Kotobanomori No.677

■言葉の森新聞 2000年8月4週号

文責 中根 克明(森川 林)

   ■連絡

  図書の返却9月10日までに

 今学期の貸出図書の返却は9月10日です。貸出時にお渡しした返信用封筒に入れてそのままポストに投函してください。

 なお、山のたよりの右上に現在貸出中の図書が表示されていますが、その図書が自宅に見当たらないという場合は、事務局までご連絡ください。行方不明になった場合と返却処理が漏れた場合の両方が考えられますが、事情がわからないものは返却扱いにしておきます。

   ■連絡

  休んだ分の作文は別の日に書いて送れます

 夏休み中は、田舎に帰省したり、塾の夏期講習に出席したりという人が多かったので、通常の言葉の森の授業時間に作文を書けない人もいたと思います。

 8月31日まで、通信教室は平日午前10時〜午後8時(土曜午前10時〜午後5時)の間、電話を受け付けておりますので、休んだ分の作文を書きたいという方は言葉の森までお電話ください。電話0120−22−3987

   ■指導

  授業をふりかえるときのコツ

 作文を書く作業は、ほかの勉強に比べて、スタートするときの精神的な負担が大きいものです。くたびれているときに起き上がろうとすると、思わず「どっこいしょ」というかけ声が出ることがありますが(単なる年のせいか^_^;)、作文を書くというのは、ちょうどそれと同じような感じです。

 ですから、授業のふりかえをするときに、突然、子供に向かって「あ、そうだ。いま時間があるから作文書きましょう。ほら、電話しなさい」というのは、あまりいいやり方ではありません。こういう状態で電話をすると、ときどき、書くことを何も準備していないまま先に電話だけをしてしまうということもあります。

 授業をふりかえるときは、事前に「○○時になったら、この前休んだ分の作文を書くから、電話しようね」と言っておき、そのあと、その時間になってから電話をするというやり方をすると抵抗がありません。

 こういうやり方は、ほかのことにも応用できます。子供が嫌がること、例えばゲームを終了する、部屋の掃除をする、宿題をするなどのときも、お母さんが思いついたとき突然「ほら、もうゲームやめなさい」とか「あ、そうだ。部屋の掃除をしましょう」などというのは子供に抵抗を感じさせるようです。いい言い方というのは、「あと10分で、○時になったらゲーム終了ね」とか「明日の朝9時になったら部屋の掃除をしようね」と事前に言っておく方法です。そのあと、その時間になったときに「さあ、ゲームおしまい」とか「さあ、掃除しましょう」と言えば抵抗はありません。

   ■連絡

  「山のたより」「言葉の森新聞」のメール版

   希望者に毎週送信します

 現在、オンラインで受講している生徒には、「山のたより」と「言葉の森新聞」を毎週メールでお送りしています。

 通常の通信と通学の生徒で希望される方にも、印刷物の「山のたより」「言葉の森新聞」にくわえてメール版の「山のたより」「言葉の森新聞」をお送りします。メール版の「山のたより」「言葉の森新聞」は、印刷物の「山のたより」「言葉の森新聞」よりも若干早めに届きます。

 ご希望の方は”「山のたより」「言葉の森新聞」メール版希望”と書いて、nane@mori7.comまでメールでご連絡ください。

  ■連絡

  メーリングリストのアドレス変更

 言葉の森の生徒、父母、OB、先生のメーリングリスト「mori-all」のアドレスが9月より<mori-all@freeml.com>に変わります。メーリングリスト参加者には既に8月22日にメールで連絡しています。

 mori-allのメーリングリストの新規登録、削除などは、下記のページで行なえます。

http://www.mori7.com/moriml.html

   ■連絡

  オンライン作文の出席回数にミス

 7月からオンラインの作文送信とオンラインの評価返信を導入しましたが、プログラムのミスによりこのオンラインの分の評価が出席回数に計算されていませんでした。ランキングそのものは変わりませんが、表示の上で出席回数が少なくなっていたと思います。8/21(火)の「山のたより」から正しく表示されています。

