すことができました.身近な場所で、沢山の秋を見つけられて、本当によかったね!

アミさん(あなほ/小2)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「かぜをひいているおかあさんにゼリーを買ってきてあげたら、小さなこえで『ありがとう。』といってくれました。」 おかあさんはとてもつらかったんだね。でも、アミちゃんからのゼリーがとってもうれしかったんだね! 小さなこえだったけど、おかあさんのうれしさが伝わってくるようなとてもじょうずなひょうげんでした!

敦さん(あにい/小2)の作文より(めもま先生/10.1週)

 「・・・かけっこも来年はくつをぬいではだしで走ろうと思います。来年は全種目がんばってゆう勝しようと心に決めました。」評:しっかりと心に決めたことでしめくくる作文はとてもステキですね!!

 「草むらをけったら、茶色のキリクサがビックリ箱を開けた時に出てくる人形のように飛び出してきました。」評:楽しくてビックリして、ワクワクしながらキリクサを見つけている様子がイキイキと伝わってきますね

新さん(あひわ/小2)の作文より(みち先生/10.1週)

 大きさは四十五ミリくらいでみどり色の体にうすいちゃ色の羽がかっこいいです。かおはまさしくかめんライダー。「人気のひみつはここにあるんだな」とぼくはおもいました。評:かっこいいトノサマバッタがみえるようです。

ししさん(あふか/小2)の作文より(スズラン先生/10.3週)

 あたらしいあそびばでは、山、いけ、木があって、大がたバスが五だいくらいとまれるひろさです。評:たとえをつかっていたので、遊び場の広さがよくわかりますね。

すずらんさん(あふよ/小2)の作文より(ミルクティ先生/10.2週)

 ペドロが、「○△×◇□?」とふしぎそうに聞きました。<評>キューバ人のペドロさんが話したことを、おもしろい表現で書けたね。何を言っているのかわからない、外国語のかんじがよくでているよ。アイデア賞で

皓基さん(あもほ/小2)の作文より(かつみ先生/10.3週)

 それから、ぼくの心の中は、げきのことでいっぱいでした。 評:どうしたらうらしま太ろうがうまくえんじられるか、いっしょうけんめいかんがえたんだね。

 玉手箱をあけるかあけないという自分の心のたいけつのところが、一ばんむずかしかったですがぼくはひみつのパワーをだしてがんばりました。 評:ひみつのパワー、いいひょうげんだね。心のたいけつ、どのように演じたのかな?先生もみてみたかったな。

あやぽんさん(ふれ/小2)の作文より(ゆり先生/10.2週)

 (いねかりで)わたしはいねをぎゅうぎゅうとしばったのでいねが「いたいよ。いたいよ。」とないているみたいでした。評:あやぽんさんはがんばって、おもいっきりきつくしばったんだね。

 

さるきちさん(あある/小3)の作文より(ゆり先生/10.2週)

 がっこうでは、くりがおちたし、どんぐりもおちました。でも、一番目につきやすいのは、さくらなどの、はっぱが、ひらひらと、おちることです。評:はっぱがおちることって、なかなか気がつきにくいけど、ひろき君はよく見てるんだね。「ひらひらと」という言葉もいいですね。

しょうたさん(あたの/小3)の作文より(きょうこ先生/10.3週)

  「ぼくは暗記がにがてで、ぼくなんか50回ぐらいやらないとおぼえられなくて...。」 ドイツの学校は暗記がいっぱいだったんだね。もしぼくだったら大変だぁと思っちゃったんだね。50回かぁ。すっごく大変だぞぉという捷太くんの気持ちが伝わってきちゃう表現だね。 「行ってきまーす。」と、ぼくははりきって学校に行きました。 楽しみにしていた運動会のはじまりはじまりだね。捷太くんの元気はつらつとしたようすが目にうかんできたよ! とてもじょうずな作文の出だしだったね!

