KotobanomoriNo.705

言葉の森新聞

2001年3月4週号

文責 中根克明(森川林)

  3/29(木)〜3/31(土)は休み。新年度は4/2(月)から

 課題フォルダの予定表に書いてあるとおり、3/29(木)〜3/31(土)はお休みです。新学期は4/2(月)から始まります。

  4.1週の「新聞」「山のたより」は教材と一緒に

 4月1週の「言葉の森新聞」と「山のたより」は、新学期の教材と一緒にお送りします。

 新学期の教材は、3月下旬に発送予定です。

 4月1週の課題は、この新学期の教材と同封されている「山のたより」をもとに取り組んでください。

  3.4週の山のたよりはこれまでの講評を掲載

 3.4週の「山のたより」には、1.1週からこれまでの全部の講評を掲載しています。そのためランキング一覧表はありません。今学期、先生からどんなアドバイスがあったかもう一度ざっと読み返してみましょう。

  強い経済と弱い教育

 日本の未来をひとことで言い表すと、「強い経済と弱い教育」という言葉になると思います。

 1990年代の日本は、バブル崩壊後の失われた10年という名前で呼ばれていますが、日本経済の本質は実はかなり強いものです。インターネットの分野では、隣の韓国や台湾と比べても大きくおくれをとってしまいましたが、製造業の強さは依然として世界一です。

 アメリカのバブルの元になった資金というものも、実は日本からのマネーです。日本の製造業は、世界に富を供給する泉のような役割を果たしていましたし、今も果たしています。これが、デリバティブのような金融商品で、お金のやりとりをしている金融サービス業主体の経済との違いです。

 アメリカが他国に対して優越性を持っている製造業の分野は、軍需産業や航空機・ロケット産業などのようにある程度限られたものです。バイオテクノロジーはアメリカが優位に立つ産業ですが、遺伝子組換食品への抵抗などにより、まだ産業として発達するのは先になると思われます。これらの製造業以外のアメリカの主要産業は農業と金融業です。軍需産業は、戦争が起こる危険性が迫るというような状況でない限り飛躍的な発展は望めない分野です。平和な状況が広がるほど、生活の豊かさを増大させる産業が求められるようになってきます。この平和産業の分野はむしろ日本の得意分野だと言えます。

●日本経済低迷の背景

 こう考えると、日本のこの10年間の低迷は、バブルの後遺症というものだけではなかったようです。企業や金融機関は多くの不良債権を抱えていましたが、一般の国民の中で株や土地に投機し、その資金が回収できず損害を被ったという人はむしろ少数派だったと思います。この10年間の日本の不況は、ひとつにはマスコミなどによって作られたムード的なものであり、もうひとつにはそのムードと後手に回る政策に影響されて日本に新しい産業=消費が育たなかったということにあります。

 これを世界的な規模で考えると、日本で新しい産業が育たなかった分を、アメリカが情報通信産業として育てたという構図になると考えられます。つまり、日本の製造業で生まれた富が、アメリカでの新しい産業創造に使われたということです。この循環をスムーズに進め新産業を急速に成長させるために、日本の低金利と米国の高金利が利用され、株式会社の仕組みが活用されたと考えることができます。インターネットを中心にした情報通信産業の発達は、やはりアメリカのような自由な社会でなければ、これほど爆発的に進むことはなかったでしょう。

 しかし、アメリカで発達したインターネットは、ここに来て一段落したと見ることができます。今後、ブロードバンドの発展のような量的な拡大は進むでしょうが、eコマースのような実験は質的にはひととおり出そろったと考えていいと思います。アメリカのITバブルの崩壊は、実験が終わったという合図です。

 お金の使い方を知らず自分に対する自信もない製造業大国日本のお金を使って、アメリカはインターネットという道路をまたたく間に世界にはりめぐらしました。二つの大国が、ちょうどいい役割分担をしていたというのがこの10年の姿でしょう。しかし、道路はひととおりできあがりました。あとは、できた道路を広くしたり整備したりする仕事だけです。道路ができあがり仕事のなくなったアメリカはバブルの崩壊というかたちで、日本からの借金を帳消しにしたということになります。

