光る表現(小3−小4) 2001年1〜4月追加分

●泰児さん(いおと/小3)の作文より(ミルクティ先生/01/04/16)

 『へなちょこ天気』おととい3時ぐらいに7時ぐらいのくらさになりました。どうしてなるんだろうと思いました。そのあといなずまがひかって、いっぱいひかったらかみなりがすごく「ドッ〜〜〜〜カーーーーーーーーーーン」とおとがしました。ぼくは「たぶんあしたは、きっと雨だな。」とおもいました。たぶんあしたははれじゃないなーとおもいました。 <評>「どうして…」「たぶん…」という文をたくさん書けたね。この言葉をつかって、自分の思ったこと、考えたことをうまく表現できているよ。

●まいまいさん(いかす/小3)の作文より(さかな先生/01/04/17)

 ほとんど五時間なんて二年生では考えられない事でした。でも、二年生では考えられない事を三年生になったこれから、考えていくんだなあと思いました。★評:学年が上がって、はりきっている気持ちがよくわかります。言葉の使い方がうまいなぁ。

●ラブリーさん(あにせ/小4)の作文より(ミルクティ先生/01/04/17)

 最近、ニュースで年寄り夫婦をミイラ化させておいておくという事件があったのを見ました。私は、死体をミイラ化させてとっておくのは、ちょっと気持ち悪いし、いつ幽霊が出てきてもおかしくないと思います。ミイラは、包帯ぐるぐる巻きというイメージがありますが、本当はどんな風なんでしょうか? 多分、白くて黴が生えていると思います。 <評>ニュースになった話題を書くだけでなく、それについての自分の考えをいれたところがよかったよ。

●わかさん(あにほ/小4)の作文より(森川林先生/01/04/11)

 さいきん食べて、おいしかったのは、ダイエーで買ったあめです。にこいっしょにちがうあじのあめをなめます。すると、?のあじが、するのです。?と、いうのは、あじのくみあわせかたで、ちがうんだけど、たとえば、れもんとソーダーでコーラになります。 おもしろいと、思いました。まるで魔法のあめです。評:なるほど、大発見だね。先生のやった実験では、お酢に砂糖を入れて、鼻をつまんで飲むと、リンゴジュースになるというもの。^_^;

●わかさん(あにほ/小4)の作文より(森川林先生/01/04/17)

 私が一番びっくりしたところは、ミイラを医薬品にして、つかうことです。…(中略)…私の、母の友達のお母さんがなにかの病気にかかった時庭で青がえるをつかまえたしゅんかん飲むと、言ってました。評:似た話をよく取材してきたね。しかし、アオガエルをのむとはすごいなあ。^_^;

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/01/01/22)

 (野口英世もパストゥールもアインシュタインも)こういう人の共通点は、子供のころけっこう、いたずらっ子だったようです。いたずらっ子は思いがけないことをやるからね。 評:発明をした人の共通点を、自分なりに見つけたのね。たくさん本を読んでいる証拠だ。

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/01/02/26)

 (私と秀ちゃんの話を聞いていた)かなみちゃんが「あれねー。わかった。あれでしょう?」とふりかえったので、 「ひみつだよ。」と口止めしました。なぜかというと秀ちゃんは、クラスで大人気で、秀ちゃんが誰を好きかよく話題になるからです。秀ちゃんの家で時々遊ぶことも実は、ないしょです。……秀ちゃんの家は遠いので、約束しなければ行けません。なんだかドキドキでした。よろこんでくれるかな。 評:ドキドキする気持ちが伝わってきて、読んでいる人もドキドキ。

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/01/03/05)

 一番のおすすめは、(月)の「サブリナ」です。サブリナは、魔女です。とてもかわいい女の子でハイスクールに通っています。一緒にくらしているのは、二人の叔母さんと猫のセーレムです。二人の叔母さんも、もちろん魔女です。セーレムは、魔女界のおきてをやぶったので、罰のため黒猫にされました。4世紀の間猫でいなくてはなりません。叔母さんたちは、美人ですが600歳以上です。 評:番組の紹介が、上手にできた。おもしろそうね。今度、見てみようかな。

●ピッチーさん(あねあ/小4)の作文より(けいこ先生/01/03/12)

 一つ秘密を知っています。それはメガネをかけているとまじめな謙太郎君メガネをとるとゆかいな謙太郎君に変身するということです。 評:スーパーマンみたいだね。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/01/09)

 1月3日に、サルティンバンコに行きました。 本当は、行きたくなかったけど、帰りに、原宿に連れてってくれるから、ついてい きました。 少し早く着いてしまって中に入ると、テントの中に人がもう三千人くらいいました 。その人達は、始まるのを今か今かと待っているようでした。僕は、最初は つまらなかったけれど、あとから楽しくなりました。どこが、楽しいというと、 シーソーについている、板みたいなのが、ブランコについているのに乗って、 勢いがついたら、ジャンプして落ちる前に、バックテンをして、着地するのが、 すごかったです。飛んだり跳ねたり体がぐにゃぐにゃに曲がったりたくさんの練習を しているだろうなとは思ったけれど人間のできることにびっくりしました。 初めは気がすすまなかったのに、いつのまにか原宿に行くことは、どうでもよくな りました。 (講評);[初めは気がすすまなかったのに、いつのまにか原宿に行くことは、どうでもよくな りました。」というくらい、サーカスのいろんな曲芸に見入っているうち、観戦に 夢中になったようすがよくわかりました。 その、テントの中のようすが、たいへんわかりやすく、せつめいできたので、先生も 宍戸君と一緒に、サルティンバンコを見学しているような気分になりました。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/01/16)

 ぼくは庭にあった雪で雪合戦をやりたくなりました。でも1人なのでしかたなく的当てでもしようと思って発砲スチロールの的に当てることにしました。発砲スチロールの大きさは縦50センチ、横35センチぐらいのふたです。 それを立てて3メートルくらいはなれて雪をぶつけて遊びました。立てたり直したり、また立てたり直したり 1人でもエキサイトしました。手袋をしないでやっていたから手がビードロになってしまいました。今度はちゃんと手袋をして遊びました。でも手袋の中の指はまだ冷たいままです。(講評);手袋をしないでやっていたから手がビードロになってしまいました。」というたとえの表現がとても的確で、すごくいいです。そのときの、手指の冷たさが読み手のほうにまで、強く感じ取れるようですね。

 光る表現(小4) 2001年1〜4月追加分

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/02/06)

 いつもぼくは、みんなと食べるのが楽しみです。 だけど月曜日は、ときどき、お父さんたちが会社にいるから、お母さんと おばあちゃんと食べています。3人か4人の夕食は、たとえばぼくの大好物のカレーでもいまいちおいしくありません。だから、7人全員が集まった夕食はいつも大騒ぎです。(講評);やはり、食事は大勢でたべるほうが、にぎやかで、楽しくて、とてもいいものですよね。「大好物のカレーでもいまいち、おいしくありません。」という一言が、それを明確に伝えています。 食事中に、お説教をされると、せっかくのごちそうも、美味しくありませんね。きもちが、ありのまま、正直に書き表せました。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/03/14)

 今週の月曜日、今流行の風邪にかかってしまいました。(中略) 『一緒に帰ろうぜ』 と言ってくれて一緒に帰ることになりました。学校からお母さんが待ってる駅までの道はいつもよりとても長く感じてまるでマラソンでお腹が痛くなった時のようでした。駅まで秋澤くんと小牧くんに支えられてやっとたどりつい た時お母さんの顔が見えて地獄から解放されたような気持ちでした。(講評);学校で急に、インフルエンザの症状が出て、お友達に支えられて、お母さんの待つ駅までやっとたどりつくまでの、心の動きが、たとえの表現で、とてもうまくかきあらわせました。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/04/09)

 みんなで一つ部屋を決めて、ドキドキしながら手の震えをおさえて思いきってボタンを押しました。ボタンの音が聞こえた瞬間、僕達は急いで逃げて、近くの駐車場の車の陰に隠れました。そうしたら誰も出てこないのでもう一回やりました。二回目はさっきよりドキドキしませんでした。誰も出てきません。出かけていると思いました。ぼくは心の中でよかったと思いました。 いたずらを初めてやる時の気持ちと二回目の気持ちはずいぶん違いました。初めてやった時のイヤな気持ちを、絶対忘れてはいけない、そう思いました。 (講評);ドキドキしながらじっこうした1回目と、2度目のピンポンダッシュ。そのときの、心の変化を、大変冷静に客観的に、見つめているので、感心しました。慣れてくると、気持ちも、少しずつ、大胆になってくるものですね。自分自身を、強く戒めているのが、とても印象的でした。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(はるな先生/01/04/17)

 1々月前、友達とディズニーランドに行きました。・・・・70分待ちで最初は友達と 話したりして『余裕余裕〜。』なんて強がっていたけど、いよいよ進んでいくと非常口から飛び出したい気持ちで時々、途中にある非常口が気になってしかたがありませんでした。それでも平気なフリをして、とうとう乗る時になって乗ってしまいました。ずっとずっとお母さんにしがみつ いていました。『ギャアーーーーー!!!』 最後の急降下、顔の皮がはがれそうでした。もう2度と乗りたくないと思いました。心臓が口から飛び出したかと思いました。(講評);友達とディズニーランドに行き、いちばん苦手なアトラクション、恐怖の「スプラッシュマウンテン」で、絶叫した様子が、真に迫って表現できました。

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/01/01/16)

 C-ABはダンベリーで三人、リバーサイドで八人、コスコブでは三十人乗せて学校に着きます。ぼくはリバーサイドから乗ります。リバーサイドから乗る人は、教会の手前のちゅう車場、コスコブから乗る人は、しょうぼうしょと図書かんの間にある広いちゅう車場から乗ります。評:名前や数字を正確に書くというのは大事なことだね。

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/01/01/23)

 ぼくも自分の席から弁当箱を見たら、少し傾いていたから中が見えました。弁当箱全体に黒っぽいかびがいっぱいはえていて、まるで土がいっぱい入っているようでした。評:そのときの場面がくわしく書けたね。「土がいっぱい」というたとえもうまい。微生物にとっても、おいしいお弁当だったんだろうね。

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/01/02/13)

 冬休み前の記録は、前飛び百二十三回、前かけ足飛び四十一回後ろ飛び九十九回、後ろかけ足飛び二十五回、交差飛び十回、あや飛び一回でした。冬休みの後は、前飛び三百十三回、前かけ足飛び百二十三回後ろ飛び百三十五回、後ろかけ足飛び五十六回、交差飛び十回、あや飛び二十一回でした。十四級だったのが、十級に上がりました。評:数字を正確に書いたところがいいね。

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/01/02/27)

 もしも予防接種をやっていた時にそのことを知っていたらぼくは不安になります。なぜかと言うと、もしもまだ細菌が強かったら、ぎゃくにひどい病気になってしまうかもしれないからです。評:長文の内容をよく理解しているね。もう、予防注射したくなくなったでしょう。^_^;

●諒さん(あろつ/小4)の作文より(森川林先生/01/04/11)

 日本に帰って二週間ほどしたら、ぼくはもうまるでずっと前からいたみたいに本郷台のことがわかったような気がしました。評:なるほど。このたとえはおもしろいね。自分の心をうまくたとえで表したね。

●れもんさん(ふれ/小4)の作文より(ミルクティ先生/01/02/20)

 「あっ!生まれた!!」「何匹かな。五匹はいるよ。」朝起きて、ハムスター小屋の中をみると、真っ赤な赤ちゃんが、五匹ぐらいいるのです。ハムスターの本で調べると、『1〜3週間まで、赤ちゃんをさわったり、母ハムをさわったりしてはいけない。また、赤ちゃんのことを見ると、母ハムが、赤ちゃんたちの面倒見なくなる。』と書いてあったので、小屋の上に、使わなくなった毛布をのせ、見たい気持ちをがまんして、あまり見ないことにしました。でも、どうしても見たいときは、母ハムがトイレに行った時を見はからって、そっと、毛布をあげて、小屋をのぞくのです。すると、赤い色をした赤ちゃんハムが、よりそいあってねていました。どうやら、数は、五匹のようです。「十月十二日生まれだから…。あっ!もう三週間たった。」早速さわってみることにしました。いつのまにか、モコモコとした毛が生えています。とても暖かく、かわいいです。少し、おびえていました。 <評>ハムスターの赤ちゃんが生まれた! れもんさんのドキドキ、ワクワクする気持ちが作文から伝わってきたよ。

●一休さんさん(わら/小4)の作文より(けいこ先生/01/02/05)

 (縄飛びをしていると)縄は疲れないけど、僕が疲れます。……「疲れながらも飛ぶ」これがなわ飛びの基本です。 評:疲れても、もう1回もう1回と縄を回し続けることが、ポイントなのね。頑張って練習して、体で理解した「基本」だ! 評:疲れても、もう1回もう1回と縄を回し続けることが、ポイントなのね。頑張って練習して、体で理解した「基本」だ!

