KotobanomoriNo.714

言葉の森新聞

2001年6月1週号

文責 中根克明(森川林)

  今週はアンケートが同封されています

 6.1週の言葉の森新聞には、アンケートが同封されています。以下、その説明です。

(1)メールアドレスの新規・変更のある方はご記入ください。メールアドレスは、ここ数年はプロバイダの変更などで頻繁に変更されると思いますので、毎学期アンケートというかたちでデータを更新していきます。

(2)小学生の生徒は、学校名と学校所在地をお書きください。小学生の清書は新聞社に投稿する際に、学校名や学校所在地の記載が必要になるためです。投稿を希望しない場合は書かなくても結構です。

(3)中学生以上の生徒は、購読している新聞名をお書きください。中学生以上の生徒の清書は、ご自宅で購読している新聞を中心に投稿をします。投稿を希望しない場合は書かなくても結構です。

(4)言葉の森新聞をメールで受け取る方はご記入ください。プリントした言葉の森新聞以外に、メールで毎週言葉の森新聞を受け取ることができます。費用は無料。登録・解約はホームページで自由にできます。

(5)山のたよりをメールで受け取る方はご記入ください。プリントした「山のたより」以外に、メールで毎週「山のたより」を受け取ることができます。費用は無料。登録・解約は自由にできます。

  光る表現にミスプリント

 オンラインで作文を送っている生徒の光る表現のうち、1月から4月までの間でプリントされていないものがありました。中には既に印刷されているものもあるかもしれませんが、今回再度プリントしなおしました。

 プリントの遅れたみなさん、まことに申し訳ありませんでした。

  これからの時代に必要な勉強

 (株)リクルートがIT関連企業の人事担当者に対しておこなったアンケートで、次のような結果が出たそうです。採用時に最も重視しない項目のトップ3は「最終学歴」「前の会社名」「専攻学科」で、逆に最も重視する項目は「コミュニケーション能力」「新技術への対応力」「自己投資能力(学習能力)」でした。また、今年就職活動を経験した大学3年生の話では、ほとんどの企業がその場で作文を書かせる試験を行なったということです。

 これらを聞くとあらためて、今日の社会が求めている学力と、学校がつけようとしている学力との間に、ずれのあることがわかります。

 現在、文部科学省が進めようとしているゆとり教育は、全教科にわたって平均的に学習の質と量を低下させるものです。そして、結局、遊びの時間にしかならない総合学習や体験学習を勉強時間の中に取り入れるという無駄を生み出しています。小中学校は現在でも既に行事や研究授業やクラブ活動という本来補助的なもののために肝心の勉強がおろそかになっています。これが更に進行するということです。真のゆとり教育は、読み書き計算などの重要な教科に力を入れ、理科や社会などの(小学校の場合)重要でない教科を大胆に削減する中で得られるはずです。しかし、既得権を守ろうとする古い勢力のしがらみがあるために、そのような根本的な削減策は出てきません。わかりやすい例で言うと、毎年批判が出る小学校低学年の読書感想文の宿題のようなものです。何の教育的意義もない低学年の読書感想文の宿題がなぜ毎年夏休みに出されるかと言えば、その宿題を出すことで成り立っている団体があるからです。その団体が既得権を守るために、惰性で毎年読書感想文の宿題を出しているのです。そういうさまざまな団体に気兼ねをしながら打ち出されたゆとり教育は、ゆとりを生み出すというプラス面よりも学力を低下させるというマイナス面の方がはるかに大きいものになっています。

 そしてゆとり教育という建前の学力低下が進行する一方で、単純な記憶の再現を中心とした受験勉強が依然として継続しています。しかも、少子化によって受験生の売り手市場となった結果、受験科目の極端な削減が進み基礎学力のきわめて乏しい大学生が生まれています。学力低下が進行する中で、単純な記憶力のテストを中心としたまま、受験科目を削減するという二重三重のミスリードが、現在の日本の教育で行われているのです。

 では、これからの社会で真に必要とされる教育とは何でしょうか。それは比喩的に言えば、古典と作文とコンピュータです。

 古典とは、古文や漢文という意味ではなく、その価値が歴史的に認められた書物という意味です。現在の社会では多種多様な読み物があふれています。また活字以外のメディアも豊富です。しかし、限られた学生生活の中でまず身につけなければならないものは、人類が書物というかたちで蓄積し歴史の流れに耐えてきた知識や思想です。学問の中心は読書であり、しかも流行の本ではなく古典と言われる本を優先させた読書です。