●日本の富を生かす時代

 すると、次の時代は、そのできた道路を利用して何をするかということになります。道路の上を走らせるものを作るために、日本のお金を使う時代が来たということもできると思います。道路のようなインフラに比べると、その上を走る車や荷物は多様なものです。お米を運ぶ人もいれば、果物を運ぶ人もいれば、観光のために車を走らせる人もいます。そういう意味では、これからの時代は、世界のさまざまな地域がその名産品を生かして商業的交流をする時代だと考えることもできると思います。

 そのときに、生産性の高い製造業を持つ日本がその蓄積した富をいかに有効に使うかということが、世界の発展を左右するでしょう。日本の責任は重大です。

 前回は、ためたお金を土地投機に使いました。今回は、もっと有効なものに使い、自分の国の中だけでお金を回すのではなく、世界中の人々が喜ぶような使い方をしなければなりません。その一つは、産業としてまだ軌道に乗っていない新しい技術を育てるというようなことになると思います。例えば、琉球大学の比嘉氏が開発したEMという技術は北朝鮮の食糧危機を救うことに大きな役割を果たしたと言われています。そういう埋もれている技術がほかにもたくさんあるはずです。それらを育てることが日本に求められているお金の使い方です。

 しかし、そういう驚くべき技術のあることが今日のマスコミの情報管理体制の中ではあまり知られていません。マスコミには、現在の社会の旧勢力にとってあまりにもマイナスになるようなことは報道できないという事情があります。旧勢力からのしがらみが最も強いのがテレビで、次が新聞です。テレビと新聞は、スポンサーからの広告で成り立っているからです。しかし、これまでの日本人の大多数にとって、テレビと新聞が社会の情勢を知らせてくれる主要な媒体でした。

 ところが、ここに来て、テレビと新聞の影響力を上回るものが現われてきました。それがインターネットです。インターネットの本質は、以前にも書きましたが、徹底した民主主義です。インターネットで流される口コミ情報の中には、無責任なものももちろんあります。しかし、民主主義というものが個々には無責任な意見を含みながら総体としては正しい判断を下すように、大量に集積された口コミ情報は、世の中の大きな流れについて的確な判断を下す媒体に育ちつつあります。韓国のベンチャー企業が起こしたentalkというサイトは、口コミと連動したショッピングサイトです。今後はこのようなサイトがぞくぞくと生まれてくると思います。この口コミの中には、もちろん内部の人間による仲間ぼめも、競争相手による中傷も含まれているでしょう。しかし、総体的に見れば、口コミは集積されればされるほど正しい情報に近づいていきます。

 このような可能性を持ったインターネットに、いま大きなブレーキをかけているものは、犯罪です。コンピュータやインターネットに関するソフトやシステムを開発する場合、犯罪に対するセキュリティ対策がコストのかなりの部分を占めています。日本は世界でも有数の犯罪の少ない国だと言われています。こういう治安のよさも、日本が世界に輸出できる価値ある技術になると思います。

 こう考えてくると、日本の産業の未来は明るいと言っていいと思います。

●日本の未来の不安要因は教育

 しかし、その明るさに唯一影を落としているのが、教育の荒廃です。やっと本題になった。(^^ゞ

 テレビや新聞のマスコミの報道を見ていると、子供の勉強のし過ぎや、大人からの管理の締め付けが、今日の教育の荒廃を生み出したように思わされますが、実際に教育の現場に近い人の意見を聞くと、問題はむしろ逆のところにあるようです。すなわち、子供の勉強のしなさすぎと大人の権威のなさが今日の教育の荒廃を生み出していると言うのです。

