KotobanomoriNo.741

言葉の森新聞

2001年12月4週号

文責 中根克明(森川林)

  新学期教材の住所ラベルは1月1週に

 新学期の教材を12月19日にお送りしました。

 担当の先生が交代する場合がありますので、住所ラベルは同封していません。

 住所ラベルは、1月1週の山のたよりと一緒にお送りします。

  12/24(月)は休み宿題、12/29〜1/3は休み

 12/24(月)は、休み宿題です。清書の週ですので、先生の講評を読みながら清書してください。電話の説明を聞いてから書きたいという場合は、別の曜日の午後4時〜8時の間に教室にお電話をしてください。

 12/29(土)〜1/3(木)は休みです。新年は1/4(金)から始まります。

  12.4週の国語問題

 今週12.4週は清書ですが、このときの国語問題は、漢字の問題4題以外に読解の問題4題を載せています。この読解の問題は、12.3週の長文をもとに作っています。長文を読みながら解いてください。

  教育における目的の不在

 何のために勉強をするのかということは、わかっているようでいて実はあまりよくわかっていないことのようです。子供が小学校低学年のころは、やるべき勉強の内容も、親や先生がすっかり知っていることですから、勉強の目的などは考える必要がありません。また、子供自身も勉強の目的などに疑問を感じません。

 例えば、掛け算の九九がそうです。「九九を教えることにどんな意義があるのだろう」と悩む親はまずいません。もちろん子供もそうです。また、もし子供が「こんな面倒なこと覚えたくない。こんなこと覚えて何になるの」などと不平を言おうものなら、親は確信を持って、九九を覚える必要性を説くことができるでしょう。その親の迫力の前で、子供は不平を言っても無意味だと理解するのです。そして、日本の子供はほぼ例外なく九九を完璧に覚えます。

 ところが、欧米では九九に相当するものがありません。一方、インドでは19までの九九や99まで九九を覚えるそうです。そうすると、九九を(1)電卓でやるから覚えなくていい、(2)9の段まで覚える、(3)19の段まで覚える、(4)99の段まで覚える、といういくつかの選択肢があることがわかります。そのどれを選ぶかということは、実は教育の目的や人生の目的に深く関わっていることです。深く考えれば考えるほど、結論を出すことの難しい問題です。しかし、普通は深く考えないので、子供からの質問があったときに、親は迷わずに「(9の段までの)九九を覚えるのは、あったりまえでしょう」と言って子供を説得することができるのです。

 しかし、このように無反省的に、つまり根本の意義や目的を問わずに子供を説得できるのは、小学校中学年のころまでです。子供が小学校高学年になり、勉強の意義に納得できる根拠を求めるようになったり、親自身も判断しかねる分野が出てきたりすると、あらためて教育の目的や人生の目的が問われてきます。

 そして、今日の日本の社会の大きな文化的問題は、あらゆる分野における目的の不在なのです。例えば外交。日本自身がどのような世界像を求めているかということが明らかでないので、等距離外交でできるだけよその国に嫌われたり損したりしないように立ち回るということが外交の指針になっています。仕事や会社についても同様です。私たちの住む日本がどういう社会であってほしいという目的が不在なので、できるだけ楽をしてできるだけ利益の上がることなら何でもやるということが、多くの会社における仕事の指針になっています。勉強も同様です。できるだけ全体にいい成績を上げていい学校に入ることが勉強の目的になっています。もちろん、それは決して悪いことではありません。ほかの国とできるだけ摩擦が起こるような外交をしたり、能率が悪くて損ばかりする仕事をしたり、成績が悪くて落ちこぼれたりすることがいいわけではありません。しかし、大事なことは、それらが目的ではないということです。よその国と仲よくすること、利益を上げること、成績を上げることは、それ自体が目的なのではなく、より大きな目的のための重要な手段なのです。

 子供たちの勉強に関して考えてみると、大人が勉強の目的を十分に反省的にとらえていないので、子供たちが低学年のころは熱心に勉強をさせるが、学年が上がるにつれて、つまり中学生や高校生や大学生になるにつれて、次第に本人任せの放任状態になってきます。また、テストや受験という目標がある限りでは、子供も熱心に勉強しますし、親も勉強を強制することができますが、いったんそういう目標がなくなってしまうと、勉強をしたりさせたりすることができなくなるという問題も生じています。

