KotobanomoriNo.710

言葉の森新聞

2001年5月1週号

文責 中根克明(森川林)

  5.1週の参考作品より

 これまでの生徒の作品から、参考になりそうなものを掲載しています。掲載しているのは中学生以上です。

▼中1の作品から

●木の価値

 木が本来もっている価値を生かすことと、商品として木を高く売ることは、必ずしも一致しない。今日では山の木が建築物に変わるまでの間には、次元の異なる二つの過程が重なりあっているのであろう。それは使用価値と商品価値の違いによって生ずるズレ、といってもよいのだけれど、木自体がもっている価値を生かすか、商品としての木の価値を優先するかをめぐって、木にたずさわる者たちもまた動揺してきた。木の文化は、天然のヒノキが細切れの板にせれるのをかわいそうだと感じる、あの村長の気持ちを仕事のなかで実現させる職人たちの腕とともにあったのである。

 私は先月、祖母にお金を頂いた。それは、ただのお金ではなく、祖母が集めた古いお金や、記念硬貨だった。話によると、こういうお金は、後々とっておくと価値があがるそうだ。だから私は、

「こんなに珍しいものを頂けるなんて嬉しいな。」

と思った。だから私は家に持ち帰ってもただ引き出しに入れて置くだけだった。しかしよく考えてみると、このお金は祖母が店番をしながら苦労して集めたものであって、そのお金の価値よりも、もっと違う意味で価値があるのではないだろうか、、、、、、。とすると、私はとても素晴らしいものを頂いたということだ。私は、最初の頃よりもっと嬉しくなった。

 このように、お金では計りきれないモノといのが人間には一つあると思う。それが一通の手紙だったり、ランドセルだったりする。この世の中をすべて科学で片づけたがっている人と、物をすべてお金の価値にしたてあげる人は、どこか似ている。多分そうしないとその人は落ち着かないのだろう。少なくても私は本当の価値が分かる人になりたい。

はるる ● kuaより 07151 2000/05/02 10:51:14

▼中2の作品から

●島国言語

 島国言語の特色のひとつは、相手に対する思いやりが行き届いていることである。しかし、それはヨーロッパの言語や文法の考えになれた人たちから考えると、いかにも不明瞭である。それがやがて、日本語は理論的ではないのではないかという疑いに結びついていく。島国言語のもうひとつの特色は話の通じが大変よいということである。通人同士のコミュニケーションだということである。島国言語というものは、極端な言い方をすると、家族同士の会話を社会全体でもやっているような言語のことで、当然冗語性は大陸言語に比べて少ない。冗語性が高くなるとすぐくどいとかうるさいといわれる。

 確かに、国際化が進み、外来語がたくさん入ってきても、日本語はまだ、冗語性が少なく、通人的な言語だということが僕たちの年代の話を聞いていてもわかる。そのひとつとして、言葉を自分たちしかわからないように省略したりすることがある。いまどきの流行語も言葉を省略したものが多い。「通人」という言葉を嫌いそうないまどきの若者たちもそういう「言葉を省略して自分たちしかわからなくする」つまり、流行語を作るという点では立派な「通人」といえる。いくら日本語がかわったとはいえ、いまだに日本は通人の社会である。

 しかし、日本国外に出ると、家族の間で行われるような会話を社会全体でやっていないということ、つまり国全体が通人社会ではない。だから、日本語のあいまいとした態度は認められない。少し話がずれるかもしれないが、日本人は失敗したときにクスクスと笑うことがある。これを外国人から見ると、とても気持ち悪いらしい。やはり、そうやって分かり合っている人にしか分からないしぐさをするのではなく、きっぱりとしていないとだめだと思う。国際社会では冗語性を必要に応じて変化させることが出来ないと、うまく対応できない。

 でも、日本国内でも、冗語性を高くしてしゃべると、反響が悪く、逆に外国で冗語性を低く、通人同士のような会話をしていたのではだめだ。結局、両方が適度に使えるようになって、その場その場に応じた話し方をするのが一番いいと思う。しかし、変わり過ぎると二重人格になってしまう危険性があるので、適度に使い分けられれば良いのだ。

