KotobanomoriNo.701

言葉の森新聞


2001年2月4週号

文責 中根克明(森川林)

インターネット、

得意技、勉強法

 今週はややとりとめのない話です。

●本命光ファイバーが登場

 2月14日の日経産業新聞の報道によると、100Mビットの光ファイバーのサービスが東京都の一部で開始されたそうです(有線ブロードネットサービス社)。2001年10月までに東京都23区と全国の政令指定都市でのサービスを開始するということですから、普及のスピードはかなり速いです。しかも、家庭内で5台のパソコンまでつなげられて月額4900円(もちろん電話料不要)ということですから、光ファイバーが入れば、これまでのISDNやケーブルやADSLはもう使う人はいなくなるでしょう。ISDNはNTTの内部では既に厄介なお荷物になっているようですから、いずれは姿を消すでしょう。言葉の森は、ISDNのごく初期からお世話になっているので若干感慨深いものがあります。

●調べ物にもインターネット

 100Mビットというと、ISDNの200倍近いスピードです。これからはインターネットがテレビにとってかわる位置を占めるということになります。既に、私(森川林)の家でも、天気予報を知りたいときはテレビではなくインターネットで見ています。インターネットの天気予報の場合は、横浜市港南区の天気まで表示されているからです。また、インターネットはほとんど辞典がわりです。「ほら、あの、頭文字になんとかという名前のついたあれ、なんだっけ」というようなあいまいな調べ物は、これまでは知っている人に聞くしかありませんでしたが、インターネットの検索で調べればすぐに出てきます。出過ぎるぐらいです(笑)。数日前の新聞の記事を探すというときも、古新聞をひっくり返すよりも、新聞社のホームページに行く方が早いということがよくあります。これまでは、インターネットでページを開くときの遅さがネックでしたが、高速回線が普及すれば、これからは雑誌のページをめくるような感じでいろいろな調べ物ができるということになります。

 インターネットを電話に応用することも技術的には既に実現しています。今、電話会社がマイラインのサービスで競争していますが、このマイラインというサービス自体が近い将来無意味なものになるでしょう。

●オープンソース化の流れ

 インターネットの話題ばかりで恐縮ですが、現在インターネットの世界ではフリーのオープンソースのソフトが大きな力を持ってきています。アメリカのNASAはつい最近、これまで使っていたオラクルという高価なデータベース(300万円〜1000万円もする)をやめて、MySQLという無料のデータベースソフトを使うことを決定しました。データーベースというような組織運営の基幹となる部分もフリーのソフトでカバーできるようになっているのです。フリーのソフトですから一部にまだ欠けている機能もありますがその欠けている機能も日々補充されており現在でも市販のソフトとほとんど同等の機能を持っています。またスピードに関してはマイクロソフトの提供しているデータベースよりも1万倍速いと言われているほど世界最速のデータベースです。この無料のソフトをだれが作っているかと言えば、世界中の無数のボランティアです。なぜ、無償でそんなことをしているのかと言えば、ただ単におもしろいからです。何か話を聞いていると、めまいがするような感じです。

●言葉の森もオープンソースに

 さて、これらのことを言葉の森の将来像に結びつけて考えると、言葉の森も今後はこのインターネット化の流れとオープンソース化の流れに対応していく必要性を感じます。

 具体的には、教材そのものをオープンソース化していくということです。現在、言葉の森の教材は教室のパソコンの中に詰まっていますが、これをインターネットサーバー上に置き、生徒や父母や先生の要望を反映しながら、日々よりよい教材に作りかえていくというようなことを考えています。

 そのために、私は最近PHPとMySQLの勉強を始めましたが、この分野は日本ではまだブームが始まりつつあるという段階ですので、参考になる本が数冊しかありません。ところが、アメリカでは参考図書が既にかなり出ています。早速、最近開設したばかりのアマゾン・ドット・コムの日本語ページ(amazon.co.jp)で本を注文しました。インターネット書店を利用する人は現在かなり多くなってきていますが、近所の書店で探したり注文したりするよりも速く安くしかもほとんど世界中の本を注文することができます。品切れかどうかもその場でわかります。これも、めまいがするような話です。

 ところが本を注文して読み始めたのはいいのですが、英語で書いてあるのでなかなか進みません(笑)。勉強はしなきゃいけないわ、仕事はたまるわで、忙しい毎日です。ちなみにわからない単語はbabylonというフリーのソフトで調べます。このソフトは音声も聞けるので発音の仕方もわかります。こういうソフトがあると、英単語辞書などはもうあまり売れないだろうなあと思います。既に欧米の有名な百科事典出版社は、百科事典を本のかたちで売ることをやめてしまったそうです。