 親はよく「本でも読んだら」「勉強でもしたら」という言い方をしますが、このような言い方では、子供は決して本を読んだり勉強をしたりはしません。親自身が、何のために本を読むか、何のために勉強をするかというところで確信のある答えを持っていないので、子供に対して迫力のある提案ができないのです。これは、個々の大人の問題というよりも、今日の日本の社会がかかえている文化的な問題です。

  集中できる子に育てる

 教室に来て、いざ机の前にすわったあとも、なかなか書き出せずに、ちょっと書いては遊び、またちょっと書いては遊び、という子がときどきいます。

 書きなれていないので、書くことがまだ負担になっているということももちろんありますが、それ以上に、勉強全体の習慣として、短時間に集中して取り組むということが苦手なようです。

 この原因として考えられることの一つに、勉強をページ数ではなく時間でしているということがあります。

 低学年のころは、もともと勉強の中身そのものは問題ではなく、要するに毎日決まった時間に机に向かうという習慣ができていればいいのですが、親はついがんばって、いろいろなことをさせてしまいがちです。そのときに、例えば、「算数の問題集は1ページ」というようにページ数で決めていれば、子供も集中して取り組めるのですが、たまに問題が簡単ですぐに終わってしまったときなどに、親がつい「今日は早く終わったから、もう一つこれね」と勉強を追加してしまうことがあるのです。そのときは子供もしぶしぶ追加された問題をやるので、親も一安心で終わるのですが、翌日から子供は「勉強を早く終わらせると、ろくなことがない」ということを学習します。子供が小さいときほど学習は強力なので、たった一度の追加であっても、あとでこの勉強観を修正することはきわめて困難になります。

 追加することと逆の失敗もあります。問題が難しくてなかなか終わらないときなどに、親がつい「もう、こんなに長い時間やったから今日はおしまいね」としてしまうことです。こういうことが続くと子供は、「時間がくれば終わりにしてもいい」ということを学習します。この学習はそれほど強力ではありませんが、何度も続けていると、やはり子供の気持ちにしっかりと定着していきます。このような状態にしないためには、問題に時間がかかりそうなときは、親が手伝ってでも形の上で全部やりとげてしまう方がいいのです。もちろん、時間がかかっても子供自身の力で最後までやらせるということもできます。教室でたまに、子供たちが、宿題がなかなか終わらなくて夜中まで勉強をしたなどと言っているのを聞くと、そういうケースはときどきあるようです。しかし、こういうかたちで原則を貫くことは、子供にとっては少しかわいそうです。勉強の原則を守ることは大切ですが、それよりももっと大切なことは楽しく明るい気持ちで毎日を生きていくことですから、課題が子供の手に余る場合は、親が手伝ってあげればいいのです。

 勉強を時間ではなく分量で決めるようにすると、試行錯誤を繰り返しながらも、親も次第に、どの程度の分量なら無理なくできるかということを学んでいきます。しかし、勉強を時間で決めると、取り掛かりは簡単ですが、密度の濃い勉強をするということはなかなかできません。

 子供に勉強に対する集中力をつけるために、勉強が終わったあとの態度も大切です。苦労してやっと勉強が終わったときに、更にそれに追い討ちをかけるように「こんなに時間がかかったじゃない。どうしてもっと早くやれなかったの」などと怒り直す親もいるようです。怒りたくなる気持ちはわかりますが、ここで怒ってしまうと、子供にとっては、勉強を始める前にも怒られ、している最中も怒られ、やっと終わったと思ったら怒られで、立つ瀬がありません。勉強が終わったあとは、それがどのような終わり方であっても、親はぐっとこらえて、「無事に終わってよかったねえ。じゃあ、このあとたっぷり遊びなさい」と優しく言ってあげることが大切です。

 スポーツなどでも、なかなか強くなれないチームは、試合で負けたあとにコーチがすぐに怒るというところが多いようです。「なんで負けたか、グラウンドを10周したあと、よく反省しろ」などと大人が怒りにまかせて指導していては、子供たちは上達しません。

 勉強も同じです。低中学年のころの勉強は、勉強の習慣さえつけばいいのですから、決まった時間に始めて、集中して終わらせ、終わったらたくさんほめるということを、毎日例外なくやっていくことだけでいいのです。