 こういう社会の現実と人々の意識のずれを見るときにいつも思い出されるのが、ヘーゲルの「ミネルバの梟(ふくろう)は夕暮れを待って飛び立つ」という言葉です。雑学を紹介すると(笑)、ミネルバの梟というのは、知恵の女神の使いです。ずっと以前、私がどこを探してもなかったJ・J・ルソーのある本を探しに、慶応大学の三田の図書館に行ったときに、階段の横のステンドグラスに大きく描かれていた女神の右上に一羽の白いふくろうが飛んでいるのを見ました。これがミネルバの梟です。昔、ヘーゲルの「精神現象学」を苦労して読んだので、この本の最後に出てくるミネルバの梟には思い入れがあるのです。しかし、「精神現象学」は、たぶん世界でいちばん難しい本でしょう。最後まで読んでもちんぷんかんぷんでした。(笑)

 この「ミネルバの梟」の意味ですが、ある社会における意識や哲学は、その前の時代の社会の現実が終了したころに生まれるという意味です。私たちがいま漠然と思っている「勉強のしすぎ」「管理のしすぎ」は、今の時代の現実ではなく、むしろ過去に過ぎ去った時代の現実の反映です。

 「勉強のしすぎ」に関して言えば、小学校低学年での勉強量は確かに今の大人の世代が子供だったころに比べると、かなり多くなっています。今の大人の世代は、小学校時代はほとんど勉強せずに遊んでばかりの子供時代を送っていたと思います。しかし、中学生や高校生になると、塾や予備校へ行く時間こそ増えていますが、勉強の密度は昔に比べてむしろ減っているように思われます。小学生時代に何日もかけてやっと覚えたようなものも、高校生になると短時間で理解できるようになります。勉強の密度は、小学生時代は薄くてもかまいませんが、中学生、高校生と年齢が上がるにつれて濃くなっていく必要があります。今はそれが逆になっています。したがって人生のトータルな時間で考えると、小学校低学年での勉強量の増加により勉強時間全体は増えているように見えますが、勉強時間の密度ということで考えると、中学生、高校生での勉強量の減少により、全体の学力低下が生じているという構造が浮かびあがってきます。この状況を支えているのが、ガツガツ勉強するのは格好よくないという意識です。

 いま、大学は驚くほど入学しやすくなっています。高校と同じ全入体制ができるのもまもなくでしょう。受験科目は私立大学を中心に大幅に減少し、中には試験らしい試験もせずに入学できる大学もあります。身の回りの同じ高校の友達だけを見ていれば、大学進学が楽になってめでたしめでたしなのですが、これからの日本人が活躍するのは、日本ではなく世界です。世界の同じ世代の高校生がどういう勉強をしているかということが、本当の自分の身の回りなのです。

 これを高校生の自覚を促すということではなく、私たち大人がきちんと知らせることがこれから重要になってきます。その意味でも、国はこういう正しい情報や調査を、今後きちんと公開していく必要があると思います。

  光る表現(新小1−新小3) 2001年3月4週号

   新学年で表示されています。

●友理子さん(いあし/小1)の作文より(けいこ先生/3.2週)

 おひるのじかんに、ホールにおりようとしたら、かいだんのうえで、「ぷーん。」と、とってもいいにおいがしました。 評:ようちえんでのカレーパーティーのはなし。さくぶんようしからカレーのかおりがしてきそうだね。

●航さん(いかほ/小2)の作文より(ポプリ先生/2.3週)

 かんらん車でいちばんてっぺんにきたときにゆうえんちののりものがぜんぶ見えました。もちろん、スケートじょうも見えました。スケートじょうは二つあります。一つ目は四かくくてなんにもありません。二つ目のスケートじょうはふんすいや、木がかざってあります。また、スケートとゆうえんちにいきたいです。評:まるで先生もかんらん車のてっぺんからゆうえんちを見おろしているようなかんじがしました。よくかけていますね。

●かっぴーさん(いくす/小2)の作文より(けいこ先生/3.1週)

 (いもうとの)あやちゃんは、(ごちそうを)まちきれなくて、わぁわぁさわいでいました。……白ざけは、ビールくさいにおいでのめなかったです。……わたしのケーキはさくらんぼがのっているケーキでした。口に入れると、ふわっと口の中にひろがって、おいしかったです。 評:きょうだいのようすや、ごちそうのことが、ていねいにせつめいできたね。