 作文とは、自分の頭で考えて創造する姿勢です。これまでの教育では、教えられたことを素直に再現できることが優れた学力とみなされてきました。しかし、これからは与えられた状況に応じて創造的に対応できる学力が求められてきます。その創造性を支えるものが、幅広い基礎学力と深い古典的教養です。もちろん作文というのは比喩的な言い方です。文章を書くことそのものだけではなく、数学であっても工学であっても、創造する姿勢というものが求められているということです。

 コンピュータとは、読み書きそろばんの発展したものです。これまでの社会では、読み書きと計算と英語が知的生活の基盤でした。それらは、江戸時代のころで言えば、剣術や馬術のようにだれもが等しく身につけておかなければならない基礎的な技能でした。しかし、これからの社会ではこの読み書き・計算・英語に加えて、だれもがコンピュータの簡単なプログラミングができることが求められるようになってきます。

 福沢諭吉が英語学習の必要性を痛感していたときに、同時代の学者たちの多くは、英語を学ばなくてもオランダ語に翻訳されたものを読めばいいとか、四書五経さえしっかり学んでいればいいとかいう自己弁護に終始していました。そして、そういう知的に怠惰な学者たちの主張の方が説得力を持っていたことは、容易に想像できます。現代でも多くの人は、コンピュータのプログラミングを「単なる道具」と過小評価するか、「専門的に勉強した人にしかできないもの」と過大評価するか、どちらかに偏っています。しかし、正しい姿勢は「困難ではあるが取り組む価値のあるもの」という前向きな姿勢です。コンピュータプログラミングは、これから更に進化し、今とは違う全く新しいパラダイムが登場する可能性もあります。あるいはウィンドウズが画期的に進化してすべてをマウスで操作できる時代が来る可能性もあります。しかし、若者はそういう都合のいい未来をあてにせず、勇気を出して現在の困難に参加するべきです。

 現在の日本の社会で、コンピュータ教育の必要性が常にワンテンポ遅れたかたちで出てくるのは、政界にしろ教育界にしろマスコミ界にしろ、発言力のあるほどの年配の文系の人がコンピュータを知らないからです。こういうところにも理数教育を欠落させた文系教育の弊害が表れていると言えます。

  ●プログラム研究会 6月9日(土)午後3:30

 現在、学校で行われている教育と、受験で求められている学力の間にあって、どちらからも正当に評価されていない分野の学問があります。しかし、その分野こそがこれからの人間と社会にとって最も価値あるものになるはずです。その分野とは、古典、作文、コンピュータです。

 その中でも、独力では取り組みにくい分野であるコンピュータプログラミングを、グループで学習できる場を作っていきたいと思います。

 具体的には、Linuxのサーバーをベースにして、MySQLというデータベースを、PHPという習得しやすいプログラミング言語でコントロールして、ウェブサイト(ホームページ)を作るという企画です。

 プログラミング言語を一つ学ぶと、ほかの言語でもコンピュータが大体どういうことまでできるかということが実感としてわかります。これからの企業のトップは、自分でプログラミングまでしなくても、コンピュータというものがどういうことまでできるかを把握している必要があります。しかし、現在の日本の大学では、文系の学部に入ると、こういう勉強はほぼ絶対にしません。教える人がいないからです。これがコンピュータにおける日本の立ち遅れの最大の原因です。ひとことで言うと、日本の大学のシステムが古いのです。

 日本の大学教育の大きな弱点は、文系を選択すると、理系の勉強をほとんどしなくなってしまうことです。

 例えばある私立大学の文学部を受験しようとすると、必要な受験科目は英語と国語と小論文だけです。高校2年生のころから受験を意識すると自然に英語と国語を中心に勉強するようになります。その結果、数学、理科、社会を受験勉強として取り組まなかった生徒が大学に入り、文学部の勉強を4年間して、それで世界に通用する学問が果たしてできるでしょうか。

 将来必ず必要になる、しかし高校でも大学でも当分教えないプログラミングの勉強をしていきたいと思います。

●参加資格:

高校生以上(英語の本をテキストに使うので中学生以下だと苦しいです。テキスト見本:後掲)。

言葉の森の生徒・元生徒・父母・講師など。

自宅でインターネットに接続できるパソコンがあると勉強がはかどります

●費用:

無料(ただしテキスト代は必要に応じて実費)