 もう一つ、子供に集中力をつけるために、勉強以外の遊びのさせ方も大事です。

 幼児期に子供が何かの遊びに集中して取り組んでいるときがあります。そのときに、親が自分の都合で「もうご飯の時間だから、遊びはいったんやめなさい」と言ってしまうことがあります。これが実は子供の集中力の成長を阻害する大きな原因になります。だれでも熱中しているときは食事のことなど忘れるのですから、生活に支障がないかぎり、ご飯の時間を後回しにしてでも、子供の熱中している遊びをそのまま続けさせた方がいいのです。しかし、もっといいやり方は、遊びを始める前に「○時ごろになったらご飯だからね」とあらかじめ軽く言っておくことです。このように子供自身に終わりが予測できるようにしておくと、好きなことを中断させられたという意識なく、自主的に遊びを切り上げて食事をするということができるようになります。

 しかし、そのようにして集中力のある育てられ方をした子は、低学年のうちは学校生活になじめないこともあるようです。図工などの時間でも自分が納得するまで取り組もうとするので、みんなのペースと合わないということが出てきます。しかし、これも高学年になり社会性ができてくると自然にみんなのペースも考慮できるようになってきます。

 子供が熱中しているときは、話し掛けたり、用事で中断させたりしないで、静かに温かく見守ってあげることが大切です。

 

 

  光る表現(小1−小4) 2001年12月4週号

●真季さん(いなく/小1)の作文より(メグ先生/12.2週)

 そのサンタさんは、まるでおひげがわたあめのようでおもしろかったです。【評】食べてしまいたくなったのでは?(笑)

●みのりさん(いこの/小2)の作文より(メグ先生/12.2週)

 もし下がゆきじゃなかったら、ころんだときにないていたかもしれません。【評】スキーのいいところは、ころんでも少ししかいたくないところですよね。

●充さん(いさせ/小2)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 先生が、「にじの七色をまぜたら、なに色になるでしょう。」と言いました。みんな「くろ。」とか、「むらさき。」とか言いました。:評:会話が楽しく書けていますね。みんなが、思ったことをいろいろ言っているようすがわかりますね。

●ピロコさん(いつち/小2)の作文より(メグ先生/12.2週)

 わたしは、その青いなわとびで、さっそくとびました。まるでうさぎのようでした。【評】うさぎのようにかろやかにとぶ寛子ちゃんのすがたが想像できます。

●由華さん(いはこ/小2)の作文より(えみ先生/12.2週)

 マリーゴールドはまるでめだまやきみたいなかたちをしています。アリッサムはまるでお星さまみたいな形をしていて白でとてもかわいいお花です。【評】たとえをじょうずにつかって花のようすがせつめいできています。かわいい花が目にうかぶようです♪

●カヤさん(ありそ/小3)の作文より(ゆうこ先生/12.1週)

 それはとてもきれいで、心が温かくなるぐらい、とても温かい光です。ぼくは、そのイルミネーションをつけるとき、心の中で、「あー、もうすぐクリスマスだなー。」と思って、とてもうきうきした気分になりました。そして、イルミネーションをつけると、もうクリスマス気分になっていました。【講評】温かく楽しいクリスマスの光が読み手の心にも灯りをつけてくれました。

●あやこさん(ありろ/小3)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 あみものというのは、たのしい時、かなしい時などがあって、世界はふしぎだなー、と思いました。なぜなら気分によってです。【評】気分のいい時のあみめはそろっていたり、落ち着かないであんでいた時のあみめはふぞろいになったりしますね。それに、うまくいくとうれしかったり、失敗するとかなしかったり、確かにあみものはふしぎな世界ですね。

●稔さん(あわき/小3)の作文より(みか先生/12.2週)

 もっちは、学校ではなんかおもしろくて、「ええこら、なんだこら。」とか言っています。 しかも、ドッジボールのときなんかとてもかっこつけて、「こいや、こいや。」 と言ってかっこつけています。 なんでかなぁ?と思ってお母さんに聞いてみると、もっちのお母さんは、関西で生まれたんとちがうみたいだった。だからもっちは、言葉が変えれるんだなと思った。評:もっち君の、楽しい会話がとってもいいね。それから、稔君の関西の言葉がとてもいきいきしていてるね。

●りゃりゃさん(いいに/小3)の作文より(ゆうこ先生/12.1週)