太一 ● aukeより 08151 2000/05/01 22:17:20

▼中3の作品から

●オノマトペ   っていまだに舌がまわらねぇ・・・

 日本は外国に比べて本当に湿潤な国である。そのせいか、日本語には水と関係のあるオノマトぺと呼ばれる、擬音語、擬声語が多い。オノマトぺは、同質社会でこそ微妙な伝達の機能を発揮できるが、異質な風土、文化の中に住む人にはさっぱり通じない。オノマトぺは、言語の重要な性格である抽象性をもたない低次の言語である。しかし、オノマトぺは日本語の豊かさを表している。オノマトぺの良さをもっと見直していくべきである。

 そのためには、自分自身で新しい擬声語、擬態語を作ってみればどうだろうか?私はいつも作りながら話している。バラエティに富んだしゃべりかたになり、(相手に理解してもらえないこともたびたびあるが)おしゃべりがたのしくなる。

 例えば、監督と言えば、で真っ先に出てくる(と言うよりこの人しか知らない)長島さんは、よく擬音語、擬声語を使うらしい。「クイっとね!」や、「ぱっとやるんだよ、ぱっと!」などという。巨人はなかなか強い(らしい)の秘訣は、この「くいっと」や、「ぱっと」などという、擬態語にあるのではないか。

 確かに抽象性を持つ言葉は大切だが、オノマトペの持つ言葉の豊かさに目をむけてみて、豊かに言葉を使うべきではないだろうか。「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている」というが、オノマトペにはオノマトペなりの価値がしっかりとあるのである。

まっちゃん ● asamoより 09151 2000/05/06 18:23:57

▼高1の作品から

●これからの世の中は...

 現在の世の中では「発想の転換」が出来ない人が多すぎる。その理由として一番先に挙がるのは「学校の教育方針」である。長文にも書いてあったように、「折り紙の3分の2の4分の3を切り取れ」と言われても、いまいちピンとは来ないが、実物を使えば話しは簡単である。今の学校では授業中に勝手に紙を出して折ったりしたら恐らく怒られるだろう。現物があれば使えるが、無ければ使えない。今の世の中は悲しい。このような学校環境が発想の転換が出来ない人間が増えている背景にあるのだ。このような環境を改善していかなくては、これからの日本には益々発想の転換音痴が増えてしまうのではないかと思う。

 「石橋を叩いていては渡れない」と言った西堀栄三郎(?)は、南極に行ったまでは良かったのだが日本にクギを忘れてきてしまった。さぁ困った。この寒い南極に小屋が建てられない。普通の人ならば途方に暮れている状況の中、その人はその寒さを逆手に取ったのだ。木を積み上げてその上に水をかけ、それを凍らせるという単純かつ適切な判断で彼は南極でも生きていけたのだ。

 っということで、これからの世の中は学問よりも発想の面白さ(?)などを重視した世の中になって欲しい。そうすれば私にも少し光が見えて来るのだ。しかし、現実はそう甘くはないのだ。今の世の中は「頭がいい人」=「すぐれた人材」という間違った式が成り立ってしまっているため、私が言っているようなものが成り立つ日はもしかしたら来ないかもしれない。しかし、世の中捨てたモンじゃない。いつかそんな日が来ることを祈って。

たれぱんだトレノ ● eyaより 10151 2000/05/02 19:10:37(要約の部分は省略しました:森川林)

▼高2の作品から

●存在を表わす固有名詞

 固有名詞というのは、私たちにとって一番身近である名詞である。私たちは固有名詞で両親や友人に呼ばれ、固有名詞で呼ばれることで自分という確認することができた。また学歴なども固有名詞で構成されて、もう私たちには固有名詞はきってもきれない存在である。しかし、このようによい意味で使われているはずの固有名詞が今日ではむりやり私たちの生活を管理しようとしている。例えば、中学校などでつけなくてもよい名札をつけさせられたり、国の管理の為に国民に番号をつけさせるということだ。私はこのような社会は問題だと思う。

 その原因としては第一に、固有名詞というものは前にも述べたように、おもに生き物、または川などの生物にとって関係が深いものなどにつけられ、その存在を確認するための名詞であるのに、管理上の便利さから名札をつけたり番号をふったりして本来の意味が失われている。このような固有名詞の使い方は無意味である。