今のところテキストは本2冊です。

「PHPプログラミング入門」500頁4700円

「MySQL/PHP Database Applications」600頁4928円

●内容:

月に1回(土曜日の午後を予定)港南台教室でミーティング。テキストの内容に沿って自宅でプログラムを読み取り説明できるようにしてくる。最終的には自分で掲示板などのスクリプトを書きホームページで動かせるようにする。講義形式ではなく自学自習を相互のディスカッションでサポートするというかたちの勉強会です。

●期間:

2001年6月から2002年3月ごろまで

●第1回会合:

2001年6月9日(土)午後3:30〜午後4:30 港南台教室

会の名称を決め今後の勉強の進め方などを話し合います。

●参加方法:

別紙「参加申込書」をご提出いただくかお電話でご連絡ください。

 

●プログラム研究会 参加申込書       2001年6月9日(土)午後3:30

名前

連絡用アドレス

父母の場合は、どなたかわかるようにお子様のお名前もお書きください。

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●英文テキスト見本「MySQL/PHP Database Applications」

Why PHP?

Programming languages are a lot like shoes. Some look good to some people yet

look really ugly to others. To carry the analogy a little further, some shoes just fit

well on some feet.

 What we mean is this: when it comes to Web programming, all languages do

pretty much the same thing: They all interact with relational databases; they all

work with a filesystem; they all interact with a Web server. The question about

which language is best is rarely a matter of a language's inability to perform cer-

tain actions. It's usually more a matter of how quickly you can do what you need

to do with the least amount of pain.

IT'S FAST AND EASY

What about speed? There are really only three things that we know for sure when it

comes to comparing speeds of Web programming languages. First, applications

written in C will be the fastest. Second, programming in C is rather difficult and

will take much longer than any of the other languages mentioned so far. Third,

comparisons between languages are extremely difficult. From everything we know,

we feel safe in saying the PHP is as fast as anything out there.

 More often than not choosing a language comes back to the same issues

involved in buying shoes. You'll want to go with what's most comfortable. If you're

like us, you will find that PHP has managed the perfect mix of power, structure, and

ease of use. Again, this is largely a matter of opinion, but we do believe the syntax

of PHP is superior to that of ASP and JSP. And we believe it puts more power at

your fingertips more quickly than ColdFusion and is not as difficult to learn as Perl.

 In the end, we believe PHP offers the best opportunity to develop powerful Web

applications quickly. That generalization made, we do believe there are other excel-

lent reasons for choosing PHP.

IT'S CROSS-PLATFORM

In the rundown of Web architecture, we mentioned that PHP will run on Windows

2000/NT and Unix and with both IIS and Apache. But the cross-platform abilities of

PHP go far beyond these platforms. If you happen to be using Netscape, Roxen, or

just about anything else, it is likely PHP will work with it.

 Yes, ASP can be run on Linux, and ColdFusion can work on Solaris and Linux,

and JSP is adaptable across many platforms. At this point, PHP works as well on as

wide a variety of systems as any other available product.

IT ACCESSES EVERYTHING

What do you need to access in the course of creating your Web applications?

LDAP? IMAP mail server? Oracle? Informix? DB2? Or maybe you need an XML

parser or WDDX functions.

 Whatever you need to use, it is more than likely that PHP has a built-in set of

functions that make getting whatever you need very easy. But what if it doesn't

have something built in that you'd like? That brings us to our next point.

  3月のアンケートより(その5)

●父母より 中学校での勉強は文法やら難しいものばかりでつまらないと思います。「言葉の森」の長文は難しいけれどためになる文章だと思います。数学と英語は、言葉の森新聞で書かれていたように勉強中です。頭を悩ませているのは社会の勉強方法です。(小学生のときは得意だったのにどうしてでしょうか? 本人もだんだん社会がいやになってきたみたい……)(中1父母)

▼教室より 国語の勉強は、ふだんは長文音読と読書をしていればよく、テスト直前に漢字・文法・古文などの知識を整理しておけば充分です。数学は、教科書では易しすぎるので、難問の入った問題集を一冊用意して、それをできないところが一つもなくなるまで(目安としては4回以上)、繰り返してやっていくことです。英語は、教科書の一つのページを20回以上音読して暗唱し、本文を見ないでも書けるように丸ごと覚えてしまうことです。この丸ごと暗唱という土台の上に、文法の知識の整理をすれば完璧です。