博美さん(あちは/小3)の作文より(スズラン先生/10.3週)

 わたしは、学校は好きです。だって、いろいろなたのしいことが、家にいるよりいっぱいあるからです。評:楽しいことがいっぱいある学校で、たくさんのお友達とがんばっているようすが想像できますね。

健人さん(あみや/小3)の作文より(ミルクティ先生/10.3週)

 それにしても、ほんとうにアルバートはすごいと思います。だって、さいしょは、なぜなぜぼうやだったのに、さいごには、みんなをたすけたりする、やさしいかがくしゃになっていたんだから。<評>文章のさいごを「ました」だけでなく「〜ます」や「〜だから」で終わらせたところが、くふうしているね。

真亮さん(あむこ/小3)の作文より(みち先生/10.2週)

 「ワーイ」ぼくたちのクラスによろこびがきました。(中略)みんなよくあたっていましたがぼくにはなぜか、おにのしんけいがむかなかったのでよかったです。評:中心にふれた会話の書き出しを工夫しましたね。クラスのおおぜいのおともだちと心のふれあいがうれしいね。浜君のにげ方が上手だと知っているおにさんだね。

倖太さん(あむわ/小3)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 ねこの前にくりをおくと なんと、ねこがくりをはでかみはじめたのです。「いたくないのかなぁ」と思いながらカメラを持ってきてそのかんでる所をカメラにとろうとするとやめてしまいました。…くりのとげにけしごむをおしつけてみると、くりがつれました。「すごいなぁ」と思いました。 ☆くりを使って、こんなことができるなんて。たいした研究心ね。

ペンギンさん(しろ/小3)の作文より(スズラン先生/10.3週)

 ぼくがこの中で、一番すごいと思ったのは、アルバートが自分からすすんでべんきょうするところです。それも、べんきょうが好きだからだと思います。評:勉強をしたいと自分から思うことが大切なようですね。好きなこと、得意なことを見つけていくといいですね。

穂香さん(すよ/小3)の作文より(ゆり先生/10.3週)

 わたしは、学校に行くのは、勉強をしにいくだけじゃないと思います。評:そうだよね。お友だちがたくさんいて、いろんな意見を言い合ったり、給食を食べたりするのも学校のいいところだよね。「赤〜。」「白〜。」と大きな声で赤の声と白の声がぶつかり合います。評:運動会の話の書き始めです。ワクワクしてくるようなにぎやかなようすが、よくあらわれていますね。

キティさん(とあ/小3)の作文より(みち先生/10.2週)

 (かきのみをみて)だんだん色がついてきています。今は、うすいオレンジ色です。わたしは見たとき「わあきれい」といってしまったほどでした。評:オレンジ色のかきのみを見て、かざりつけたようにきれいにみえ思わずでた言葉は、しぜんのうつくしさにかんどうしたのですね。

聡一朗さん(ふま/小3)の作文より(ふじのみや先生/10.2週)

 あとでくりを、にて食べたら、ほっぺたがおちそうにおいしかったです。あまかったのでさといもと同じあじがしました。 ☆ほくほくして、ほんのりあまいのが、まるで「さといも」だったのですね。

 

  来週11.2週のヒント(小4−小5)

 小学4年生 11.2週 ●いねは、さきに(感) ◎旅行に出かけたこと

 内容:いねには、たくさんの長所があった。第一に長く保存できた。第二に栄養があった。第三に栄養のバランスがとれていた。だから、お米は給料のかわりにも使われた。

 解説:昔は冷蔵庫などがありませんでしたから、肉や魚は干したり塩漬けにしたりしなければ保存できませんでした。その点お米はそのまま何年も保存できました。また干し飯(ほしいい)と言って蒸したお米を日に干したものは十年でも二十年でも保存でき、そのうえお湯をかければすぐおかゆにして食べることができました。現代のインスタントラーメンの大先輩のようなものです。

 先生(森川林)のうちでも、子供が小学4年生のときこの話を読んで早速干し飯作りに挑戦してみました。炊いたご飯をお皿にひらたく並べ、日の当たるベランダに干して数分後、見に行くと、空っぽのお皿の横で犬がうれしそうに口のまわりをなめていました。

 お米は、パンなどとくらべると栄養のバランスがとてもよくとれています。パンだけでは栄養のバランスがとれないので、パンはサンドイッチのように野菜や肉と一緒に食べる必要がありますが、お米の場合は、お米だけ食べていれば大丈夫です。日本人は、昔からこのお米に大豆食品による植物性たんぱく質を組み合わせて、一見質素な食事にもかかわらず元気に長生きをしてきました。

 似た話は、お米のおいしさなどで書いてみるといいでしょう。

 ことわざは、「101、燈台もと暗し」で、身近にある大切なものを見直そうという感じに使えるかな。

 小学5年生 11.2週 ●これまでの人の観察や(感)

 要約のヒント:次の質問にこたえるようなかたちで長文をまとめてみると要約になるよ(^o^)→(1)読書の利益を三つあげてみよう。(2)歴史上の人物のひとことを読むことはだれの気持ちを読んでいることになるのかな。(3)気に入った書物に出合ったらどうしてほしいと書いてあるかな。

