http://www.mori7.com/ 1999年11月4週号 通算第641号 mori7@mori7.com

言葉の森新聞

文責 中根克明(森川林)

  図書の返却は12月10日までに

 今学期の貸出図書の返却期限は12月10日です。同封の返信用封筒に入れて、そのままポストに投函してください。現在、貸出中の図書は、「山のたより」の右上に表示されています。返却作業は手入力でやっておりますので、万一返却したはずなのに表示されているというような場合がありましたらご連絡ください。

  11月29日(月)30日(火)は休み

 11月29日(月)30日(火)は休みです。宿題はありません。

  メーリングリストの可能性

 アメリカ1・2位のメーリングリスト無料作成サービスのeグループとワンリストが11月末に合併しました。日本にも日本法人のeグループがあり、言葉の森の生徒用メーリングリストもここを利用しています。登録ユーザー数は世界で千三百万人、やりとりされるメール数は月13億通です。

 手紙や葉書を書く作業は敷居が高いものですが、これに比べると、メールを打つ作業はきわめて簡単で、隣にいる人にちょっと話しかける程度の気分でメールを送ることができます。現に、私(森川林)のところにも「自己推薦文はどうやって書くんですか。教えてください」などという気軽なメールが見ず知らずの人からよくやってきます。こちらも、適当に返事を書いて、「それじゃあ、がんばってねー。(^o^)/」などと見ず知らずの人に返信しています。たまに自分の名前も書かずに「僕にも教えてください」などというメールが来ると、「初めての人にメールを出すときはペンネームじゃなくて、本名を書いておいたほうがいいよ」などと軽く注意してあげ、相手からも素直に「すみませんでした。メールはまだ初心者なもので」などと返事が来たりします。学生時代、よくヒッチハイクをしましたが、「乗せてください」「どこまで」「あっちのほうで行けるところまででいいです」「OK」というノリです。知らない人とも気軽にやりとりできるくらいですから、知っている人どうしなら、さらに気軽にやりとりができます。もっとも、この気軽さが危険性につながる場合もありますから、一定の注意は必要ですが。

 さて、このメーリングリストやチャットは、将来コミュニケーションの重要な役割を果たすようになると思われます。今はメーリングリストを主宰している人自体があまり多くありませんが、すぐにインターネットに接続している人が自分自身のメーリングリストを持つようになってくると思います。すると、コミュニティの輪が一挙に何百万、何千万に広がります。

 しかし、いま、メーリングリストの中には、会員数が数千人のところもかなりあります。これらの会員がある一つのテーマで盛り上がって同時にメールを出したら、それぞれの会員のところに一度に数千通のメールが飛び交うことになります。本気で読むとしたら読むだけで数日かかる作業です。そういうメールが毎日届き、さらにほかのメーリングリストからのメールも届き、仕事上の重要なメールも届き、となると、メールの題名を見て削除するだけで何時間もかかってしまいます。

 こうなると、メーリングリストの会員はやたらに人数を増やすことを目標にするのではなく、より気の合った仲間と小人数で運営していくことを志向するようになると思います。

 言葉の森のメーリングリストで考えているのも、この方向です。今は言葉の森の会員全員を対象にしていますが、やがては小5の父母対象のメーリングリストとか、高3対象のメーリングリストのように対象が細かく分かれてきます。さらに、高3の生徒が多くなれば、高3の「アジサイの丘」クラスと「イチゴの丘」クラスのメーリングリストも分かれて運営されるようになります。現在、言葉の森のクラスは6人で編成していますから、毎朝メールをチェックすると、6人のメールが入っていて、そこで「この前の課題のここが難しかったね」「あれは、こういう考えもできるのでは」「ところで、この問題がよくわからないけど、だれか教えて」というようなコミュニケーションが取れるようになると思います。この程度のメーリングリストであれば、複数のメーリングリストに参加していても時間をとられるということはありません。ただし、いま、メーリングリストなどを積極的に利用している人のうち少数の先進的な人は、実はメールを毎日読むのではなく、データベースとして蓄積しておき、必要なときに全文検索するというような使い方をしているようですが。

 来年2000年から、定額制の常時接続のサービスが次々と現われます。この定額制の常時接続サービスが普及すると、社会に対する影響はきわめて大きなものになります。インターネットをめぐる分野は、いま戦国時代の真っ只中です。橋の上で寝ていた農民の子供、藤吉郎があれよあれよといううちに天下人となるという時代と同じです。若い人には、激動期に伴うチャンスがあちこちにころがっています。しかし、それだけに目先の動きに惑わされず本質的なことに目を向けていくことが必要です。