●得意技を作る勉強を

 さて、このように世界が(日本を抜かして)どんどん変わっていく様子を見ていると、これからの勉強の仕方もよく考えていく必要があると思います。

 これまでは、勉強をして何しろいい学校に入ればそれが一応のゴールというように考えられていました。更には、いい学校を出ていい会社に入ればそれでひとまずは安心という感じがありました。しかし、これからは勉強ができることにプラスして自分にしかできないという得意技を作ることが大きな目標になってきます。今の中高生の親の世代は、進学がほとんどゴールでした。しかし、これからは進学がスタートにしかすぎないということがますます明らかになってくると思います。もちろん、何をするにしてもその前提としての勉強は大事です。しかし、今後は学校で与えられた勉強以外にもうひとつ自分で得意技を作っていくことが必要になるということです。

●成績を上げるコツ

 さて、成績を上げて、いい学校に入るということは、実はあまり難しいことではありません。そのコツは、人よりも長時間勉強するということに尽きます。もちろん、いい教材といいやり方で勉強した方が能率は上がると思いますが、その能率よりも重要なのは勉強時間です。

 ただし、この勉強時間の費やし方にはコツがあるようで、毎日少しずつやるというのはなかなか効果が上がりません。夏休みなどの短期間に集中して朝から晩まで勉強するというやり方が実はいちばんいいようです。この勉強法という分野についての研究はあまり進んでいませんが、いろいろな人の話を総合し、自分の経験からも考えると、大事なのは合計の時間ではなく、ある期間にどれだけ集中して取り組んだかという密度のようです。英語の勉強などでも、毎日こつこつ時間を決めてやるよりも、ある期間朝から晩まで英語漬けという生活をして勉強した方が身につくと言われています。ですから、ふだんは遊びや趣味の時間をとって余裕のある勉強をしていて、受験前の時期には遊びや趣味は一切せずに朝から晩まで勉強するという態勢をとるのがいいと思います。そんな無茶なことをするとストレスがたまるから、勉強ばかりではなく少しは遊んでという考えをする人がよくいますが、人間は結構無茶ができるものです。(笑)しかしもちろん、こういう無茶は本人の熱い自覚がないとできません。そういう意味では、最初と話は違ってきますが、人によってはあまり易しい方法ではないのかもしれません。

●短期集中型の勉強

 こういう短期集中型の勉強法は世間の常識に反するせいか、あまり普及していません。教える先生の立場からすれば、ふだん遊んでいて試験前に集中して勉強する生徒よりも、ふだんから真面目にこつこつやっている生徒の方を支持したくなるからという事情もあるのでしょう。短期間集中型の勉強は、意識的に行なわれるというよりも、遊んでいたつけが回ってやむを得ず取り組むというケースがほとんどです。

 しかし、韓国では日本語や英語の学習を短期間缶詰状態で行なうというやり方で成果を上げているようです。日本でもこの短期間集中型の学習効果をもっと科学的に研究する必要があると思います。

●右脳を生かした学習

 沖縄の方では、子供に水泳を教えるときに船から海に落とすというやり方をする島があるそうです(その島に生まれてなくてよかった。^_^;)。子供がおぼれかけたら船に引き上げ、息をふきかえしたらまた海に落とすということをしていると、一日で水泳ができるようになるということでした。

 ヒアリングマラソンやホームステイや驚異の速読法や地獄の夏合宿(どこのだ)には、いずれも似たような面があります。左脳の理屈で処理しきれないぐらい大量の情報が一度に押し寄せると、それに対応するためにふだん使っていない右脳の処理系が働き始めるということです。

 この右脳の処理系を意識的に活用したのが連想記憶術で、円周率を小数点以下4万桁まで覚えたという友寄さんという人は数字の並びを物語的なイメージとして記憶しているそうです。ちなみに私は小数点以下2桁までしか言えません。3.14。ほらね。そろばんなども、右脳を生かした技術の一つですが、この右脳を活用する方法はほかにはまだあまり開発されていません。

 中村天風氏は通り過ぎた人の服装の細部まで再現できたそうですが、これも右脳的な能力です。昔、小学校低学年の自閉症気味の子でしたが、相撲の力士の名前だけは全部読めるという子がいました(麒麟児などという名前です)。景色や文字を見たり認識したりするのではなく、カメラのようにそのまま右脳に焼き付けてしまうという感じなのだと思います。