 さて、社会は、どの参考書や問題集よりも教科書が最も入試問題に対応しています。教科書を全部頭に入れればそれがそのまま受験勉強になります。しかし、社会の勉強は、個々の知識が理解できることと、構造的に理解できることとでレベルが異なります。歴史の教科書などは読むだけでしたら面白くどんどん読めますが、いざ問題として、「日本で○○があったころ、ヨーロッパでは何があったか」と聞かれるとまず答えられません。ですから、社会は、教科書を繰り返し読むことと、それを自分で手で書き直して整理するという両方の勉強が必要になります。地理の場合は地図を書き、歴史の場合は年表を書くという作業が勉強の過程で必ず必要になってきます。また、テスト向けに問題集をやっておくと、どういう知識が問われやすいのかということがわかるので、教科書を読むときも重要なところに注意して読んでいけるようになります。その問題集を解くときのコツですが、最初に答えを全部書き込んでおき、問題と答えを一緒に読みながら、「こういう問題でこういう答えがでるのか」と確認しながら、読み物でも読むような感じで読んでいくと勉強の能率が上がります。問題集は律義に解くためのものではなく、参考書として利用するような使い方をしていくといいようです。

 社会に比べると理科は、教科書が薄すぎるようです。理科については参考書や問題集を別に用意して勉強していくことが必要です

●父母より いつも言葉の森新聞を読み「そうなのか」とか(ちょっと後悔も入って)「そうだったのか、なるほど」と勉強させていただいています。

 わが娘(中3)の方ですが、先日、中学最後の期末テストがあり、理科のテストで(事前に先生から環境問題について書いてもらうので考えてくるようにとの指示があったようですが……)、テスト中に書いた作文が少し小論文に近づいたかなと嬉しかったもので、親バカの至りですが、コピーを同封させていただきました。日ごろお世話になっている先生方にも読んでいただきたいと思います。どうもありがとうございました。(中3父母)<コピー添付>

▼教室より コピーを読ませていただきました。立派な文章でした。中学生になると、時に、親がおどろくほど深い意見文を書くことがあります。

 中学生のころの視野は大人に比べてまだ広くはありませんが、感性は鋭いものがあります。ですから、焦点の絞られたものを書くときは、大人よりもいい文章を書くことがあります。

 中学3年生のころは、受験も重なるので特に文章のレベルが高くなるようです。

 このあと、高校でも読書を進めていくと、それにつれて更に文章力も向上していきます。がんばってください。

●父母より 高校生向けの新書のリストを教えていただけたら幸いです。(中3父母)

▼教室より 図書選びが最もしやすいのは小学校低中学年です。このころの読書環境は、良書も豊富にあり、学校で読書の時間も確保されておりということで、とても恵まれています。しかし、小学校高学年から中学生にかけては、この年代の子にふさわしい本が急に少なくなり、また受験や定期テストなどで読書の時間が確保しにくいこともあり、急速に読書離れが進みます。この時期に読書の習慣がなくなってしまう子が多いようです。

 さて、高校生ですが、高校生が読む本は基本的に大人と同じと考えていいと思います。と言ってもハウツー的な本だけでは読む力はつきませんから、岩波新書、中公新書、新潮選書などの堅い本を自分の興味に合わせて読んでいくといいと思います。昔は三一新書のような高校生向けの新書のシリーズがありましたが、今高校生向けとして編集されているのは、岩波ジュニア新書とちくま少年図書館の百冊シリーズぐらいです。岩波ジュニア新書は、いい本もたくさんありますが、若者に迎合したあまり内容のない本もあるようです。ちくま少年図書館はどれも読み応えのある充実した内容ですが、売れないので書店にはほとんど置いてありません。こういう良書がもっと広まることを期待しています。ちくま少年図書館の中でも個人的におすすめの本は、「まるごと好きです(工藤直子)」「君たちの生きる社会(伊東光晴)」「新聖書物語(新井智)」などです。

  ○港南台で父母懇談会 6月9日(土)午後2:00

 港南台教室で父母懇談会を行います。

 国語の成績を上げるコツなど、これからの勉強の参考になる話をする予定です。ぜひご参加ください。

 会場が狭いため、参加人数を事前に集計したいと思います。出席される方は、下記の参加申込書をご提出いただくか、当日までにお電話でご連絡ください。

○日時:2001年6月9日(土)午後2:00〜午後3:00

○場所:港南台教室(敷地内に駐停車できません。自転車で来られる方は7番の駐車スペースに置いてください)