   ■一般

  オンライン教育が成功しないのはなぜか

    オンラインならではコンテンツが未成熟

 iモードやインターネットで若い人たちに人気があるのが、メール、チャット、出会いのサイト、占いのサイト、ゲームのサイトなどです。学生やビジネスマンは、よく調べものをするときにインターネットを利用しています。何かちょっとしたことを調べたいとき、人に聞いたり辞書を引いたりするかわりにインターネットに接続するという利用の仕方です。オンラインショッピングも次第に人気のあるサイトになってきました。実際にディスカウントショップなどで買うよりもいい品が安く自宅で手に入るというケースも多くなってきました。

 しかし、いまこれらのコンテンツ以上に、インターネットの新しい魅力のある分野として、オンライン教育が考えられています。特にアメリカは国内が広いために通信教育が盛んだった国柄もあり、インターネットを利用した教育が既に大学教育のレベルでは軌道に乗っています。

 ところが実はこのオンライン教育は、掛け声のわりにまだ魅力的なコンテンツになっているとは言えません。特に日本では、オンライン教育を目指してスタートしたところはどこも当初の予期した成果を上げていないようです。

 その原因は、(1)通信費が気になる(2)パソコンで画面の切りかわるのが遅い、などハードの技術に関する障害ももちろんありますが、それ以上に(3)インターネットならではのコンテンツがない、というソフト面の障害が大きいようです。

 いまインターネットでオンライン教育を提供しているところはどこも、オフラインでも(つまり紙媒体でも)できることをそのままインターネットのサイトに移し替えただけというやり方をしているところがほとんどです。紙の印刷物であれば、近くの書店で千円前後でコンパクトに洗練された漢字の問題集が手に入るのに、わざわざインターネットに接続して漢字の読み書きの問題をやる人はいません。たとえ無料のサイトであったとしても、1題やって次のページに行こうとするたびにジジジを数秒待つというストレスに人間は堪えられません。

 ですからオンライン教育の今後の成否は、通信費や通信速度の改善以外に、インターネットならではのコンテンツを教育の分野で作れるかどうかにかかっています。

 さて、勉強をする側にとって勉強の魅力は何かというと、第一に勉強そのものが楽しいということです。学校の成績がよくなるとか、その結果として、いい学校に進学できるとかいうことは、勉強に関してはあくまでも二次的な魅力です。昔学んだAということとBということが、何年かしてからCということに生かせると発見できたり発明できたりするというのが、勉強のいちばん本質的な魅力である創造性です。この創造性という魅力があるからこそ、人類は学校もなく先生もなく教科書もない長い原始時代から今日まで飽くこともなく学びつづけてきたのです。

 ところが、この創造性の魅力を勉強に感じるようになるまでには長い年月が必要です。Aの勉強とBの勉強がCという創造に結びつくまでに何年も何十年もかかることがあります。それまでAの勉強とBの勉強は、ただ与えられた知識や技術を習得するだけの退屈な勉強でしかありません。この退屈さを克服して勉強を蓄積するために、人類は学校制度を生み出したとも言えるのです。

 原始時代までは、Aの知識とBの知識がCに創造的に結実するというサイクルは短いものでした。昨日、クマのつかまえ方とシカのつかまえ方を学んだ少年が、明日、そのクマとシカのつかまえ方の長所を創造的に結合して新たにマンモスのつかまえ方を発明するというようなことが日常的に行なわれていました。(なんだかよくわからん話だが)。こういう短いサイクルであれば、勉強は遊びと同じです。人類は長い間、遊びに熱中するのと同じ感覚で勉強に熱中してきたのです。

 ところが現代社会のように、勉強の成果を創造的に生かすサイクルが長くなると、勉強のおもしろさよりも勉強の退屈さのほうが前面に出てきます。そこで、現代の子供は、勉強よりも遊びが好きになっているのです。

 では、遊びの面白さは何かというと、それは実は創造のおもしろさなのです。例えばテレビゲームを例にとってみると、あるステージをクリアしてそこで何かの知識や技術を学ぶと、それがそのままより発展したかたちで次のステージに生かせるようになります。

 スポーツでも、そのおもしろさは同じところにあります。身につけた技術が発展したかたちで創造的に生かせるようになるから、スポーツの練習に熱中できるのです。これは音楽や絵画などの芸術活動についても同様です。特に、スポーツや芸術など自分の体で表現できるものは、表現そのものが創造的ですから、魅力を感じ取りやすいと言えます。

 こう考えると、オンライン教育のコンテンツの要は、遊びやゲームやスポーツや芸術が持つ短いサイクルの表現的で美的な創造性を、教育の分野でも実現していくというところにあると思います。このような勉強そのものの魅力作りという中身なしに、競争や賞品で勉強をあおるのは、熟していない果物に砂糖をまぶして食べるようなものでしょう。