 光る表現(小5) 2001年1〜4月追加分

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/01/13)

 「びよよよ〜ん!!ぼよよよ〜ん!!」 と、とっても面白いトランポリンの笑い声がします。この変な笑い声が、私は大好きです。私はまるで、鳥になったみたいに気持ち良く飛びました。<評>トランポリンの音を”笑い声”にたとえたのは上手い表現だね! 軽やかに楽しそうにとんでいることがよくわかります。

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/01/20)

 「早く学校へ行こう。」 と、気持ちでは思っているものの、体は、ストーブの前から離れません。お母さんが、 「何ぼんやりしているの。早く。ほら、マフラーして、手袋もして…」 と、私に言います。ストーブからはなれない私はまるで、木に抱きついたコアラのようです。 <評>寒くてなかなか動き出せない様子が、かわいいたとえをつかってうまく表現できていますね。 

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/01/27)

 アメリカシロヒトリがカラフルでうっとりするような美しい翅を持っていたら、どうでしょう。もしかしたら、きらわれていなかったかもしれません。それはまるで、性格はとってもいいけど顔はとっても美しくない人のようです。<評>外見と中身のこと、ガの話だけでなく人間のことに結びつけて考えられたね。わかりやすい例だよ。

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/02/10)

 寒い寒い冬なのに、体操服とジャージですみました。私は、 「すごいなぁ。走っただけで春の気温に大変身だよな。」と、思いました。<評>リレーが盛り上がってみんな暑くなるくらい走ったんだね。「春の気温に大変身」という言葉がいいね!

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/02/24)

 私のもらい泣きする場面は、『泣いている。かわいそう。』だけではなくて、心の中ではしんどくて、かなしいのに、顔では笑って「悲しくないよ!」って感じでふるまっている人を見てもなんだか泣いてしまいます。<評>どんなときに涙が出てしまうのか、とってもくわしく分析(ぶんせき)して書けていますね。

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/03/10)

 お母さんは、竹馬にスンナリと乗って、スンナリと歩けました。スンナリとジャンプもできました。スンナリと走ることもできました。一番びっくりしたことは、走ったら、私の走りぐらいの速さだということです。それは、まるで竹馬も身体の一部のようにでした。【評:「スンナリ」という言葉をくり返し使って、お母さんがどんなに上手に乗ってらっしゃたかがよく分かりますね。そのあとの”いちばん〜”、”まるで〜”もうまい!】

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/01/03/24)

 一番びっくりしたことは、ハエは二百〜三百の卵産むということです。だって人間ではとても信じられないことですから。もし、人間で二百〜三百人もの子どもを産んだ人がいたら、新聞の一面に載って、テレビのニュースでも毎日でると思います。【評:世界中で一番たくさん子どもを産んだ人は、ギネスブックにのっているらしいね。何人産んだのかな?】

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/01/15)

 「その水をさわったら、まるで氷のような冷たさでした。こんな水の中に入ったら、体がこおってしまうと思いました。」氷のような冷たさ、そしてそれはまるで体がこおってしまうほどの冷たさなのだと、さらにくわしくじょうずに感じたことが説明ができているね♪

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/01/22)

 「出よとしても体が動こうとしないので、ずっとふとんの中に入ってばっかで、まるで、かなしばりにかかったようでした。ぼくはふとんから出ると、北海道のような寒さなので、またすぐに入ってしまいます。」寒い朝に、ふとんからなんとか出て起きようとしている格闘(笑)のようすが、とってもじょうずに表現できているね☆

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/02/13)

 「ぼくは、こんどこそ、たくさ走るぞと思いながらがんばりました。ぼくは、せめて7周走ろうと思いました。でも、また6周になってしまいました。ぼくはすごくくやしかったです。でも、次はもっとたくさん走れるような気がしました。こんどもこういうきかいがあれば、もっと、もっと走れるようにしたいです。」一度のつまづきにも負けず、がんばろう!という捷太くんの前向きの気持ちがとっても心にひびいてきました☆ がんばれ!!p(^-^)q

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/03/12)

 「ぼくは、なわとびをビューンと回しました。友達が、『すごい。』と、言いました。なんと5回もとべました。うれしかったです。」きっと捷太くん自身もびっくり☆だったんだね。「なんと」という言葉からそんなおどろきの気持ちが読み取れました♪

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/03/26)

 「まるで、ジェット機のようにビュンビュン飛んでいました。ハエがいなくなったら、くたくたでたおれそうでした。ぼくははえのはやさにすごくはやくておどろいてしまいました。」捷太くんのおどろきがよく伝わってくるよ☆ハエをおいかけた後に、くたくたになってしまったというところからも、ハエのすごさがよく伝わってくるね!

 光る表現(小5) 2001年1〜4月追加分

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/01/04/09)

 「食べるのは好きだけど料理はあまり得意じゃないので、早くできればいいのにと思いました。...完成したときに、ぼくは『まずそうなカレーだなー。』と、いいました。おとうさんが、『いいからたべろ。』と、言ったので、食べました。ぼくは思わず『おいしい。』と、言ってしまいました。見かけによらず、おいしかったのでビックリしました。」料理は好きではないから早くできればいいのに...、料理よりも早く食べたいよ!という捷太くんの気持ちがとってもよく伝わってきました。(^-^;) そして、できあがった時の捷太くんの気持ちやお父さんとの会話もとってもユニークに書けたね☆ 思わずおかしくなって笑ってしまいました♪でも、おいしくって良かったよね!

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(はるな先生/01/01/12)

 鏡餅に対しての苦労は、すごいものだった。主婦としては、切り餅タイプのほうが、一生懸命指を切らない様に切らなきゃいけない、なかのつまった鏡餅より、いいらしい。しかし私にも意見があった。そもそも、鏡餅というのは、それなりに歴史があるのだから、その伝統を伝えるのも、大切だと思う。 楽をしたいのもわかるけど、みんなで力を合わせれば、苦にはならないはずだし、苦労をしてこそ、おいしさが増すのでわないだろうか。 現代の人は、簡単さとかを、追求している。でも、苦労もしなければだめだとおもう。もしも、楽してばかりいて、苦労をさけてばかりいたら、人間は、だんだんだめになってしまうと思う。むかしとくらべれば、今は本当に楽だとおもう。だから、楽にするのもほどほどにしなければいけないと思う。 (講評);忙しい主婦にとっては、これほど、便利で、合理的かつ、手軽なものはないと思うのですが、すみすみさんのいうとおり、たしかに、鏡餅本来の,伝統も、失ってはいけないものですよね。多くの人の共感を呼びますね。

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(はるな先生/01/02/17)

 「ぱらぱら。」 この前、私はアルバムを開いてみました。 この前、私はアルバムを開いてみました。 「ぱらぱら。」 この前、私はアルバムを開いてみました。 年賀状のアルバムだったので、我が家の年賀状がたくさん貼ってありました。 お兄ちゃんが生まれてからは、ほとんど写真だけで、ほかのひとより文が長かったです。私が、いちばんきにいったのは、私が1,2歳のときのもので、写真にうつっていた私のほっぺたが、お餅かマシュマロみたいにふっくらもちもちと、柔らかそうだったので、触ってみたくなりました。でも、さわれないのが、残念でした。 (講評);小さい頃のあなたのふっくらした可愛い表情が、目に浮かぶようです。ほっぺのたとえ方が、とてもすてきですね。 お兄ちゃんが生まれてからは、ほとんど写真だけで、ほかのひとより文が長かったです。私が、いちばんきにいったのは、私が1,2歳のときのもので、写真にうつっていた私のほっぺたが、お餅かマシュマロみたいにふっくらもちもちと、柔らかそうだったので、触ってみたくなりました。でも、さわれないのが、残念でした。 (講評);小さい頃のあなたのふっくらした可愛い表情が、目に浮かぶようです。ほっぺのたとえ方が、とてもすてきですね。

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(はるな先生/01/03/09)

 「びゅびゅん。びゅびゅん。・・・・・・・・・・・。」 今、私にはとても嬉しい事が、あります。その嬉しいこととは、「二重跳び」を11回も、出来たことです。 (中略)二重跳びで難しかったところは、高くジャンプするところです。でも、たくさん練習したら出来ます。「何でも一生懸命頑張れば出来るんだな。」と、思いました。また、20回めざして、ガンバルゾ!! (講評); 今の貴方にとって、縄跳びの練習時間で、二重跳びが11回も連続してできたのが、最大の喜びだ、ということが、実によくわかりました。「成せばなる、成さねばならぬなにごとも・・・・」のことわざがぴったりの力作でした。

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(はるな先生/01/03/23)

 「1年生のころは、出来ないからって、すぐ練習をやめたけど、何で今回はできたんだろう?」 と思いました。でも、そんな事を考えている暇はないので、後で考える事にしました。そしてまた、一輪車の練習に頭を集中させました。 そして3日後・・・ 「ヤッターーーーー!!」 こんな声が校庭中に響き渡りました。なんと、80mの間、何にもつかまらず、転びもしないで、こげたのです。わたしは、 「これは、自分だけの頑張りじゃなくて、みんなが応援とか、良い練習法とかを教えてくれたから、出来たんだなー。」 と、実感しました。(講評);一輪車の練習をくりかえし、やっと一人でこげるようになって、実によかったですね。 そのときのうれしさが、「オー!やったね!。」 のひとことに、ほとばしり出ています。 しかも、80mの間、何にもつかまらず、転びもしないで、こげたんだから、本当にすごい。そして、周りの人たちの応援や、助言のおかげだと、感謝の心を忘れないというのが、本当に立派だなーと、感心しました。

●キキさん(あろの/小5)の作文より(メグ先生/01/01/12)

 雪は、まるで雲みたいに真っ白でした。 評:スキー場の一面の雪景色が目にうかぶようです。雲の上をすべるようで、気持ちがよかったことでしょう。

●キキさん(あろの/小5)の作文より(メグ先生/01/02/07)

 二重とびはまるでなわがたくさんあるようです。 評:素早くなわを回すと、たしかに、なわが何本もあるように見えるよね。うまいたとえが使えたね。

●キキさん(あろの/小5)の作文より(メグ先生/01/04/14)

 私はこの長文を読んでて、この人は凄いなと思った。それは、ガキ大将につられて川で溺れていた時にそのまま何もしていなくてもそのうち浅い所に行くと、考えたから。私だったらそんな事考えないで急いで岸まで泳ぐと思う。 《評》長文を読んで、「もし、私だったら・・・」と、想像したことが書けたね。こんな場合、確かに、冷静ではいられそうにないね。

 

 光る表現(小5) 2001年1〜4月追加分

●有貴さん(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/01/02/13)

 ふと外を見ると冬から春にかけての風で木がゆれていた。その木は別れの悲しさと出会いの予感の間でゆれているようだった。 評:木や風のようすにも心を動かされる。その瞬間をみのがさない感性はさすがです。

●有貴さん(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/01/03/21)

 ハエの命は抵抗性のあるものだけを生き残らせて、抵抗性の無いものが死んで、グループ全体を抵抗性のあるものにするパーツのように書いてあったけど、僕はハエのような小さな命だからと言ってパーツ扱いはしないし、小さくても命は重いものだと思う。 評:一つの命は、全体のパーツでしかない。 遺伝子のレベルではそのような考え方もあるようですが、生きる命を軽く考えることはできないですね。