 第二には、固有名詞によってその人の本来の姿を消してしまっていることだ。学歴がそのいい例で、例えば、その人の人間性などそっちのけであの人は何々大学だからすごいだとか、あの人はこの高校だからこんな性格だとか私たちには固有名詞から色々な先入観がはたらいてしまう。それは仕方がないことなのかもしれないが、やはりすごく悲しいことだ。

 確かに、固有名詞が失われたら私たちの存在が確認されないようで耐え難いものがある。しかし固有名詞の本来の意味を考えて、すべきこととしなくてもいいことをわきまえるべきだし、良い意味での固有名詞の社会を作り上げるべきだと思う。

ゆっこ ● arusaより 11151 2000/05/11 21:44:58

▼高3の作品から

●劇は、常に宗教的な

 「あなたは誰?」ソフィーがポストから取り出した便箋には、こう書かれていた。

 これはヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」であるが、数年前、このような一般向けの哲学書が書店に並んだことを記憶している。「私探し」という言葉が、使われ出したのもこの頃ではなかったか。しかしブームが過ぎてみると、この「私探し」という言葉は非常に興味深いものだ。精神学者の香山リカは著書「自分を愛するということ」の中で「私探しという言葉は、今の自分は仮の姿で、どこかに本当の自分がいるという意味を含んでいる。そして、自分探しブームの特徴は本当の自分を容易に手に入れ、それを認めてもらおうとするところにあった」と述べている。私探しに熱狂した我々は、哲学書を買ったり、仮面ライダーの変身ベルトを買いあさったりしたものである。つまり「私探し」は一見、自我を求めているようでありながら、実際のところは自分を無条件に認めてくれる全体性への帰属ではなかったのか。

 アメリカのサブカルチャーの流れを組むといわれる自己啓発セミナーはまさにその延長上にあったことと言えるであろう。死亡した信者をミイラ化させた某カルト教団について、元信者の中には「昔は、悩みを親身になって聞いてくれる自己啓発セミナーであったのに」と首をひねっていたが、「全体性への回帰」という点において「私探し」とカルト教団は非常に結びつきやすいことは容易に想像が付くであろう。しかし何もこれは過去の話しではない。「老人力」「自然力」「癒し」等々の言葉は、根本的に「私探し」と変わることが無いのである。自分の欠けた部分は全体性への帰属によって、努力なしに埋め合わされるという発想は、カルト的な発想と容易に結びつくことを我々は知っていなければならないだろう。

 全体性へ回帰が、社会の風潮として流れている背景は何なのであろうか。ひとつの背景として、情報化社会の発達があるであろう。テレビを見れば、そこには理想の生活を提案するコマーシャルが流れ、アイドルがドラマを演じている。そこに我々は自分の群像を見ているのではあるまいか。自分というものはなくて、群像達によって容易に交換可能であるという感覚を「日常的」に体験しているのである。

 現在の中途半端な個性教育というものも全体性への回帰と不可分の関係にある。日本の教育が求める個性とは「他人と違っていることは良いことですよ、でも秩序を乱すものはだめですよ」ということなのである。「違っていることは良いこと」でありながら「認められねばならない」という矛盾をはらんでいるのである。そしてこの矛盾が「他にある良い個性」を我々に求めさせる一つの原因になっているのではあるまいか。学生運動が盛んであった頃の世代に、自らの個性という群像を求めていたという者は多い。

 確かに「全体性への帰属」こそが芸術の本質であることは事実であろう。テレビやインターネットの世界も同様である。「果てしない物語」ではないが、設定された仮想現実に我々が入り込むことによって多くの物を得ることができる。しかし。それを現実に持ち込むことことは非常に危険であろう。現実はやはり、ここにあるのであり、「私」はやはりここにいるのである。「あなたは誰?」という問いに「私は現在の私だ」と答える勇気が現在の社会に求められているのかも知れぬ。

武照 ● ayoより 12151 2000/05/02 19:44:24

山のたより5月1週号

 評価・講評などは4月4週号をごらんください。

■国語の問題

作文課題集:アカシアの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 もり はやい(じ むし ひゃく たつ かわ おとこ