  学問の新たな開拓分野

 医療、農業、教育、政治の四つの分野は、近代の分析主義的な科学的アプローチによって、一面では大きく発展しましたが、他面では多くの矛盾を抱えるようになった分野です。

 分析主義はまず医学の発展に大きく貢献しました。病気は悪い原因がいくつか組み合わさって起こり、健康はよい原因がいくつか組み合わさって手に入ると考えられました。その原因の究明を支えたのは顕微鏡を初めとする人間の目に見えない分野を探る各種の機器でした。風邪を引くのは、風邪のウィルスがいるからであり、鳥目になるのはビタミンAが欠乏しているからである、という説明は、実証的であるがゆえに大きな説得力を持ちました。これに比べると、「風邪を引くのは根性が足りないからだ」などいう説明は、やはり説得力はありません。(笑)

 医学と同じように、農業の分野でも、分析主義が大きな成果を上げました。私が高校生のころ、植物を育てるために三大栄養素は、カリウム、窒素、リンで、「カチリと覚えればいい」と教わりました。化学肥料は、これらの成分やカルシウムやマグネシウムの配分割合を植物の種類と生育時期に合わせて最適なものに調整するというかたちで発展しました。

 教育の分野でも、分析主義は進みました。江戸時代の教育は、読み書き算盤というおおまかな枠で、四書五経を中心に読んだり書いたりすることがその内容でした。近代の教育は、英語、数学、理科、社会などに分かれ、更に、理科なら理科の中で物理と化学と生物と地学に分かれ、物理は更に力学と光の屈折とその他もろもろの分野に分かれ、能率よく勉強できるように教科の分類が整っています。しかし、それらの科学が対象とする世界は、もともとトータルなものです。経済学部は文系だから数学は要らないというわけにはいきませんし、生物は好きだけど化学は嫌いということで生物の化学反応を研究することはできません。

 政治の分野では、分析主義はあまり目立っていませんが、私たちの身近な政治的な行動の場面では、分析主義的な発想が無意識のうちに出てくることがあります。例えば、「廊下を走ってはいけません」というルールを設定するために、反則切符を作る、廊下に障害物を置く、などという発想です。これは、国のレベルで言えば、法律を作り規制を強化する、税金を取り補助金を支給する、という発想に発展していきます。

 さて、これら四つの分野で発展した分析主義は、いま、細分化の限界に近づきつつあります。その一方で、分析とは反対の次元の、主体性を総合的に生かすという方向にいくつかの新しい展望が生まれています。

 医学の分野では、ストレスが免疫力を低下させるという主張が現われてきました。逆に言えば活力があれば多くの病気は予防できるし、自然治癒力を活性化させればそれだけで治る病気もある、ということです。今後の医学の発展は、この人間の主体的な力を発揮させるためにはどうすればよいか、という方向に進んでいくと思います。

 農業の分野でも、事情は同じです。植物が病気になるのは、病害虫のせいばかりでなく、植物体そのものの活力が低下しているからだということがわかってきました。子持自然恵農場の鶏は、雛のころに厳しい環境に置かれるので、生きる力が旺盛になると言われています。また、ここの鶏はケージに詰め込んで飼われるのではなく、広い環境で育てられています。これまでの農業は、生産効率を高めるためにストレスをためるような育て方をし、そのストレスの結果出てくる障害に対しては農薬や肥料で対処してきました。ドリンク剤を飲みながら辛い仕事でもがんばるという現代社会を戯画化したような発想が農業にもあったのです。

 教育の分野も、同じです。学ぶ意欲を育てることの大切さがよく言われますが、子供たちの勉強を見ていても、意欲の大切さというものを痛感します。小学校低学年のうちからコツコツと勉強を積み重ねていくことも確かに大切ですが、小6や中3の受験期に猛烈な集中力を発揮して、それまでコツコツ勉強していた生徒に一挙に追いつき追い越してしまう生徒がいます。苦い薬を飲むようにいやいや長時間勉強するよりも、目標を決めて短時間全力で集中するほうが、吸収力が高くなるのでしょう。また、普通は、「ふう、もう1時間も勉強したから休憩だ」と休憩のことばかり考えて勉強するものですが、勉強に燃えている生徒は、2時間でも3時間でも休みなく勉強していて疲れません。こういう意欲を育てるようなくふうが、これからの教育に求められていると思います。いま、書店に行けば、参考書や問題集などの教材は至れり尽くせりです。塾や家庭教師もよりどりみどりです。ゲームボーイを利用した単語帳や漢字集などおもしろく勉強できるくふうも豊富です。しかし、子供が意欲をもって勉強に取り組めるような大きな仕組みというものがまだできていません。小さな戦術的なところでのくふうは豊富ですが、大きな戦略的なところでの意欲を育てるくふうがまだ生まれていないというのが、教育の分野の現状です。