●有貴さん(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/01/04/17)

 「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ。」と思った事によってこの話の人は、一定の位置にとどまらずに自分のペースでどんどん変化して、その変化を利用して自分の理想を目指すようになっていったのだと思う。 評:自分の心の中で消化して、意見化していますね。語句の選び方も巧みです。

●寛恵さん(いくみ/小5)の作文より(森川林先生/01/02/28)

 スケート場に行ったら他の人たちがスケートをしていました。みんな、とても上手でまるで白鳥が泳いでるようでした。とても私たちみたいな人が入るふいんきではありませんでした。評:感じがよく出ているたとえだね。

●寛恵さん(いくみ/小5)の作文より(森川林先生/01/03/07)

 わたしがさいしょにしゃべったことばは、 「パパ」 という言葉が最初の言葉だったらしいです。多分私にとって「パパ」という言葉を一番聞いていたのでしょう。そのとき私のお父さんがどんな顔をしていたのかみたいなと思いました。評:お父さん、どんな顔しただろうね。

●寛恵さん(いくみ/小5)の作文より(森川林先生/01/04/07)

 最後だからとおもって一生懸命ボールをとろうとしました。そしたらみんな私にボールをわたしてくれて何回もゴールしようとしました。2回私が入れました。とてもうれしかったです。私はもう一回あのかんかくゴールしたかんかくをかんじたいです。評:「ゴールした感覚を感じたい」というところがよくわかるなあ。 それからみんなで家の中はいりました。とてもおうちが、おおきくて迷路のようでした。評:いいなあ。(笑)

●穂香さん(すよ/小5)の作文より(きょうこ先生/01/01/13)

 「(服を)着てから、ちょっとボ——とします。朝食をとるときもお腹は、もう動いているのに目だけドヨ——ンとしているのでおかずが見えにくいです。(あぶなっ!)まるで、白雪姫にでてくるねぼすけのようです。」お箸で変なものをつついて笑われたり、なんてしていないかな?(^-^) お母さんの作ってくれたおいしいお料理、ボーッとして食べそこねてしまわないようにね!(笑)

●穂香さん(すよ/小5)の作文より(きょうこ先生/01/01/19)

 「私が1年生のときに学校から帰る途中道にケムシが足の踏み場もないくらい木から落ちていてとっても気持ち悪かったです。まるで、草むしりをしていないぼうぼうの草がケムシに変わったようです。」ぞ〜っとしてしまうほど気持ち悪いけれど、すばらしくじょうずな表現だね☆ それほどたくさんのケムシが...。うわっ、あんまり想像はしたくないけれど、目に浮かんできてしまうわ(笑)。とってもじょうずでした☆

●さくらんぼさん(とあ/小5)の作文より(かつみ先生/01/04/14)

 私は、失敗とは人間にとって大事なことだと思う。どうしてかというと、反省もできるし、みんなが、明るくやり直せるからだ。そして、失敗したことが、役に立って、もう一度がんばってやってみる、と言う勇気が、わいてくるからだ。 評:すてきなまとめをしてくれたね。先生もそう思います。明るくやり直せるから、この意見がピカイチです。華ちゃん、自分が失敗しても勇気をだし、他人が失敗しても勇気がでてくる励ましをしてあげてね。

●加恵さん(られ/小5)の作文より(ポプリ先生/01/01/10)

 「早くおきないと。」 と心では、思っているのになかなかおきられません。おもいっきりふとんから出てみました。 「寒いな。」 そしておきてもストーブの前でもじもじしているだけで、なかなか着替えられません。着替えおわってもなかなか部屋からでられません。私がおきるとだいたい部屋の温度が12度から16度くらいです。 ストーブがついているのにな。評:これこそ「冬の朝」。よくわかります。

●加恵さん(られ/小5)の作文より(ポプリ先生/01/02/16)

 私は、去年かおととしの夏、おじいちゃんの家の庭で遊んでいてカか毛虫かにもものところをさされたことがあります。とてもざらざらしていてまるでかわいた土がはだにくっついてしまったようになってしまいました。みるだけでも気持ちがわるくて。でもかゆくてかくといたくて。どうしようもありませんでした。評:しっかり見て書いてあります。かわいた土にたとえるとは・・・。よくできました。

 光る表現(小6) 2001年1〜4月追加分

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(とこのん先生/01/02/13)

 今回の調理実習は大成功したので、とてもうれしかったです。家に帰ってすぐ、残っていた白玉粉と水で作ってみました。学校で作った味とかわりがなくてプリプリしていておいしかったです。家族のみんなもおいしいと言ってくれてとてもうれしい一日になりました。 評:調理実習で学んだことを、お家ですぐ復習するなんて、すばらしい!とても上手に出来たことと、みんなに喜んでもらえたことの2つの喜びが強く伝わってきます。 評:調理実習で学んだことを、お家ですぐ復習するなんて、すばらしい!とても上手に出来たことと、みんなに喜んでもらえたことの2つの喜びが強く伝わってきます。

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(とこのん先生/01/03/05)

 2回目、自分でも結構いいせんいってたと思ったら案の定友達も大成功してるよ。と言ってくれたのでとてもうれしかったです。こうしてわたしは側転が出来るようになりました。ついでに倒立ブリッジという難技まで出来てしまいました。とてもハッピーな日でした。 評:一生懸命練習して、成功した「側転」。その懸命な練習ぶりと、出来た時の喜びがとてもよく伝わってきます。

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(こあら先生/01/04/11)

 この日たくさんのシールを買ってもらい、とてもうれしかったです。お友達もかわいいねと言ってくれうれしさは倍増しました。評)「うれしい」を2回使い、「倍増」という 言葉でその二つを関連づけました。効果的ですね。

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(こあら先生/01/04/17)

 1度楽な生活に慣れてしまうと、前より大変な生活に逆戻りするのはすごく難しいことだし、無理な可能性もあります。評)(人間と動物の共生・環境問題についてのテーマ)自分の主張の展開に説得力を持たせることができました。

●シュシュさん(あさつ/小6)の作文より(ミルクティ先生/01/01/23)

 『タイミング』いくら1つの方ががんばっても、もう1つの方のちからが加わらなければなにもならない。はやすぎずおそすぎないちょうど良いタイミングがものごとにはあるということが分かった。 <評>最後の一文です。長文を読んで思ったこと、似た経験によって学んだことを最後に自分の言葉でしっかりまとめられましたね。

●シュシュさん(あさつ/小6)の作文より(ミルクティ先生/01/02/27)

 「じゅわーーー」ゆげがあがっておいしそうなにおいがしてお好み焼きがやけてきた。家庭科の時間に班ごとにお好み焼きを作ったのだ。お好み焼きは家で作ったことがあったがそれでもお母さんとつくったり、かきまぜたりするだけである。だから、正確に言えば、はじめてだったから、わくわくしていたしまえからとても楽しみにしていた。 <評>書き出しが実においしそう。おなかがグーッと鳴りそうだよ。(^^; 初めて自力で作ったお好み焼き…おいしくできてよかったね!

●ハムさん(あそみ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/01/22)

 私は、ほとんどの時に、知らないことは正直に知らないと言っている方が多い。【評】正直でいいですね。知らないことは知らないままにしておかずに、どんどん質問していくといいと思いますよ。その都度ね。(^o^)

●ハムさん(あそみ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/03)

 まるで、雪が桜みたいにちらちらするように降っているなーと思った。吹雪の時は、風が吹いているみたいに降っているなーと思った。【評】とても素敵な表現で例えることができました。雪が降っている光景と、桜の花びらが散っている光景が頭に浮かんできます。>^_^<

●ハムさん(あそみ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/10)

 まず、光を出す魚・・・・光の出し方には2通りある。(1)おなかの中に、発光バクテリアという小さな生物が住んでいて、この生物が、光を出す。(ホタルジャコ、マツカサウオなど) (2)ホタルのように自分の体の中に発光器があって、光を出す。【評】よく調べてくれました。発光する魚はきれいで人気もありますね。 (2)ホタルのように自分の体の中に発光器があって、光を出す。【評】よく調べてくれました。発光する魚はきれいで人気もありますね。

●クジラさん(あなね/小6)の作文より(ポプリ先生/01/02/10)

 節分の字の由来が、季節の分かれ目の【季節の、節】に、【分かれ目の、分】を取って『節分』っという名前がついたということだ。 昔の人達は、節分などの行事を境に暮らしていたということが、分かった。評:節分の字の由来、よくわかりましたね。季節ごとの行事について目を向けて暮らしていけたらとてもすてきですね。

●星の王子さん(あねく/小6)の作文より(森川林先生/01/04/07)

 「カッチ、ウイィィン。んー泡立たんなー。」 先生もやってみたけれどやはり泡立たない。なので、相談して泡立ってはいないけれど、味は美味しいので、どろどろのまま食べることにした。評:ケーキにつける生クリームの話。会話の感じがいいね。

●雅貴さん(あめす/小6)の作文より(ももんが先生/01/02/05)

 やっぱりなんでも行事は当日にやるのが一番だとわかった。それと何かかけているといまいちだという事もわかった。例えばひな祭りの時に人形が一つだけないというのと同じで。【評:良い発見ですね。行事の日にちがずれたり、何かが欠けていたりすると、不思議なものでどうもすっきりしないものですね。そんな気持ちをわかりやすく雛人形を使ったたとえで表現できました。】

 

 光る表現(小6) 2001年1〜4月追加分

●ナズナさん(あもせ/小6)の作文より(かつみ先生/01/02/03)

 チョウチンアンコウが八日間しか生きなかったのはニセ物の自然では真の自然にかなわないという意味だと思った。 評:全くその通りだね。同感です。

●ナズナさん(あもせ/小6)の作文より(かつみ先生/01/02/10)

 私はすっかりまいってしまった。チャイムがなかったのも不要物の規則が決まってなかったのもちゃんと意味があったのである。そうだ。まるで信用されてない囚人のように規則があるのはきっといやだろう。やっぱりずうっとこのままの学校が一番だ。  評:あもせさんの心の動きが、上手く表現できていますよ。 本では「分子」と言うことが理解できなくても映画を見ていると『これが分子か』と実際に似せた画像が出るので理解できます。つまり映画ではいろいろな世界が広がるわけなのです。だけど本では、いかに言葉を知っているかで限界が決まってしまうんです。だからです。 評:一番印象に残った言葉です。

●ナズナさん(あもせ/小6)の作文より(かつみ先生/01/02/24)

 私の胸にささっていたとげが抜けたような気がした。 評:とてもいい表現だね。衝撃的だった様子もよくわかります。

●ナズナさん(あもせ/小6)の作文より(かつみ先生/01/03/14)

 私はずっと「感想文をかけ、自分がこの文章で思ったことを書くんだ」と責められていた。 評:この気持ち先生も良く分かります。先生も、感想文を書くことは大の苦手でした。しかし、あるとき感想を書く中でも、個性を発揮できることを自分でわかるようになってきてから楽しくなりました。もう少し年齢を重ねれば、きっと感想文の楽しさも理解できると思うよ。

●ナズナさん(あもせ/小6)の作文より(かつみ先生/01/04/07)

 ザザー—ンと波が一回飛び散った。  評:読む人を惹きつける書き出しです。ザザー—ンという言葉と、飛び散るという言葉で、登場人物がどういうところにいるのかが予測できるね。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/01/10)

 僕が2学期のとき、まだ昼の長さが長かった9月の時、理科をしていて、少し外を見てみると、西日が僕の部屋に射していた。じっくり見ていると、心が和んできた。  評:この文章を読んだ人も、きっと心が和んでいますよ。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/01/19)

 解説した内容が、僕の頭の中にスーーっとはいっていくので、逆にその植物の名前を知らないでいた方が、得をした気分になった。 評:知る喜びを上手く表現していますね。知らないことを知る、これこそ学問のおもしろさだよね。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/02/03)

 まるで雪が意識して僕の顔をめがけて当たってくるような気がした。 評:いい表現だね。僕の顔をめがけて・・・というところが、とてもいいですよ。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/02/09)