●カヤさん(ありそ/小3)の作文より(ももんが先生/3.2週)

 うめは、おいしいにおいがしました。【評:うめの花のかおりが、とてもよい表現で書けました。おいしそうなあまいかおりにのって、春がやってきたかな?】

●稔さん(あわき/小3)の作文より(ももんが先生/3.1週)

 風がびゅわんびゅわんふいていて、ベランダのものおきがバッターンと大きな音をたててたおれたので、とてもびっくりしました。【評:わあ、すごい風だったのですね! 音をたくさん入れて、その時のようすをとてもくわしく表現できました(^o^)。】

●ユータンさん(いくい/小3)の作文より(ポプリ先生/3.1週)

 高いところといっても、その半分でしたけれど、そこからすべることになりました。わたしは、とてもうれしかったです。でも、しんぞうが、はれつしそうなぐらいドキドキしていました。そこのリフトは、一人のりでした。上へあがりました。いよいよすべります。おとうさまのつぎに、妹、さい後にわたしというじゅんでやりました。さいしょは、びくびくしていたけれど、やってみるととてもおもしろかったです。評:きんちょうを乗りこえてがんばったのね。おめでとう!

  光る表現(新小4−新小5) 2001年3月4週号

   新学年で表示されています。

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/3.2週)

 一つ秘密を知っています。それはメガネをかけているとまじめな謙太郎君メガネをとるとゆかいな謙太郎君に変身するということです。 評:スーパーマンみたいだね。

●大豆さん(あのわ/小4)の作文より(けいこ先生/3.2週)

 (「春が来た」の歌を、札幌に住む)ぼくたちは、「春が来ない、春が来ない、何で〜だろ。雪があるし、手ぶくろいるし、寒いから。」というかんじで歌わないと、いけないんですよ。 評:かえ歌は楽しいなぁ。寒い地域(ちいき)ならではの歌詞(かし)だね。

●大河さん(いうめ/小4)の作文より(ポプリ先生/3.2週)

 「あったかいな。」ぼくはともだちと学校へいくときうめの木を見つけました。ぼくは、春の花を見つけるともう春なんだなと思います。春にさく花といったらセイヨウタンポポやホトケノザをとくに中心に見ますがうめやレンゲソウのように赤い色がまざっていた方がすきです。なぜかというとピンクや赤の方が春、というかんじがするからです。評:色に対する感覚がすばらしいね。

●義明さん(いきき/小4)の作文より(きょうこ先生/3.1週)

  「ぼくはなぜじぶんがカービィをすきなのかわかりません。」うんうん、好きだけれども、理由はせつめいできない!という時はあるものだよね。そんな義明くんのふくざつな気持ちがよくあらわれていたじょうずな表現でした♪

●仁美さん(いこい/小4)の作文より(ももんが先生/3.2週)

 カーブミラーがぐらっとゆれて、どさっとたおれました。わたしは、(どうしよう。けいさつにつかまるかなぁ。)と思いました。足ががくがくなって、ふるえました。【評:どのくらいびっくりしたのか、そしてどのくらいこわかったのか、足のふるえを書くことでとても上手に表現できました。カーブミラーがたおれるようすも、よく書けています。さびていてすごく危なかったけれど、けがをしなくって本当によかったね。ホッ(^o^) 。】

●和博さん(いしす/小4)の作文より(かつみ先生/3.1週)

 そこで、ピッピッピッーホイッスルがなりました。   評:ピッピッピッーというところが、いかにもなっているぞー、というかんじでいいですね。

●ねぎちゃんさん(あとな/小5)の作文より(ふじのみや先生/3.1週)

 「ヒュー。」 今、ぼくはボールを投げました。でも、ただのボールではありません。この球は ぼくにとって最高の投げ方でした。 評: 「やった!」という気持ちが伝わってきます。

●直人さん(あゆる/小5)の作文より(はるな先生/3.1週)

