KotobanomoriNo.736

言葉の森新聞

2001年11月3週号

文責 中根克明(森川林)

  1年間の継続

 プロ野球で、広島、ヤクルト、西武をそれぞれ優勝に導いた広岡達郎氏が、選手の育成について次のように述べています。

 広島からコーチとして呼ばれたとき、キャンプ地での夜のビールを禁止したり、猛烈な練習を課したりと厳しい指導をしましたが、1年間やっても際立ってうまくなる選手はいませんでした。指導に自信を失いかけたとき、それまでいくら教えても上達しなかった園田選手が2年目に入ってとつぜんうまくなったというのです。

 そのときの経験は、その後に監督となったヤクルトでも生きました。最初の二年間はコーチとして指導をしましたが、二年半かけても選手の育成は思うように進みません。しかし、ある選手をどうしても育てたかったので、監督になったあと、当時の二人のコーチに指導方法を指示しました。ところがコーチは「この男は絶対に育ちません」と反論します。それを無理に承知させて実際に指導を続けてみると、果たして、その後のヤクルトの優勝に大きく貢献する名ショート水谷選手が育っていったのです。

 一般に、勉強でもスポーツでも、表面には出ない長い蓄積の期間があって、ある日突然その蓄積が開花するという時期があります。その長い蓄積の間に、最初に自信を失うのが本人です。そのときに、続けていけば必ず成果が出るのだと確信を持って指導することのできる指導者がいるかどうかということが大事です。

 作文の勉強で考えてみると、高校生になってから始めた生徒の場合、本人が自分の上達に自信を持てるようになるには1年間かかります。実際には、それよりも早く上達しているのですが、本人が自覚できるぐらいに上達するにはそれだけの時間がかかるということです。

 また、小学3、4年生のころに感性の豊かな作文を書いていた子が、小学5、6年生になり、一時期面白みのない文章を書くようになる時期があります。それは、課題が難しくなりその課題にふさわしい語彙がまだ育っていないからだという事情もありますが、それと同時に、子供の関心が、事実を生き生きと描写することから、自分なりの意見を述べることへと移っていく過渡期だからという事情もあります。

 そのときに、実はいちばん悩んでいるのは本人です。それを見守る大人が、「なんだか前の方がうまかったのに」などと言えば子供は決定的に自信を失います。指導者は、一時の停滞や後退が過渡的なもので、その後に必ずまた進歩する時期が来るということを確信し、その確信を子供にも持たせるようにする必要があります。実際に、後退しているように見えた時期にも、淡々と長文音読を続けていた生徒は、そのあとに必ず文章力が向上しています。

 子供たちよりも人生経験の豊かな大人は、いつもこのように長期的な目で子供たちの成長を見ていく必要があると思います。

  9月のアンケートより(その4)

●父母より(小2父母)

 長文集に引用されている原本を読ませたいといつも思っております。出版社名まで入れていただくと探し易いのですが。(絶版になっているものでも)

▼教室より

 これから、長文集を作るときは出典もできるだけわかるようにしておきます。しかし、こちらで良書だ思う本ほど、絶版になるのも早いようです。こういう、いい本であまり売れない本は、デジタル化して配布するような仕組みがこれからできてくると思います。

●父母より(小2父母)

 本当に言葉の森と今の先生に出会えて良かったです!

これからも言葉の森と先生方のますますのご活躍とご発展をお祈りいたします。

▼教室より

 はい、ありがとうございます。現在、インターネット環境の変化に合わせて、言葉の森も大改造中です。表面には何もまだ現れていませんが。

 今のところ、この変化に対応するのに精一杯で、内部の充実がまだできていません。今後、できるだけ早くネットに対応した体制を整え指導と運営の充実を図りたいと思っています。

●父母より(小2父母) 

 最近は、なるべく親が口出ししないようにしています。なかなか筆が進まないで困った時には、二人で話し合ったりしています。

 先生からのアドバイスをメモした紙を見ながら一人で取り組んでいます。500字程度まで一人で書けるようになりましたが、2〜3時間かかります。今のところ根気強くやっていますが、時間がかかったわりには内容が??のところが多かったりします。