 政治の分野も、同じです。廊下を走らないように障害物を置くというような発想をすれば、その障害物を壊す人がいないように見張る監視人を置くとか、その監視人が不正を働かないように見張るビデオカメラを置くとか、そのカメラが壊されないように警備員が巡回するとかいう具合に、事態はどんどん複雑になってきます。このように複雑化することが真面目な対策と勘違いされることが多いものですが、真の解決策は、主体的な倫理観を育てるということです。公園に行くと、ゴミがよく落ちています。これに対して、掃除をする人を増やすとか、ゴミ箱を増やすとか、ゴミを捨てた人から罰金を取るという発想をすることは根本的な解決につながりません。子供たちが小さいころに、ゴミのないきれいな公園がどんなにすばらしいかということを心をこめて話してあげればいいのです。しかし、現在では、こういう躾は家庭にまかされており、どの時期にどういうことをどのくらい教えればいいかということはまだ科学的に研究されていません。

 医療、農業、教育、政治の分野での分析主義的なアプローチは、これからも続くでしょうし、一部には発展も見られるでしょう。しかし、外側からつっかい棒で支えるようなやり方は、いま、つっかい棒が多くなりすぎて、つっかい棒のつっかい棒が必要になるようなかたちで限界に近づいています。教育に関して言えば、学校の勉強では足りないので塾に行き、塾の勉強がよくわからないので家庭教師をつけるというようなやり方です。つっかい棒が多くなればなるほどますます主体的な力は弱まってきます。内側から主体性を育てるようなアプローチがこれからは必要になってきます。そして、その科学的研究はまだ始まったばかりです。現代は、学問のさまざまな分野で、こういう未開拓の荒野が見つかり、その荒野でまだ見たことのない果実が発見されようとしている時期だと思います。

 

  来週12.1週のヒント(小学生)

 小学1・2年生 12.1しゅう じゆうなだいめい

 あさばんがさむくなってきました。さむいと、ついうちの中でごろごろしがちなものですが、おもてに出てあそんでみましょう。また、おもてに出られないときは、うちの中でいろいろなじっけんをしてみましょう。インターネットのりかじっけんのページには、かていでかんたんにできる「スライムづくり」などのじっけんがたくさんのっています。このほかに、竹とんぼの作り方、竹うまの作り方、たこの作り方など、いろいろおもしろいページがあります。お父さんやお母さんといっしょにさがして、休みの日などに作ってみましょう。りかのじっけんは、インターネットでなくても、本やさんにもとしょかんにもたくさん出ています。きょうしつにもおいてありますから、近くのひとは見にきてください。

 小学3.4.5.6年生 12.1週 私の夢

 小学生は、自分の夢の話です。前にも同じ題名で書いたことがあると思いますが、前と同じ夢の人はそのままその夢をもっと具体的に、前の夢とちがってきた人は、そのちがった夢を書いていってください。

 お父さんやお母さんに、子供のころの夢を聞いてきましょう。お父さんは、「そうだなあ。子供のころはウルトラマンになりたいと思っていたなあ」などと教えてくれるかもしれません。え? 今でもそうだって。それは大変。お母さんは、「そうねえ。お母さんは子供のころ、お姫様になりたいと思っていたわ。野原で花をつんでいると、遠くから白い馬に乗った王子様がやってきてね。うふふ」などと教えてくれるかもしれませんよ。

 未来の夢の話ですから、どうしても説明的な文章になりがちです。説明的な文章は長く書きにくいものですから、その夢に関して話したことやその夢を持つきっかけになった出来事など、実際にあったことを入れながら書いていきましょう。5・6年生の人は、「夢というものは、人間にとって……」という大きい感想を考えてまとめてみましょう。