 オンライン教育は、本当の意味ではまだどこでも成功していません。それが成功するためには、勉強の魅力である創造性を、ゲームの迅速性とスポーツの表現性と芸術の審美性とに結びつけるコンテンツを作ることが必要です。それが更に、フリーでオープンでワールドワイドなインターネットに結びつけば、そのときこそインターネットが人類に貢献する新しい創造的なコンテンツを生み出したと言えるでしょう。

 

 

  ■光る表現(小1−小3) 2000年8月4週号

●ミニパンダさん(あもろ/小2)の作文より(ミルクティ先生/7.3週)

 『えらいけんじ』わたしは、けんじはわるくないと思いました。それは、べつにけんじがマッチをもってきたからじゃないからです。でも、いっしょにあそんでいたからちょっとわるいかなと思いました。「たいへんだ、けそう。」と言うことばには、「よく言った。」と言いそうになりました。(略)ほかの子どもたたちが顔を青くしてにげてしまったのは、わたしはかわいそうだなと思いました。でも、ゆうきをふりしぼって火をけしているのは、すばらしい心のもちぬしだと思いました。しょうぼうしにおこられても、「すいません。」と言ったのは力をもっていたからです。<評>とても、なかみのこい感想文です。ミニパンダさんが、けんじのどういうところをえらいと思ったのか、しっかり書けていますね。(^o^)v

●ドラちゃんさん(あよう/小2)の作文より(けいこ先生/8.1週)

 (つりをしていたら)とつぜん、おなかがいたくなって、ゲボをしてしまったよ。「水どうの水もってきたからグチュグチュペッてしてみ。だいじょうぶか。つりできる。それと、一口だけ、大じょうぶやから水のみ。」と、友だちのお父さん。 評:友だちのお父さんのかいわが、いいね。大さかべんのやわらかいかんじが、心ぱいしているようすをうまく伝えている。

●カヤさん(ありそ/小2)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 バーベキューで、「ガブリンチョ。」といいながらたべました。おいしかったです。【評:ただ食べたことを書くだけではなく、「どんなふうに」食べたのかを、じょうずにひょうげんできましたね。大きな口をあけて、おにくを食べているカヤくんのすがたが、目にうかびます。(^o^)】

●ナオさん(あわも/小2)の作文より(あかね先生/8.1週)

 みんなで(べっそうに)はいりました。そしたら「キャー。」べんじょこおろぎがあらわれました。虫たいじがおわりカーテンをめくったら・・・「キャー。」ハチのすがありました。(評)まるで、ホラーえいがのように、その時のこわさが目に浮かぶようだよ。「キャー。」というくりかえしが、見事!

●祐治さん(いあと/小2)の作文より(さかな先生/8.1週)

 まくらなげ大会が本当にあったら出じょうしてみたいとおもいます。★評:もし本当にあったら私(すみ)も見に行ってみたいなぁ。そんな風に想像(そうぞう)してみるととっても楽しいね。

 

●あっぴぃさん(あなあ/小3)の作文より(ミルクティ先生/8.1週)

 「うわぁ。いつもの百ばいおいしいおにぎり。こんなのはじめて。」と目を丸くして言ったわたし。それは、今までの中で一番かわいくてすてきなおにぎりです。<評>書き出しを会話で書いて楽しい感じになったね。あっぴぃさんが作ったくまとひよことうさぎの形のおにぎり、食べてみたいなぁ。(^o^)

●ラブリーさん(あにせ/小3)の作文より(ミルクティ先生/8.2週)

 お昼になると、まただしをひくので、ひきに行きました。あつくてあつくて、休憩の時に飲む飲み物を冷やしている水を男の子たちはかけていました。私は女の子だから、手に水をつけておでことほっぺをぬらしました。その時私は、まるで北極にいるように感じました。おとり様まで行ったら、スイカを食べました。とっても美味しかったです。美味しかったのは、たぶん日光の良く当たるところで育ったからだと思います。<評>おまつりで、だしをひいたときの「暑さ」「水の冷たさ」「スイカのおいしさ」をじょうずに表現できたね。夏のおまつりの感じがよく出ていますよ。

●ピッチーさん(あねあ/小3)の作文より(けいこ先生/8.1週)