▼教室より 

 2年生が1回で書ける字数は、200字〜400字ぐらいです。ですから、500字まで書くというのは、子供にとってはかなり努力していることになります。

 小学校低学年の時期は、文字を書くこと自体にまだ時間がかかりますから、頭の中で浮かぶ言葉と手で書く言葉の間の連携がまだ十分にできていません。これはちょうど、サッカーの練習のときに利き足でない方の足でキックをしているのと同じようなものです。

 一方で長文音読をしながら、他方で何しろ毎週作文を書くという練習をする中で、次第に長く楽に書けるようになってきます。

 また、小学低学年のころは、じょうずに書くという工夫にまだ関心が向かない時期です。自分が経験したことをただ順番に書いて知らせたいという気持ちで作文を書いている子がほとんどです。ですから、内容についてもあまりたくさんの要求はせずに、書いたこと自体をほめるという見方で見ていくといいと思います。

 小学校低学年のころの勉強は、勉強そのものよりも、勉強の習慣を定着させるという意味の方が強いと考えて、長文音読などの自習の習慣をつけることをまず第一に考えて取り組んでいってください。

●父母より(高2父母)

 苦手な分野に取り組んだことを喜んでおります。いろいろ学んで、何を伝えたいか、また、文章の組み立て他ご指導頂けたらと存じます。

▼教室より

 高校生の小論文指導の中心は、構成の仕方です。書き方の方向を指示すると、それまで書き悩んでいた生徒も、楽に書けるようになります。

 しかし、その構成の中身となるのは、読書や思索などの蓄積です。

 現在の高校生は、やはり昔の高校生よりも読書の量が減っています。その読書量の減る最初のきっかけが中学受験で、次のきっかけが中学生時代の定期テストのための勉強です。読書は勉強としての効果がすぐには出ないものですから、忙しくなるとどうしても後回しになってしまい、その後回しが何度か続くと、読書の習慣そのものがなくなってしまいます。長い時間は取れなくても、小学校高学年から中学生の時期にかけて、読書の習慣を維持していくことが大事なようです。

●父母より(中1父母)

 いつかのおたよりに「作文は長文音読の仕上げのようなもの」とありました。難読の大切さには同感です。しかし、中学生になると、親の立場では「○○したら?」「○○したの?」は、なるべく言いたくありません。本人の意志を育みたいと思います。そこで、ムシがいい話なのですが、言葉の森の指導の中で、もう少し子供に「自習」を働きかけていただけると嬉しいです。

▼教室より

 中学生のころの家庭における勉強の指導は、実はなかなか難しいものがあります。中学生になると、自立心の表れで、親の指示に素直に従わない傾向が出てきます。しかし、自分で自覚して勉強に取り組むことはまだできない生徒がほとんどです。ですから、基本的には、親が言わなければ中学生は勉強はしないものというぐらいに考えておくといいと思います。

 このときの親の姿勢で大事なのは、中学生になったばかりのときです。「もう中学生になったのだから」とこれまでの手取り足取り見ていた勉強を突然やめてしまい、それがきっかけで勉強が苦手になる生徒がかなりいます。同様なことは小学生になったばかりのときにもあります。幼稚園のころたっぷりしていた読み聞かせを小学生になったとたんに「もう小学生になったのだから自分で読みなさい」と突然やめてしまい、それがきっかけで本から遠ざかるという子供が意外と多いのです。更に同様なことは、高校生になったばかりのときや大学生になったばかりのときにも形を変えてあると思います。

 ですから、中学1年生のころまでは、親が勉強のメニューを把握して、ある程度勉強を強制する必要があると思います。

 と同時に、言葉の森でも、中学生以降の長文音読がもっと指導の内容に結びつくような仕組みをこれから作っていきたいと思っています。

  サーバー移転に伴うトラブル

 11月に入ってからサーバーが不安定になっていたために、約一週間かけて新サーバーに移転しました。そのため、ホームページにアクセスができないなどのトラブルが多かったことと思います。現在、サーバーは安定して稼動していますが、ファイルのパーミッション(読み書き権限)の設定の仕方が微妙に違うなど、一部にうまく動いていないページが残っている可能性があります。