 解説:読書の面白さ、読書を通して学んだこと、韋編三絶(いへんさんぜつ)ほどではないが何度もくりかえし読んだ愛読書などが似た話になりそうです。お母さんやお父さんに聞いてくると、さらにいい話が見つかると思います。ことわざは、若いうちにいい本をという意味で「97、鉄は熱いうちに打て」、書物から何かを教えられるという意味で「118、人の振り見てわが振り直せ」、読書だけではだめだという意味で「144、論語読みの論語知らず」などが使えると思います。「読書百遍意自(おのずか)ら通ず」なども知っているかな。

  光る表現(小4−小5) 1999年11月1週

友理絵さん(ああて/小4)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 おうえんだんは、どきどきしました。はずかしくて、なんかみっともなくないのにみっともないような気持ちでした。 評:みんなの前に立って、大きな声で声援を送る応援団。みんなの前に出た時の、何ともいえなくはずかしい気持ちがよく表れています。

ポプリさん(あおえ/小4)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 (二人三きゃくのれんしゅうを)何どもやっったので、まだひもが足にくっついているようでした。評:ひもをほどいても、まだくくったままのような感じだったんだね。どんなにたくさん練習したか、よくわかるね。

千陽さん(あすえ/小4)の作文より(みち先生/10.2週)

 コスモスのどこが好きかというと、ピンク色の細い花びらのところが好きです。評:よく見るとさらに見えてくるものですね。

奈々子さん(あちね/小4)の作文より(スピカ先生/10.3週)

 (林間学校で、スタンプラリーのあと「自然の家」に着いて)ついたら、夕食でそのつぎがキャンドルファイアーでした。歌っておどって、つかれたことが全部ふっとんでしまいました。 評:いろいろなハプニングがあったスタンプラリーを終えて、ほっとした時間の、楽しくもりあがったようすが、よくわかるように書けた

淳一さん(あとは/小4)の作文より(ももんが先生/10.2週)

 ぼくの家の前には山があって、このごろ山からどんぐりが、さるが投げてくるように飛んできます。評:いきおいよく、ドサドサドサっと落ちてくるどんぐりのようすが目に浮かびます。「さるが投げてくるように飛んでくる」とは、すごいぞ! とても楽しくたとえの表現が使えましたね。

星の王子さん(あねく/小4)の作文より(森川林先生/10.1週)

 ……きちんとバトンを取りました。ぼくは、スタートの出だしがおくれたので、(ぬかされた)と思いました。でも(なんとか追いつくぞ)と思ったので、全力で走りました。評:リレーで走っている途中に思ったことを入れて書いたのがいいね。

若奈さん(あもせ/小4)の作文より(かつみ先生/10.3週)

 私は昔の人の時代と、今の時代の人はこんな風に違う事で面くらいました。 評:面くらいました、というのがいいね。プレイルームから親友の成美ちゃんの声が聞こえます。 評:声が聞こえます。という表現がとてもよかったよ。

 

大典さん(せと/小4)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「お米からできているたくさんの味がしについて、よく思いついたなと思いました。なぜかと言うと、まだぎじゅつが発達していない昔によくそんなアイデアができたなと思ったからです。」 ほんとだね! なぜだろうってびっくりしちゃったよね。ぜひぜひ、その理由も考えてみよう!

賢史さん(あいか/小5)の作文より(はるな先生/10.1週)

 ぼくは、秋の虫のほうが、夏の虫より好きです。わけは、しずかだからです。夏の虫はミーミーと鳴いて朝早く起きすぎてしまいます。まるで、めざましどけいみたいで、いやなのです。「朝はぜったい鳴いちゃあ、だめ! 」そういうことを、命令したいです。・・・・・秋の虫はせみとちがって「リーリー」と鳴いて、夏のせみとは、おおちがいです。 (講評);夏と、秋の虫のなきごえのちがいについて、大変わかりやすく説明できました。ユーモラスなたとえが、とても印象的でした。本当に、いきおいよく、早朝から、鳴きわめく元気なせみの声は、人間の眠りをさます働きがあるようで、おもわず、わらってしまいました。でも、これは、せみの習性なんだから、仕方が、ないのかも.....ネ! 一夏(ひとなつ)だけの みじかい命なんだから、許してあげましょうよ。

コナンさん(あえた/小5)の作文より(洋子先生/10.1週)