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○父母懇談会 参加申込書           2001年6月9日(土)午後2:00

父母氏名

生徒氏名

ご両親ともに出席される場合はお二人のお名前をお書きください。

  光る表現(小1−小3) 2001年6月1週号

●小犬さん(いこと/小1)の作文より(けいこ先生/5.3週)

 (5月にうえたあさがおは)わたしのたんじょう日の7月31日には、たくさんさいているとおもいます。ふじいろかあおのあさがおがさくといいです。はながかれてたねができたら、あつめて、つぎの1ねんせいにふくろにいれて、プレゼントしたいとおもいます。 評:花をそだてるのはたのしいね。おたんじょう日がたのしみ! はながさいたあとの、たねについても、しっかり自分のかんがえをせつめいできた。

●真水さん(いすく/小2)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 がんばったことは、玉がのっかるように、玉をずーっと、見はることです。そのちょうしで、やってみると、なんとかできました。それを、おかあさんと、おばあちゃんに、はなしたら、おかあさんが、「すごいなー!」と、いいました。おばあちゃんが、「ようそんなんできるなー。」と、いいました。わたしは、うれしかったです。【評:なるほど、ずーっと玉を見はっていることが、たいせつなのね。お母さんやおばあちゃんのことばも、ていねいに思い出して書けています。とてもいい!(^o^)。】

●真水さん(いすく/小2)の作文より(ももんが先生/5.3週)

 はじめに、じゆうちょうにしたがきをしました。わたしは、にぎやかなのがすきだから、にぎやかにしました。そしたら、ずいぶんにぎやかなえになりました。【評:どんな気持ちで、どのようなえをかいたのが、とてもじょうずに書けました(^o^)。 】

●椿さん(いそら/小2)の作文より(スズラン先生/5.3週)

 (初めてのバイオリンのお稽古で)「ラ」の音がじょうずにひけません。松やにをもうちょっとぬってみました。またおなじです。「本当に音が出るのかな。」しんぱいになりました。松やにをもっともっとぬってみました。そしたらきれいな音が出ました。:評:初めてのお稽古のようすが良く分かりますね。きれいな音が出て良かったですね。

●ドラちゃんさん(あよう/小3)の作文より(けいこ先生/5.3週)

 (牛を神様と考えるインドでは)ちこくしても、このようなもんでしょう。「ハアハアちこくしてしまいました。すんまセン。かみさんが道にいましてね。」というと、「ああかみさまか。あの方がおとおりね。」とすましているでしょう。もし日本なら、「すいません。ちこくしました。牛がいたんで。」と入ってくると、「なに、牛、いいわけむ用。牛なんておいはらって早くこい。」というようになるでしょう。 評:自分の国とは、ちがう習慣の国が、世界にはたくさんあるだろうね。「もし日本なら」と想像してみたのがいいね。

●カヤさん(ありそ/小3)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 「ジュージュー。」おいしいおにくがなっています。おなかもグーグーなっています。【評:作文の書き出しです。おにくの音と、おなかの音をならべて書くとは、なかなかやるなあ。とてもおもしろいアイデアですね(^o^)。】

●泰児さん(いおと/小3)の作文より(ミルクティ先生/5.3週)

 『牛』香港はぶたの鼻や耳を食べる人がいます。牛は切ってあります。たぶんカルカッタの人は食べないと思います。なぜかと言うと、牛をたたかないからです。(…略…)おかあさんが「寝たらうしになるよ。」といいました。「もしぼくがうしになったら、まず、カルカッタにいきます。」といったら、おかあさんが「ハハハ。」と、わらいました。<評>カルカッタでは牛がとてもたいせつにあつかわれるから、牛にとってはまるで天国のようだろうね。「もし…だったら…」と考えたところが、とてもおもしろかったよ。

●瑞幾さん(いおね/小3)の作文より(ドラえもん先生/5.3週)

 でも、そんなはなさなくてもべつにかこいを作ってその中に入れといたらいいのになぁと思いました。でも生き物はぼくの兄弟のようだと思っています。【評】生き物を兄弟のように思っているというところから、瑞幾くんのやさしさがよく伝(つた)わってきます。

●翔太さん(いきこ/小3)の作文より(スズラン先生/5.1週)

 (お茶碗を二つあわせておにぎりを作って)おちゃわんをふっていてなっている音は「シャカシャカ、トントン、ゴンゴン」となります。:評:お茶碗の中でごはんがだんだん丸くなっていることが分かる音ですね。