●まとめ

 以上、とりとめのない話をまとめると、コンピュータとインターネットで時代は急速に変わっているので、これからは得意技をしっかり持って生きていくことが必要になる、ということです。そしてその得意技を身につけるためには、短期集中で右脳を生かした勉強をして時間に余裕を作る必要があるということになります。

 日本の中だけで暮らしていると、偏差値がちょっと高いA校に行くことが、ちょっと低いB校に行くことよりもすごく価値があることに見えますが、国際的な視野で見ると、その差よりもずっと大きいのは、本人がどういう得意技を持っているかということです。

  光る表現(小1−小2) 2001年2月4週号

●涼さん(いけり/小1)の作文より(まさみ先生/2.1週)

 スケートはみんな、ぼくがはじめていったときにはもう、「ビューン、ビューン。」としんかんせんのようにはしっていました。評:「しんかんせんのようにはしっていた」というのがいいですね。涼くんには、まわりの人がとってもはやくすべっているようにみえたのですね。そのきもちがよくつたわってきます。

●フリちゃんさん(あらり/小2)の作文より(さかな先生/2.1週)

 「うわあ。すごい。」ドアをあけてみたらもう、右をみても、左をみてもまっ白でした。★評:一面の雪げしきにおどろいた気もち、よく分かります。

●真章さん(ありる/小2)の作文より(メグ先生/2.1週)

 豆は、えいえんにふりつづけるかのように長くつづきました。(中略)まるで、時間がとまっているようなかんじでした。評:たいこがとどろく中、次々に投げられる豆。真章くんにとっては、とても長い時間に感じたんだね。

●崇さん(いえの/小2)の作文より(洋子先生/2.1週)

 二月二日金曜日に、学校の給食で節分用の福豆をもらいました。袋の裏には、「豆まきの由来」が書いてありました。それは、宇多天皇の昔、鞍馬山の近くにすんでいた鬼が村人を困らせるので、豆を打って鬼を追い払ったのが始まりと言われています。この日の夕方、お父さんといっしょに柊の枝に丸干しのいわしの頭をさして、げんかんの外の花だんとおかっての外の手すりにたてました。これは鬼がこないようにするためだと思いました。三月三日の夜、お父さんに豆まきのしかたを教えてもらいました。「北東から時計まわりに豆をまくんだよ。」とお父さんが言いました。…。評:豆まきの由来、豆まきの風習がとてもよくわかる書き出しでしたね。小さい頃、先生もなぜ丸干しをひいらぎの小枝にさすのか不思議で母にきいたおぼえがあります。柊は、葉は、ぎざぎざして触ると痛いし、丸干しの頭は、月のひかりに照らされると光るので鬼がこわがって入ってこないのだと教えられたように記憶しています。(まちがっていたらごめんなさいね。)

●将和さん(いおら/小2)の作文より(ドラえもん先生/2.1週)

 ぼくは、おもいっきり豆を鬼にぶつけました。その日はとても楽しかったです。【評】鬼にぶつけたというところがなかなかおもしろい。実はお父さんなんだものね。>^_^<

●まいまいさん(いかす/小2)の作文より(さかな先生/2.1週)

 こういうふうにみんないろいろなくふうをしてさむさをさい少げんにするためがんばっています。★評:人間やハムスター、そして自分自身のこと。寒さに対する変化をしっかり見つめたね。

●マドレーヌさん(いきは/小2)の作文より(けいこ先生/2.1週)

 もしわたしがかよっていたR幼ち園や、O幼ちしゃ、いまかよっているK小学校がしゃべれたら、きっとこう言いたいです。「いろんないい先生がいる、ぜっこうちょうの場しょだね。」って。 評:学校が大すきという作文のまとめ。学校に語りかけるかたちで、うまく工夫できた。

  光る表現(小3−小4) 2001年2月4週号

●ブラッキさん(あはな/小3)の作文より(はるな先生/2.1週)

 「今日の、夕ご飯なに?」「今日は、なすよ」「え〜〜。やだー!」「おーいしいなす」「どこが、このなす、おいしいとおもうんだ」そんなママとのいいあらそいがあって、十分後、やっと夕ご飯がきました。お手伝いをしていて、ぼくはおはしくばりと、おちゃわんと、お椀をだしました。 ・・・・・「なすなんか、どこがいいの!!えいようもないし!」「えいようは、あるよ。かぼちゃのほうがだめ」いつものおねえちゃんとおにいちゃんのいいあらそいがはじまって、ながかったから、先に「いっただきまーす」 (講評);苦手な、なすが夕食のメニューになって、大さわぎしているようすが、いきいきと、伝わってきます。一家団欒(いっかだんらん)のようすが、目に浮かんできます。なすをめぐって、これだけ話が盛り上がるなんて、本当にすばらしい家族ですね。おはしやおちゃわんなど、夕食準備の配膳(はいぜん)のお手伝い、ほんとにご苦労様!!