 人間の手を加えると、長くは生きられないという事だ。まるで自分が博士になった気分だった。 評:これからは、魚釣りにいっても、虫取りをしても、できれば捕まえたと言う充実感だけ味わって、またもとの場所に返してあげることができそうだね。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/03/03)

 しかし、おいしさは抜群で、まるでほおが落ちそうなほどであった。 評:食べたい、食べたい、食べたい。本当の感想です。(笑)

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/03/06)

 最近は最初からだめだと思わないで、逆にできると思いながら、絵を描くようになった。  評:とてもすばらしい意見です。大事なことだよね。

●俊輔さん(あやゆ/小6)の作文より(かつみ先生/01/03/21)

 植物には植物の、人間には人間の生まれ方があると思った。 評:それぞれの方法がある。すばらしいことですね。違いを違いではなく個性と認める。この考え方はぜひ人間関係の中で役立てたいですね。

●田鳥倉部さん(あゆと/小6)の作文より(さかな先生/01/03/16)

 科学というのは、終わらないものであり、人間に必要なものであるという事がわかった。★評:「科学は完成していない」という言葉と共に、「終わらない」という言い方も鋭くて印象的でした。

●SMILEY(^o^)さん(あるわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/04/17)

 「救われる」とまではいかないかもしれないが、環境問題にしても一人一人のこころがけというのは、何人も何百人も何千人ものひとがいつもこころがけていたら、ちょっとしたことでもすごく大きなことになるんだと思う。【評】本当にそのとおりだね。もっと一人一人が自覚を持っていくべきだね。

●美佳さん(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/05)

 私にとっては、嬉しいことも楽しいことも、楽につながっています。だからマラソンは、体をきたえることももちろん、きたえた力を後で発きするための時間だ。【評】マラソンから学んだことを他でもいかせるというのは素晴らしいですね。じょうずにくくってくれました。

●美佳さん(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/10)

 観察するということは、その生物のいろいろなことを知るためでもあり、未来には、水族館だけではなく、普通の家庭でも飼えるようにするためのものなんだ。【評】観察するということはどういうことなのか考えることができたところが素晴らしい!(^o^)丿

 光る表現(小6) 2001年1〜4月追加分

●美佳さん(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/03/12)

 だから、作者が言いたかったのは、自分は、人間なんだから、脳の働きを役立てて、いろいろなことを考えればいいということだと思います。だから私も、脳がある生物として、いろいろなことを考えていくのが大切だ。【評】作者の言いたかったことをよく理解して、自分の考えも立派に述べることができました。

●美佳さん(いうわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/04/16)

 私たち人間が、自然に対して今のようにハイキングをしにきて、ゴミを捨てていくということは植物にも良くないことだと思うけれど、動物たちにも悪いことだと思う。それは、動物たちも、人間と一緒で物も見えるし臭いにも敏感な生き物なんだから、ゴミからでる悪臭や汚さにとてもいやになると思うからです。【評】植物や動物の気持ちを考え、スヌーピーさんの優しさが表現されています。

●ウルフさん(すふ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/01/22)

 この感想文を読んで、しらないときは、恥かしくてもしつもんのようなことは、いったほうが、あとでこまらなくていいということがわかった。【評】大事なことを学びましたね。知ったかぶりをすることより、質問することのほうが大事ですものね。分からないことは、恥かしがらずにどんどん質問していきましょう。(^o^)

●ウルフさん(すふ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/02)

 はーやくこいこい節分の日まーだかな。あそんでいるとき、何かの木の実をとって僕は、『鬼はーー外』『福はーー内』といってましたずっと。木の実をとってごめんなさい。【評】なかなかユーモアがあっておもしろい!でも、木の実をとってしまったのはちょっと反省かな?^_^;

●ウルフさん(すふ/小6)の作文より(ドラえもん先生/01/02/09)

 ようするに、やせいの生きものは、家ですぐ死んでしまうので、やせいはやせいで生きたほうがいちばん。つかまえてもやせいにかえす!むずかしいけどね。【評】しっかり自分の意見を述べることができました。家で飼った生きものを自然にかえすというのはとても難しいですよね。先生も、幼い頃飼っていた鳥を自然にかえすとき、ワンワン泣いたのを覚えているよ。(;_;)

●ちっピーさん(ちこ/小6)の作文より(ふじのみや先生/01/01/12)

 正月の名物「お年玉」も、もらった。 評:短く、そのものをズバリ言い表したね!

 光る表現(中1) 2001年1〜4月追加分

●ミュウさん(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/01/01/16)

 私は、本の想像できるという素晴らしい所が好きだ。読む人によって感じ方がちがうし、それぞれ感じる疑問もちがうだろう。本は、すべての人に同じような感情をもたせることは少ないと思う。たとえばハリーの魔法の杖がどんな感じかもある程度説明してあるが、それぞれの人は形、色、大きさ、太さ、長さを想像するだろう。それがみんな人それぞれちがうものを想像しているのだ。【評:読書のよさをじっくりと考え、自分のことばで表現できました。ミュウちゃんが書いてくれたように、読書には「自分で想像する」楽しみがあります。この楽しみは、「もうここまでよ」という限界もなく、どんどんふくらんでいくのです。同じ本を読んでも、想像するものが一人一人ちがうということは、なんてすてきなことなのだろうと先生は思います。】

●ミュウさん(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/01/02/20)

 (前略...雑草の中には)茎をおると、ミルクのようなねばねばした白い液体がでてくるものもある。その草を私たちは「ミルクグサ」とか、「ボンドグサ」とよんでいた。私が一番気に入っていた雑草は、名前は知らないが、茎が長く、レモン色の小さな可愛い花がついている雑草だった。その草でどう遊んでいたかというと、まずその草の茎の、土がついていない所を採り、それを口に入れてかむ。するとスッパイ汁が出てきておいしいのだ。これは食べるのではなく、かむだけだ。【評:道端の草花といつも遊んでいたようすが生き生きと書けています。手触り、色、そしてなんと味まで表現できましたね。(^o^)】

●ミュウさん(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/01/02/28)

 「袋、紙、箱、箱、紙」の順番でつつまれていた。【評:幾重にも包装されたプレゼントのようすを、シンプルなおもしろい表現で書けましたね。とてもいい。(^o^)】

●ミュウさん(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/01/03/06)

 先生は、「動くな!音を立てるな!足を揃えろ!目線を落とすな!ここは重い空気じゃないといかんのやぁ!」と文句をいう。何で重い空気にしなければいけないのか。確かにうるさすぎるのもだめだけど、静か過ぎるとなぜか余計にうごきたくなる。もしも私が先生だったら女子が髪を振り払うのくらいは見逃してやろうと思う。振り払ってはいけないと言われても、前髪がたれてきて「キタロウ」のようになったままで卒業証書を受けとらすのは辞めさせたいし、卒業式の日だけ髪の毛をガチガチに固めて行く必要はないと思ったからだ。【評:卒業式の練習のはりつめた雰囲気が、先生の言葉から伝わってきます。自分の思ったことをしっかりと書けているし、「キタロウ」というたとえもユニークですね。とてもいい(^o^)。】

●ひろりんさん(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/01/03/09)

 長距離走は私の最も苦手とする分野で、すぐ息があがってしまう。校庭1周ぐらいが関の山だ。それを6周。1周の6倍だ。 評:校庭1周ぐらいならいいけど、6周とは・・・「それを6周。1周の6倍だ。」という部分は特に、その距離の長さを耳にして思わずショック(!!)を受ける様子が表現豊かに、しかもユーモラスに描かれています。

●ひろりんさん(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/01/03/16)

 昔話には大きな力がある。それを私的に考えると、子供に物語の興味を引かせてしまうところだと思う。 評:文学の出発点として「昔話」がどのように自分の興味をひいていたのかときちんと見つめ、その価値を自分なりに「言葉」で表現しています。

●ひろりんさん(あしゆ/中1)の作文より(とこのん先生/01/03/24)

 歩くだけで楽しいことがあるような、ゆとりのある土の道も、少しぐらいあったっていいんじゃないかと思う。 評:私たちがどれだけ合理性や時間の短縮を求めて余裕のない生活を送っているかを気づかせてくれる一言でした。 評:私たちがどれだけ合理性や時間の短縮を求めて余裕のない生活を送っているかを気づかせてくれる一言でした。

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/01/13)

 「あっ、1円。」 僕は、雪の上で光を反射していた1円玉を拾った。評:会話の書き出しと景色の様子を組み合わせたところがいいね。

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/01/22)

 僕は、わからないから本を読まないというのは、あまり良くないと思う。そうすると、同じ位のレベルの本ばかり読んで、ほとんど進歩しないと思うからだ。人間にとって、読書とは楽しみや知識の供給源だと思う。評:「人間にとって」という大きい感想がしっかりまとめられている。

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/01/29)

 古い考えと新しい考えの例は、いくつかある。一つは、長篠の戦だ。これは、1575年に織田信長と武田勝頼がした戦だ。信長は、3000丁の鉄砲を使い、勝頼は、騎馬で戦った。このころの鉄砲は、弾をこめてから撃つまでに1分ぐらい時間がかかった。だから、勝頼は1発目を撃ち終われば勝ちだと思っていた。ところが、信長は三人一組にして、一列目が撃つ間に、二列目と三列目が弾をこめる。一列目は撃ち終わったら、後ろに行って弾をこめる。そして、二列目が撃ち、三列目が撃つ。そして、一列目が再び撃つ。これを何回も繰り返す。この戦法をとったため、信長が勝ち、勝頼は負けた。評:得意な歴史の分野で似た例を見つけたんだね。データがしっかりしているところがいいぞ。

 光る表現(中1) 2001年1〜4月追加分

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/02/26)

 テレビを見た時(世界まる見えテレビ特捜部)に、外国の料理のことを放送したことがあった。この料理では、最後にかざり付けたりしていた。だから、長文にある美意識というのは、世界共通なのかもしれない。評:こういうふうに、自分の体験以外の知っている話を実例として見つけてくるのはいいことだね。

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/03/19)

 昔話と言うのは、昔の人の知識の供給源でもあり、人間の生き方を表したものでもあると思う。評:こう考えると、昔話も新しい見方ができるね。

●A.Lさん(あそき/中1)の作文より(森川林先生/01/04/09)

 例えば、僕の友達には「ふった」というあだ名の人がいる。そのふったに誰かが「丸太」と言ってふったを怒らせたことがある。(理由は、丸いからだったような気がする)でも、時間がたつにつれ言われた本人はそれが気に入ったらしく、「丸太」と言っても怒らなくなった。評:実例が具体的わかりやすいね。

●プリンさん(あにも/中1)の作文より(けいこ先生/01/01/23)

 私は牛肉のしゃぶしゃぶよりも豚肉のしゃぶしゃぶの方が好きなのである。豚の方が柔らかくて味が良くしみているように感じるからだ。しゃぶしゃぶのたれはポンズで決まりだ。ごまダレだとネチョネチョしいてあまり好まない。しかしポンズはごまダレよりもさっぱりしていてすっきりしているのでしゃぶしゃぶとの相性は100%だと思う。 評:「豚しゃぶしゃぶにポンズ」のよさを、言い切ったね。何だか、読んでいるだけで、食べたくなるなぁ。

●ムーミンさん(あやめ/中1)の作文より(さかな先生/01/01/30)

 人間と言うのは、緊張していくことによって大人になっていくし強くなっていけるのだと思う。★評:緊張を前向きにとらえたいい視点だね。

●ムーミンさん(あやめ/中1)の作文より(さかな先生/01/03/13)

 ただ簡単な気持ちでペットを飼うのは絶対止めてほしい。生き物なんだし自分の思ったとおりにやってくれないことだってあると思うけれど、小さな命を大切にしてほしい。★評:ペットを飼うことを勧(すす)めながらも、飼う以上は責任を持って可愛がってほしいという強い願いが伝わってきます。

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(スピカ先生/01/01/16)

 上へ行くとすずしい風が額にあたって気持ちが良かった。みかんと飲み物を食べてから、景色がよく見える所に動いた。まるで建物1つ1つがありのように見えた。 今回の山登りでわかったことは、人間がとてもちっちゃいということだ。人間は一人一人では何も出来ないということばをよく聞くけれど今回はそれを実感した。 評:「新世紀の初登山」という題の作文の結び。登り切った満足感と 頂上のすがすがしさ、そして、そこで見えたもの。たとえをうまく使って、わかったことがしっかり書けたね。

