KotobanomoriNo.729

言葉の森新聞

2001年9月4週号

文責 中根克明(森川林)

  9.4週の「山のたより」にはこれまでの講評

 9.4週の「山のたより」には、7月1週からの講評をすべて載せています。そのため、左側のランキングのページはありません。

  9月24日(月)は休み宿題

 9月24日(月)は、休み宿題です。清書の週ですので、先生の講評の指示などを見ながら、清書する作文を自分で決めて書いてください。

  新学期は10月1日(月)から

   先生の住所ラベルは10.1週に

 言葉の森の新学期は10月1日(月)から始まります。新学期の教材は9月中にお送りします。

 新学期の課題フォルダの中で、曜日・時間・担当の先生・広場は、9月までのデータのものをそのまま載せています。変更がある場合は、10.1週の山のたよりでご連絡します。

  バノの大冒険

 言葉の森の港南台教室のペットは、2羽のオカメインコです。名前は、コトとバノ。

 コトの方は、子供のころに、教室のわんぱく小学生におどかされたせいで、人間の手をこわがるようになってしまいました。いったん部屋の中で放し飼いにすると、なかなかカゴの中に戻せません。仕方なく網でつかまえてカゴに戻しているうちに、ますます人間不信になってしまいました。(笑)

 もう一方のバノは、子供のころおどかさないように育てたので、人間が大好きです。指や肩や頭に止まって人間のあとにどこまでもついてきます。

 あまりよく慣れているので、私(森川林)が朝、犬の散歩に連れていくときに、バノも肩に止まらせて一緒に連れていっていました。ところが、9月6日(木)の朝、いつものように散歩していると、突然カラスがバノに襲いかかりました。バノは空中高く舞い上がると、カラスに追われて矢のように東の空の彼方へ飛んでいってしまいました。

 私がバノのいなくなった方角を車で探しに行くと、バノと同じ声をした大きなツバメのようなかたちの鳥が上空高く円を描いて鳴いています。「バノにそっくりの声だけど、あんなにうまく飛べるはずないよなあ」と、私はあきらめて家に帰りました。しかし、実はそれがバノだったのです。

 バノはカラスから逃げのびたあと、しばらく自分の家を探して飛んでいましたが、そんなに高いところを飛んだことがないので、もちろん家がわかりません。飛んでいるうちに、西に約7キロ離れた八景島シーパラダイスに到着したようです。八景島シーパラダイスとは、遊園地付きの水族館です。そこで8日(土)までの3日間、たぶんごみ箱の残飯などを食べていたのでしょう。8日(土)に、ペンギン係の人が、芝生でのんびり昼寝をしているバノを見つけてくれました。

 バノは脚に輪をつけていたので、その輪の番号をもとに、飼い主が私だということがわかったのです。引き取りに行くと、バノはあたりまえのような顔をして遊んでいました。そこへ、ペンギンが5匹。よっこらよっこらと並んで入ってきました。今度、ペンギンを買うかなあ。

 今、バノは教室で元気にみんなの作文の邪魔をしています。(笑)

  文章を繰り返し読む教育法

   復読を中心とした教育法

 ユダヤ民族の文化には、言葉を重視する面があります。それは、国をなくし世界を流浪することを余儀なくされた民族の、生き残るための知恵だったのでしょう。旧約聖書の詩句は、彼らがまず最初に覚える民族の原点なのだと思います。

 日本は、ユダヤ民族とは正反対に、他国からの侵略をほとんど受けずに安定した国家を形成してきましたが、言葉を重視する文化という点では、ユダヤ民族と共通のものを持っていたようです。神道の祝詞はその宗教的な表れです。言葉を重視する文化は、四書五経の素読という独特の教育形態を生み出しました。

 ある一定の規範を持った文章を繰り返し読むことによって、その内容を自分の血肉にするというのが、両者に共通に見られる教育法です。

   得意を伸ばすより苦手を直す方が大事なことも

 さて、話は変わって、一般に「得意を伸ばすか苦手を直すか」ということは、教育の基本的な姿勢に深く関わっています。日本の文化は、これまで「苦手を直す」ことを主にしていました。その伝統は根強く、今でも子供が学校から成績表をもらってくると、親の目はまず成績の悪い教科に向かいます。「どうしたら、この悪い教科をよくすることができるだろうか」ということが最初の発想になります。決して、成績のよい教科を見て「どうしたらこのよい教科をもっと伸ばすことができるだろうか」とは思いません。