 去年一位だった子にぴったりくっついてはしれるのだが、越すときにスピ−ドを上げると相手もスピ−ドを上げてしまって、越したり越されたりして、いたちごっこになってしまうのだ。評:マラソン大会で一位をどうにかして抜いて自分が先頭の一位になりたいコナンちゃん。もどかしさがよく表現できていますね。

美和さん(あきき/小5)の作文より(スズラン先生/10.3週)

 手で作ると、その作った物に作った人のたましいが入る。そして、たましいが入ることによっていい品物ができるのだと思う。評:手作りの物には、一味ちがったぬくもりと、作った人の心が感じられますね。

ひろりんさん(あしゆ/小5)の作文より(とこのん先生/10.2週)

 学校全体の前でしり字をやるようにはずかしかった。 評:本当にとっても恥ずかしかったのだということが。」よく分かります、ぷぷ(笑)。だって「しり字」は本当に恥ずかしいもの。そんなにはずかしかったの。

尭弘さん(あその/小5)の作文より(とこのん先生/10.1週)

 そのときぼくは(補助輪無しの自転車に初めて乗れて)とてもかんどうしました。そのときぼくは心の中で「こんなにかんたんにのれちゃうんだ自転車って。」と思いました。 評:おばあちゃまが手を放したことに気づかないまま走っていたらいつのまにか乗れていたのですね。思いがけず乗れるようになったことに、驚きながら感動する気持ちがよく表れていますね。

友世さん(あちか/小5)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「いつまでも忘れもののことが浮かんできて心が暗くなる。」 それはそれは深い苦しみが伝わってくるようなじょうずな表現でした! それだけつらい思いをしたことがこんなに奥深い表現を生み出したのかもしれないね。でも、そんなつらい気持ちを吹き飛ばしてしまうほどの三重丸を友世ちゃんにプレゼント!! 「おもわずためいきをついてしまった。...私は、またためいきをついた。...私は、三回目のためいきをついた。」友世ちゃんの「はぁー」っていうためいきが聞こえてきそうな、とてもじょうずな表現だね! こんなふうに気持ちを動作であらわしてあげると楽しい作文になるね。ためいきついちゃったのは残念だったけど、作文の方は二重丸だよ!

穂奈美さん(あつえ/小5)の作文より(かつみ先生/10.1週)

 わたしは赤組なので、赤組入場門で局が流れるのを待っていた。 評:曲が流れるのを待っていた、というのがいいね。

わたるさん(あにと/小5)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「自分が何でも屋なのに、願いをかなえてあげられなかったということですごく悲しんだと思う。」 「たぶん〜だっただろう。」というように、何でも屋さんのカニさんの気持ちになってよく考えてあげられたよね。こんなふうに誰かの気持ちになって考えてあげたり、もし自分だったらどうだったかなぁということをこれからもどんどん考えていってあげてね! 「サッカーの人気はなくなってしまうのかと思うと、むねがいたみます。」 おぉぉ、すばらしい表現だね!! これからもこんなふうに気持ちを表現していってあげるとキラリと光った作文になるね!

孝明さん(あふの/小5)の作文より(ふじのみや先生/10.1週)

 「ビュッ」「バシッ」ぼくと相手は一本の心の綱がありその綱をボールがいったりきたりしている。ぼくは力をこめて綱の先に力いっぱい投げる。 評:一直線にボールが向かっていく。「よっしゃー!」という気持ちを球に込めて。独創的な書き方ですね。

ゆかちゃんさん(さあ/小5)の作文より(ゆり先生/10.1週)

 試合が終わって、みんながあつまったときも、みんなはちょろこびがかくせないようだった。外に出ると、空は、夕やけで真っ赤だった。みんなの顔も真っ赤だった。評:試合に勝ってみんなでよろこび合っている様子が、とても美しく表現できていますね。

しっぽさん(ほし/小5)の作文より(森川林先生/10.1週)

 ボールは途中で取られてしまったけれど、少しでもゴールの近くまでボールを持っていけてよかったと思いました。体育館の中は、みんなの「がんばった」というしるしの汗が蒸発して、むしむししていました。評:動作情景の結び。いつも感想文だから、久しぶりの作文で書きにくかったでしょ。

 

  来週11.2週のヒント(小6−中2)

 小学6年生 11.2週 ●私たちは長い間、木綿と(感)