  光る表現(小学生) 1999年11月4週号

セシルさん(あたと/小2)の作文より(とこのん先生/10.2週)

 みんなでするきょうぎは、だれが早いとか、だれがおそいとか言ってはいけないんじゃないかなとおもいます。みんなで力を合わせてかてればうれしいけれどまけた時はしかたないと思います。なぜかというとだれもまけようと思っていないからです。 評:クラスの一員としてせいいっぱいがんばった運動会。運動会を行う本当の意義をきちんと見つけられましたね。

アミさん(あなほ/小2)の作文より(きょうこ先生/11.1週)

  「やっとかえたな〜と思いました。」 すごくすごくほしかったマウンテンバイク、や〜っと買えたんだね! そんなアミちゃんの気持ちがよ〜くつたわってきたよ。

あいさん(あねて/小2)の作文より(かつみ先生/11.1週)

 おとうさんもかおが「やったぁー」というかおみたいでした。 評:「やったぁー」というかおみたい、というのがいいね。きっと、にこにこしていたんだね。

ニルスさん(あそな/小3)の作文より(スズラン先生/11.1週)

 ぼくの苦手な食べ物の二つ目はレバーです。かんぞうだと考えると、食べたくなくなってしまいます。評:この食べ物は、、、、と深く考えると食べられなくなることがありますね。栄養があると分かっていても気がすすまないことがありますものね。

しょうたさん(あたの/小3)の作文より(きょうこ先生/11.1週)

  「たぶん、今日は晴れていてすごく天気がよいからだと思いました。」 なぜ昨日はレモンのようにすっぱかったみかんが、今日はびっくりしちゃうくらいあまくておいしかったのかという理由を考えてあげられたね。なるほどぉ、お天気のせいだったのかもしれないね。捷太くんの発見かもしれないよ!

むっちゃんさん(あひほ/小3)の作文より(ももんが先生/11.1週)

 (大好きなビーフシチューを食べているときのようす)「いっただっきまあーす!」と言いながら、スプーンをもちました。ごはんも出てきたので、ビーフシチューと、ごはんをいっしょにたべてみると、「おいしいー!」ということばがひとりでに出てきてしまいます。なぜだかわかりません。多分、わたしの舌が、はんだんしたらしいです。...(中略)にがてな食べ物は、かすじると、さといもと、長いもです。みただけで、なみだが出てきそうです。オエーとはきそうになります。評:身体いっぱいで大すきな食べ物を「おいしい!」と味わっているようすや、大きらいな食べ物と戦う(?!)ようすが、とてもよく書けました。オエーってなっちゃうとは、こりゃ大変!

まささん(あうこ/小4)の作文より(ゆり先生/11.1週)

 お母さんが、「今日のばんごはんは、カレーだよ。」と、いったら、ぼくは、まるで、はりのようにほそかった目をまるくして、とびあがりながら、「やったー」と、よろこんでいると、お母さんが、「はっはっはっは、そんなにうれしいかい。」といってわらっています。評:夕食がカレーライスだと聞いて、正浩君がよろこぶようすがつたわってきますね。「はりのようにほそかった目」のたとえもおもしろいよ。

ポプリさん(あおえ/小4)の作文より(ゆり先生/11.1週)

 グラタンを食べる時、「う〜〜〜やだよ〜〜。」と言いました。みんなはいっぱい食べているけど私はちょぼちょぼと食べていきました。評;「ちょぼちょぼ」という表現がおもしろいね。ポプリさんが、タマネギ入りグラタンをいやいや食べている様子がつたわってきますよ。

パフィーさん(あおけ/小4)の作文より(ゆり先生/10.3週)

 私はいろんな色をまぜて、とっておきのはだ色を作ってぬり始めました。評:「とっておきのはだ色」っていいね。パフィーさんだけのだれにもまねのできないオリジナルの色ができたんだね。

奈々子さん(あちね/小4)の作文より(スピカ先生/11.1週)

 そばを食べたら、わさびがピリリときました。まるで、わさび畑の中にいるみたいでした。 評:わさびの「ピリリ」が口の中いっぱいにひろがったようすが伝わってくるよ。

ゼニガメさん(あひろ/小4)の作文より(ももんが先生/11.1週)

 「チン!!」たこやきができました。私の好きな食べ物は、たこやきとラーメンです。評:電子レンジの音で楽しく作文を書き出せました。

慶彦さん(あふこ/小4)の作文より(ミルクティ先生/11.1週)