 ある日、体育の時間に逆上がりをしてみました。そしたら、きせきのように、できました! 僕は思わず、「今、さかあがり、できたよね。」と、見ていた友達に聞きました。友達は「うん。」とこたえました。とても信じられないような気持ちでした。 (講評);周りの人たちのあたたかい助言や励ましを受けながら、苦労してはじめて、苦手な鉄棒の逆上がりができた、あなたのはずむような、喜びが、強く伝わってきます。たとえの表現がとても効果的ですね。

●RAZORさん(あると/小5)の作文より(けいこ先生/3.1週)

 このごろ新しく「ベイブレード」というベーゴマのようなものが発売されましたが、ぼくが思うには、あれはつまんないし、しかも値段が高いので、ぜったい買うならベーゴマです。なぜつまんないかというと、自分で(ひもを)まいたりして、強さがちょうせつできないからです。それと、全てプラスチックだから、ベーゴマとやったらかすっただけで、「ベイブレード」がふっとんでいくと思います。なのに今大ヒットしているのがなんともくだらない。しかもパーツをとりかえて強さをかえるなんて、くだらなくてしようがない。ベーゴマは、自分でけずるのが楽しいのです。 評:お父さんくらいの年代の人が読んだら、大賛成してくれそうだね。ベーゴマ評論家(?)のように、ビシッと意見を述べたのがおもしろい。

●穂香さん(すよ/小5)の作文より(きょうこ先生/3.1週)

  「『ヒョイ!』体がもち上がって、鉄ぼうがわたしの下にあります。逆上がりができたのです。わたしのうれしかった日。まるで、小鳥がいきなり飛び立ったようです。」とってもじょうずな表現だね。これまでずっと上に見えていた鉄棒が下に見えたんだね。それこそが、ずっと見たくてがんばっていた光景だったんだね。そして、いっしょうけんめい努力しているうちに、ほのかちゃんの背中にも逆上がりのできるツバサができてしまったかのようなじょうずな「まるで」の表現でした。

  光る表現(新小6−新中1) 2001年3月4週号

   新学年で表示されています。

●まささん(あうこ/小6)の作文より(ゆり先生/3.1週)

 さて、ここは、家庭科室だ。二十五人の生徒が、エプロンを着て、きれいに手をあらって、すっかり、調理実習の時のかっこうをして、先生の話をきいていた。【評:空の上から見ている人が語っているような書き方ですね。物語の始まりみたいでおもしろい。】

●美佳さん(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/3.2週)

 だから、作者が言いたかったのは、自分は、人間なんだから、脳の働きを役立てて、いろいろなことを考えればいいということだと思います。だから私も、脳がある生物として、いろいろなことを考えていくのが大切だ。【評】作者の言いたかったことをよく理解して、自分の考えも立派に述べることができました。

●たかやんさん(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/3.1週)

 「初めてできたこと」できないことができるようになるときは、きっとだれかが側にいてくれて、いろいろなアドバイスをしてくれたからだと思います。・・略・・まだできていないことは、これからも努力していきたいです。<評>できなかったことができるようになるのは、自分の力だけではなく、周りの人の助けがあるわけですものね。感謝する、努力する、良いことに気がついたと思います。

●ひろりんさん(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/3.1週)

 長距離走は私の最も苦手とする分野で、すぐ息があがってしまう。校庭1周ぐらいが関の山だ。それを6周。1周の6倍だ。評:校庭1周ぐらいならいいけど、6周とは・・・「それを6周。1周の6倍だ。」という部分は特に、その距離の長さを耳にして思わずショック(!!)を受ける様子が表現豊かに、しかもユーモラスに描かれています。

●あつしさん(あむら/中1)の作文より(きょうこ先生/3.1週)

  「僕が今までがんばった事は、一年生から、六年生までなるべく休まないように学校へ行ったことです。いかにも簡単そうにみえるかもしれないけれども、実は難しいと思います。...がんばるという強い意志が、今までの小学校生活を支えてくれたと思います。...強い意志をもつということは、大人になっても大事だと思うし、一生もつ事だと思います。どんどん強い意志が育っていくといいなぁと思います。」とても大きな視点から「がんばったこと」を考えてみたことにびっくり☆ 簡単そうに見えるし、思わず見落としてしまいそうな題材だけれども、あつし君の言うように、実は、とっても難しいことかもしれないよね。そのがんばりのウラには何があったのかと考えていけたところもすごくよかったね。すてきな感想でした♪