かんが)

5.2 いし はいる き(をうえ はやし ひ(がつく (お)かね くち ゆうひ

る)

作文課題集:カキの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 もり はやい(じ むし ひゃく たつ かわ おとこ

かんが)

5.2 いし はいる き(をうえ はやし ひ(がつく (お)かね くち ゆうひ

る)

作文課題集:サツキの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 いもうと たのしい ちほう(と さと まいにち はなす(ひ おやこ つくる

かい) とと)

5.2 ふとい たけ(やぶ とおる かたな みち(どう むぎ こめ とおい

ろ)

作文課題集:タラの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 しょうぎょ みなと しぬ ひろう(す けす ととのえる たこく だいめい

てる)

5.2 たすける のる すすむ きゅうそく こうたい( ちゅうい くらい(よ のむ

(やすむ) ひとと) る)

作文課題集:ナツメの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 きょうりょ たてもの こうくう( さくねん しまい(き めんせき えらぶ はやい(ス

き) ょうだい) ピードが)

5.2 かにゅう がいちゅう かんけい すくう かがみ かた(もけ けんこう( あんない

い) てき)

作文課題集:ハギの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 こうぎ(を こうさい こえる(ふ こっきょう ことわる さいよう さんせい( さんそ

きく) とる) する)

5.2 ぎじゅつ ぎむ ぎゃく くらべる くんれん けいけん けいりゃく けっか

作文課題集:マキの山

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 けんぽう げきじょう こうてつ こうふん こくもつ こしょう( ことなる こまる

する)

5.2 きざむ きず きちょう( きびしい きょうきゅ きょうど( きんにく きんべん

な) ふるさと)

作文課題集:ヤマブキの山以上

●国語問題 5.1-5.2週分 (自習用紙に答えを書き下の解答を見て自分で○×をつけておきましょう)

5.1 さいやく ゆうれい ゆれる よくあつ りれき となり せいれき たんれん

5.2 すてる ひろう・も まんせい まんぜん・ みせいねん かんぺき ゆうふく そっちょく

のを とくらす

■国語の問題の解答

作文課題集:アカシアの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、手 2、森 3、早い 4、虫 5、百 6、立つ 7、川 8、男

5.2 1、石 2、入る 3、木 4、林 5、火 6、金 7、口 8、夕日

作文課題集:カキの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、手 2、森 3、早い 4、虫 5、百 6、立つ 7、川 8、男

5.2 1、石 2、入る 3、木 4、林 5、火 6、金 7、口 8、夕日

作文課題集:サツキの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、妹 2、楽しい 3、地方 4、里 5、毎日 6、話す 7、親子 8、作る

5.2 1、太い 2、竹 3、通る 4、刀 5、道 6、麦 7、米 8、遠い

作文課題集:タラの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、商業 2、港 3、死ぬ 4、拾う 5、消す 6、整える 7、他国 8、題名

5.2 1、助ける 2、乗る 3、進む 4、休息 5、交代 6、注意 7、暗い 8、飲む

作文課題集:ナツメの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、協力 2、建物 3、航空 4、昨年 5、姉妹 6、面積 7、選ぶ 8、速い

5.2 1、加入 2、害虫 3、関係 4、救う 5、鏡 6、型 7、健康 8、案内

作文課題集:ハギの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、講義 2、交際 3、肥える 4、国境 5、断わる(断る) 6、採用 7、賛成 8、酸素

5.2 1、技術 2、義務 3、逆 4、比べる 5、訓練 6、経験 7、計略 8、結果

作文課題集:マキの山

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、憲法 2、劇場 3、鋼鉄 4、興奮 5、穀物 6、故障 7、異なる 8、困る

5.2 1、刻む 2、傷 3、貴重 4、厳しい 5、供給 6、郷土 7、筋肉 8、勤勉

作文課題集:ヤマブキの山以上

●国語問題の解答 5.1-5.2週分

5.1 1、災厄 2、幽霊 3、揺れる 4、抑圧 5、履歴 6、隣 7、西暦 8、鍛練(鍛錬も可)

5.2 1、捨てる 2、拾う 3、慢性 4、漫然 5、未成年 6、完璧 7、裕福 8、率直

 

 

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