 こういう日本独特の欠点直し文化は、粒のそろった人材を養成することに役立ってきました。しかし、現在、この欠点直し文化は、二つの面からゆらいでいます。一つは、大学入試における受験教科数の削減です。もう一つは「欠点を直すよりも長所を伸ばす方がよい」とする考え方です。

 欠点を直すか長所を伸ばすかということは、実は単純に結論を出すことはできません。それは、時と場合によるからです。ある物事があった場合、その物事の本質に不可欠な要素に関しては、「欠点を直すこと」が「長所を伸ばすこと」よりも主になります。その物事の存続に影響を及ぼさない要素に関しては、「長所を伸ばすこと」を主にし、欠点は無視していくということになります。

 例えば、片一方が短い箸でものをつかもうとすれば、箸全体を短い箸に合わせて使わなければなりません。タイヤがひとつパンクしている車は、残りのタイヤがどれだけ優秀でも、走ることはできません。ここでは、欠点を直すことが、そのほかの長所を生かす鍵となっているのです。

 しかし、八百屋と魚屋を隣り合わせで営んでいるスーパーが、売れない野菜部門をたたんで、その分を魚の充実に向けようとする判断は、だれもが正しいと思うでしょう。しかし、人間は往々にして、悪い成績の方に目が行きがちなので、多くの人は、売れない野菜を売れる魚と同じレベルに引き上げようとして失敗するのです。「欠点を直すよりも長所を伸ばせ」とは、こういう人間の陥りがちな発想の弱点を指摘したという点で価値あるものです。けれども、それが、パンクした車のタイヤについてまで適用されてはならないということなのです。

   小さな差が大きな差として現れる

 横浜の中華街には、同じような中華料理店が並んでいます。しかし、ある店は繁盛し、ある店は繁盛していません。味の違い、接客態度の違い、店の雰囲気の違いなどは、どれもほんのわずかです。しかし、わずかな差でも、差があるところに関して客は選択をします。もともとの差が小さくても、そこに客の選択が入ると、結果として出てくる差は拡大されます。そのようにして、小さな差が、繁盛する店と衰退する店の大きな差として現れてきたのでしょう。

 これと同じことを人間にあてはめることができます。人間の能力の差は、わずかです。42.195キロメートルを2時間23分14秒で走った人(高橋尚子)と2時間23分22秒で走った人(シモン)を、他の惑星の人が見れば、そこにある差は誤差の範囲とみなされるでしょう。しかし、現実にこの誤差の範囲と見える差が、競走する二人にとっては埋められない差なのです。そして、その結果、この差が、金メダルの栄光を獲得できるか否かの決定的な差となって現れます。

 売れるセールスマンと売れないセールスマンの差も、「疲れたが、あともう1軒回ろう」と思えるかどうかの小さな差から波及したものが大きな差となって現れます。二宮尊徳は積小為大と言いました。小さなものが積み重なって単純に大きくなるというよりも、小さなものを積み重ねる精神がその人の生き方全体に波及して大を為すということなのでしょう。

   欠点が全体を左右する

 トルストイは「アンナ・カレーニナ」の中で「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書いています。これは、家庭に限らず、人生のほかのさまざまな分野にあてはまります。例えば、「健康な人はみな同じように健康だが、病気の人はそれぞれに病気である」「成功する人はみな同じように成功しているが、失敗する人はそれぞれに失敗する」などということが言えます。つまり、ものごとがうまく行くか行かないかということは、うまく行っている部分の出来具合ではなく、うまく行っていない部分の出来具合で決められるということです。

 ここで、高校の生物の時間に習った「リービヒの最小律」という法則が思い浮かびます。植物の成長に共通して必要な成分は十数種類ですが、そのうちの最も少ない養分が、植物の成長を制限するという法則です。つまり、欠点が、そのものごとの全体を決める場合があるということです。長所が決めるのでも、長所と短所の平均が決めるのでもなく、最も欠点となっているものが全体を決めるというのがこの法則の特徴です。

   成功不成功は習慣で決まる

 ここまで書くと、世の中における成功不成功の秘密の一部がわかるような気がします。つまり、成功不成功は、小さな差が大きな差となって現れたものだということです。そして、その小さな差は、長所の小さな差ではなく、欠点の小さな差なのではないかということです。