 こつは、なわとびを一かい終ってかた手でまわす練習です。その次のこつは、少しあぶないですが少しだんさのあるところからとびおりながら二じゅうとびをすることです。それから、トランポリンの上でもできます。わたしは、だんさのところでやったら三じゅうとびができました。【講評】なわとび三重とび!?すごいですね♪私は一回とび(笑)しかできないのに……。

●まいまいさん(いかす/小3)の作文より(さかな先生/12.2週)

 (ハリー・ポッターの映画が)終わって、気がついたらあせをいっぱいかいていました。まるで、夢から覚めたみたいでした。★評:映画の興奮(こうふん)からさめていくときの様子を、とてもうまく表したね。

●りんちょさん(いしろ/小3)の作文より(スズラン先生/12.1週)

 (学校で、ホウセンカ、ヒマワリ、コスモスの種をまいて)一週間たって、やっと芽が出てきました。二葉は一週間たっても、二週間たっても、三週間たっても、四週間たってもでてきませんでした。:評:種をまくと、芽や二葉が出てくるのがとても待ち遠しいですね。まだかなぁという気持ちがわかりますね。

●りんちょさん(いしろ/小3)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 (お手伝い)さいしょはせんざいでアワアワを作って、お皿の内側、外側、底をあらって、水で流して、せんざいのヌルヌルがとれるまでながします。それを全部のお皿、おたま、おちゃわん、おはしをやります。:評:食器をていねいにきれいに洗っているようすがわかりますね。こんなふうにお手伝いをしてもらったら嬉しいですね。\(^o^)/

 

●マーヤさん(いちこ/小3)の作文より(さかな先生/12.1週)

 そして、84人のなわとびせんそうがはじまったのです。★評:集会でいっせいになわとびの生き残りゲーム。とても迫力ある表現ですね。

●スマイルさん(いにわ/小3)の作文より(さかな先生/12.2週)

 心ぞうがドクン、ドクンと、まるでじしんのようにひびき、くるしくなりました。★評:持久走の2周目。せいいっぱい働いている心ぞうの音が聞こえてくるようです。

●ししさん(あふか/小4)の作文より(さかな先生/12.2週)

 (右手骨折のために音楽会でリコーダーが吹けなくて)らくなんだけど、まわりからふえをふく音が心につきささって、ぼくだけ取りのこされたような気がしました。★評:みんなと同じようにしたいけれど、今は思うようにできないさびしさがこめられている。早く治してね!!

●稜さん(いしお/小4)の作文より(スズラン先生/12.1週)

 食べてみておいしかったものは、カレーとかグラタンといった食べ物です。・・略・・グラタンは、白いぬるぬるしたのと、具を一緒に食べると、まるで仏様に救われたようにおいしいのです。:評:熱々のグラタンは、これからの季節とくにおいしそうですね。おいしいものを食べたときのほっとした気持ちがでていますね。

●りんこさん(いしか/小4)の作文より(ふじのみや先生/12.1週)

 (ランドセルは)電車に乗ってすわると、重くなくなりますが、歩くと歩く分だけ重くなるような感じがします。まるで、歩数計みたいです(歩数計は歩くと、カウントされるけれど)。 【評】ズン、ズン、重くなっていくランドセルのめもり。 実際にはなくても、目に見えてきそう!

●かずさん(いしす/小4)の作文より(けいこ先生/12.1週)

 冷える朝は、ふとんからは出たくないくらいです。いつも、「早く起きなさーい」や、「だから、早く寝るように言ったでしょう」と、お母さんに大きな声で言われます。その声は、いつも見ているテレビのボリュームの数倍の音くらいの声です。 評:テレビのボリュームの数倍という説明が、起こされるときのいやな気分をよく表しているね。

●ノンキィさん(いちえ/小4)の作文より(ポプリ先生/12.2週)

 次は私の番。心ぞうが高鳴っていた。そして・・・。「田中さん合かくっ。おめでとう!!」この言葉を聞いた時、開かなかった門が開いたような気がした。それというのも、私はせ泳ぎが苦手で、この級に四ヶ月もいたからだ。評:やっと目ひょうをたっせいできたんだね。めでたし、めでたし。

●卓哉さん(いなと/小4)の作文より(こあら先生/12.2週)