●諒さん(あろつ/小3)の作文より(森川林先生/2.2週)

 冬休み前の記録は、前飛び百二十三回、前かけ足飛び四十一回後ろ飛び九十九回、後ろかけ足飛び二十五回、交差飛び十回、あや飛び一回でした。冬休みの後は、前飛び三百十三回、前かけ足飛び百二十三回後ろ飛び百三十五回、後ろかけ足飛び五十六回、交差飛び十回、あや飛び二十一回でした。十四級だったのが、十級に上がりました。評:数字を正確に書いたところがいいね。

●ともっちさん(いえさ/小3)の作文より(けいこ先生/2.1週)

 パクパク。まきずしを食べています。……わたしのお父さんやお母さんは大阪人です。だからせつぶんの日にきまった方向をむき、だまってまきずしを一本食べます。反たいに東京の人は、あまりまきずしをたべないので、売っている場所がすごくすくないです。まきずしをさがすのにも時間がかかりました。こんなふうにいろいろな地方で、いろいろなことをやっています。 評:豆まきの「パラパラ」という音でなく、「パクパク」。これはまきずしを食べていたのね。地方によって、節分のときにやることがちがうのを、うまく作文にまとめられた。まきずしは「だまって」食べなくてはいけないの?

●むっちゃんさん(あひほ/小4)の作文より(ももんが先生/1.2週)

 「うーん、さむいな〜。」冬になったら、朝は起きづらくなりました。もっとふとんに入っていたいってかんじです。カメのこうらみたい...。【評:楽しいたとえですね。きっとふとんにくるまりながら、カメのようにのんびりと、お部屋を動いていくのかな? (^o^)】

●えがすきさん(あひめ/小4)の作文より(スピカ先生/2.1週)

 わたしの夢はけんちくかで、おばあちゃんはそれについて「いいね。」といってくれました。でもわたしが「でも算数ができないとけんちくかはできないよってお母さんにいわれたんだ。」といったらおばあちゃんは「だいじょうぶ。けいさんきがあるでしょ。」といってくれてわたしはとても自信がつきました。 評:夕食のときのおばあちゃんとの会話。とてもあたたかくてすてきな団らんのようすが伝わってきました。

●トモミンさん(あらは/小4)の作文より(さかな先生/2.1週)

 もう、最後の周になると思うように進まなくて、ノソ、ノソとはっているような感じで、まるでカメのようだと思う。★評:マラソンの苦しさ。とてもよく分かります。

●あずささん(ありな/小4)の作文より(メグ先生/2.1週)

 外に出ると体が一気に凍るようになるほど寒いです。(中略)息をはくと、わたがしのような白い息が出てきます。評:たとえを使いながら、冬の寒さをうまく表現することができたね。

●有貴さん(いおし/小4)の作文より(ふじのみや先生/2.2週)

 ふと外を見ると冬から春にかけての風で木がゆれていた。その木は別れの悲しさと出会いの予感の間でゆれているようだった。評:木や風のようすにも心を動かされる。その瞬間をみのがさない感性はさすがです。

●しのぴーさん(いきつ/小4)の作文より(スピカ先生/2.1週)

 (お母さんの作ってくれた「シチューグラタン」について)最初、それがテーブルにはこびこまれたときは、「わぁー。すごーい。」と思った。そして、早く食べたいと思いながらみんながすわるのをまった。(中略)さっきのシチューグラタンは、ふつうのグラタンよりも、ふつうのシチューよりもおいしい。 評:本当においしそうなあつあつのシチューグラタンが目に浮かびます。見た目もすてきでうれしくなっちゃうよね。

●さくらんぼさん(とあ/小4)の作文より(かつみ先生/2.1週)

 ランニングで心も体もホッカホカ(題名)  評:心も体もホッカホカ、というところがいいね。

  光る表現(小5) 2001年2月4週号

●ハムさん(あそみ/小5)の作文より(ドラえもん先生/2.2週)