 また、10月中旬に教室の主なパソコンを新しいものにしたために、これまで使っていたメールソフトが一部使えなくなり、メールで送る「山のたより」が届いていない人がいたようです。現在、原因を調査中です。

 更に、11月から教室のプリンタを新しいものにしたため、出力ファイルのサイズが一律に変更されてしまい、ホームページの山のたよりのページがずれていました。11.3週の山のたよりから正常に表示できるようにしています。

 新しいものを導入すると必ず予想外のトラブルが生じます。特にデジタル機器はそのトラブルの出現箇所が予測しにくいところがあります。お気づきの点がありましたらお知らせください。

 

 

  光る表現(小5−社) 2001年11月3週号

●友葵さん(あしも/小5)の作文より(ゆり先生/11.1週)

 でもやっぱり、温かいおもちは、寒い冬に食べるのが、一番おいしい(笑)。もし、私がおもちだとしたら、冬に食べてほしい。なぜなら、冬、電子レンジに入ることは、こたつにもぐっているようなものだからだ。【評:おもしろいたとえだなあ。 おもちにとっては、電子レンジはこたつみたいに温かいだろうね。そうやって温かくなってから食べられたほうが幸せだ!】 

●えりさん(あなふ/小5)の作文より(ももんが先生/10.4週)

 「ぶつ、ぶつぶつつつっ。」「ぶ……つ……つっ…ぶ。」おーっととと、こげちゃうこげちゃう。【評:作文の書き出しです。砂糖のだんだん煮つまるようすが、よくわかりますね。このように、「ぶつぶつ…」という同じ音でも、リズムの違い(速さや強弱)をかぎかっこで表現するとおもしろいですね。】

●健太さん(いせつ/小5)の作文より(メグ先生/11.1週)

 「木登り」この不吉な3文字の言葉を聞くと僕は、4年まえのある出来事を、思い出す。このことがあってから僕は、今でも木には登らなくなった。【評】「木登り」、「不吉」と来れば、読む人にもおおよそのことは見当がつくはず。当然、先を読み進めたくなるよね。(笑)笑ってはいけませんでした。ごめんなさい。

●まもるさん(いそき/小5)の作文より(ももんが先生/11.1週)

 それは、なんどもなんどもビデオのまきもどしみたいにやられた。【評:友達のスライディングが、何度も続けてやってきて、大変だったね。「ビデオの巻き戻し」という表現がとてもおもしろい(^o^)。】

●パレットさん(いてり/小5)の作文より(みか先生/11.1週)

  木登りの不思議とは、登ったら、登る前の景色と違うからです。少し高くなるだけで、世界が違うように感じます。逆に低くなると、また違います。もうひとつ不思議があります。木に登るといろんな音が聞こえます。公園で遊んでいる子とかの声とか、木の葉っぱの音、そして、木の声まで聞こえそうなぐらいです。 僕は、こういう不思議な事や見るところが違うだけでいろいろな世界が見えるように、いろいろな不思議に思う事を見つけて、いろいろな発見をしてみたくなりました。

●穂香さん(すよ/小5)の作文より(ゆうこ先生/11.1週)

 このとき、私はまるで、鳥になったような気分だ。足下は浮いていて、見える物は下にある、緑が綺麗な木々と青い空。自分だけが世界を独り占めしているようだった。鳥が空を飛んでいるとき、こんな目線で私たちや動物たちを見ていたんだ!と思った。(中略)私がかりに鳥ではなくて、リスを想像したらこうだ。リスにとっては、もう見飽きたこの森林なのかもしれないけど、私にしてみれば、初めてみる見方だし、どっちかというと生まれたばかりの赤ちゃんが外の景色を見て、見慣れない物だから、ビックリしたという感じだ。【講評】鳥になった気持ち、そして木に登る別の生き物(リス)の気持ち、豊かな想像力です。  

●クリリンさん(あかの/小6)の作文より(えみ先生/11.1週)