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/01/02/20)

 (ここは狭苦しくて汚いから早くここから出して)と言っているようなまなざしでこっちを見るので僕は、思わずおりから出してあげたくなった。

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/01/02/26)

 5年の時、僕たちは相手チームが弱いと思ってジャンケンで出る人を決めたりして楽勝モードに入っていた。ところが、予想していた以上に相手が強かったので逆転しようと思ったけれど 負けてしまった。2試合目は今度こそ勝てると思って、もう一度同じことをしたら又負けてしまった。悔しかったので、それ以来どんなに相手が弱くても全力を尽くして試合をしている。 【評】試合中の浅見君の気持ち、その動きが手にとるように伝わってきました。私も同じような事があったな、って・・浅見君も書いていたように「井の中の蛙、大海知らず」で油断して痛い目にあって、自分たちの実力を知るということの、とてもいい実例が書けましたね

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/01/03/16)

 「メロディーのとこ、少し間違えちゃったよ。」 といっていた。『とこ』というのはもともと『ところ』と いう言葉だったのに、 評:お母さんの言っていた「ら」抜き言葉の話から、自分の 周りで不思議な言葉を探して、みなが当たり前のように使っていて、 でも本当は正確な言葉がある、という身近な具体例をうまく ピックアップできましたね。

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/01/03/17)

 そんなモーツァルトだってもともと普通の人間のように 生まれてきたのだ。別に、生まれたときから偉大だった わけではない。評:伝記を読んでモーツァルトのことを よく知っている、というニュアンスが伝わってきます。 「天才は1%の才能と99%の努力によってつくられる。」 評:課題文にぴったりな名言をよく見つけましたね。

●ミートさん(あらよ/中1)の作文より(クマのプーさ先生/01/03/21)

 自分が思っている「自分」と他人が考えている「自分」の食い違いは大きい。だから、真の自分を知ることは難しいことだと思える。たとえ、時間をかけてでも自分がどのような人間か知りたいと強く願う。【評】自分はマジメじゃないのに、マジメと友達には思われていたり・・いろいろな食い違いが人間同士にはありますね。でもそこであきらめないで、しかも自分を知ろうとするところが強く印象に残りました。

 光る表現(中1) 2001年1〜4月追加分

●龍太郎さん(いあせ/中1)の作文より(はるな先生/01/01/13)

 「ゴーン」。僕は、この除夜の鐘を母のおばあちゃんの家で、聞きました。こんなに夜更かしできるのは、「いまだけだ。」と、思いながら新世紀を迎えました。 (講評);除夜の鐘の音「ゴーン」の書き出しがとても印象的です。一年に一度だけは、ゆく年、くる年のさかいめの瞬間(しゅんかん)を、肌で感じたいものですよね。「こんなに夜更かしできるのは『いまだけだ。』と思いながら・・・・」というひょうげんから、そのことが、実によく伝わってきました。

●龍太郎さん(いあせ/中1)の作文より(はるな先生/01/03/14)

 僕の家の前は、ずっとコンクリートで舗装されていて土の道ではなかったけれど、舗装された道より土の道の方が僕も皆も楽しい登下校ができるかもしれないと感じます。でも僕の学校に行く途中とても急な坂があって、そこでは前、人が大怪我をしたことがあると聞いたことがあります。だからコンクリートで舗装したということだそうです。コンクリートも大事かもしれないけど、舗装していない土の道も大事だと思う。だから舗装しすぎない、そんな街が一番だと思います。(講評);舗装しない自然歩道の大切さを、身近な坂道を実例にあげて、力説したところが、すぐれています。

●龍太郎さん(いあせ/中1)の作文より(はるな先生/01/03/28)

 本名だとコミュニケーションが取りにくい。僕はあだ名が付く前は、みんなと話すことが少なく友達がなかなかできなかった。しかし、あだ名ができたとたんに友達ができるようになった。(講評);本名で呼び合うと、堅苦しくてなかなか、コミュニケーションが取りにくいものですね。自分の体験を通じて、ニックネームのおかげで、仲間づくりがスムースにできたという利点を力説することができました。

●チョコさん(いえほ/中1)の作文より(かつみ先生/01/02/07)

 まるで熟したトマトみたいにカオが真っ赤で心臓バクバク!!・・・・というような感じになってしまう。 評:熟したトマトみたいに、というところが、大変いい表現ですね。

●チョコさん(いえほ/中1)の作文より(かつみ先生/01/02/14)

 でもしばらくしたら、心の中でやましいものがこみあげてきた。 評:やましいものがこみあげて・・・というところがいいね。なかなか、やましいものについては言いたくないこと。けれども、勇気を出してまず、自分のやましいところを認め、やましくない人間になるために努力をしようとしている。これはとてもすばらしいことだよ。

●チョコさん(いえほ/中1)の作文より(かつみ先生/01/02/21)

 『外見より、内側』、『内側より、外見』ではなく『外見と内側』だということ。 評:どちらも大切ということだね。見た目も大事、中身も大事。人間も同じかな。 

●チョコさん(いえほ/中1)の作文より(かつみ先生/01/03/06)

 人がとてもがんばると、かならず『達成感』があり、そのあと『喜び』とか『幸せ』とかが心にググッと来ると思う。 評:ググッと来る、という表現が雰囲気を出しているね。

●チョコさん(いえほ/中1)の作文より(かつみ先生/01/04/02)

 けれどそのことを否定してしまうときは、7・8月の真夏日のとき。  評:味のある書き方ができました。否定してしまうとき、大変いい表現です。他にも、まだまだこういう使い方ありそうだね。いろいろ考えて使ってみてね。

●考伸さん(いおふ/中1)の作文より(ポプリ先生/01/01/19)

 体がぽかぽかするのは、まさに極楽、極楽、です。ぼくは、この寒い冬が早く終わってほしいです。春になるまで、雨にも負けず、風にも負けず、雪の寒さにも夏の暑さにも負けない、そういう者に私はなりたい、です。評:宮沢賢治の名文、よく引用することができました。

●考伸さん(いおふ/中1)の作文より(ポプリ先生/01/02/09)

 それにしても、なぜ人間は自然をこわしていくのだろう。自然はとても良いものだ。木は酸素をだして、二酸化炭素を吸う。作者も書いたように、ネコジャラシで、遊んだこともあった。しかし、今、どんどん道路が増えている。それで、周りの草花で遊ぶこともできなくなった。 人間というものは一体なんだろうか。地球が産み出してくれたものである。人間は、器用に手を動かすことができるし、足で歩いたり走ったり、頭を使って考えることもできる。昔、たくさんの自然があった地球も今ではたくさんの道路がある地球となってしまった。

●ホームズさん(なか/中1)の作文より(ミルクティ先生/01/01/23)

 今の世の中、先入観にとらわれすぎていないかと僕は思う。例えば、森総理大臣が、「また失言をするかも・・・」ということだって、先入観にとらわれているからである。そんなことでは森総理がかわいそうだ。(たしかに期待に答えてはいるが・・・。)僕は、大人になっても先入観にとらわれない、子供のような純粋で、透き通った心の持ち主になりたいと思う。人間にとって、先入観というものは、物事を正しく判断するときに、多少邪魔になるものなのだ。 <評>先入観にとらわれすぎていては確かに物事の本質を見極めることが難しくなるね。森総理の例がいい味付け(ユーモアの味付け)をしているね。(^o^)

 光る表現(中1) 2001年1〜4月追加分

●ホームズさん(なか/中1)の作文より(ミルクティ先生/01/02/20)

 人間と同じように、植物にも命はある。ただ、大きな動きをしたり、しゃべることができないだけなのだ。それなのに、人間が自由に植物を抜いたりしていては、いつか人間にしっぺ返しが必ず来るのだ。だからこれからは、植物も人間も共存しているということを知ったうえで、植物と接していかなければならないと思う。これは、別に植物に限ったことではなく、地球上にいる命あるもの全てに対してがそうである。人間にとって、住みよい環境を作ることも大切ではあるが、それ以上に、命ある植物を守っていくことが大切だ。 <評>雑草の話から、人間と自然の共生、環境問題へと視点を広げて意見を書くことができたね。スケールの大きさを感じさせる最終段落です。

●ホームズさん(なか/中1)の作文より(ミルクティ先生/01/03/13)

 舗装された道は、確かに便利である。車や自転車は、晴れの火はもちろん、雨の日でも、ぬかるんでいた所にはまって動けなくなる、といった心配はない。しかし、道を歩いていて、「楽しい」と思うことがあまりないのである。では、道を歩いている上で「楽しい」とは、どんなことなのだろうか。例えば、舗装されていない道があったとしよう。そこを歩いていると、落ちているのは、しゃれた石、虫の死がい、雑草の可憐な花、ラムネびんの破片、石炭のかけら、鳥の羽などだ。人間が雨の降った次の日の道を歩いている時に見つけるのはクモの巣についた水玉だとか、散ってしまったキンモクセイ。そんなもののひとつひとつに、心をとめながら歩いていく時、人間は自然の暖かさを感じて喜び、「楽しい」と感じるのではないだろうか。 <評>舗装されていない道の楽しさとしてあげた例にホームズ君のやさしさとセンスが光っているね。

●ホームズさん(なか/中1)の作文より(ミルクティ先生/01/04/17)

 第二の理由は、正しい事ばかりばかりを考えると、つまらないことがあるということだ。例えば、先程のように、「1+1=2」と答えると、あまりにも当たり前すぎてつまらない。十代男性のストレス解消法(コニカ 1196年)の一位は、カラオケで、15.3%。これは、コンサートの様に、上手な歌を聴くより、多少下手でも思い切り歌ったほうがいいのだと思う。 <評>「矛盾」というテーマでデータ実例を入れる…結構苦戦している生徒さんが多い中で、このデータ実例の使い方は秀逸でした!

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/01/09)

 読書は人間にとって新しい世界を開いてくれる道具だと思う。<評>最後の一文を”人間にとって”という主題でうまくまとめていますね。まさにその通り!

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/01/29)

 「はい放送席、放送席、今PKでボールをける星野選手にインタビューです。今どんな心境ですか?(今は緊張していますけどゴールを目指して思いっきりけりたいと思います。)じゃ一番強いキックで頑張って下さい」 ボールをける前はこういう気持ちだった。 <評>緊張している気持ちを、インタビューされているように表現したんだね。よく工夫しています。

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/02/05)

 あとは細かい事だけど、電気をこまめに消す、冷蔵庫の開け閉めを素早くする。冷蔵庫の中身を暗記するといいと思う!?(ちょっと全部は無理かな・・笑い)でもこういう事からしていきたい。<評>環境について身近にできることを、楽しく考えて書けています。テンポもいいね!