 まず、光を出す魚・・・・光の出し方には2通りある。(1)おなかの中に、発光バクテリアという小さな生物が住んでいて、この生物が、光を出す。(ホタルジャコ、マツカサウオなど)(2)ホタルのように自分の体の中に発光器があって、光を出す。【評】よく調べてくれました。発光する魚はきれいで人気もありますね。

●テリーさん(あたや/小5)の作文より(けいこ先生/2.3週)

 やきゅうは、プロ以外は、一回負けたらおわりなので、まるでビリと同じようだ。 評:少年野球はトーナメント戦だから、負けたら「次」が1年後だものね。

●クジラさん(あなね/小5)の作文より(ポプリ先生/2.2週)

 節分の字の由来が、季節の分かれ目の【季節の、節】に、【分かれ目の、分】を取って『節分』っという名前がついたということだ。 昔の人達は、節分などの行事を境に暮らしていたということが、分かった。評:節分の字の由来、よくわかりましたね。季節ごとの行事について目を向けて暮らしていけたらとてもすてきですね。

●ヒトミンさん(あよは/小5)の作文より(さかな先生/1.3週)

 知らないのは当たりまえだ。現に人は今どうしてここにいるのか、どうして心ができるのか、全く知らないではないか。そのような大きなことがわからないのに、細かなことに気をとられて思わず「知ってる。」と、いうことはなんとも情けない。★評:知ったかぶりすることを、痛烈に批判したね。読み手は思わず自分の胸に手を当てて考えてしまいそうだ。

●泰佑さん(あるい/小5)の作文より(ポプリ先生/2.1週)

 ・・・鬼というのは病気や悪いことに例え、福というのはそのままで良いことという意味で鬼(病気や悪いこと)を家の外に追いはらい、福(よいこと)は家の中に入れてという意味です。ぼくは、行事にも昔ながらの例えを使っているんだなあと思いました。 ぼくは、今年の豆まきもとても楽しい豆まきだと思いました。特に弟の順紀がはりきって、みょうに多くばらまくので笑ってしまいました。評:理解したことをしっかりと、そして豆まきのエピソードもいきいきと・・・。よく書けました。

●美佳さん(いうわ/小5)の作文より(ドラえもん先生/2.2週)

 観察するということは、その生物のいろいろなことを知るためでもあり、未来には、水族館だけではなく、普通の家庭でも飼えるようにするためのものなんだ。【評】観察するということはどういうことなのか考えることができたところが素晴らしい!(^o^)丿

●早紀子さん(いおよ/小5)の作文より(ゆり先生/2.1週)

 おにをおいつめてでっかいまどの所まで来ました。もうにげられません。するとおにはまどをあけ、するりとどこかへ行ってしまいました。私たちは”やったー”とはさけんでいるものの、今度はおにがどこから出現してくるかが不安でした。その時です!げんかんのドアがガラリと開いておにが立っていまし。<評>スリル満点の豆まきだったんだね。とっても生き生きとした文章です。

●孝哉さん(いくの/小5)の作文より(スズラン先生/2.1週)

 ぼくはお父さんにほしいものをとられたとき、犬みたいにちょうだいのあいずをします。でも、だいたいは食べられてしまうのでがくっとなります。評:お鍋を囲んでいると、家族みんなが好きなものが同じときは早いもの勝ちですね。お父さんも食べたいわけですものね。

●丈史さん(すふ/小5)の作文より(ドラえもん先生/2.2週)

 ようするに、やせいの生きものは、家ですぐ死んでしまうので、やせいはやせいで生きたほうがいちばん。つかまえてもやせいにかえす!むずかしいけどね。【評】しっかり自分の意見を述べることができました。家で飼った生きものを自然にかえすというのはとても難しいですよね。先生も、幼い頃飼っていた鳥を自然にかえすとき、ワンワン泣いたのを覚えているよ。(;_;)

  光る表現(小6−社) 2001年2月4週号

●まなピーさん(あやた/小6)の作文より(ふじのみや先生/2.1週)

 私は今まで緊張をたくさんしてきた。緊張すると骨だけで動いているみたいに、動けなくなってしまう。 評:なるほど。ガチガチになったあやつり人形のように、動作が不自然になりますね。

●のんぴいさん(いあえ/小6)の作文より(さかな先生/2.1週)

 「よーい、バーン。」ピストルでうたれたかのような気分になった。★評:まさにスタートの瞬間の気持ちをうまく表したね。

●チョコさん(いえほ/小6)の作文より(かつみ先生/2.2週)