 人生における欠点の小さな差というものは、本人にはあまり自覚されません。他人から見ればよくわかる欠点でも、本人は欠点だと自覚していないことがあります。例えば、期限のある仕事があった場合、早目にやる人とぎりぎりになってからやる人がいます。私は自分が後者なので、よくわかりますが(笑)、ぎりぎりになってからものごとに取り組むことを欠点だと自覚している人は多くありません。このように見てくると、小さな欠点の集合体は、その人の生活習慣と言ってもよいでしょう。

 「習慣は第二の天性」という言葉があります。自覚できない、それゆえ直すことのできない小さな欠点の集合体がその人の人生における成功不成功の大きな部分を決めているのではないかというのが、ここから導き出される結論です。

 その習慣は、どのようにして形成されるかというと、たまたま行われる最初の行動が土台になると考えられます。これは、最初に見た物を親だとみなすという鳥類のインプリンティングに近いものだと言えるでしょう。「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、幼児期の経験がその後の人生の大きな方向を決めるという意味です。三つ子というのは数え年ですから、現代風に言うと、二歳児までの教育が九十九歳まで影響するということです。

   言葉の反復が習慣を変える

 この人生の初期に形成された習慣を克服するための教育方法が言葉による教育です。聖書にしても四書五経にしても、人生のいろいろな場面で通じる話題が収録されています。これらを読んで自分も似たような場面で同じような行動を取れれば、その人は聖人や君子と同じ理想に近い生き方をすることになるでしょう。

 自分の持っている小さな欠点の習慣を自覚して直すことはできませんが、欠点のないよりよい習慣を模倣することはできます。そして、よりよい習慣が身につけば、欠点の多い習慣はそのよい習慣に上書きされてしまうものです。

 これが、ユダヤ人と日本人が、教育において生かした智恵だったのです。つまり、人生の全般をカバーするよい習慣を文章として反復して読むことによって自分の血肉とするという方法です。

 しかし、日本のこの教育法は、戦後、失われてしまいました。戦後の教育は、反復ではなく理解、伝統の模倣ではなく試行錯誤の自主性が重んじられました。四書五経や教科書のような規範となる書物を繰り返し読む中で自然に身についていた倫理観はなくなり、場面ごとに子供が自分で判断しその判断を理屈で説明するものになっていったのです。

 規範となる文章を繰り返し読むという日本古来の優れた教育法を、私たちはこれから見直していく必要があると思います。

  光る表現(小1−小4) 2001年9月4週号

●クリリンさん(いあし/小1)の作文より(けいこ先生/9.1週)

 ディズニーシーは、今ちゅう目のゆうえんちです。毎日、テレビでしょうかいしています。だから、ディズニーシーについたときは、うれしくて、「早くのりたいなぁ。」と思い、ばしょもわからないのにはしりだしました。 評:9月4日のオープンの前に、とくべつにディズニーシーに行ったのね。思わずはしりだした、というところは、わくわくはずむような気持ちが、よくわかるよ。

●コナンさん(いすみ/小1)の作文より(ふじのみや先生/9.1週)

 ふだんは、くもがたかいところにあるのに そのうえにひこうきがあるのは、すごいとおもいました。 ☆どんなふうに すごいとおもうのか、よくかんがえてかけましたね)^o^(。せんせいも、はじめてひこうきにのったとき、おなじことをおもいました。

●ルギアさん(いそは/小1)の作文より(メグ先生/9.2週)

 たかやは、コンピューターのじゅぎょうは、ぜったいにうてるようにすっごくがんばります。そして、うてるようにおうえんしてください。【評】やる気まんまんですね。もちろん、おうえんしていますよ。がんばれ!

●りょうさん(いつみ/小1)の作文より(みのり先生/9.2週)

 はせがわせんせいは、たまにあたまのせんがちぎれます。けれども、ぼくはなきません。せんせいはおこるとこういいます。「なにやってるの!なんどもちゅういしているじゃないの!」とおこられるとぼくは、かたまってしまいます。せんせいはきげんがいいと一にちずっとおこらないときがあります。そんなときぼくは、「ああよかった。」とおもいます。せんせいは、「んもう・・・。」というとぜったいにおこりだします。評:「!」や「・・・」をつかって、スゴイ!!すばらしい!!