●一真さん(いせく/小3)の作文より(ふじのみや先生/5.3週)

 かいだんを一だん一だん下りていると…ベリッと一まい板がはずれてまっさかさまにおちていきました。さいわいぼくは たすかりましたが、「ゆだんたいてき」というから ゆだんはしませんでした。 でも、るみは、「ここを一りん車ではしりたいなぁ」という顔をしていました。でも、その後「こわいなぁ。」「もういやだ。」「下までおりたらジュース一本買って。」と、5びょうに一どこういうことをいっていました。 ぼくは、何も言わなかったけど。 評:どきどきするようなぼうけんシーンですね。瑠美ちゃんの変化がおもし

●暁子さん(いそか/小3)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 パパがいっしょうけんめいやっていると、くらげみたいにうみうしがひらひらおよいでいました。わたしがパパに「このさかなみたいなのってさぁ、うしのかたちしてないのに、どうしてなまえにうしとかいてあるの?」と小さいこえでいうと、「なんでだろうね。いれものをとっておいで。とってあげるから。」とやさしいこえでいってくれました。よーくみてみると、とてもうすかったです。わたしがみたかぎり、どこにも目がついていなかったのでふしぎでした。【評:海で見つけたふしぎな生物「うみうし」。「ひらひら」ということばから、気持ちよさそうにおよいでいたのがよくわかりますね。でも、本当に目は、どこになるのでしょう?(^^;)。 じっくりと観察して、よく書けています。かぎかっこの使い方も上手!(^o^)。】

  光る表現(小4) 2001年6月1週号

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/5.3週)

 「これから、ヘチマと自分が調べている木を見てきてください。」と先生が大きな声で言いました。今、理科の授業でヘチマと学校にある木の観察をしています。私は、ドウダンツツジを調べています。私のヘチマは、前に見た時は、ふた葉がくっついていたので、今日どうなっているか、とても楽しみでした。ママのお風呂グッズにある、白いタワシがどうしてできるのか不思議でたまりません。「あっ! 本葉だ!」本葉が小さな顔をだしています。私は思わず、「やったー。大きくなってる。本葉も出てるよ。」と叫びました。私は心の中で、(大きくなあれ。)とお祈りしました。風にふかれてヘチマは、ニコニコ顔に見えました。 評:「  」を使ったり、ヘチマの様子に「本葉が小さな顔を出して」「ニコニコ顔」と人間のような表現を用いたりして、楽しくまとめられた。

●みゆさん(あはみ/小4)の作文より(ドラえもん先生/5.2週)

 ハンドベースをしました。じゃんけんでやりました。ちゃいむが、「キーコーンカーコーンキーコーンカーコーン」と鳴って、教室に帰りました。そして、三時間目がはじまりました。【評】チャイムの音を書くことによって、学校での様子がリアルにつたわってきますね。☆(^o^)

●ししさん(あふか/小4)の作文より(洋子先生/5.2週)

 クレヨンしんちゃんは、きょうでおしまいだったのに、映画館はガラガラです。平日の午前中だったからなのか映画館の中は、ぼくを入れて三人だけでした。ほとんど貸し切り同然でした。評:平日の午前中の映画館とは、そのようなものなのでしょうね。たった「三人」と数字が入ったこと、「貸し切り同然です。」が平日の映画館の雰囲気、様子をすごくよく観察して伝えてくれています。現在形「です」もうまく使われていましたね。(^。^)

●ししさん(あふか/小4)の作文より(洋子先生/5.3週)

 ぼくは、小さい時から、ブロックや、プラモデルを作るのが得意です。だから9歳になる誕生日とても大きいブロックを買ってもらいました。 ぼくは、早く作りたくて、たまりません。ぼくは部屋に入るとすぐ箱を開けて各パーツごとに別れた部品を組み合わせて作りはじめました。あまりにも興奮していたので、カタログのページをぬかしてどんどん作っていってしまいました。本当は二時間でできるのが三時間もかかってしまいました。初めからゆっくり説明書をよく読めばよかった。これが急がば回れということなんだ。。評:「急がば回れのことわざ」にぴったりのおはなしでしたね。君のはやく作りたいという「はやる気持ち」や予定よりも一時間もオ−バ−してしまったロスタイム、ゆっくり説明書を読んでから取り掛かればよかったことへの反省がうまくもりこまれて書けていました。