 どうしてカレーが好きかというと、カレーだと、きらいな野菜もいっしょに食べられるからです。あと、お母さんがつくるカレーがおいしいからです。<評>お母さんの作ってくれるカレーは世界一おいしそうだね。「どうして」という言葉を使って、作文のとちゅうに自分の思ったことをしっかり書けたね。

カヤケムさん(あまく/小4)の作文より(ももんが先生/11.1週)

 「ぎえーっ」ぼくのきらいな食べ物は、だい一位がしいたけです。とくに「にもの」なんかにすると、食べるとはきそうな気がします。しいたけは、とってもにがいようなあじがするからきらいです。評:作文の書き出しの文章です。びっくりするような元気な声がいいですね。味の表現も上手にできています。それにしても、食べているとはきそうになっちゃうとは、こりゃ大変(;^_^A。

若奈さん(あもせ/小4)の作文より(かつみ先生/11.1週)

 けれど、大嫌いな和風のお菓子はいつ食べたって大嫌いです。 評:本当に嫌いなのね。ということがよく分かります。よっぽど、衝撃的な味だったんだね。フルーツ寒天は・・・。

ミュウさん(あおゆ/小5)の作文より(ももんが先生/11.1週)

 (ほうれん草の大きらいなミュウちゃんからの提案)私と同感のひとに、そのおひたしのほーれん草のおいしい?・・・・まあまあ、おいしい食べ方をおしえましょー! 第1の食べ方から。まず鼻をつまんでたべること。このやり方は、ほとんどききません。第2の食べ方は、「水」又は「お茶」といっしょにごくり! これはまあまあイケますぞ。やってみてね。その食べ方でがんばっていこう。評:ゆかいな「ほうれん草克服法(?)」ですね。ほうれん草がきらいな人は試してみましょう。でも、のどを詰まらせないように気をつけて

美和さん(あきき/小5)の作文より(スズラン先生/11.1週)

 母の好きな食べ物の中で、とくに好きなものは「アボガド」である。母は、アボガドを食べるとき「あ〜疲れがだんだんとれる気がするよ、あーおいしい」といって食べている。評:大好きなものを食べているお母さんのようすが見えるような会話ですね。

穂奈美さん(あつえ/小5)の作文より(かつみ先生/11.1週)

 ぼくの手のひらにのせてみると、モソモソッとうごいていました。「おい、おまえどこに目があるんだ?」と言いました。 評:モソモソッと、と言う表現がいいね。それから、会話文もいきいきとかけています。

ドカベンさん(あふあ/小5)の作文より(スピカ先生/11.1週)

 いくらが目の前におかれた時、ぼくはおもわずつばをゴクリとのんだ。そしてしょう油をつけずにゆっくりと味わって食べた。なぜしょうゆをつけなかったかというと、ぼくはいくらそのもののしょっぱさで食べたかったからである。 評:お寿司、特にいくらが大好きという話を、そのおいしさがよく伝わるように書けたね。しょうゆをつけずに、いくらそのものの味を楽しむなんて、”通”だね!

 

  来週12.1週のヒント(中高大社)

 中学1年生 12.1週 人は二足歩行で(感)

 内容:人は道具と言葉によって強くなり、自分が狩られる側に回ることはなくなった。しかし、野生動物と狩猟民族は日々生きるか死ぬかの生活の中で濃密な生の時間を過ごし、死もまた個体のエゴを超えたより大きな知恵の一部なのだという境地に達している。近代の宗教が目指しているものも、この野生動物や狩猟民族の精神なのではないか。

 解説:現代の便利な生活の中では、死と直面することはほとんどありません。食卓に並ぶハンバーグにしてもフライドチキンにしても、そこに牛や鶏の生と死を見ることは容易ではありません。そんなことを考えていたら、おいしく食べられないし……^^;。このような生活の中では、自分の生もまた死と隣り合わせにあるのだという自覚を持つことは困難です。

 しかし、本当の人間らしい生活とは、いずれ死が来ることを深く自覚し、それゆえに充実した日々を送るというような生き方でしょう。生と死に限らず、人生には締め切りと勝ち負けがあるからこそ充実した生活を送れるという面があります。死または締め切りの大切さということを主題にして複数の理由を考えてみましょう。

 中学2年生 12.1週 私たちは、「手を上げよう」と(感)