●るーたんさん(いてふ/小1)の作文より(ポプリ先生/9.2週)

 わたしがみてこわかったのはぶるんぶるんおとをたててすごいはやさでいきおいをつけていくかぜです。あめもみぎからもひだりからもたてにもよこにもふっていました。評:だいめいのとおり、つよいたいふうだったね。ようすがよくわかりますよ。

●樹里杏さん(あろも/小2)の作文より(ミルクティ先生/9.2週)

 『どうぶつ園』ダチョウのたまごをみてみたら、5こぐらいあって、すごくすごく大きかったです。…略…ほっきょくぐまは水をあびて岩でぐったりしていて、キリンはうろうろしていました。とてもとてもおもしろかったです。<評>ダチョウのたまご、ほっきょくぐまにキリン、どうぶつたちのようすをいろいろ書いてくれたので、どうぶつ園のようすが、読む人にもよくつたわってきますね! (^o^)/

●智一さん(いくせ/小2)の作文より(けいこ先生/9.1週)

 学校でバッタを見つけました。……秋をすごく感じます。そしてもう一つ虫を発見しました。それは、ぼくのおなかの虫です。音は、「グル、グルルルルルル……。」という音でした。人によれば、くりを食べれば「クリクリ。」と鳴いているかもしれないし、お母さんがカキを食べれば、「カキカキ。」と鳴いているかもしれないなぁ、と思いました。 評:本物の虫だけでなく、おなかの中の虫も、秋を感じているのだね。食べたもので、鳴き方がかわってくるなんて、おもしろいなぁ。

●いちごさん(いすも/小2)の作文より(けいこ先生/9.2週)

 9月7日の朝おきたら、空がはいいろで、雲が空の上でうんどう会をしているようでした。雨が、雲のおうえんがっせんをしているように、ザァーザァーとふっていました。……夜中に私がおきると、風がジェットコースターみたいにゴォーゴォービュンビュンとうなって、雨はたきのようにふっていて、水のかたまりがドンドンジャラジャラとまどをたたいているようでした。 評:台風のすごいはく力が、作文から伝わってくるね。たとえや、音のひょうげんが、たくさんつかえたね。そうか、台風は、雲たちのうんどう会だったのかぁ。

●さくらんぼさん(いそら/小2)の作文より(スズラン先生/9.2週)

 「とくいなこと」ピアノをひいているときは、心の中でうたっています。曲によって、暗い曲や、明るい曲や、元気な曲があります。だから、いろんなことを考えながらひいています。:評:その曲の感じをつかんでひいていることがよくわかりますね。

●ミニパンダさん(あもろ/小3)の作文より(ミルクティ先生/9.1週)

 わたしは、かぞくの三人にきいてみてこういうことがわかりました。男の人は、ボリュームのある物を好きな人が多くて、女の人は、さっぱりしているものが好きなんだと。でもわたしは、ボリュームがある方が好きです。私は心の中で「はるなは、男っぽいところもあるかも」と言いました。今からしょくよくの秋がきます。わたしは、お料理をちょっとは、つくれるようにしようかなと思いました。<評>家族の好きな食べ物を聞いて、その結果を分析(ぶんせき)しているところ、データをもとにいろいろ考える研究員のようで、すごいね。さいごを〔食欲の秋〕と結びつけてまとめたところもじょうずです。

●真章さん(ありる/小3)の作文より(スズラン先生/9.1週)

 (好きなゲーム)「ここにカードを出してください。」七ならべ(ジョーカー入り)をやっている時のきまり文句です。:評:書き出しがこのセリフで決まっていましたね。

 

●泰児さん(いおと/小3)の作文より(ミルクティ先生/9.2週)

 実は一番大変なのはここからだったのです。地下鉄でハムスターが見つからないようにしなければなりませんでした。どうして見つからないようにするのかと言うと、たぶんハムスターアレルギーの人がいたら、とりはだがたって、めいわくがかかるからです。ところが、地下鉄の中で、ハムスターが紙ぶくろをかじってしまって二mmぐらいのあなをあけてしまいました。ぼくは、あなを左手の親指でふさぎながら、右手でハムスターが入っているふくろをしっかりもって、ハムスターがねれるようにしました。ぼくは、(ハムスターはふくろの角をひまわりのたねだと思ってかじったのかな?)と思いました。その日の夜、お父さんが帰ってきて、ハムスターを見たら、「ねずみみたいだねぇ!」と言ってました。ぼくは、(そんなことを言ったらハムスターがかわいそうだなー)と思いました。<評>ハムスターの立場になって考えたこと、思ったことを( )を使ってじょうずに書けましたね。泰児くんとハムスターの心がつながっていることを感じさせます。