●ヒトデ君さん(あまな/小4)の作文より(きりこ先生/5.1週)

 ぼくはちょうじょうについたとき足からほねがつきでそうになりました。<たくさん歩いて疲れて足がいたくなった様子よく伝わってきますね。いい表現ができたね。>

●KOKIさん(あもほ/小4)の作文より(けいこ先生/5.2週)

 (カレー作りで)たまねぎのかわをむきます。その時です。いきなり目がいたくなってソファーにねころんで足をバタバタさせました。そのくらいいたかったのです。しばらくして目のいたみがおさまったら、たまねぎを切ります。するとまたさっきのように目がいたくなって、またソファーにころがって足をじたばたさせました。 評:たまねぎ切りはたいへん! 目のいたむ様子をイキイキとまとめられた。「ねころんで→ころがって」「バタバタ→じたばた」と表現が重ならないようにしたのも、いい工夫だね。

●ルフィーさん(あるる/小4)の作文より(ミルクティ先生/5.2週)

 『ぼくのゼニガメ』えさは、いかです。名前は、ゼニガメという名前にしました。ぼくがいるときは、えさを食べないのにいなくなるといつのまにか食べていました。はっぽうスチロールのかべを、「ガサガサガサ。」と音をたてながらいっしょうけんめいにげようとしていました。落ちると、あおむけになってひっくりかえっていました。足もバタバタさせながらおきようとしていました。ぼうが、手で、かめをもどすと、前むきになって、よちよちと歩きました。<評>つかまえたカメのことをよく観察していたね。一日でにげてしまったゼニガメくんだけど、ルフィーくんの心の中でしっかり生きているようだね。

●秀雄さん(あろう/小4)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 「グッピーは何びきいるのかなあ。」「数えてみよう。」ぼくのグッピーは、水そうに入れてもオーバーするほど多いのです。【評:わあ、たくさんのグッピーがいるのね。作文の書き出しに、かぎかっこが上手に使えましたね(^o^)。】

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/5.2週)

 ぼくはきのう、「一二三十」と「月の光り」を書きました。一二三十は三回で全部二重丸で、月の光りは二回で全部二重丸でした。まるで前からこの教室でやっていたように早く終わりました。◆評:前からやっていたようというところが、いいたとえになっているね。

●みかんさん(いこい/小4)の作文より(ももんが先生/5.1週)

 わたしは、せがひくいので、下に『ドスン』とおちてきたおもちをとりました。とっていると、だれかの手をつかんでしまいました。「あっ。」わたしは声をあげました。だって、その手は、お母さんの手だったからです。その時は、お母さんといっしょにわらいました。【評:かぎかっこの後に、その時のようすがよく書けています。いきおいよく落ちてきた、おもちの音もいいですね(^o^)!】

  光る表現(小5) 2001年6月1週号

●あおぞらさん(あある/小5)の作文より(ゆり先生/5.3週)

 モグラの根性にぼくは、感心しているところだ。根性がなければ、「ああしんどい」と言ってだらだら〜としていて、いきられなかったかもしれない。がんばれ!モグラくん。

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/5.3週)

 「人の手は、物を作れるし、いろいろなことに使えます。ぼくも、学校で、粘土を使ってかびんとお皿を作ったことがあります。ぼくは、他の動物の手足の役割をもっと知りたいです。」長文を読んで、そしてこの感想文を書いて、かびんやお皿を作れる自分たち人間の手や、その他の動物の手足の機能にとっても興味をもったみたいだね♪何か新しく発見できたらぜひ教えてね☆

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(洋子先生/5.3週)