 内容:私たちは長い間木綿と木の中で暮らしてきたが、明治以降、それを捨て、人工材料をおいかけてきた。しかし、たとえば、木は切られたときに第一の生を断つが、建築用材として使われると再び第二の生が始まり、その後何百年も生き続ける力を持っている。ヒノキは、切られてから二、三百年の間は、強さや剛性がじわじわと増して二、三割も上昇し、その時期を過ぎて後、ゆるやかに下降する。バイオリンも、古くなるほど音がさえる。つまり、用材の剛性が増すとともに、音色がよくなるのである。また、木は生育した土地で使われたとき、いちばんしっくりとして長持ちする。私たちは機械文明の恩恵の中で、工学的な考え方に信頼をおくあまり、数量的に証明できるものにのみ真理があり、それだけが正しいと信じすぎた。だが、自然が作ったものは、コンピューターでは解明できない側面を持っている。

 解説:漆喰(しっくい)の壁とビニール壁紙(ビニール壁紙はきれいで手入れも楽だがカビの温床になりやすい)。アルミサッシと障子(サッシは気密性に優れるが結露を生じる。障子は紙なので通気性もあり意外と暖かい)。ろうそくやランプ、キャンプファイアーの炎と蛍光燈の光(自然の炎が持つ温かさ、安らぎ)。手書き文字とワープロ文字(手紙を書く時は手書き文字の方が温かみが感じられるという人が多い)など。

 「森は生きている」(講談社青い鳥文庫)の28ページ、35ページに具体的なヒントがたくさん載っています。例えば、「スギは柱や天井や床につかわれ、げたにも使われた。かたくしまったケヤキは家を支える大黒柱になった。水に強いカラマツやマツは水車や橋になり船にも使われた。キリの木はお琴に使われた。またキリは燃えにくいのでたんすや金庫に使われた。さかなや貝を運ぶとき、スギやヒノキの葉を使うのはさかななどを腐りにくくさせるためだった。ささだんごやかしわもちやさくらもちは、長持ちするので保存食でもあった」など。

 ことわざは、身近なものに意外に大きな意味がかくされているということで、「101、燈台下暗し」。それぞれの土地にあった木材を生かして使うことが大切だという意味で、「49、郷に入っては郷に従え」など。

 中学1年生 11.2週 ●私たちが日常(感)

 詩的な言葉の大切さというのは、例を見つけにくいかもしれません。詩を読んで「ああ、いい言葉だなあ」と思ったような例があればぴったり。もっと身近な例で言うと、「ふとんがふっとんだー」のようなダジャレは実用的な点から言えば無意味なものですが、学校の先生が授業の合間にそういう受けないダジャレを言うと勉強の雰囲気が楽しくなるなどの効果もあります。詩的な言葉にも、もっと目を向けようという主題で書いていきましょう。名言は、「23、雑草とはまだその美点が……」、言葉は伝達の手段ではなくそれ自体が生きた目的だという意味で「63、人は食べるために生きるのではなく……」(ちょっとむずかしいけど)、「40、存在するものには、良いとか悪いとかを言う前に……」など。

 中学2年生 11.2週 ●フィンランドの(感)

 内容:フィンランドの15年にわたる調査で、健康管理をしたグループの方が健康管理をしなかったグループよりも病気になった人の数が多かったということがわかった。過保護が依存心を生み、生きる活力を鈍らせるという例は、子供の育て方にも当てはまる。子供が成長するためには、原始時代からの人類の全課程をたっぷりたどることが必要だ。

 解説:子供時代は、子供らしい遊びをする必要がある、という意見です。反対理解としては、高度に発達した現代の文明では、知識を覚えるような勉強ももちろん大切だが、というところで考えていきましょう。名言は「21、子供は大人を小さくしたものではなく……」など

  光る表現(小6−中2) 1999年11月1週

茉有さん(ああの/小6)の作文より(かつみ先生/10.1週)

 私の足はきんちょうしてがくがくふるえていた。 評:先生までドキドキしてきます。こういうきんちょうも、いいよね。

おかゆさん(あすこ/小6)の作文より(スピカ先生/10.2週)

 人間は他の植物や動物に支えられて生活しているのだから、その植物や動物を保護するのはとうぜんの義務だ。しかし、人間は保護するどころか、その調和をくずしている。人間こそは、獅子身中の虫である。 評:ことわざを効果的に使って、人間の自然破壊行為を批判したうまい表現。りっぱな意見を力強く書けたね。

しおりさん(あそと/小6)の作文より(ふじのみや先生/10.3週)

 「人生の消耗にたえられる人は、幸運な人である。」このような言葉がある。これは「幸運」というよりも、たえた結果なのでは…と私は思う。 評:「たえる」という、精神的努力の結果なのでしょうね。

宮淳さん(あたつ/小6)の作文より(かつみ先生/10.2週)

 学校のリンゴの木を荒らしていた時にみどり色のリンゴがあって、めずらしかったので食べてみると、硬くて、発ぽうスチロールのような味がして、この世の物とは、思えないぐらいまずかった。 評:ワンパクな体験実例、個人的には大好き。ところで、発砲スチロール、食べたことあるの????