●瑞幾さん(いおね/小3)の作文より(ドラえもん先生/9.1週)

 なぜ一番好きなのかというとそのスパゲッティーにちょっとしるがかかってるんだけどそのたれがまるで口がとろけそうなほどおいしいからです。その色はピンクのような色です。【評】食欲をそそる表現ができました。口がとろけてしまいそうなそのたれを、食べてみたくなりました。(^o^)

●りんちょさん(いしろ/小3)の作文より(スズラン先生/9.2週)

 (とくいなこと)みんなが、とびばこで初めてさかだちをやるとき、みんなはできなかったけど、ぼくはできました。コーチは「すごいね。」と、ほめてくれました。そのとき、ほかの人に、「見て、見て」と言いたいぐらいうれしかったです。:評:難しい技ができた嬉しさがよくでていますね。お友達も「すご〜い」と思ったでしょう。

●プリンさん(いそり/小3)の作文より(クマのプーさ先生/9.2週)

 かけばかくほどおもしろくなるからです。【評】絵をかくことが、ほんとうにすきなんだなあ、という感じがよく伝わりました。画家さんのようですね。

●マーヤさん(いちこ/小3)の作文より(さかな先生/9.2週)

 そして、ふるえながら、つめたい水の中に入りました。★評:水泳の記録会への挑戦(ちょうせん)。「ふるえながら」というところから、9月になって入る水の冷たさとちょっぴり緊張(きんちょう)している気持ちが伝わってきます。

●みゆさん(あはみ/小4)の作文より(ドラえもん先生/9.2週)

 とびばこは、とんだときまるで空をとんでいるようだ。【評】じょうずにたとえることができたね。これからも、いろいろな表現をしていこう。(^o^)

●きのこさん(いすこ/小4)の作文より(こあら先生/9.2週)

 つぎにステンレス板を切りました。すごくかたくて、えいきゅうに切れないかと思ったけど、どうにか切れました。【評】思わず笑ってしまいました。そうか、そんなに硬かったのね(^^)

●たんぽぽさん(いそく/小4)の作文より(メグ先生/9.2週)

 みくは、とても元気がよくて、なんでもパッパッと言ってしまう人です。そんなみくの好きな勉強は、社会と国語といいます。わたしとは、ぜんぜんちがうけれど、ちがうどうしで教え合うといいと思います。【評】その通りですね。おたがいの得意科目を教え合えたら、おたがいにプラスになりますね。

●アミーゴさん(いそと/小4)の作文より(きょうこ先生/9.1週)

 「イルカは顔を出して、『なでて!』と言っているように口をあけました。・・・イルカはとてもよろこんでいるように見えました。・・・わたしは、イルカといっしょに泳げたらいいのに。ふつうのプールにイルカがいればいいのに、と思いました。」イルカの気持ちをとってもじょうずに表現してみたね! 大好きという気持ちで接していたからこそ分かった気持ちだったのかもしれないね。そんな亜美ちゃんの泳いでいるプールになら、イルカもよろこんで泳ぎにくるかもしれないね♪ 想像しただけで、なんだか楽しくなるできごとだね!! 本当に、亜美ちゃんのイルカへの熱い思いがよ〜く伝わってきました☆ 

●圭さん(いそむ/小4)の作文より(スズラン先生/9.1週)

 (秋の虫)夕方、涼しい時、秋の虫のなき声が下のほう(マンションなので)からきこえてきます。どこでないているのかなぁとふしぎに思います。あんなにあつかった夏をわすれてしまいそうです。セミのなき声はあつくるしいしうるさいけど、秋の虫のなき声はすずしそうでトーンが高くて、よくひびく感じがします。:評:夏から秋へと、季節が変わっていくときの感じがでていますね。リーン、リーンと聞こえてきそうです。

●かばんさん(いそも/小4)の作文より(スズラン先生/9.2週)