 ローションをパシャパシャ、次にクリームをポンポンポン、そしておしろいをパフパフパフ、それからブルーのアイシャドウをいれて、いよいよ口紅……。ママは「かわいいよ。」とほめてくれました。鏡をのぞくと、鏡の中にはバカ殿みたいに白い私がいました。(私を見た同級生の男の子は)「……えへっ。」と言って、同時に向こうを、向いてしまいました。私の顔を見た時、まるで冷凍ビームをうけたみたいにかたまってしまいました。「てれているよ。」とお母さんたちもニコニコしています。 評:おまつりの宮おどりで、お化粧をした時のこと。全文を「光る表現」に入れたいくらい、よく書けているよ。お化粧をした時の気分と、男の子のてれた様子が、とてもほのぼのとしているね。

●ピッチーさん(あねあ/小3)の作文より(けいこ先生/8.2週)

 (ストーンハンティングを始めて)30分ほどするとコップの中には、まるでビーズやお星様のような宝石が集まりました。私はおなかがすいたのもわすれていました。 評:ストーンハンティングに熱中している様子が、うまくまとめられた。集まった石の表現もすてきだね。

●ちび豆さん(あのわ/小3)の作文より(けいこ先生/8.1週)

 (林間学校でカレーを作る時)ここでかんたんに、しょくざいを手にいれていいのでしょうか。いいえ、よの中そんなにあまくない。そこでしょくざいちょうたつゲームです。……なんと1ぱんルーなし、2はん肉なし、3はんクリアー、4はんクリアー、5はん肉なし、6ぱんやさいなしでした。そんなのみんななっとくしません。なのでアンコールアンコールと言いました。 評:「……でしょうか。いいえ……」という組み立てが成功している。「ルーなしカレー」の1ぱんは、一番声を大きくして「アンコール!」と言ったかもね。楽しそうな、林間学校の1シーンだ。

●ちび豆さん(あのわ/小3)の作文より(けいこ先生/8.2週)

 (2000円さつのうらの絵に)紫式部がへやをのぞいているところがあります。おかあさんが「ストーカーしてる。」といいました。 評:今から1000年くらい前の時代にも「ストーカー」がいたとはびっくりだね! 人の心情は、むかしも今も変わらないのかもしれないね。

●くくりさん(あひた/小3)の作文より(ふじのみや先生/8.2週)

 「ありがとう」とわたしが言ったとき、わたしの心の中ではまるでゆめのような空間をただよっている気分でした。がんばったかいがありました。 ☆うれしくて、こころがふわ〜っと、うかびあがるような感じ。こんな気持ちをあじわえるのは、どりょくしたからこそね♪

●すずらんさん(あふよ/小3)の作文より(ミルクティ先生/7.3週)

 海……サイパンの海は手前がうすい水色でその先が青緑です。しかし、日本は茶色っぽい青ですね。どうしてそう見えるのでしょう? それは砂にかんけいがあります。日本の砂はおうど色と茶色をまぜた感じの色です。サイパンの砂は“白い”のです! だから日本の海は茶色っぽい青に見えて、サイパンの海は青緑のように見えるのです。私はサイパンの海が、太ようの光で“キラキラ”かがやいているのを見てとても感げきしました。<評>日本の海とサイパンの海のちがいについて、考えたことをじょうずにせつめいできたね。キラキラ光るサイパンの海…泳いでみたくなったよ。

●秀雄さん(あろう/小3)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 ひこうきが、ゴーという音をたてながら着りくしました。【評:いきおいよく着りくする大きなジャンボジェットきのようすを、「ゴー」という音を入れてとてもじょうずに表現できましたね。しん動もつたわってきそうです!(^o^)】

●諒さん(あろつ/小3)の作文より(森川林先生/8.1週)

 でもマウンドに立ったら、水曜日と同じ野球場なのに今度は遠いかんじがします。 最初のバッターがフォアーボール。そのあともストライクがなかなか入りません。デッドボールもしてしまいました。ぼくはだんだん泣きたくなってきました。評:現在形の使い方がうまいね。

●諒さん(あろつ/小3)の作文より(森川林先生/8.2週)

 (フルーツバスケットで)ジャックは「パンツはいてない人」「おならする人」「死んでる人」などと言って、みんなにうけていました。評:どこでも、おもしろい子はいるんだね。