●ムーミンさん(あやめ/中1)の作文より(さかな先生/3.3週)

 ただ簡単な気持ちでペットを飼うのは絶対止めてほしい。生き物なんだし自分の思ったとおりにやってくれないことだってあると思うけれど、小さな命を大切にしてほしい。★評:ペットを飼うことを勧(すす)めながらも、飼う以上は責任を持って可愛がってほしいという強い願いが伝わってきます。

●理美さん(いけの/中1)の作文より(ドラえもん先生/3.1週)

 でもお母さんは、もっとはやく、「まるで野菜炒めをまぜるように」、サッサッサッとまぜている。私は、「お母さんみたいに、きれいにはやくまぜられたらいいな」と思った。【評】じょうずにたとえることができました。これからも何かよいたとえを見つけて書いてけるといいですね。(^o^)

●ホームズさん(なか/中1)の作文より(ミルクティ先生/3.3週)

 舗装された道は、確かに便利である。車や自転車は、晴れの火はもちろん、雨の日でも、ぬかるんでいた所にはまって動けなくなる、といった心配はない。しかし、道を歩いていて、「楽しい」と思うことがあまりないのである。では、道を歩いている上で「楽しい」とは、どんなことなのだろうか。例えば、舗装されていない道があったとしよう。そこを歩いていると、落ちているのは、しゃれた石、虫の死がい、雑草の可憐な花、ラムネびんの破片、石炭のかけら、鳥の羽などだ。人間が雨の降った次の日の道を歩いている時に見つけるのはクモの巣についた水玉だとか、散ってしまったキンモクセイ。そんなもののひとつひとつに、心をとめながら歩いていく時、人間は自然の暖かさを感じて喜び、「楽しい」と感じるのではないだろうか。<評>舗装されていない道の楽しさとしてあげた例にホームズ君のやさしさとセンスが光っているね。

  光る表現(新中2−新社) 2001年3月4週号

   新学年で表示されています。

●潤之介さん(かな/中2)の作文より(けいこ先生/3.2週)

 ときには適切な助言が必要だが、「限られた人生で大事なことは「なにをするか」ではなく「なにをしないか」である。」という名言のあるように、私たちに大切なことは、「なにをいうか」ではなく、「なにをいわないか」なのではないだろうか。 評:前段落の「言葉を多用した助言と、少ない言葉を投げかける慰め」を受けてのまとめ。名言の使い方と、主張の言い換えがうまい。

●ラッキー7さん(せあ/中2)の作文より(とこのん先生/3.2週)

 確かに、これからの国際関係などには理屈も必要だが日本人が持っている感性なども見直していくことも大切だ。評:自分の国の特徴を、自分たちの「長所」ととらえて大切にしてゆくべきだ、という前向きな意見です

●太一さん(あうけ/中3)の作文より(ミルクティ先生/3.1週)

 けれど、幼い子供のうちから、親などに勉強をやらされるばかりで、大して自由奔放に遊べないと、子供は、その時にせっかく芽を出している豊かな想像力を容赦無く摘み取られてしまう。その結果、大人になってから、公式に当てはめて答えを出す、いわばパターン化されたような問題は間違い少なくすらすらと出来るようになるかもしれないが、一番重要である、想像力を働かせながら問題を解いていく、「考える」問題に弱くなってしまうと思う。しかし、だからと言って、想像力を豊かにするなどということで、遊んでばかりいて、全く勉強しないのも、これはこれで生き方を考えるべきだとおもう。なぜなら、いくら、想像力を使って「考える」問題であっても、基本的な解き方などの最低限の予備知識は必要だと思うからだ。<評>遊びを通して想像力を育てることの必要性を主張しながらも、反対意見「基礎的な学力をつける勉強もおろそかにはできない」をきっちり入れて書いているところが見事です。

 

 

 

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