 でもしばらくしたら、心の中でやましいものがこみあげてきた。  評:やましいものがこみあげて・・・というところがいいね。なかなか、やましいものについては言いたくないこと。けれども、勇気を出してまず、自分のやましいところを認め、やましくない人間になるために努力をしようとしている。これはとてもすばらしいことだよ。

●考伸さん(いおふ/小6)の作文より(ポプリ先生/2.2週)

 それにしても、なぜ人間は自然をこわしていくのだろう。自然はとても良いものだ。木は酸素をだして、二酸化炭素を吸う。作者も書いたように、ネコジャラシで、遊んだこともあった。しかし、今、どんどん道路が増えている。それで、周りの草花で遊ぶこともできなくなった。 人間というものは一体なんだろうか。地球が産み出してくれたものである。人間は、器用に手を動かすことができるし、足で歩いたり走ったり、頭を使って考えることもできる。昔、たくさんの自然があった地球も今ではたくさんの道路がある地球となってしまった。

●SAPPHIREさん(ああす/中1)の作文より(ミルクティ先生/2.1週)

 私も著者と同じく、愛情を含む躾が大切だと思う。…略…最近、学校の図書室で一冊の本を借りた。『ハッピー・バースディ〜命輝く瞬間〜』である。…略…ママは小さい時の心の傷からあすかを愛せない。ママの「小さい心の傷」というのは両親に愛されないでいたことだ。つまり、自分は愛情を受けていないので、あすかに愛情をあげることができないのだ。「愛情」というものは非常に大事なことだ。自分だけではすまないことになるからだ。子供にとって必要なのは親の愛情ではないか? だから少し厳しく注意されても、自分のことを思っていてくれているんだということを忘れてはいけないと思う。<評>読んだ本の内容を簡潔に紹介して、自分の意見にうまく重ね合わせることができましたね。

●たば星人さん(あころ/中1)の作文より(はるな先生/2.1週)

 確かに、素質で人間性が育っている場合もあるが、それだけでは不十分だと思う。「打たれても親の杖」という言葉があるようにいくら厳しいしかり方でも愛情が感じられればありがたいものなのだ。だから躾は少々厳しくやって愛情をあたえたほうがいいと思う。 (講評);愛情がこもった厳しい親の躾の大切さを、力説するために、ぴったりのことわざをうまく探し出せましたね。"☆"

●スライムさん(あめひ/中1)の作文より(メグ先生/2.2週)

 確かに、物事を一つに向かって集中して取り組むのはよいが、それではそのものの持つ良さが見られないかもしれない。だからこそ私たちは、もっと物を見るときいろいろなところからものを見て本来の物とは全く違う一面を見つけなくてはいけない。評:一つの角度からだけものを見るのではなく、いろいろ角度からものを見ることのできる余裕を持ちたいものです。

●ほり内さん(ぬり/中1)の作文より(けいこ先生/2.3週)

 新年、今年の抱負を考えるときに、勉強をがんばるとか、そういう単純なことが多いのである。そして、改めて具体的にどうするのかというとみんな黙り込んでしまう。つまり、厳密に言わないと、結局今年の抱負が達成されなくなることにつながることだと思う。 評:「がんばる」「努力する」といったアナログ的な目標は、実は達成されたか否かが問われない(問えない)ものなんだね。鋭い指摘だ。会社組織では「数値目標を挙げよ」などといわれることも多いけれど、これがデジタル的な目標ね。

●陽一さん(あわつ/中2)の作文より(きりこ先生/2.2週)

 人間は不思議だ。欲求が生まれ、満たされれば飽き、捨てる。趣味も変化する。でも、変化するからいいんだなあー、と思った。同じことばかりしていてもつまらない。移り変わるから、人生を楽しくすることができるんだなーと思った。<自分の意見を上手にまとめたね。>

●○○○○さん(うい/高1)の作文より(けいこ先生/2.2週)

 確かに、知識は人間にとって大切なものだ。しかし、関心はその知識をも凌駕する、人間発達の根本原理である。関心を持つことで、今まで自分にとって無駄だと思っていたものが、非常に大切のものであると感じることがあるし、何よりも、事にあたることが自分の意志であるということが、自分を納得させることになる。 評:「関心は知識をも凌駕する」という力強い表現で、関心を持つことの重要性を訴えられた。

●AE86さん(えや/高1)の作文より(さかな先生/2.3週)

 ガイドブックに載っていないような場所を自分で探し出す様な人は、いかなる案内記にも書いていないいいものを掘り出す機会がある。★評:生き方にもつながるようなニュアンスを出したのが上手い。印象に残る表現だね。

 

 

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