 ぼくは体育がすきです。そのわけは、動くのがすきで、動いたあとに、スカッとするからです。:評:動いたあとは気分爽快、思いっきり動く元気さが感じられますね。

●一休さんさん(わら/小4)の作文より(けいこ先生/9.2週)

 分数というのは割合をあらわすので、ほかの計算とはちがうです。ぼくはまず、「割合」という言葉が好きなので、なんとなく気に入ってしまったのです。分数の中にも仮分数や帯分数、真分数などがあり、なかには難しいものがありますが、なぜかぼくには、生まれた前に分数を知っていたように答えが分かるのです。 評:分数が出てきて算数がきらいになる人も多いのに、一休さんは全くぎゃくなのね。「生まれた前に……」自分でもふしぎなくらい、スイスイ解けるのね。

  光る表現(小5−社) 2001年9月4週号

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/9.2週)

 インターネットで、検索覧に“犬に噛まれた”と入れると、以外にもズラ———ッと出てきた。思わず、「わぁ、こんなに噛まれた人が、いるんだ…。」と思った。やっぱり、日本人は犬の躾が下手だからだと思う(笑)【評:こんなふうにインターネットで”調べたこと”を作文に入れるのも説得力があっていいね。おまけにこの話題はおもしろい!】 

●しょうたさん(あたの/小5)の作文より(きょうこ先生/9.2週)

 「『今日こそ、25メートル泳ぐぞ。』と、準備運動をしました。ジャボンと音を立てながらプールに入りました。プールの中は、まるで氷水の中に入ったように冷たくて、ふるえてしまいました。それでもがんばって泳ぎました。冷たい水を振り払いながらひたすら泳ぎました。「ピタッ。」と、手に何かがあたりました。手にあたったのは向こう側の壁でした。「やったー。」と、ぼくは、喜びました。やっとぼくは、25メートル泳げるようになりました。」やったね!目標達成、おめでとう☆ 冷た〜い水からは、まるでその時の捷太くんの緊張感が伝わってくるようでした。そして、夢中で泳いでいたら何かが手に当った!という表現が謎めいていてすてきだったね♪ それがゴールの壁だと分かった時の気分は最高だったのだろうね! また、次なる目標に向かってファイト!!

●すみすみさん(あない/小5)の作文より(かつみ先生/9.2週)

 お母さんを見上げる角度が、だんだんとあんまり見上げなくても良い角度になってくるんです。とってもいい気持ちです。  評:どんどん大きくなってくる、それを実感できるのは今だけだね。この気持ち大人になっても忘れないで心にとめておきたいね。

●あずささん(ありな/小5)の作文より(スズラン先生/9.1週)

 (一番になったこと)今年の書き初めで一番になった。一番になったというのは、学年で都展に選ばれたということだ。・・略・・学年で一番上手というのがほこらしかった。:評:お習字が上手というのは、日頃から練習をしているからでしょうね。そういう努力の成果ですね。おめでとう!!

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(こあら先生/9.2週)

 このように、あってもなくてもどちらでも良いがそれがあると心が和むと言うものが身の回りにはたくさんある。【評】例をあげる前にこんなふうにまとめてくれると、話の流れがすごくスムーズになるね。

●雅貴さん(あめす/小6)の作文より(ももんが先生/9.2週)

 もし山盛りのご飯を十秒以内に食べる人がいたらどうだろう。その人のことをすごいと思う面もあるけれどおかしいとも思う。だからおかしいと思われていても別の面ですごいと思われているのだろう。【評:とてもユニークな想像。「すごい」と感じることと「変だ」と感じることが、時に紙一重であることを述べるためには、ぴったりの例だね(^^)。】

●SMILEY(^o^)さん(あるわ/小6)の作文より(ドラえもん先生/9.1週)

 やっぱり、友達とは人間にとって、生きていくために必要なものだ。心配もしたし、おちこむこともあった今年の誕生日だけど、いままで生きてて一番心に残る、誕生日だったような気がする。【評】友達を大切にしているということが伝わってくるね。立派なくくりとなりました。

●早紀子さん(いおよ/小6)の作文より(ゆり先生/9.2週)