 そうしたら、他の学校の2年生が来ました。看板に、生き物は、取ったり、殺したり、しないでください。と書いてあるのに、ザリガニを、取り放題にとって、帰ってしまいました。それでも頑張って絵を描きました。そうして、完成にちかずいたとき、大きな池の方から、かもが飛んできました。そのかもも、絵にいれてあげることにしました。 完成した絵は、自分としては、満足できました。また、色々なところで、写生をしたいです。評:青空のもと、新緑の美しい庭園でいい気持ちで写生をしていたのにおもわぬハプニングにあってしまいましたね!ザリガニをとり放題にとっていってしまうなんて!(-_-;)引率の先生は、しらなかったのでしょうか?そんなできごとにもめげずがんばって写生をつずけていたらかもが飛んできたのですね。まるで「すみれちゃん、そんなことにびっくりしないで、元気を出して、この後楽園のこの美しい五月の風景を思いっきり写生してね!」と、はげましながら飛んでいったような気がしてきますね。かもさんもあなたの絵に描きいれてもらって喜んでいることでしょう。(^。^)青空のもと、新緑の美しい庭園でいい気持ちで写生をしていたのにおもわぬハプニングにあってしまいましたね!ザリガニをとり放題にとっていってしまうなんて!(-_-;)引率の先生は、しらなかったのでしょうか?そんなできごとにもめげずがんばって写生をつずけていたらかもが飛んできたのですね。まるで「すみれちゃん、そんなことにびっくりしないで、元気を出して、この後楽園のこの美しい五月の風景を思いっきり写生してね!」と、はげましながら飛んでいったような気がしてきますね。かもさんもあなたの絵に描きいれてもらって喜んでいることでしょう。(^。^)

●えりさん(あなふ/小5)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 たとえば、最近作られた犬のロボット、「アイボ」というのがいるでしょう。あれは、音に応対するし、光に応対するし、名前をよんだらこっちにくるし、すねたり、喜んだりするそうです。本物そっくりにつくられています。でもそれは、犬ではなく、あくまでもロボットです。犬自身が「アイボ」を生み出したのではなく、人間の手によって作られたものだからです。違うところを言えばたくさんあります。毛がないし、(かわいそうだけど)こけたりしたって血は出ないんです。それから、「もうこんなのあきちゃった」などと思えば、人間の好き勝手で電源を切るなり、粗大ゴミに出すなりできます。【評:じっくりとよく考えて、自分の意見が述べられたね。一つ一つ具体的をあげていったのも、とてもいい(^o^)!】

●ケロちゃんさん(ありう/小5)の作文より(ポプリ先生/5.3週)

 「ドク。ドク。ドク。ドク。」だんだん心ぞうの音が速くなってきた。なぜなら、もう私の前の人が、すぐ近くまで来ているからだ。確かにたすきを受け取って、私はロケットのような速さでスタートした。「応えん団の仲間も応えんしてくれている。ぬかすのは不可のうだけれど、せめてぬかされないようにがんばろう!!」と思った。評:ロケットのような、というたとえ、いいですね。

●茜さん(あろさ/小5)の作文より(ももんが先生/5.2週)

 ライム君は、それまでもかわいかったけど、わたしの家でかい始めてから、もっとかわいくかんじるようになりました。【評:良いことに気付いたね。これは、茜ちゃんが犬のライム君を大切にかわいがっている証拠でもある。ライム君もきっと、茜ちゃんをどんどん好きになることでしょう(^o^)。】

●有貴さん(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/5.2週)

 「機械にとっては、1日1日の経験は無意味だ」なついているように見えるロボット犬も、心の中というものを持っていないのですね、本当は。真実を短い言葉で印象的にあらわしたね。

  光る表現(小6) 2001年6月1週号

●シュシュさん(あさつ/小6)の作文より(ミルクティ先生/5.4週)

 私の家の犬は、まえに、おもちゃや靴下を集めていた。でもこの集めるは、人間とは少し違いこれは本能的に集めているのだ。人間の集めるは自分が生きていくためや本能的なことでなく、趣味や、その事によって世の中を分析したり、考えたりするためにものをあつめるのだ。物を集めるということは、知能の発達した、人間にしかできない楽しみだということが分かった。<評>私達人間が物を集める話だけでなく、犬の話を付け加えたところがよかったよ。比較することで、人間が物を集めることの意味を考えることができたね。

●千晶さん(いそせ/小6)の作文より(こあら先生/5.3週)

 わたしにとって算数は、面倒くさい教科です。評)作文のいちばん初めにこのような表現があるとすごくインパクトがあります。また、ちあきちゃんの言いたいことがよく読み手に伝わる、という効果もあります。 

●イフリートさん(らよ/小6)の作文より(ミルクティ先生/5.2週)

 一寸の虫にも五分のたましい。生物たちだって、みんな一つしかない命がある。生物だって苦しみやかなしみや、きょうふなことがある。虫や動物はてんてきから身を守らなければならない。それはしかたがないことだ。なせかというと食べ物がなければうえてしまうからだ。だけど、わざと殺すのはだめだと思った。<評>生きるために食料として殺すのは生き物のさだめだから、しかたがない。という視点も入れて書いたことで、命の大切さをより強く主張できたね。

 

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