GTO−Z2さん(あとべ/小6)の作文より(森川林先生/10.1週)

 何年か前オーストラリア旅行に行った時レストランで喉がかわいたからおばあちゃんが店員(外人)にこう言った。「お冷ください。」その時、僕は、一瞬日本語で通じるのかなあと思った。………………通じた。評:気持ちで通じちゃうんだろうね。

魔法使いさん(あちほ/中1)の作文より(スズラン先生/10.2週)

 私はクリスマスになると、決まって「どうしてサンタさんはプレゼントをくれるの?」「サンタさんはどこに住んでいるの?」などという質問をしたときの解答でも、返ってくるのは夢のある答えばかりだった。・・中略・・私は、現実の世界をそのまま知るより、自分でどんどん考え、想像をふくらませていくことがいいと思う。評:子供にとって、夢がある答えを聞くことは、楽しい想像と考える力を育てるのでしょうね。今年は、サンタさんのご機嫌はどうでしょうか。きっと微笑んでいそうですね。

圭亮さん(あにて/中1)の作文より(ふじのみや先生/10.3週)

 確かに科学を利用することは大切なのだがしっかりと考えてやらないと逆効果になってしまう。科学をうまく利用するには科学を知り楽よりも安全を選ぶこと、最後まで気持ちをゆるめずに手をぬかないことなのである。現在のほとんどの科学については、どうすれば安全かわかっているので正しく対応すればそれほど恐いものではないのである。そして科学とは、いろんな科学者の思いがつまった夢の結晶なのである。だから、のび太のように安易に科学の力ばかりに頼ってはいけないのである。評:体験をきちんと掘り下げて、現実味のある主題を導いています。夢の結晶というたとえもいいね。

裕子さん(あねさ/中1)の作文より(きょうこ先生/10.1週)

  「勝負というものは、勝ち負けだけでなく、内容、くじ運も、勝負の一つなのだ。」 なるほど、勝ち負けにこだわることや、楽しむということの他にも、こんなにも大事なことや大きく関連してくることがあったんだね。裕子ちゃん自身の経験から生まれた発見だね!

TERUさん(ふり/中1)の作文より(かつみ先生/10.3週)

 以前すごい問題が田中家を襲った。 評:先生、こういうオーバーな表現大好き。先生が作文を書くときに使わせてもらうねーー。

GOさん(うみ/中2)の作文より(スズラン先生/10.3週)

 私には、思い出の場所がある。思い出の場所といっても、そこで何かあったという訳でもなく、気持ちが不安定な時に、自然に行きたくなる場所だ。評:こういう場所があると、心が落ち着くというは良く分かりますよ。ことに、嫌なことを全て吸い取ってくれそうな気がしますよね。

哲也さん(くさ/中2)の作文より(ミルクティ先生/10.3週)

 確かに昔の思い出も、新しいスタートを切ることも大切だが「今日という日は明日という日の二日分ある」という言葉があるように、結局一番大切なのは、今という時間を有意義に過ごすことだ。例えば、自分の趣味に浸っている時が、時間を忘れるほど面白いというように、「今」を過ごすことが大切だ。<評>「今」を精一杯生きることの大切さを痛感させられる文章。「いつの時いつの月日と思いしに、今年の今日の今のただ今」という言葉を思い出しました。

たこ星人さん(こむ/中2)の作文より(きょうこ先生/10.2週)

  「『百聞は一見にしかず』ということわざのように、ただじーっと『情報』ばかりを見ているのではなく、いろいろなところに行き、たくさんの『知識』を得ることが大切なのである。」 なるほど! ただの情報を自分だけの知識に変える方法の大発見だね! いろんなところに自分で実際に行って、目で確かめることが大切なんだよね。ついでに、これを知恵に変える方法も考えてみて!