 (友達について)やさしい子、ちょっとおこりっっぽい子、おっとりした子、のんびりした子、ちょっとわるい子、と友達にもいろいろいる。【評】いろんな友達がいるね。ところで自分はその友達からどんなふうに見られていると思う?(笑)

●薫さん(いねむ/小4)の作文より(みか先生/12.2週)

 その日私は、かなちゃんと待ち合わせをした。わたしはかなちゃんに、「きのう、ありがとう。」と、言われた。「う、うん。」でも、私はあれが当然だと思った。私は、親友ができた。親友ってこういうののことを言うんだ。しんようし合える友だちができてよかった。私は、心からそう思った。評:かおるちゃんのこの気持ち、ずっと大切にとっておいてもらいたいなぁ。大人になってもね。

  光る表現(小5−社) 2001年12月4週号

●將さん(いうや/小5)の作文より(ふじのみや先生/12.2週)

 やっと一まい終わった。もう考えても思いつかなかったので、郵便番号と自分と友達の住所を書いて送った。そのときは、まるで今まで走りまわってて、さらに走って帰ってきて「ばたり」とたおれて寝てしまったみたいだった。【評】 力いっぱい手紙を書いたんだね。そのぶん、心が伝わっているはずだよ。

●有貴さん(いおし/小5)の作文より(ふじのみや先生/12.2週)

 価値は、その手紙から分かる相手の気持ちや思いで決まる。 【評】相手への思いを伝えられる手紙を書くことの大切さを、ひとことであらわせたね。

●桃花さん(いてら/小5)の作文より(ぴのこ先生/12.2週)

 あまり期待はなく、平常心で最初のページをめくった。すると現実には無い「魔法の国」という設定に魅力を感じ、ページをめくるたびに、期待に胸が膨らんで行った。【評】何気ないつもりで手に取り、読み始めた本に思いがけずはまってしまったときの様子がよく書けているね。

●泰佑さん(あるい/小6)の作文より(ポプリ先生/12.2週)

 こんなにも、すばらしい人はいるでしょうか?自分の決めた道を進んでいき、命を落とす危険があるのにもかかわらず、研究を続けたのです。人のために、こんなにがんばることができるのは、野口英世さんだったからこそできたのだと感心しました。そんけいしてしまいます。野口英世さんのような、すばらしい人になりたいです。評:尊敬する人がいることがまず泰佑くんのすばらしいところ。大事にしてね。

●早紀子さん(いおよ/小6)の作文より(ゆり先生/12.2週)

 しかし、ジェントルマンズCは、おかしいところもある。(略)だが、せめてBだ。Cというのは勉強ができないということなのだから、学校生活ではさわやかに行動できても国際人としてはどうかなと思う。私だったら、いくら気軽におしゃべりできても成績がとても低い人はきらいだ。【評:確かにそうだよね^^;)。CよりはBでバランスがとれているほうがずっといいね。】

●たかやんさん(いくの/小6)の作文より(スズラン先生/12.2週)

 一生懸命練習をして、テニス教えてくれた母よりもうまくなりたいと思う。しかし、だからと言って、話し上手の聞き下手ではないが、自分だけ練習をして人のことを考えないというのは良くないと思う。夢中になるというのは、そのことに対して一生懸命になるということでいいと思うが、それで人のことを考えられないのは良くないと思う。:評:夢中になっているときには、他のことへの配慮が欠けることがありますが、夢中になっているときにこそ、ひとの苦しみや痛みのわかる低い視線でということを、実例の中で上手に述べていましたね。

●MOMOさん(いたと/小6)の作文より(ぴのこ先生/12.2週)

 物語文というものは、想像力を養うとどうじに、人に対する思いやりというものまでもを人に学ばす文だからである。【評】本にはいろんな力があるんだね。

●SIGNALさん(あつえ/中1)の作文より(ゆうこ先生/11.3週)

 普段は、何もせまっているものがなく、心にゆとりがあるから、時間どろぼうにまけることはないと思う。けれども、何かが目の前にせまっていると、普段のゆとりが保てなくなり、時間どろぼうにまけてしまうのだ。私達の生活のどこかにきっと、時間どろぼうがひそんでいるのだ。【講評】時間どろぼうは私たちの中にいるんですね……!