●綾花さん(いあお/小3)の作文より(とこのん先生/7.3週)

 (草むしりをしている時)何かの水が地面にポタッとたれた。それはやっぱり、あせだった。 評:その日の暑さや草むしりの大変さが伝わってくるね。

●れもんさん(ふれ/小3)の作文より(ミルクティ先生/8.1週)

 「今日はようこそおいで下さいました。」ここは小田原のかまぼこ工場です。私は友だちとお母さんといっしょに手作りのかまぼことちくわを作りに来たのです。<評>書き出しの三つの文で、読む人をかまぼこ工場にじょうずにあんないできましたね。(^o^)v

 

  ■光る表現(小4−小5) 2000年8月4週号

●友葵さん(あしも/小4)の作文より(ゆり先生/8.1週)

 一番苦労したことは、たきたてでとても熱かったことです。ですから、にぎるのがとっても大変でした。みんなが声をそろえて、「アチアチアチアチ!!」と叫んでいるので、まるで合唱しているようでした。(評)熱いたきたてご飯に苦労しながらも、楽しそうにおにぎりをにぎっている様子が生き生きと書けていますね。

●しょうたさん(あたの/小4)の作文より(きょうこ先生/8.2週)

  「白糸の滝を見たとき、ビックリしました。ほんとうに白い糸みたいでした。どうやってこんな白い糸のような滝ができたのかすごく不思議です。」これぞまさに、白糸の滝を見た時に捷太くんの心の中を走った感想だったのだろうね。身動きせずに感動しながら滝を見ている捷太くんの姿が、目に浮かんできそうなくらいじょうずに書けていました☆

●えりさん(あなふ/小4)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 「ギャー。」「カナブンー。」な、な、なんと、そこには、私の大っーきらいな虫、…オオカナブンらしきものが、あみどにくっついているというか、ぶらさがっているとでもいうように、赤いおなかを見せていました。まるで、赤いキラキラのおりがみをはったように。【評:おふろでカナブンと出会ったときの、えりちゃんのおどろきの表情が目にうかびます。あみどにとまっているカナブンのようすや、おなかの色のたとえが、とてもくふうできました。(^o^) 】

●むっちゃんさん(あひほ/小4)の作文より(ももんが先生/7.1週)

 「ジャー。バシャン!」これは、おふろに入るときの音です。(中略…)バブを入れてから入ります。「シュワシュワ」といいながらバブは、ぶくぶくしずんでいきます。まるでせんすいかんみたいです。(中略…)私と妹があらい終えて入ると、水がザーッとあふれます。【評:いろいろな音の表現がとても楽しくできましたね。(^o^)】

●むっちゃんさん(あひほ/小4)の作文より(ももんが先生/7.3週)

 おとうさんのふるさとのぎふのおじいさんの家に、ランプがかべにかけてあります。はじめは、金色だったと思うけど、今はすっかりところどころはげてるんです!! 何年前からかけていたのか知らないけど、毎年ぎふに行くと、なつかしいような、ずっと前から使っていたような、不思議な感じがするのです。そのランプは、不思議な物がつまっているような気がします。【評:ランプの明かりを見たときに、心の中で感じた気持ちを、上手に表現できました。おじいさんがまだむっちゃんよりも小さかった昔から、ランプはみんなを照らしていたのかもしれませんね。】

●チュッチュさん(あもこ/小4)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)

 太陽が山のうしろにいなくなってから、一時間ぐらい待っていると…  ☆キャンプに行くと、太陽まで仲間のひとりになるんだ。ふつうに「しずむ」と書くより、何倍も楽しいね。

●大輔さん(あよむ/小4)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 さっそくはりにミミズをさして、川へドボンと入れます。うきが見えます。わくわくしてきました。手にビリッときてうきがしずみゆっくり引くと、魚がミミズにくいついていました。(やったー!)と思い、お父さんに魚を取ってもらいました。【評:えさに食いついた魚のしん動が、「ビリッ」と大輔くんの手に伝わってきたんだね。じょうずに表現できました。こんな風に感じたことをどんどん書こう(^o^)/。】

●えびすさん(せや/小4)の作文より(みち先生/8.1週)