 役にたたないものがない世界ってどんなのだろう・・・と思う。TVもないし、マンガもふん水もおかしも雑草も、おもちゃも。そんなのつまらない。雑草だって目をなごませてくれるし・・・。役にたたないものでも、皆を元気づけるために、そして明るくしてくれるためには絶対必要だと思う。【評:具体的に「役に立たないもの」をたくさんあげて説明できていますね。】

●孝太さん(いくき/小6)の作文より(みち先生/9.1週)

 海はとても広くて波がおだやかでした。評:実感がストレートに伝わってきます。自然で力まない表現です。

●たかやんさん(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/9.2週)

 噴水と同じようなものとしてポスターがある。なぜなら、壁の一部が何もなくてもふだんはあまり気にしない。しかし、そこにポスターや地図などをはるとどうだろう。その空白の場所が明るくなり、いっそう部屋の雰囲気がよくなると思う。:評:部屋に貼られた大好きなポスターなど見ているのは楽しいですね。お気に入りのポスターを見て、ほっとしたりしますよね。

●バンビさん(いそせ/小6)の作文より(こあら先生/9.2週)

 (役に立たない、無駄だと思われているものについて)自分のもの意外で必要ないものがあるといらないと思うことが多い。絵とかが飾ってあるのを見て何でこんなの買ったのだろう。と疑問に思う。描いている人は楽しいだろうが、それを他の人が見てもよっぽどの絵でなければつまらないと思う。【評】鋭い分析です(笑)無駄かそうでないかの判断は結局各人によるところが大きいのでしょうね。

●MOMOさん(いたと/小6)の作文より(ミルクティ先生/9.1週)

 私の短所はズバリ!『物を忘れやすい』ことだ。例えば、学校へ行って、かばんをあけるとふでばこがないことに気付く。また、ある時は、教科書を忘れたり、そんな時、いつも思うのが、(また忘れたー。なんとかしたいねーこの性格)ということだ。…略…人間にとって長所は、自信がわいてくるものである。短所は、必ずしも完全無欠な人間はいないということを表していると私は思う。<評>前半はユーモアたっぷりの文章で明るく書き、最後のまとめは、まじめな意見をしっかり書く。使い分けがしっかりできていて見事です!

●黎さん(いてし/小6)の作文より(えみ先生/9.2週)

 飼い主は飼っている動物のいのちをにぎっているのだから〜【評】ペットを飼うことへの飼い主の責任の重さをとてもよく表現した文になっています。

 

●ウルフさん(すふ/小6)の作文より(メグ先生/9.2週)

 噴水は、無駄ではなく、あったほうが心を和ませてくれる。だから無駄ではない!歩く道だって、歩く道さえあればいいのだけど、スペースがあったほうが余裕を持って歩ける。無駄も結構役に立つ。【評】その通り。一見無駄に見えるような余裕、遊び心といったものを大切にしたいですね。

●ミュウさん(あおゆ/中1)の作文より(ももんが先生/9.1週)

 人間は自分の生活に合わせてシステムを設定し、自分をそだてていく。人間だから、今の人間だからできることをしていきたいとおもう。【評:自分の意見を、自分の生き方に絡めて簡潔に述べているね。ミュウちゃんの前向きな気持ちが伝わってくる(^^)。】

●あつしさん(あむら/中1)の作文より(きょうこ先生/9.1週)

 「文明人の場合の方が時間をムダに使っていないような気がします。まるでロボットのように時間に正確な気がします。」カチッ、カチッっという正確に時がきざまれる音がきこえてきそうな表現だなぁ☆ ムダのないきっちりした生活と、ロボットという表現がぴったりだったね!

●晃章さん(あらか/中1)の作文より(きょうこ先生/9.2週)

 「自分の意見を持っているけれど、まちがうことをおそれて他人の意見を自分の意見としてしまう。この方法はたんなるカンニングのようなもので、いい所はない。」なるほど、そのような態度は「まるでカンニングのようなものだ」という表現だね。とても厳しく鋭い意見だね。私たち日本人がなんとか直さなくては!と思わず反省させられるような、ハッとする表現だったね。(^-^;)

●尚志さん(いても/中1)の作文より(クマのプーさ先生/9.2週)

 このことは十年、二十年、たってもたぶんわすれないだろう。【評】ずっとわすれないだろう、とするよりも印象的でうまく強調した表現です。大人になってもいい思い出が残りましたね。