 内容:経験と言葉が結びついて行動が起こる。スポーツで「腰を入れる」などという言葉は、その経験がないと実行できない。逆に「失敗すると大変だ」という言葉を考えると、それが過去の失敗の経験と結びついて実現してしまうことがある。私たちはたえず自己暗示によって行動している。

 解説:人生には、言葉と経験の両方が大切です。

 言葉について言えば、実際にできる力があっても、「どうせ、できなくてもいいんだ」などと言っていると本当にできなくなってしまいます。いま、バレーボールに人気が出ていますが、試合中の打ち合わせなどは元気のいい言葉がぽんぽん飛び交っています。「ようし、絶対勝つぞ」「できるできる」「がんばろう」という感じです。これがもし、「負けたらどうしよう」「負けるかもしれないね」「相手のほうが強そうだし……」などと言っていたら、勝てる試合も勝てなくなってしまうでしょう。

 逆に、言葉だけが先行しても、実際の経験がないと、言葉は空回りをしてしまいます。「おれは空を飛べるんだ、飛べるんだ、飛べるぞ。ようし」などと叫んで、高いところから飛び降りて足をくじいた人が、みなさんの中にも何人かいるでしょう(いないか)。

 言葉と経験のそれぞれの大切さについて理由や実例を書いてまとめてみましょう。

 中学3年生 12.1週 日本のふつうの書きことばは(感)

 内容:日本では文字はオリジナルで音はそのなぞりであるという考えがある。中国や朝鮮の人の名前の呼び方が漢字の文字とカタカナの音に分かれる場合、紙の上だけの関係であれば文字で済むが、愛を伴った関係であれば、相手の名前を音で呼ぶはずである。

 解説:「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い(Goethe)」(ゴエセとも読めそう^^;) 言葉には愛がある、というのは、身近な例にもあります。例えば、好きな人の名前を「えーっと、君の名前、なんて言ったけ」など言ったら、いっぺんにふられるでしょう。

 日々交わす挨拶の言葉も、その言葉の背後に愛があります。みなさんが学校で友達に会って「おはよう」と言うとき、実は「おはよう(愛してるよ)」というメッセージを相手に送っているのです。

 逆に、ほかの人から「ねえ、ねえ。この前のあれ、どうだった?」と聞かれたときに、「べつにー」と答える場合、それは実は「べつにー(うるせえなあ)」というメッセージを相手に送っているのです。

 言葉を受け取るときにその言葉の中に愛を感じ、言葉を発するときにその言葉の中に愛を乗せられるような感性を育てていきましょう。それを複数の方法で考えられるかな。

 高校1年生 12.1週 音楽といえば(感)

 内容:何度も聴いていたビートルズの一曲がある日突然心に響いた。一瞬の閃きによる理解は読書についてもある。長い試行錯誤の歳月ののちに感動の基準となる本に出合うと、あとはどんな本を読んでも楽しくなる。また試行錯誤の経験の蓄積が読書全体の見取り図を作ることにも役立つ。

 解説:勉強でもスポーツでも仕事でも、はじめの一年は無我夢中ということが多いものです。しかし、その無我夢中の長い蓄積ののちに、ある日突然、全体像が手に取るようにわかるという状態に達します。

 身近なところでは数学や英語の勉強などが当てはまりそうです。スキーの練習も、初めはころんでいる時間のほうが長いのに、やがて滑るコツが急につかめるようになります。水泳も、初めはおぼれている時間のほうが長いのに、やがて急に泳ぐコツがつかめるようになります。

 何事も自分なりの試行錯誤が必要なのですが、今の社会は、能率を優先して無駄な試行錯誤をさせないようにするあまり、自分でわかるという経験を逆に奪っているところがあるようです。試行錯誤の大切さということで考えてみましょう。

 高校2年生 12.1週 本来、特許制度は(感)

 内容:特許制度は、発明者にも、その発明を利用する者にも、また社会全体にも利益を与える。イギリスが産業革命を迎えようとしていた18世紀、日本は日用品の改良さえ禁止される鎖国体制にあった。

 解説:日本では、新しいものを発明しようとする人は、ちょっとおっちょこちょいだと思われる傾向にあります。これも江戸時代のお触れ書きの影響がまだ残っているためかもしれません。