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/02/26)

 すごいプレッシャーで本番で失敗するかもしれないと思って、音楽に負けていた。でもグループの人達が教えてくれたので少しは上手になった。汗水たらして練習したので(汗はない)もっと上手くなった。<評>「音楽に負けていた」と最初プレッシャーに負けそうになってしまったことがうまく表現できていますね。「汗水たらして(汗はない)」っていうのもたぬき君らしいおもしろい文章です。

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/03/06)

 。「昔話は人間の古里だ」こういう様子はなんとなくいい??なぜかこういう様子を見ると、あー気楽だなー、あー気持ちーなんて気分だ。<評>昔話を聞いていると、こんな気持ちになるね。「古里だ」と言い切った表現がうまい。

●たぬきさん(のと/中1)の作文より(ゆり先生/01/03/26)

 でも、人が嫌がるあだ名はだめだと思う。そういう事をしたらせっかく楽しいのに楽しみが無くなる。十二年生きていたけど頭のデータにはこういう事になった人はいない。【評:「十二年」の間の「頭のデータ」。とってもおもしろい表現だ!】

 光る表現(中2) 2001年1〜4月追加分

●たば星人さん(あころ/中2)の作文より(はるな先生/01/01/12)

 一月八日に成人式があったが、高松では新成人が酒を飲んで酔っぱらい、市長が話しをしているときにクラッカーをならしたり乱闘するという事件があった。他にも市長が祝辞を言ってくれているのにもかかわらず 「長いぞ!。」 「帰れ。」 などのヤジが飛んだところもあったそうだ。(中略) 僕はこのようなことはあってはならないと思う。 確かに騒ぐのは、おもしろい。僕だって友達としゃべるのは楽しい。しかし、「小忍ばざれば、則ち大謀を乱る」(しょうしのばざれば、すなわちたいぼうをみだる)という名言にあるとおり、小さなことを我慢できないと大きなこともできないのだから、けじめを付け、しゃべってはいけないところは我慢をするようにしたいと思う。(講評);とてもしっかりとした、正しい意見を述べられました。名言の引用も、ぴったりで、あなたの意見に共感し、深くうなずきながら、読む人も、きっと大多数であったことでしょう。周囲の状況を充分に把握し、けじめをつけて行動することの大切さを、強く認識させられた成人式クラッカー事件でしたよね。

●たば星人さん(あころ/中2)の作文より(はるな先生/01/02/14)

 確かに、素質で人間性が育っている場合もあるが、それだけでは不十分だと思う。「打たれても親の杖」という言葉があるようにいくら厳しいしかり方でも愛情が感じられればありがたいものなのだ。だから躾は少々厳しくやって愛情をあたえたほうがいいと思う。 (講評);愛情がこもった厳しい親の躾の大切さを、力説するために、ぴったりのことわざをうまく探し出せましたね。

●たば星人さん(あころ/中2)の作文より(はるな先生/01/03/09)

 、「狂気」をずっと押さえていても日常生活は楽しくならないと思う。毎日同じ道で学校に通うよりたまには違う道を通って通った方が新しい発見があって楽しいと思う。これはあくまで例だが、日常生活から「狂気」をなくすということは日常生活の中の刺激をなくすのに等しい行為だと思う。そんなことをして果たして生きていて楽しいと思えるのだろうか。僕はあまり楽しくないと思う。 (講評);万人の共感をよぶ、とてもいい意見です。一つのことに、取り組み、一心不乱になれるような狂気を、賢く日常生活にとりこみ、冷静さと反省心を、バランス良くして生きていきたいものですよね!

●たば星人さん(あころ/中2)の作文より(はるな先生/01/03/23)

 第二に、自信がないと何かを始めるときに始めにくくなり、はじめの一歩が小さくなってしまう。それだけ自信のある人より、遅れがでる。それが原因で、また自信をなくす。はじめの……。というふうに、悪循環になると思うからだ。 最終的に、謙譲の美徳を使うことは、余りよいことではないと思う。自分を自分で 「おまえはだめなやつなんだ。」 と暗示にかけている様なものだと思うからだ。確かに、自分が責任を取らされるという不安もあると思うが、それを心配していたらきりがないし、自信がある人に遅れを取るだけだと思う。「大なる自信と大なる真実とは、ともに立ちて人間を全うすべきものなり」という言葉にあるとおり英語がうまいという真実があっても自信がなくて殻に閉じこもったままではその真実の通りには行かないと思う。だから何事にも自信を持って取り組んでみてはどうだろうか。 (講評);大局的に物事をみつめていて、前向きな考え方で、たいへん、いいですね。 「大なる自信と大なる真実とは、ともに立ちて人間を全うすべきものなり・・・・あなたの力説する意見にぴったりの、なかなか、含蓄のあるよい名言だと、感服しました。

●たば星人さん(あころ/中2)の作文より(メグ先生/01/04/07)

 「家の批評が出来るのは、建築家ではなくそこに住む人である。」という名言にある通りあだ名がよいか悪いかは、つけられた人が決めるのであって付けた人が決めるのではない。だから自分で勝手に良いあだ名だと思いこまずに、付けた人に断って使った方がいいと思う。大事なことは、良いあだ名か悪いあだ名かではなく、付けられた人が気に入るか気に入らないか、だと思う。 <評> ぴったりの名言を引用することができたね。あだ名がついて回るのは、呼ぶ側ではなく、呼ばれる側なので、付けられた人が気に入るか気に入らないかが一番大切なポイントだと言えるね。

●玲子さん(あたゆ/中2)の作文より(メグ先生/01/04/13)

 たとえば「姥捨て山」という昔話がある。それはお年寄りは役に立たないから捨ててしまえといっていた時から、お年寄りは大切だと変わっていくお話である。なぜならばお年寄りはそれなりの長い時を過ごしてきたのだ。つまりいろいろな知恵があるということだ。古いものにはそれなりの良さがあるのだ。 《評》古いものの良さについて、昔話の実例を挙げることができました。

●GTO−Z2さん(あとべ/中2)の作文より(森川林先生/01/04/09)

 あだ名には良い面、悪い面がある。しかし、呼ぶ側の気持ちが大切なのだと私は思う。評:簡潔な総合化。こういうまとめ方を、これからもいろいろな場面で応用していこう。

●スライムさん(あめひ/中2)の作文より(メグ先生/01/02/13)

 確かに、物事を一つに向かって集中して取り組むのはよいが、それではそのものの持つ良さが見られないかもしれない。だからこそ私たちは、もっと物を見るときいろいろなところからものを見て本来の物とは全く違う一面を見つけなくてはいけない。 評:一つの角度からだけものを見るのではなく、いろいろ角度からものを見ることのできる余裕を持ちたいものです。

 光る表現(中2) 2001年1〜4月追加分

●スライムさん(あめひ/中2)の作文より(メグ先生/01/03/06)

 「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という名言があるように何事もバランスが大切なのだ。バランスによってはよくもなり悪くもなる。このバランスをうまくとることが、これからの目標となるだろう。 評:これは、どんなことにもあてはまりますね。名言をうまく引用することができました。

●ユッコさん(あるろ/中2)の作文より(ドラえもん先生/01/01/22)

 しかし、初心忘るべからずと言うように、たまには、今は当たり前に思えてしまうことをもう一度、小さいころのように戻って考えてみてはどうだ。このようにして、今、自分が知らない世界について疑問をもってみよう。【評】今一度、幼かった頃疑問に思っていたことについて考えてみてもよさそうですね。何か発見があるかもしれませんよ。>^_^<

●ユッコさん(あるろ/中2)の作文より(ドラえもん先生/01/02/19)

 一秒足らずのうちにこんなにいろいろなことが頭の中をかけめぐり、食べる派と食べない派が戦っていた。結局、食べてしまった。外観が買ったのだ。私は思うのだが、外観は想像がつくけど、中身は想像がつかない。だから、外観重視というのも売上を上げるには、一つの方法だと思う。だけど、人間の体をむしばませてまで味や見栄えをよくするのはよくないと思う。【評】しっかりと自分の意見を述べることができました。外観ばかり気にせず、もっと中身に目を向けていくことが大切ですね。>^_^<

●ユッコさん(あるろ/中2)の作文より(ドラえもん先生/01/03/19)

 今の子供は、自然について、昔と比べてほとんど知らないと思う。アスファルトの道は、舗装されて、歩きやすくてという感じだけど、過ぎたるは及ばざるが如しというように、アスファルトの道を造りすぎてもいけないと思う。みんなが自然にふれあうためにも家の前の道がつてでできているということは大切なことだと思う。【評】ことわざも引用しながらとてもじょうずに自分の意見を述べることができました。

●ユッコさん(あるろ/中2)の作文より(ドラえもん先生/01/04/16)

 このように他人を知り自分を省みることが大切なときもあるし、自分だけを見ることが必要なときもある。しかし、一番大切なのは、それぞれの良いところを見分け、それを自分のものにしていくことではないか。つまり、二つの方法をうまく使い分けて、自分を高めていくこと。【評】「一番大切なこと」をうまくまとめることができています。

●潤之介さん(かな/中2)の作文より(けいこ先生/01/03/09)

 ときには適切な助言が必要だが、「限られた人生で大事なことは「なにをするか」ではなく「なにをしないか」である。」という名言のあるように、私たちに大切なことは、「なにをいうか」ではなく、「なにをいわないか」なのではないだろうか。 評:前段落の「言葉を多用した助言と、少ない言葉を投げかける慰め」を受けてのまとめ。名言の使い方と、主張の言い換えがうまい。

●潤之介さん(かな/中2)の作文より(けいこ先生/01/03/26)

 あだ名は、人と人との間を近づけたり遠ざけたりするものである。しかし、そういうことになるのは別にあだ名が良かったり、悪かったりするわけではない。それは、そのあだ名を使っている人によって変わるものだ。お互いにあだ名で呼び合うには、思いやりや親しみの心が必要になってくるのではないか。 評:「AかBかではなく、大切なのはC」という総合化がうまくできた。

●はるるさん(くあ/中2)の作文より(みち先生/01/01/15)

 自然界になかったものまで作りだしたという...。評:独自の視点で個性が表現できました。

●クラシックさん(しふ/中2)の作文より(けいこ先生/01/02/02)

 愛情は必要だ。愛情があって始めてストレスをばねにできると思うし、内面的に強くするするのは愛情が一番だと思っている。しかし、甘やかすと愛情を注ぐと言うのは別だと思う。まるで甘やかす親は将来の事を何も考えてないんじゃないかと思えてくる。また、きびしすぎると言うのも問題だと思う。たしかに、厳しい躾があって始めて社会に出て行けるし、上下関係や、友達付き合いなども自然と身に付く。ただし、これも度をすぎた厳しさや、愛情を与えずただ厳しくするのは考え物である。愛情を与えるのなら適度の厳しさを、厳しい躾をするならそれに見合った愛情を、という具合にバランス良く、愛情と厳しさを与えていくのがいいと思う。 評:バランスよく……難しいけれど、大切なことだ。どうしたら、バランスよくできるのか、それがポイントになるね。

●ラッキー7さん(せあ/中2)の作文より(とこのん先生/01/02/02)

 私は学校社会に比べて家庭は大事だと思う。その理由は、家庭で沢山の愛情を与えてあげれば、学校などで冷たくされても耐えられる子のだ。 あと、もう一つは、家庭でしっかりと躾をしてもらっておけばどんな時でも自分は何をすればいいのかとか分かるだろう。 学校や社会も大事だが家庭がなければ成り立たないと思う。 評:とっても納得。厳しい躾の大切さと、その厳しさの根底には「愛情」が絶対不可欠なのだという意見が、根拠を持って述べられています。

●ラッキー7さん(せあ/中2)の作文より(とこのん先生/01/03/09)

 確かに、これからの国際関係などには理屈も必要だが日本人が持っている感性なども見直していくことも大切だ。 評:自分の国の特徴を、自分たちの「長所」ととらえて大切にしてゆくべきだ、という前向きな意見ですね。

 光る表現(中2) 2001年1〜4月追加分

●エガさん(てせ/中2)の作文より(とこのん先生/01/03/28)

 大事なことは(あだ名が)よい面だから使った方が良いのか悪い面があるから使わない方が言いのかではなく、友達同士の友情の確認として使った方が良いのである。 評:客観的な考察のもとに、単なる「善し悪し」や「使う使わない」の問題なのではなく、相手にどのような感情を持って、どんな形でつかうのかが大切だ、という主張がきちんとされています。

●ほり内さん(ぬり/中2)の作文より(けいこ先生/01/01/29)

 経験豊富な親に、愛情を注がれるということはもしかしたら知らず知らずのうちに、社会のマニュアルを作られているのかもしれない。確かに、学校も社会も大事だが、「真によいことは、新聞に大きな騒ぎを起こすことなく、小さく始まる。」という名言のように、本当に大事なことは、小さいこと、つまり、身近な家庭にあるのである。 評:家庭の重要性を、名言を用いて主張できた。

●ほり内さん(ぬり/中2)の作文より(けいこ先生/01/02/13)

 新年、今年の抱負を考えるときに、勉強をがんばるとか、そういう単純なことが多いのである。そして、改めて具体的にどうするのかというとみんな黙り込んでしまう。つまり、厳密に言わないと、結局今年の抱負が達成されなくなることにつながることだと思う。 評:「がんばる」「努力する」といったアナログ的な目標は、実は達成されたか否かが問われない(問えない)ものなんだね。鋭い指摘だ。会社組織では「数値目標を挙げよ」などといわれることも多いけれど、これがデジタル的な目標ね。