 

 

  来週11.2週のヒント(中3−大社)

 中学3年生 11.2週 ●もう三〇年も前の(感)

 本文上の段左から5行目「音から」→「昔から」

 内容:奈良時代の大仏、戦国時代の鉄砲、そして現代の工業製品と、日本には最新技術を受け入れ消化する潜在能力があった。近年、真似をすることが独創性の欠如であるかのように言われているが、日本には真似ることを学ぶための確実な方法と考える伝統がある。芸事でも基本技術を十分にマスターしたあとに次の段階として独創性が出てくる。日本人は「もの真似上手」と言われることにコンプレックスを抱く必要はない。

 解説:「守・破・離」というのは、勉強にもスポーツにも言えるようです。スポーツでは、初めは単調な基礎練習をしっかりします。サッカーでも、ドリブルやパスが満足にできないうちに、オーバーヘッドキックをしようとしたり、新しい回転稲妻シュートを考えついたり(そんなのあるか)する人は、みんなから「いいよ、いいよ。あいつは勝手にやらせておけ」と言われてしまいます。逆に、ひとつのことを徹底的にマスターすると、次第に自分の独創的なやり方を試みてみたくなってきます。独創的なやり方は、初めはうまくいかないことも多いでしょう。「破」の段階では、かえってレベルが下がってしまうこともあります。しかし、その段階を越えると、前とは違った次元に進むことができます。

 「守」の段階にとどまっていては進歩はありませんが、「守」の段階をしっかりマスターしておかなければ、その後の発展もありません。真似ることの大切さということで、自分の生き方に結びつけて考えてみましょう。

 高校1年生 11.2週 ●私は長いこと京都に(感)

 宗教や教育に携わる人を批判していますが、大人全体について言えそうです。自分の現在の位置に満足したときに成長は止まるということで、今日の安定した社会で自己満足に陥らないで生きていくためには……という主題で考えていくといいと思います。

 高校2年生 11.2週 ●その広告は(感)

 内容:その広告は、サービスや製品を超えて、世の中を理解する方法までも売り込もうとしていた。現代の商業主義の世界では、人生は消費を通して実現されるようになっている。かつての農業や手工業が持っていた自然との融合は、賃金労働と消費生活によって取って代わられている。

 資本主義以前の世界では、貨幣を通しての商品交換も限られていました。人々は、生活に必要な多くのものを自分の手で作り育てていました。そういう社会では、生産そのものが人生であり、消費はやむをえずするものと考えられていました。しかし、資本主義が発達すると、それまで自分自身が生産者であった農民や手工業者は工場労働者となり、労働と引き換えに賃金を受け取るようになりました。生活に必要なものは、この賃金で商品として購入しなければなりません。こうして、やがて、労働はやむをえずするもので、消費の中にこそ人生があるという考えが生まれてきました。

 今、多くの人の日常生活は、次のようなものになっていると思います。「あーあ、今日からまた月曜日か。しょうがない、また一週間働くか。そのかわり、日曜日にはカラオケに行って、うまいもんでも食べて元気を取り戻そう」

 昔の人は、そうではありませんでした。朝起きるとすぐ文句も言わずに、おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、すると川上から大きな桃がどんぶらこっこどんぶらこっこと流れてくるような生活をしていました。

 近代の資本主義は、確かに世界を飛躍的に豊かにしました。しかし今、この物質的な豊かさのあとに来るもの、心の豊かさを実現するような社会が求められているようです。

 高校3年生 11.2週 ●歴史家の専門の(感)

 本文上の段16行目「演じていもの」→「演じているもの」

 内容:歴史家の仕事は、自己中心性を克服する一つの試みだ。自己中心性は生の必要条件であるが、同時に誤りの原因でもある。

 解説:イギリス人が書く文章は、シェークスピアの影響なのでしょうか、日本人から見るとやや饒舌な印象を受けるようです。「くまのプーさん」を読んだときも同じことを感じましたが、この長文も、もっと簡潔に書けばいいのになあと、つい私(森川林)は思ってしまいます。(笑)

 さて、歴史家トインビーは、人類の文明の歴史を研究し、どのように発展した文明もやがて主に内部的な原因から衰退していくと述べました。栄耀栄華の中にいるときは、その状態が昔からずっとあって将来もずっと続いていくような虫のいいことを人間は考えがちです。

 十一世紀初め、二代の天皇のもと約二十年間にわたって政治の実験を握った藤原道長は「この世をばわが世とぞ思うもち月のかけたることもなしと思えば」という歌を詠みました。しかし、その摂関政治もやがて上皇による院政に取って代わられ、上皇と天皇の対立をきっかけに武士が台頭していきます。十二世紀初め平清盛が活躍したころの平家一門は「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われましたが、源頼朝の挙兵により滅びてしまいます。このような栄枯盛衰の歴史を見ていると、調子のいいときでも油断をしてはいけないし、下積みの時代も腐らずに力を蓄えていくことが必要なのだとしみじみと感じますね。