 ぼくはテントウ虫をこの前つかまえました。そうして手の平をあけたら七星テントウ虫でした。その時ぼくはうれしかったです。(中略)たぶん七星テントウ虫はめずらしいんだなと思いました。だから七星テントウ虫をにがさなければよかったと思いました。(中略)なんで七星テントウ虫はきれいなんだろう。テントウ虫はかわいいからすきだなと思います。羽もすごーくかわいいしかおもなぜかわいいと思います。評:自分の目でよく見て、どんな気持ちをいだいたか、どんな考えをもったかを書いたところが勇人君らしさが表れています。あの小さな顔までしっかり見たんだね。

●キティさん(とあ/小4)の作文より(かつみ先生/8.1週)

 そして9才くらいの子どもの、手首まで、水をだいたい入れます。   評:9才くらいの子どもの手首まで、という表現がとてもかわいらしくていいですね。

●キティさん(とあ/小4)の作文より(かつみ先生/8.2週)

 「ちょうつがいはなんでちょうつがいって言うか知ってる?」と聞いてきたのでわたしは、「知らない・・・・・・」と答えた。「ちょうのように開いたり,閉じたりするからだよ。」と教えてくれた。   評:作品を作ることになって、お父さんと一緒に材料のお買い物をしにいくことになりました。そのときにふと出た会話文です。自然な流れの中に、楽しそうな雰囲気がただよっていますね。作文全体のアクセントにもなっていて、とてもいいですよ。

 

●まささん(あうこ/小5)の作文より(ゆり先生/8.1週)

 また、ある日学校からかえると中、田んぼの用水ろをのぞいたところ、なにか黒い物が、むれとなってすばやくおよいでいった。(中略)黒い物の正体はフナだったのだ。(評)「黒い物」を見つけたときの様子、とってもうまく書けていますね。ずっとそれが気になっていて、二日後につかまえることができたらフナだった! という感動がよく伝わってきます。

●チョコボさん(あさつ/小5)の作文より(ミルクティ先生/7.3週)

 私は前にアオムシをそだてたことがある。やはりいつもノソノソと動きまわっていてひたすらキャベツをたべていた。ほんとうに、見ている私にとっては、……という感じである。だが、幼虫のときから花のみつをすっていたらあのノソノソ動きではとてもやっていけないだろう。それにアオムシが花びらのうえを動きまわっているのはちょっと想像するのがむづかしい。頭の中に浮かぶ事といったらアオムシの重みで花びらが落ちることぐらいだ。生き物は、滅びないよう上手に食べ物をくふうしているという事が分かった。<評>ユーモア表現で柔らかい感じを出しながらも、最後は「生き物は…」と大きく考えた意見でまとめられましたね。(^o^)v

●星の王子さん(あねく/小5)の作文より(森川林先生/7.3週)

 日本語には、いっぱいあいまいな言葉があると思う。例えば、「また、いつか行くよ。」だ。「いつか」とはいつなのか、全然分からない。評:「日本語のあいまいさ」ということで、いい実例を思い付いたね。

●ゼニガメさん(あひろ/小5)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 私は、色が黒い方だから、けっこう熱をきゅうしゅうしたのかな、と思いました。【評:キャンプファイヤーでやけどをしてしまった時に感じたことです。痛かっただろうなあ…と思うけど、ユーモラスな考察ですね(^o^) 】

●むむらさん(あめお/小5)の作文より(けいこ先生/8.2週)

 先入観というものは、人間を変えてしまうことが有るように僕は思う。 評:テレビ番組を見ての感想。先入観は、ケースによては、全く逆の判断をさせる力もあるわけだね。

●クウガさん(あめす/小5)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 目でキャッチ【評:「痛かったこと」の課題作文の題名です。野球をしている時にボールが目に当たってすごーく痛い思いをしたとのことですが、ユーモアあふれる題名がつけられましたね。】

●一輝さん(あもあ/小5)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 次は、ボール投げをした。頭に当たったらまけだ。ぼくがおにになって当てる。ぼくは、水の中にもぐってしんちょうにいった。さとうがぼくのほうを向いたらもぐって、ちがう所を向いたら顔をだす。そして、すきをついて、ぼくは、二回頭にぶつけてすぐにげた。今度は、ぼくも二回ぶつけられた。【評:プールの中で友だちと遊んでいるようすを、ルールの説明や自分の作戦も入れて、とてもていねいに書けていますね。】

●泰佑さん(あるい/小5)の作文より(メグ先生/8.2週)