 光る表現(中3) 2001年1〜4月追加分

●太一さん(あうけ/中3)の作文より(ミルクティ先生/01/01/26)

 たしかに、その場その場に応じた最低限の対応は必要だと思う。…略…しかし、あまりにその場に応じられる様に頑張りすぎると、その場にいることがただ苦痛になるだけで、何の楽しみも無くなってしまう。そんなことでは、その場所に来た意味すら感じられないと思う。だから、僕は、きちんとその場に応じた行動ができるときと、自由奔放に動いても良い時などに分けて行動したいと思う。 <評>二つの意見を対比させて、結論部分はそれらを融合する内容でまとめたところが見事だね。

●太一さん(あうけ/中3)の作文より(ミルクティ先生/01/03/09)

 けれど、幼い子供のうちから、親などに勉強をやらされるばかりで、大して自由奔放に遊べないと、子供は、その時にせっかく芽を出している豊かな想像力を容赦無く摘み取られてしまう。その結果、大人になってから、公式に当てはめて答えを出す、いわばパターン化されたような問題は間違い少なくすらすらと出来るようになるかもしれないが、一番重要である、想像力を働かせながら問題を解いていく、「考える」問題に弱くなってしまうと思う。しかし、だからと言って、想像力を豊かにするなどということで、遊んでばかりいて、全く勉強しないのも、これはこれで生き方を考えるべきだとおもう。なぜなら、いくら、想像力を使って「考える」問題であっても、基本的な解き方などの最低限の予備知識は必要だと思うからだ。 <評>遊びを通して想像力を育てることの必要性を主張しながらも、反対意見「基礎的な学力をつける勉強もおろそかにはできない」をきっちり入れて書いているところが見事です。

●太一さん(あうけ/中3)の作文より(ミルクティ先生/01/04/13)

 『機械化は本当にいいことなのか』 「私たちの人生は、私達が費やしただけの価値がある」という名言があるように、やはり、人間は全てを機械に任せるようになってしまっては良くないと思う。やはり、自分の力で努力してこそ、思い出に残るし、それに、自分のためになるのだと思う。 <評>問いかけるような題名が読み手の関心をひきますね。結びの部分では自分の意見を強調する名言をうまく使えています。

●優里さん(あまこ/中3)の作文より(ドラえもん先生/01/01/31)

 やっぱり場面場面にあう振る舞いをしなきゃいけないなと思った体験だった。今度からはやらないように・・・と思ってもまたやりそうな気が・・・。たぶん無理をしすぎなければいいのではないかと思う。【評】その場その場にあった言葉遣いは大切だと思うけれど、あまり無理をする必要はないと思います。逆効果になってしまうかもしれませんしね。少しずつ慣れていくとよいでしょう。>^_^<

●金剛くんさん(あゆわ/中3)の作文より(メグ先生/01/01/16)

 僕は場に応じた行動など型にはまったものは勉強のようなもので、常にやっている必要はないけれどやる時はきちんとやらないといけないのだと思う。 評:何事もメリハリをつけ、やるときはやるという気持ちが大切ですね。

●金剛くんさん(あゆわ/中3)の作文より(メグ先生/01/03/06)

 しかし、おしつけるのはよくない。今、現国の授業でやっているのだが、ある人が「人にせられんと欲する如く、その如く人にもせよ」と言った。しかし、またある人はそれを逆にして「人にせられんと欲する如く、その如く人にはするな」と言った。自分にとってよかったからとて人にもよいとはかぎらいない、相手の立場になって考えてみることが大切だと言ったらしい。 評:本当に相手の立場に立って考えるというのは、難しいことですね。自分が受けた現国の授業を実例に出すことができたね。

●金剛くんさん(あゆわ/中3)の作文より(森川林先生/01/04/07)

 川が流れている。そこにゴミが、きれいだった川がまた少し汚れてしまった。ゴミ……それは人には「じゃまだ、汚い」と言われて捨てられてしまったものの事だ。そうゴミは人またはある一定の人々にとってじゃまであるものなのである。だからある人にとってゴミであったものが他の人または他の動物にとって、それはとても重要なものとなるかもしれない。私は一見ゴミに見えるようなものも見方を変えればとても素晴らしい物になると言う事がわかるような人間になりたいと思う。評:書き出しの工夫から生き方の主題に結び付けたところがうまい。

●金剛くんさん(あゆわ/中3)の作文より(森川林先生/01/04/11)

 僕もよく陸上部の練習などで校庭をぐるぐる走る。はっきりいって無駄である。しかし走ることによってきっと何かを得られるのである。(‘きっと’である。疲れるだけかもしれない(笑))また僕はしばしば(しばしばである)上大岡などに走っていく。バスや車で行ってきたときは見つからなかったお店などが見つかったりした。評:こういう自分だけの個性的な体験実例はいいね。ユーモアもある。

●陽一さん(あわつ/中3)の作文より(きりこ先生/01/01/19)

 かっこつけた振る舞い、無理なく自然に振る舞い、この二つに終点を絞ってみたが、どちらが良くて、どちらがわるいというのはないと思うが、やっぱりその時その時に応じて物事を考えながら行動することが一番大切なんだなと思った。(自分の意見をきちんとまとめれたね。)

●陽一さん(あわつ/中3)の作文より(きりこ先生/01/02/10)

 人間は不思議だ。欲求が生まれ、満たされれば飽き、捨てる。趣味も変化する。でも、変化するからいいんだなあー、と思った。同じことばかりしていてもつまらない。移り変わるから、人生を楽しくすることができるんだなーと思った。<自分の意見を上手にまとめたね。>

●さん(いすよ/中3)の作文より(森川林先生/01/04/02)

 生きるよろこびのエッセンスは私にとって、絵を描くことだ。人間にそれぞれ与えられた二つとないのキャンバスがある。顔だ。おばあちゃんになって若さが消えた頃、顔という無二のキャンパスに、喜びを、もう十分だというくらい描ききることが私の目標である。評:テーマと実例とかき出しを組み合わせて、結びの意見を密度濃くまとめました。

●TERUさん(ふり/中3)の作文より(ミルクティ先生/01/04/06)

 昔たまたま見たのだが、ある男性がペットボトルを、「その他のゴミ」のところに捨てていた。もしかしたら、駅員さんたちがちゃんとそのペットボトルを正しいところへ直したのかもしれないが、きっと、あの男性はほかのところでもそうやって分別されているのを無視して、平気で捨てているだろう。私としては、これが信じられない。なぜゴミをちゃんと分別しようと思えないのだろうか。しっかりと分別して、ゴミを減らせば、今深刻な問題となっているオゾン層の破壊や、森林の減少が少しでも回復できるかもしれない。もし、これ以上自然破壊が進めば、地球はなくなってしまうのだ。 <評>日常よく見かけるできごとから自然環境の保護へと思いを巡らせ、最後は強い調子の文で現状の危機を訴える。身近なこと → 大きなことへの展開がうまくできましたね。

 光る表現(高1) 2001年1〜4月追加分

●まっちゃんさん(あさも/高1)の作文より(スピカ先生/01/03/14)

 「一人の敵も作らない者は、一人の友も持たな い」というが、「友も要らないし敵なんかもってのほか」という人が増えているだろう。人とふれあい、大きくなる。人は所詮、群れで過ごす人間なのだ。自分が自分であるためにも。 評:人は人との関わり合いの中でこそその人らしくあることができる、ということが名言をうまく使ってしっかり表現できたね。

●怜さん(あもい/高1)の作文より(けいこ先生/01/01/09)

 内申は合格の花の種子のようなものだろう。花を咲かせるための、1つのきっかけになるからだ。生徒は学期末に返される成績表を見て、焦りや危機を感じ、勉強を始める。『受験勉強』の始まりだ。花でいう『生長』の始まりだ。 評:否定的にとられることの多い「内申」を、肯定的に考えられた。「花と種子」という比喩もうまい。

●怜さん(あもい/高1)の作文より(けいこ先生/01/01/22)

 イタリアには、真似すべき点がいくつもある。その1つを紹介したい。イタリアの街はすべて石でできている。道も建物もすべて石だ。とても風情がある。教会は、内側も外側も大理石で、何年たっても壊れることはない。真似すべき点というのは修復の仕方である。まず、日本は「せっかく直すのだから、近代的にしよう。最新技術の……」という様な考えで、どんどん新しくなる。一方、イタリアの考え方は、簡単に言えば「ここはどうやって、何を使って直そうか…?」という様な感じである。つまり、イタリア式修復法とは、『新しくするのではなく、元に近い形で直す!』である。古代ローマの歴史を大切にしている証拠である。 評:イタリアの街の持つ雰囲気を、修復法という視点から日本と比較したんだね。国民性の違いがうまくまとめられた。

●怜さん(あもい/高1)の作文より(けいこ先生/01/02/09)

 大人の条件とは、自律性があり自立していること、アイデンティティが確立していること、である。自分と向き合って、よく見つめ、自分のした事の責任がとれるか否かである。 評:「大人」と「成人」は似て非なるものだね。大人の定義を、自分の言葉でしっかりまとめられた。

●横浜太郎さん(あわか/高1)の作文より(けいこ先生/01/01/27)

 大切なのは、羽目をはずすかではなくて、どう羽目をはずすか、羽目をはずしたことに対して責任が持てるか、という事だと思う。……責任をとる上で大切なのが、identityの確立、自己証明である。自分がわからない、或いは正しく理解されなければ責任をとることは非常に難しい。「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう」という名言が指し示すとおり、早いうちに自己形成をして、自分の生き方を考えなければいけないということだ。 評:成人式報道にヒントを得て、「責任とidentityの確立」の関係について、しっかり考えられた。

●たこたこさん(こむ/高1)の作文より(きょうこ先生/01/04/16)

 「例えば「マトリックス」、あのものすごいリンボーな格好がよくテレビで放送されていた。あれを見て「すげー」とか思う人も多い。が!しかしあのシーンの後その人は足を撃たれてしまうのだ。そのシーンを見てしまったらただ単に「かっこいい」などとは言えない。...作品の一部だけを見るだけではその作品の全体を知ることはできない。本当にその作品を楽しむためにはやはりその作品をすべて見なければならないのだ。」うんうん、きっとその「マトリックス」の場合も、全体を見たならば、その有名なシーンだけを見て「すごーい」と思うのとはまた違う感想を持てる映画なのだろうね。最後まで何が起こるか分からないしね!くれぐれも映画の途中で席を立つ、なんてことはしないようにしなくっちゃだね!(笑)

●拓馬さん(ねき/高1)の作文より(スピカ先生/01/01/15)

 人間は、知恵や知識と引き換えに、第六感と、地球とのシンクロを失なった。故に、自然そのものを体で感じるのは難しく、知恵と知識で何とか解明していくしかない。 評:人間の自然に対する鈍感さ。はっとさせられる表現だね。 確かに、この百年で、人類は、信じられない発展をしてきた。20年前の「夢」がどんどん現実になっていく。いずれ、空を飛べる車も出るだろう。(中略)しかし、私が思うに、この発展は、空缶をどんどんたてにつんでいった発展にすぎないと思う。ちょっとつつけば、すぐに崩れる設計。高くなればなるほど、それは倒れやすくなる。 評:偉大な自然に比べて、人類の発展の目覚ましさと裏腹にある危うさを「空缶タワー」にたとえたところがうまい。

●拓馬さん(ねき/高1)の作文より(スピカ先生/01/04/09)

 私が私であるアイデンティティーは、決して心の中にあるものだけでなく、それこそ足の爪 先から、髪の毛の先端までなのである。これが私だ。私は運良く五体満足なので、その足で土をけり、その手により、多数の手段によって、自己を表現してきた。その1つでも欠落することは、私の存在さえ欠落することであると考えている。 評:脳死を人の死として臓器移植をすることに反対する立場から「私とは何か」をあらわした文。エゴを超えた真理が述べられている。

 光る表現(高2) 2001年1〜4月追加分

●Lisaさん(あいす/高2)の作文より(森川林先生/01/04/07)