●日本太郎さん(あねひ/中1)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 確かに、行列には個人の意識を無視する傾向があるかもしれない。だから私は、その場その場によって臨機応変にルールを変えていくことも大切だと思った。【評】ルールを守ることに、この意見をプラスしたことでバランス感覚のいい意見になったと思います。

●あつしさん(あむら/中1)の作文より(ゆうこ先生/12.1週)

 点数をつけるということは、自分の意志、決断が大切であって、勝手に点をつけるということは人にも自分にもよくないと思います。その点数を上手につけれてこそ、自分にも点数がつくのだと思います。【講評】「点数」ということばひとつで、ここまで深い考察ができるなんて、すばらしい!!

●千恵さん(いうね/中1)の作文より(ゆうこ先生/12.1週)

 これまで人との競争についてばかり書いてきてしまったが、一番大事なのはおそらく「自分」との競争であろう。自分をぬりかえるのは結構大変なのではないだろうか。人と人との争いだけが競争なのではなく、自分をぬりかえるのも自分との競争なのである。人と人との競争も自分との競争のためにあるのではないだろうか。【講評】これからの自分のために、今までの自分との競争をしていきたいね!

●トトロさん(いけの/中1)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 ルールを守ると、スムーズに事が動くからだ。例えば電車の乗りおり。社会では「おりる人優先」だ。【評】スムーズに事が動く、という表現が捉えどころがよく、うまく言い当てていますね。誰でも体験しているわかりやすい例とセットで、相乗効果もあると思いました。

 

●美絵さん(いさほ/中1)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 行列を毎日かかえる店。・・店を長く続けていく努力である。よくテレビでいう「生き残り」ということである。【評】お店側にスポットを当てたところもいいし、努力や生き残りというキーワードもよく考えていますね。

●奈央さん(いしえ/中1)の作文より(メグ先生/12.2週)

 例えば、すごい行列ができた「ラーメン屋」があったとする。私達はそれを見て「そんなにおいしいのかなあ?」とか、「私も並びたいなあ?」と思うであろう。行列が、客にとってはちょっと嫌かもしれないが、逆に、働く方にとってはとても嬉しいことである。このように「行列」の見方を変えればとても良い意味を持つことが分かる。【評】これはおもしろいところに気がついたね。行列は人気のバロメーターでもあるよね。

●尚志さん(いても/中1)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 秩序は、社会を守るだけでなく、自分を守ることにもなるのである。【評】秩序について社会での意味に加え、一歩推し進めて自分にとっての意味を考えているところがいいですね。自分を守る、という表現は短いのにうまい言葉選びだと思いました。

●DARIAさん(さあ/中1)の作文より(ふじのみや先生/12.2週)

 行列にならんでいる人は、だれ一人として満足していない。しかし、私はたった一人の満足よりも、少しは不満足であっても、みんなの平等を尊重する。 【評】明快な意見の書き方ができています。

●実由記さん(いそほ/中2)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 私は将来、人生を選ぶかなと思いますが、好きなものが見つからないのです。無理せずに探そうかなと思います。【評】とても素直に気持ちを表現できているし、「探す」という言葉が今の時期にぴったりな意味を含んでいていいと思います。

●惣さん(やき/中2)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 世の中は、「はい」、「いいえ」で割り切れることばかりではない。【評】日本人は「いいえ」をはっきり言うことをためらう、ということに対しての反論として説得力がありました。両極以外の部分の重要さに着目したところが印象的でした。

●ひまわりさん(あなつ/高2)の作文より(クマのプーさん先生/12.1週)

 規則は、人が皆と寄り添って生活していくためのちょっとした道具なのだ。それなのに、その規則のせいでうまくいくものがうまくいかなかったりするのは、存在価値がない。【評】意味合いが凝縮されていてわかりやすいし、「道具」「存在価値」という言葉がうまく効果的に使われていますね。

●ひまわりさん(あなつ/高2)の作文より(クマのプーさん先生/12.2週)

 規則は、人が皆と寄り添って生活していくためのちょっとした道具なのだ。それなのに、その規則のせいでうまくいくものがうまくいかなかったりするのは、存在価値がない。【評】意味合いが凝縮されていてわかりやすいし、「道具」「存在価値」という言葉がうまく効果的に使われていますね。

●AE86さん(えや/高2)の作文より(さかな先生/12.2週)

 この理性が自分で自分にブレーキを掛ける「自主規制」というものを生み出すのだ。★評:理性の働きを信頼できる社会にしたいものですね。

 

 

 

 

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