  虫にくわれた花は、その部分にポッカリと穴があいていておもしろい。花びらが一、二枚落ちた花も悲しんでいる様で美しい。評:それぞれの花の美しさを自分の言葉で表現することができましたね。

●藍子さん(あるわ/小5)の作文より(まさみ先生/8.1週)

 (階段から落ちてもお母さんがすぐに助けに来てくれなかったことに対して)お母さんのおなかに妹がいたから、すぐにこれなかったんだと思うようにしました。でも、やっぱりあの時のいたさとかなしみはわすれられないなぁー。評:「思うようにしました」という言葉に、自分に言い聞かせている気持ちがすごくあらわれていますね。でも、お母さんにもすぐに来れない理由があったのだと思いますよ。お母さんに一度聞いてみたらどうですか?

 

  ■光る表現(小6−社) 2000年8月4週号

●知尋さん(あえな/小6)の作文より(みち先生/8.1週)

 YちゃんとMちゃんⅡが近くにいないのに、そのことをちっとも気にかけずに遊んでいたら、いきなり足をつかまれてどんどんひっぱられた......。自力ではいあがったらこんどは、「それーー」と水の中で、お腹をくすぐられた。もうすこしであの川ではなくて三途の川をわたってしまうところだった。評:悪ふざけが紙一重で事故にもつながる恐れの、分かりやすいたとえがぴったりですね。水は楽しいものでもあり恐ろしいものでもあるので、注意注意です。

●ミュウさん(あおゆ/小6)の作文より(ももんが先生/8.1週)

 泣き続けた私の顔は、飲み終わったカンカンをふみつぶした感じである。【評:エスカレーターで転ぶという、いたーい経験をしたミュウちゃん。とても個性的なたとえがいいですね。ずっと泣いていたようすがよく伝わってきます。】

●ブタさんさん(あとれ/小6)の作文より(スピカ先生/8.1週)

 (転んでひどいけがをして、落ち込んだ状態で)天の上の神様は、ケガをしているのがあまりにもかわいそうに思ったらしくてケガの形が、ハート形になっていた。すこしは私の気分もおさまった。 評:ケガをしている状態での、ユーモアのある観察。まりちゃんの明るい性格が伝わってくるようで、読む側も救われた感じがしたよ。

●晃章さん(あらか/小6)の作文より(メグ先生/8.2週)

  あ、い、う、え、お、から覚えて、やっと自分の名前が書けるようになった時のうれしさは、今でも覚えています。評:幼い頃のことを思い出して、その時の自分の気持ちを生き生きと表現できましたね。

●佐保さん(あるま/小6)の作文より(ふじのみや先生/8.1週)

 三人寄れば文殊の知恵、ということわざがあります。これは、一人だけではなく三人の知恵を合わせると力が大きくなるという意味です。でも、私の場合、自まんのお姉ちゃんとなら、二人寄れば文殊の知恵、でもおかしくない気がしてくるのです。評:ことわざを自分流にアレンジすると、印象を強くなりますね。

●のんぴいさん(いあえ/小6)の作文より(さかな先生/8.1週)

 たとえばはしは二本で一セットだ。それなのにかた方がなくなり1本になると変な気持ちになる。この様に一日、だれとも話さずにいると、この一日はとてもさみしい一日になる。言葉は家族や人との信頼を深める物だ。★評:もし家族との会話がなかったら・・・と考えた時の物足りなさをうまく言い表したね。家族の会話の大切さを考えたまとめが素晴らしかったよ。

●ルパンさん(つろ/小6)の作文より(けいこ先生/8.1週)

 (雪の日、弟にいたずらしようとしたら)ツルッとすべりドッスン。またにぶい音がした。私が起き上がってみるとまっ白い顔なのだ。私は赤面した。いや白面だ。 評:あはは。天罰かな? 「いや白面だ。」が、かえって恥ずかしさを強調し、読む人にはおもしろさを感じさせる。

●ホームズさん(なか/小6)の作文より(ミルクティ先生/8.2週)

 「蓼食う虫も好き好き」ということわざがあるが、人の感想もそれぞれ違う。「三十人では三十の考え」というアレンジことわざがぴったりだろう。読書は、自分流の読み方で楽しめるが、僕は一人一人の意見のちがいというところ目をつけた。そのため、大勢で本を読むと楽しいと思う。一人一人違う=個性である。そんな個性は、人間にとって、大切なもの(?)であり、読書の感想にもあらわれているのだ。<評>本を読むことそのものも楽しいけれど、さらに、他の人と感想を話し合うと、自分とは違う感想や意外な感想が聞けて楽しいものだよね。これからも、いろいろな本について多くの人と語り合えるといいね。