 友達からもらった誕生日プレゼント、ちょっと値段が気になって家に帰ってからマジックで塗られた値段の部分を光りに透かして見てみる、こんな経験は誰にでもあるだろう。もちろん、友達の気持ちが一番大切ということは分かっている。でも、心の奥のほうでは値段を気にしてしまう。現代の日本には、このように心の豊かさより物質の豊かさに目をむけてしまいがちだ。評:ある、ある(笑)。

●ひまわりさん(あなつ/高2)の作文より(とこのん先生/01/02/16)

 自分の気持ちをわかってもらえないのが苦しいように、他人の気持ちもわからないとこまる。お互いに理解しあう努力が良い社会を作り出す事につながるかもしれない。 評:なぜ相手は分かってくれないのか、と相手を責める前に、自分が相手を理解しようとしているかをまず見つめ直すことが、円滑な人間関係の構築や、視野の拡大に広がってゆくんだね。

●ひまわりさん(あなつ/高2)の作文より(こあら先生/01/04/11)

 今の時代、コンビニの前やゲームセンターでたむろする若者を見るのは全く珍しくない 評)最近誰もが経験し目にする光景です。このような例を出すことで読者をぐっとひきつけます。

●杉田大岳さん(うい/高2)の作文より(けいこ先生/01/02/10)

 確かに、知識は人間にとって大切なものだ。しかし、関心はその知識をも凌駕する、人間発達の根本原理である。関心を持つことで、今まで自分にとって無駄だと思っていたものが、非常に大切のものであると感じることがあるし、何よりも、事にあたることが自分の意志であるということが、自分を納得させることになる。 評:「関心は知識をも凌駕する」という力強い表現で、関心を持つことの重要性を訴えられた。

●眠雨さん(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/01/29)

 すなわち政治家を、技術工のように完全職業化するのだ。下手に政治家外の人間が政治がを口にするからこそ国家は混乱する。八百屋は八百屋の、魚屋は魚屋の、そして政治屋は政治屋の領分をわきまえれば、民主主義は安定するのだ。 <評>民主主義と独裁について書いた作品の最後の部分。部外者は政治に口出しするなというニュアンスにも読み取れ、一見、民主主義と逆行するようですが、己の領分の仕事をきっちりやることが大切だという意見です。同感。

●眠雨さん(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/03/26)

 日本人に必要とされているのは、前人未到の荒野を切り開く「創造力」をもった人間である。…略…確かに秩序と平和の維持を考えるのならば、創造力の根幹の、他者と衝突する強烈な個性はあまり歓迎されるものではないだろう。しかし、他者に合わせるということは、自己をどこかで抑えつけることだ。それは自分の正しさを信じきれない薄弱な精神力であり、自分の意見をうまくもてない貧弱な自我だ。自我は進む一本の線であり、日本では誰かの線とぶつからないように、うまく方向を変え歪め、次第にその線の濃さは薄れていき、終には途切れようとしている。、欧米では直線たちがしっちゃかめっちゃかに伸び、衝突事故の際に生じる爆発的なエネルギーを創造力に、ひいては発展に、いや、生存に転換してきた。世界の流通は既に平和の維持とかそういった次元ではない。うねりのたうつ津波のような、それは生存競争だ。生き延びる適者になるために、日本もまた、変わっていくことが必要なのだ。 <評>力強い表現で、読むものを圧倒します。頭の固い、創造力のかけらもないような大人にはならないよう、若者の創造力の芽を伸ばすような教育でなければ…と痛感しました。

●眠雨さん(うき/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/04/16)

 確かに専門分野においては無理に一人でやるよりも専門家に頼る方がいい結果を得られることが多いし、無理にすべてを一人でこなせるようになる必要はない。危惧しているのは専門家への手放しの信頼であり、分析が到底及ばない分野においても我が物顔で話をすすめる専門家へ、疑惑をもつことができなくなることである。…略…餅は餅屋で買えばいい。だが餅屋に餅のすべてを任せきりに、するべきではないのだ。 <評>自分の意見に「餅は餅屋」ということわざをうまく加工して書き込みましたね。

●太公望さん(うの/高2)の作文より(けいこ先生/01/03/17)

 人間は、社会的動物だから、周りとの協調が必要だが行き過ぎると馴れ合いになりそこから新たなるものが生まれなくなる。これからは、独創性を持っていなければ生きていけない。ということは、独創性を育てる教育をしていかなければならない。つまりみんなと一緒と言う甘い考えが通用しない。今こそ日本人は目覚めるべきである。 評:日本には「競争=悪」というイメージがあるみたいね。それを払拭して独自性を出していくことが、これからの課題であり、目標だということだね。

●AE86さん(えや/高2)の作文より(さかな先生/01/02/13)

 ガイドブックに載っていないような場所を自分で探し出す様な人は、いかなる案内記にも書いていないいいものを掘り出す機会がある。★評:生き方にもつながるようなニュアンスを出したのが上手い。印象に残る表現だね。

●UZI.SMGさん(そお/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/02/05)

 江戸の町は家康の命によって、彼の故郷である駿府、つまり富士山をどこからでも仰げるようになっていたそうだ。だからその方角に邪魔になる建造物がないようになっていた。また、当時の価値観から、空間を贅沢に使う平屋建てこそ富裕の証としてみんな平屋建てを好んだ。これはマルコポーロが『東方見聞録』にて「ジパングの民家は朝日が昇ると屋根が黄金色に輝く」と記していることからもわかるように、町全体の屋根という屋根が皆同じ高さであったため日がさすと見事に照り輝いていたということだろう。…略…このように、権力者の一存やら庶民の価値観も相まってかもしれないが、日本人もダイナミックで美的センスあふれる景観を作るのに長けていたことがわかるし、町は公共ものだから、当然美しい公園も作れたのではないか。公園に限らず、景観を大事にするにはやはり町ぐるみ、国単位でのある程度計画的な設計が必要だ。 <評>得意な歴史実例を入れて、公園の美観についての意見を書けましたね。実例の巧さに比例して、意見も説得力がでてきますね。

 光る表現(高2−社) 2001年1〜4月追加分

●UZI.SMGさん(そお/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/02/26)

 「異次元へ飛翔」することによって人間は知的活動が始まるといっても過言ではない。大昔では環境の変化によって直立歩行や火の使用という文字通り異次元の世界へ飛翔した。芸術家などは異次元を描くことが仕事のようなものである。創作とは異次元の世界を生み出すことにほかならない。そう考えると世の中生きていくには必ず異次元への飛翔という体験が必要なのだ。このためのきっかけになるのが旅といえる。何も旅に限らず未知の世界を知ることでそれは可能だ。読書やら映画、絵画、音楽、と言ったものは必ずその人の感性に訴えかけ未知の世界を知ることになり以前とは違った世界観を持つことになるだろう。こうした体験は誰でも持っているはずである。つまり探究心を持つことが大事であり日常生活の中でそれを埋もれさせないようにする必要がある。常に刺激を受け探究心、好奇心を育てていくのだ。 <評>「異次元」という言葉だけでは、突拍子もないものというイメージだが、そこをしっかり自分の言葉で説明できたね。私たちの日常生活からちょっと離れた世界観に触れることの重要性をわかりやすい言葉で説いています。

●UZI.SMGさん(そお/高2)の作文より(ミルクティ先生/01/04/06)

 『脱マスコミ』個人個人がしっかり勉強して、情報の真偽を見極める能力を身につけることが必要なのだ。しかしマスコミが必要なことは事実であり全く無視することなど出来ない。ある新聞社で編集長を務めたジョセフ・ピューリツァーと言うひとが「ジャーナリストの難しさはニュースを追う本能が手放しに走り出して正確性と良心を踏みにじってしまうことである」と言った。マスコミはこの言葉を忘れずに報道して欲しい。 <評>まず、報道の受け手に求められる態度を押さえた上で、報道の送り手にも求められる態度について書いた結論の部分。印象に残る名言を引用して書くことができましたね。

●舞さん(あおき/高3)の作文より(とこのん先生/01/01/19)

 世界には多種の宗教が存在しているが、たとえどの宗教であったとしても、信仰する反面、客観的に見る目を養うことがより多くの平和と信仰に繋がるのではないだろうか。 評:信仰の意義だけを尊重するのではなく、その危険性も示唆しながら、世界平和という命題にまで目を向けています。

●舞さん(あおき/高3)の作文より(とこのん先生/01/02/19)

 私達は言葉という作られた物のみに縛られず、あやふやにしておくべきこともある事を、心の何処かに留めておかなければならない。 評:「泣いていないできちんと自分の考えていることを言いなさい!」という言葉、大人になるほど多く使ってしまいますが・・・「言葉にならない感情」が確かにある、ということを改めて気づかせてくれる言葉です。

●舞さん(あおき/高3)の作文より(こあら先生/01/04/10)

 そんな事が時々ある。誰しも、この様な経験はあるのではないだろうか? 評)読み手に語りかけ、話題に引き込んでいます。自分の体験を書いた段落の最後を引き締めるはたらきもあります。

●舞さん(あおき/高3)の作文より(こあら先生/01/04/17)

 たとえ科学が誤字を打ち出したとしても知らずにEnter を押してしまうようになってしまったのだ。評)PCを使っている人にはとても身近に感じられる表現。またPCを使うことそのものが限りなく自由になった時代を象徴しているかのようですね。

●ノッポさん(いえは/高3)の作文より(ポプリ先生/01/01/20)

 私の所属する高校の弓道部でも、時に差別的閉鎖性が出ることがある。弓道には偉大な歴史が積み重ねられてきているために、様々な問題が生じても、正しい正しくないと言う前に「今まで」と言うものが尊重されることが多い。その歴史という枠にはめ込まれ新しいものを取り入れようとしないことがあり、そのたびに私は疑問を感じるのである。評:明快な意見。よくわかります。

●ノッポさん(いえは/高3)の作文より(森川林先生/01/02/26)

 私がタイに訪れたときに一番痛感したことは、「言葉(現地語)ができたら、もっと楽しかったのに。」という気持ちだった。話せたならば、現地の人ともっと交流できてタイのことを詳しく知れたと思う。もし言葉ができなくても、同じ人たちと一年間いっしょに暮らしていたならば、お互いの気持ちも表情や信頼で補うことができたかもしれないが、私の二週間という滞在期間は、あまりに短かった。評:自分の体験をもとにした意見は説得力があるね。

●ノッポさん(いえは/高3)の作文より(森川林先生/01/04/09)

 私は弓道を高校の部活で行っているが、いつでも夢を見ながら練習している。全然矢が的に中らない時もあるけれど、心の中で上手になってすべての矢が中る場面を想像している。評:こういう馬頭らしい体験実例はどんどん生かしていくといいね。

●正博さん(いえわ/高3)の作文より(きりこ先生/01/04/16)

 私のように冷静さに欠ける人間は、これからも、枯れススキや枯れ尾花が幽霊に見えたり、鼻息でティッシュペーパーがそよいでいるのを見て、超能力だと思い込んだりして、恥をかきつつ生きていくのだろう(笑)。 ・・・どうしたものだろうか。<ユーモアのある表現ですね。>

●山口晃弘さん(あう/社)の作文より(森川林先生/01/01/17)

 確かに、社会制度、経済、政治などの周囲を取り巻く環境にもし不備な点があるならば、その点を修正しなければならない。しかし、一方で自分自身の不備な点を周囲に転嫁してはいないだろうか。自分自身が無意識に出している波動のため自分を取り巻く環境が満足できないものになっているとも考えられないだろうか。評:反対意見への理解をよく考えたね。

●山口晃弘さん(あう/社)の作文より(森川林先生/01/03/07)

 就職活動のためある自動車メーカーの業務説明会に参加した。その説明会において経理・財務部担当者は銀行から転職し材料を輸入する際の為替を扱っているそうである。資源の少ない日本において、材料を外国に依存しなくてはならないことは周知のことであり、当然為替が僅か1円でも変動すれば経営に大きな影響を及ぼすことになる。一見、投機とは無縁に見えるメーカーにおいても、為替業務が重要な位置付けにあることがよくわかる。評:経済の大きな問題を体験実例と関連させたところがいいね。