 特許制度は、これまで多くの発明を発展させてきました。しかし、制度というものには必ずその制度を悪用するマイナス面も付随してきます。特許制度の先進国アメリカでは、数学の公式が特許として申請されています。いま、もし、インドで0(ゼロ)を発明した人がその特許権を主張したら、その人は特許で莫大な財産を得るでしょう。なんと言っても0(ゼロ)を使うたびにその人の特許料を払わなければならなくなるからです。しかし同時に、社会はこの0(ゼロ)の特許権のためにその発展に大きなブレーキがかけられるでしょう。ノーベルはダイナマイトの特許で大きな財産を得ましたが、フランクリンは自分の発明したストーブの特許を放棄しみんなに安く利用してもらうことを考えました。特許制度を無制限に拡張すると、それは社会全体の利益と一致しなくなります。一時、ドメイン名を商売にする人がいましたが、自分で使いもしない有名な名前を多数登録しておき、企業がそのドメイン名を使うときに高値で売るというものでした。特許制度の行き過ぎは、これからもかたちを変えて問題になるでしょう。

 しかし、逆に、いまのインターネットの世界では、違法コピーが氾濫しています。音楽や画像やゲームソフトは、すべて0と1のデジタル情報に還元されていくらでもコピー可能なものですから、オリジナルなものを尊重する仕組みがなければ、新しいものを作る人はいなくなってしまいます。コピーできないようにする技術や、小額の決済が簡単にできるようにする技術が開発されつつありますが、まだ十分なものではありません。

 発明を尊重し、その発明を社会にうまく生かす仕組みを作るためには何が問題かということで考えていきましょう。

 高校3年生 12.1週 われわらが日常(感)

 内容:本を貸すとなかなか返ってこないことがある。現実にその本を持っていることが、本当の所有権とに近いものになってしまうのである。役得という現象も、公けのものを私的な利益に用いるという点で似ている。しかし、新聞などでは、所有権の侵害という最も重要なことがあまり取り上げられていない。

 解説:日本ではまだ役得やコネという不透明なものが社会のあちこちに残っています。最近起きた警察の不祥事も同じ文脈で考えることができそうです。国民に委託されている警察の権限を、自分の身内には甘く適用したということです。外からの批判が届かない組織は、いくら内部浄化と言ってもやはり浄化しきれないところが残るのでしょう。警察に限らず、日本の会社や組織は風通しの悪いところが少なくありません。風通しの悪さと役得の多さは比例すると言えるかもしれません。

 日本の社会の問題として考え、その原因と対策を論じていきましょう。

 大学生社会人 12.1週 一九七七年時点の日本(感)

 内容:1977時点での日本経済には、戦後ずっと続いた成長経済の考えが通用した。この考えでは、大きいところが一流で、実際の利益も大きさに比例していた。しかし、これからの時代では、大きくないところはスケールメリットではなく特色を武器にする必要がある。

 解説:成長経済の中での舵取りは比較的単純でした。会社はどんどん大きくすればいいし、大きい会社に入るために、学校はどんどん偏差値の高いところに入ればいいという考えでした。しかし、これからは、会社も人間も特色で勝負するようになってきます。現に、利益を上げている会社でそれ以上大きくしないことを方針とする企業も出てきました。進学でも、偏差値を基準にするのでなく、自分の興味や適性を基準にする選び方がこれから増えてくるでしょう。

 そうなると、方針の立て方は、成長経済の時代に比べて格段と難しくなってきます。時代の流れと自分の得手不得手を正しく分析する力が求められるようになってきます。商品の開発も、だれにも売れる商品から、特定の層の顧客にだけ売れる商品へと個別化していくでしょう。

 スケールメリット重視と特色重視の両面について考えていきましょう。

  光る表現(中学生) 1999年11月4週号

TERUさん(ふり/中1)の作文より(かつみ先生/11.1週)

 私は誰がなんと言おうと「遺伝子組換食品」にずっと反対しつづける。もしこのまま「遺伝子組換食品」が進んで行けば、人類滅亡の危機はだんだんと近づいてくるだろう。 評:力のこもったまとめです。自分のゆるぎない意見を書くということは、とても大切だね。

GLAYさん(あおむ/中2)の作文より(ももんが先生/10.3週)

 でも時々、小さかった頃に戻りたいなと思うことがある。小さい頃は見るもの、聞くもの、ふれるものすべてが初めてで、小さなチョウや花が咲いているのを見るだけで楽しくなった。評:「見る、聞く、ふれる...」そんな五感を使って、子どもの頃の自分の姿を上手に思い出すことができました。