 世界の近代の歴史を見ても、スペイン・ポルトガルからオランダ・イギリスへと覇権が移り、やがてアメリカが世界の中心となっていく動きがよくわかります。日本の社会の問題を考えるときも、今目の前にある現象に目を奪われるのではなく、歴史的に見ていくことが必要です。

 日本では一昔前は、勉強のし過ぎが問題となっていましたが、今は、学力低下に見られるような勉強の不足が逆に問題になりつつあります。あらゆる時代を超えて普遍的な真理というものはありません。問題を歴史的に見る見方がないと、固定的で自己中心的な見方に陥ってしまいます。歴史を勉強するのは、テストに合格するためでなく、こういう歴史的な見方を身につけるためなのですね。

 大学生社会人 11.2週 ●さて、ありすぎるほど(感)

 内容:現代の日本でありすぎるほど空き家があるということは、みんながもっと広い家に住むための条件が整っているということである。この流れを実現するためには、一番の金持ちの人がもっと大きい家を建て、そのあとに二番目の金持ちが住み、そのあとに三番目の金持ちが住むというかたちで住居の住み換えを促進していくことだ。住宅のような高額な商品で市場のメカニズムを生かすためには、所得の高いほうからレベルを上げていくことが必要である。

 解説:低いほうから上げていくか高いほうから上げていくかということは、もちろんそのときの状況によって異なります。戦後の日本の急速な復興は、低いほうの所得が全体に上がったために実現したと考えられるでしょう。しかし、今の日本は、逆に所得の高いほうに対する制限が経済の発展の足かせになっているところがあるようです。

 逆にアメリカでは、高いほうを上げることに偏りすぎているため、貧富の差が著しく拡大し社会問題となっています。国内の多数が貧しければ国内ではモノは売れず、従って経済は次第に縮小していきます。

 日本の経済を考えるときに問題となるのは、金持ち=悪人という感覚を多くの日本人が漠然と持っていることです。先入観を捨てて客観的に見ていくことが大切なのでしょう。

  光る表現(中3−大社) 1999年11月1週

武照さん(あよ/高2)の作文より(森川林先生/10.1週)

 無理や努力は美徳というのが我々の社会である。だがこの美徳が暴走した結果、ミヒャエル・エンデの指摘するように「ゼーレ(魂)を置いてきた」社会となっていることも考えねばならない。評:さりげなくミヒャエル・エンデを入れているところがいいね。(^o^)

ユウアイさん(ねも/高2)の作文より(かつみ先生/10.3週)

 要するに、今の人たちの多くが今が楽しければいいやとか、目先のことを考えない人たちが多いという事にもなる。それは、日本が豊かになって物がありすぎるような時代になったからだと思う。 評:新鮮な意見。目先のことさえ考えない若者の心理。心の奥の本音をみてみたいな、そういう気持ちがしました。

ユウアイさん(ねも/高2)の作文より(かつみ先生/10.2週)

 もっと社会の矛盾に対して戦っていかなければならない。 評:本当にそうだよね。言いなりになっている時代でなくなっている。おかしいことは、おかしい、声をあげる勇気と、実践する勇気が必要だね。その嬉しい悔しいがあるからスポーツは面白いのだ。 評:嬉しい悔しいという表現がいいね。

アンドレさん(いの/高3)の作文より(森川林先生/10.1週)

 「雑草とは、まだその美点が発見されていない植物のことである」という。美点は発見されていないが、それでも彼らはたくましく生きている。常にひまわりを目指す必要はない。他人にどう思われようと、自分らしく生きることが大切だと思う。評:「無理」という題名で、名言の引用と主題をうまく結びつけたね。

T.Oさん(いう/高3)の作文より(森川林先生/10.1週)

 (書き出しの部分)もう暗くなって帰宅途中の会社員や学生の姿もまばらになった頃、その中に紛れて軽目のかばんを背負った小学生の集団がわっと駅前通りに現れる。まだ幼さが残り今まさに遊び盛りのように見える子供たちは、流行のゲームの話題に夢中になったり、その日のテストの出来について言い交わしている。……(結びの部分)夜遅くに塾から飛び出してきた子供達も、志望校合格だけを最終目標にせず更に先を見つめてもらいたいものである。評:書き出しと結びの対応がいいね。