●しっぽさん(ほし/中1)の作文より(メグ先生/9.2週)

 日本人は遠慮がちだ。自分よりも他人、という考えがどうも強いらしい。これは良く言えば思いやりだが、悪く言えばお人好しだ。これがおそらく日本人の良いところだろうが、もうすこし大胆にならなければならないと思う。【評】日本人の性質を頭から否定するのではなく、短所は長所の裏返してあることを認めた上で意見を述べているところに好感が持てるよ。

●スライムさん(あめひ/中2)の作文より(こあら先生/9.2週)

 一番大事なのは自分で考え自分で行動し自分で決定できるようになることだ。しかし今の社会はこのことが出来なくなるかのように出来ていると思う。【評】課題文では「最近の若い人は自己決定出来ない」という流れになっているので、昔と今とでは社会のどこに違いがあるか考えてみよう!

●木枯らしさん(いとえ/中2)の作文より(ぴのこ先生/9.3週)

 要するに、私にとってバレエは一番好きな習い事であり、苦手な事のかたまりでもあるのです。...短い一文ながら、作文の最初の書き出しが「一番好きなこと」と始まっているのに、最後は「一番苦手なことのかたまり」とまとめている。矛盾する二つの気持ちが素直な気持ちが表現できてると思います。

●惣さん(やき/中2)の作文より(クマのプーさ先生/9.2週)

 自分で決めたことを、やりとげた後は、気持ちが良かった。【評】こんな気持ちの体験が、きっといろいろな場面での決断の原動力になるのでしょうね。

●横浜太郎さん(あわか/高1)の作文より(けいこ先生/9.2週)

 しかしそれ(携帯電話)によって、確かに便利になったとは思うが、飛躍的に進歩した、あるいは携帯電話でなければならないようなものが多くあるであろうか。自分の知る限り、答えは否である。……結局のところ、情報技術の発達によって、根本的な人間の生活(衣食住)が変化したかというと、今のところそれほど変わってはいないのではないかと思う。 評:情報が表層化していて、本質的な部分に何ら影響を与えることができていないという点を、鋭く指摘できた。

●AE86さん(えや/高2)の作文より(さかな先生/9.2週)

 自国に同じ様な問題を抱えていないから意識が薄いのかもしれないが、そこを自国の気分になって考え、対策を立てて行動するのが「世界トップレベル」を名乗るのに相応しい国である。★評:テロなども含めて国際的な問題に対して、まさに視野を広げるべき時がきているのでしょう。

●香奈子さん(いし/社)の作文より(ミルクティ先生/9.1週)

 現代人は、様々な情報の中で全てを知っている。それはあくまで「擬似現実」である。その他者からの間接的情報により、人々は未知の世界を知っているかのようにいる。…略…私が最近見た映画、“パール・ハーバー”でも日本の姿は悲しいものだった。日本人はとても勤勉で細かく、計算ずくしで汚い人間達のように映されていた。…略…二年前、海外に行った時でさえ、アメリカの中学生に「サムライ! サムライ!」と初対面の時に叫ばれた。以前に上映された日本映画で日本の戦国時代か何かが映しだされたからであろう。<評>映像が与える「本当らしさ」を信じてしまう人々。でも、そこには何かしら製作者の意識が介入しているわけで、決して「真実」そのものではないのだね。二つの実例がこの意見を説得力のあるものにしています。

●稔央さん(いつや/社)の作文より(森川林先生/9.3週)

 問題は経済に限らずやがて高齢化社会を迎えることを知った人々の精神的な部分に暗い影を落していることにもあるはずだ。しかし経済が停滞やマイナス成長を続けることが即暗いこと、となるのはいささか短絡的すぎる。恋愛の成熟度はどんな急な上り坂を登ったかよりもいかに下り坂をうまく降りていくかにかかっている、という意味のことを言った人がいたが、それは人生のみならず社会についても当てはまると思う。◆評:社会問題を、全く異なる自然科学や人文科学など分野の例と結びつけて考えると、新しい発見があるね。

 

 

—————————————————————————————

■オンラインマガジンの登録と削除は下記のページで■

http://www.mori7.com/morion/imorion.html

■これまでの言葉の森新聞は下記のページで■

http://www.mori7.com/mori/komori/indexmori.html

■ホームページ■

http://www.mori7.com/

■メール■

nane@mori7.com