 古いものはわたしたちに昔のことを教えてくれます。古いものがあったからこそ今の新しいものが出来上がるのだと思います。【評】なんでも新しいものがよい、というわけではないことを良く考えて表現できています。

●孝太さん(いくき/小6)の作文より(みち先生/11.1週)

 (土器作り)焼く前は、外をたたくとあまりいい音がでませんでした。けど焼いたあとでは、いい音がでてびっくりしました。(中略)縄文人の土器の大切さ土器を作る大変さがわかりました。<評>手作りで縄文人と同じように味わった感動を体験してすばらしい発見をしたね。機械が作ったものには感じない深みがあるのが大きなちがいなんだね。

●たかやんさん(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/11.1週)

 ぼくの部屋を見回すと古い本がある。それは、母がくれた百科事典である。だが、あまりその百科事典を見たことはなかった。この前、その百科事典を初めて見た。それは世界のものが多く取り上げられていて結構くわしく、とてもおもしろかった。だから、二十四巻すべてに目を通してみた。:評:書き出しから、古いなぁと思っているものが、知らないことを教えてくれる貴重なものになっていったおもしろさが伝わってきました。事典も生き返りましたね。

●正人さん(いなり/小6)の作文より(森川林先生/11.1週)

 ある日、芝生に寝転び上を見上げたらジャカランダが満開に咲いていた。ジャカランダの青紫色と富士山みたいな水色がマッチしていて素晴らしかった。ずっと見ていると心がフワーとして空に手が届くくらい空と一体だった。まるで太陽が、ひまわりみたいに輝いていた。評:自然との触れ合いの体験が生き生きと書けている。たとえをつかった描写がじょうずだね。

 

●史子さん(いぬは/小6)の作文より(こあら先生/10.4週)

 私はハモネプ(注:ネプチューンの番組でやっているアカペラで歌うコーナーのこと)を見て、こんな風に歌を歌えたらどんなに楽しいだろうと思い、友達にそのことを話すと、友達もやってみたかったらしくハモネプをやることになりました。【注】私が子供のころは人前で歌うことはとてもはずかしいことだったのに…(笑)カラオケといい、どんどん日本人は歌うことに抵抗がなくなってきているみたいですね。

●洋仁さん(いねも/小6)の作文より(えみ先生/11.1週)

 カブト虫の幼虫の体のような白いものが出てきた【評】ライチの中身を自分らしく表現できています。男の子ならではの表現でとてもおもしろい!(^o^)/

●ウルフさん(すふ/小6)の作文より(メグ先生/11.1週)

 小さい子を見ると、僕たちから見ると、ださいもので遊んでいるように見えるけど僕たちにもそういうときがあった。それだけ成長したということだ。夢中になったものは、成長するといずれ古いものになるる。古い物は、もう使えなくても人間にとって心のおもいで。【評】もう何の意味も持たないような古い物でも、心の中に、思い出として大切にしまっておきたい物ってあるよね。

●祐司さん(には/中1)の作文より(さかな先生/11.1週)

 「寒さにふるえたものほど太陽の暖かさを感じる」という名言があるように苦しいことを乗り越えれば強くなり、科学の発達がなくても楽ができると思う。★評:自分を鍛えていくことの大切さを気づかせてくれる指摘だね。

●ナッキーさん(あうく/中2)の作文より(さかな先生/11.1週)

 つまり”交話機能”とは、本題をはっきりさせてこそ成り立つことなのだと私は思う。★評:確かに。両者の関係を的確に示すことができたね。

●惣さん(やき/中2)の作文より(クマのプーさん先生/11.1週)

 「初めてあった人にたいしては、緊張してるからやで。」【評】著者の書いている心理状況にぴったり当てはまる具体例を、クラスの生徒の言葉を引用していてうまく表せています。

 

 

 

 

 

 

—————————————————————————————

■オンラインマガジンの登録と削除は下記のページで■

http://www.mori7.com/morion/imorion.html

■これまでの言葉の森新聞は下記のページで■

http://www.mori7.com/mori/komori/indexmori.html

■ホームページ■

http://www.mori7.com/

■メール■

nane@mori7.com