●由希子さん(あとえ/中1)の作文より(きりこ先生/8.1週)

 私達は人工の風や造った花をはじめからあったといって自然を忘れてはいないだろうか。

●梨乃さん(ありし/中1)の作文より(メグ先生/8.1週)

  (自然に対して)謙虚になり、自然と心が一体化した時、本当の作品が出来上がると思う。評:芸術作品は、人間の意識的な努力だけで作り上げられるものではなく、自然の声に耳を傾ける心を持って初めて完成されるものなのですね。

●一道さん(しふ/中1)の作文より(けいこ先生/8.3週)

 沈むやつはたいてい自分を信用していない。「自虐系」たたえすぎるるやつは、要らない自信を持ちすぎ!「自爆系」 評:「自虐」「自爆」の使い方がおもしろい。「〜系」という表現を嫌う人も多いけれど、テンポよくし上がっている。

●エガさん(てせ/中1)の作文より(さかな先生/8.2週)

 信念は、自分が追いかけてこそあるものなのだ。★評:素晴らしい自作名言だね。<p>

 

●夏海の歌さん(あもう/中2)の作文より(ミルクティ先生/7.4週)

 しかし、あまり助けてばかりいると、その人のためにならないのだ。宮沢賢治の小説「ツェねずみ」では、ツェという名前のねずみが、他人が優しいからといって、いい気になり、他人の親切を逆うらみするようになる。そして、だんだん嫌われて、たった一人の友達、ねずみ取りに、入り口を閉められてしまう話である。つまり、助けてばかりいると、その人のためにならないのだ。自分一人でどうするかと考えることが大切なのだと思う。<評>「手助けはよいか」というテーマについて、大好きな宮沢賢治の作品から題材を選んで書けましたね。いい童話を選んだなぁと感心しました。

●横浜太郎さん(あわか/中3)の作文より(メグ先生/8.1週)

  (花火づくりの)はじめのうちこそみんな慎重にやっていたものの、だんだんつくっているうちに慣れてきてしまった。そして、その慣れがだんだん好奇心に変わっていき、ついにグループ内で、定められた分量を大幅に超えた火薬を入れた花火をつくってしまった。評:慎重さが慣れへと、慣れが好奇心へと変わっていく様子をうまく表現できました。日常生活の中でもありがちなことですね。

●拓馬さん(ねき/中3)の作文より(まさみ先生/8.2週)

 他人からの干渉のみで自分の向き不向きを決めてはならない。自分で長所を見つけ、それから生き方を模索する方法をとることが大切だ。評:はっとさせられる表現ですね。人から言われる長所と自分で思っている長所とがちがっていることはありますよね。その時はやはり自分を信じるほうがいいですよね。

●くみこさん(さく/高2)の作文より(ミルクティ先生/7.1週)

 もう一つの原因として、「他者と違うところに個人の存在の意義がある」という考えが挙げられると思う。ゼネラリストはみな同じ能力を持っているのであり、そういう意味でロボットのような「個性のない人間」と言うことができる。しかしスペシャリストは個々人によって能力のある分野が違い、みなそれぞれが自分の役割を持った重要な存在になるのだ。例えば、人間の体では耳は三個も四個もあっても仕方ない。耳はもうその確立した役割を担っているのであり、その他に別の役割を受け持つ手足や鼻、目などが必要になってくるのだ。もっとも私は、口はもう一つくらいあったほうが便利だと思うのだが。(笑)「餅は餅屋」ではないのだが、「音は耳」「においは鼻」と言うようにそれぞれに専門の役割があるからこそ、人間という一つの個体が存成立するのだ。<評>ゼネラリストとスペシャリストについて考察した作文の一部。スペシャリストの有効性を人体に例えたところが個性的ですね。

●武照さん(あよ/高3)の作文より(森川林先生/8.2週)

 「うちの会社は民主主義的なもんで、部下は自由に発言できるんですよ。なっ。まさか違うとは言わせんぞ。」と言う上司を見れば分かるように、非合理的で、硬直した組織を生み出し易い。評:ユーモアのある表現。こういう上司っていそうだね。

 

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