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  森リンにカオス理論を応用
  自分の言葉で文を書こう(はるな/みき先生)
  会話を活用!(あおぞら/あお先生)
  言いたいことを伝える(くじら/たま先生)
  「記念」となる作品を(ぺんぎん/いのろ先生)
 
言葉の森新聞 2005年3月2週号 通算第878号
文責 中根克明(森川林)

森リンにカオス理論を応用
 世の中にあるさまざまな現象の中で、はっきりした関係があるわけではないのに、何となく関連がありそうなものがあります。
 例えば、あくびの伝染です。クラスの中で、ひとりがあくびをすると、必ずその周囲にあくびをしそうな人がいます。歌もまたそうです。心の中で歌を口ずさんでいると、近くの人が同じ歌を歌いだすということはよく経験します。グリセリンは、かつて結晶しない物質でした。ところが、あるとき結晶したグリセリンが発見されてから、世界中のグリセリンが結晶するようになりました。
 これらの現象をシンクロニシティと呼ぶ人もいます。場の形成という言い方で呼ぶ人もいます。
 あくびや歌やグリセリンの中に、線形の関係があれば話は簡単です。例えば、あくびをするA君の近くにいるB君のあくび度は、気温に比例し距離の2乗に反比例するというような関係があれば、問題は解決します。これまでの科学の延長で考えると、たぶんそこにはまだ網羅されていない複雑な関数があるはずだということで話は終わっていたと思います。
 しかし、自然界の本当の姿はそうではなかったようです。あくびをするA君とB君の間に、まだ見つかっていないあくび関数があるのではなく、A君とB君を含む全体の何かが、二人のあくびを引き起こしたと考えられるようなのです。
 都市の人口と順位の間には不思議な関係があります。人口をy軸に取り順位をx軸に取ると、yとxが反比例するグラフの線上に、東京、横浜、大阪、名古屋と、順位どおりの都市がきれいに並ぶのです。日本の年間輸入額の順位も、同じように反比例するグラフの線上に、アメリカ、サウジアラビア、オーストラリア、インドと順位どおりの国名がきれいに並びます。英語の文章における単語の出現頻度も、同じ反比例のグラフの上に、The、Of、And、Toとこれもまた順位どおりの単語がきれいに並びます。
 東京と横浜が話し合って、人口の調整をしているわけではありませんから、これは東京と横浜の間に何か関係があるのではありません。そうではなく、東京、横浜と、その他すべての都市を含むより大きな何かがあって、その何かの結果が東京や横浜やその他の都市の人口になっているようなのです。
 この新しい学問分野は、カオス理論とか、複雑系の科学などと呼ばれています。学問の名前からしてカオスや複雑なので、まだはっきりした成果として出ているものはほとんどありません。しかし、このカオス的な発想を応用していくと、これまで複雑すぎてできなかったことが、かなりシンプルに処理できそうだということがわかってきました。
 日本のロボット研究の第一人者である五味氏が開発する第5世代ロボットの発想もそうです。第5世代ロボットは、いくつかのシンプルな動作原理を作り、場面の変化に応じてそれぞれの原理が独自に動作を行い、その結果生じる場面の変化に対しても、それぞれの原理が独自に対応するという仕組みで動いています。
 それまでのロボットは、障害物との距離、速度、一定時間後の位置などをすべて計算してから動き出すという非実用的なものでした。これは、対象と行動の間に線形的な関数があり、その関数をすべて網羅して計算すれば行動が処理できるという旧来の科学の延長にある考えでした。しかし、行動は必ず、場面を変化させます。場面の変化も盛り込んだ関数を作ることは、理屈の上ではできそうですが、生物の実際の行動はそのような原理で行われているのではありません。
 アメリカの小論文自動採点ソフトe-raterの基本原理も、やはり、旧来の科学の延長にあります。上手な文章と測定する文章の間にある多数の関数をすべて網羅して計算すれば、文章の評価ができるという考え方です。ニュートン力学が等身大の力学系では有効なように、この発想ももちろん有効です。しかし、この発想をつきつめて、正確なソフトを作ろうとすればするほど、複雑さは級数的に増加し、しかもある限界以上には正確にならないという結果になります。
 森リンは、カオスの考え方を応用して、文章のリズムの中に指数関数の関係があると仮説を立てました。
 人間の言葉の音声の波形には、そのときの感情を反映するリズムがあるようです。楽しい感情で出すときの声には、同じ波形が繰り返される傾向があると言われています。たぶん、気持ちのいい感情のときには、結晶作用のように同じ方向を指向する力が働くのだと思います。
 これを文章に当てはめて考えると、気分が乗っているときの文章はリズミカルではないかということが推測できます。そのリズム度を、指数関数で算出したものを文差分布としました。
 森リンに作文を入れると、点数の中に文差分布の得点が出てきます。今のところ、文差分布が80点以上の作文は自然なリズムを持っており、90点以上の場合はかなりリズミカルであるという感じです。(感じというところが今ひとつですが^^;)
 今後、更に、カオスの研究を進めて、森リンを進化させていきたいと思っています。
 
自分の言葉で文を書こう(はるな/みき先生)

「冬が来た」

きっぱりと冬が来た。
八つ手の白い花も消え、
公孫樹の樹も箒になった。

きりきりともみ込むやうな冬が来た。
人にいやがられる冬。
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た。

冬よ、僕に来い、僕に来い、
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ。

しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た

(「道程」より)



 これは、高村 光太郎が書いた代表的な詩のひとつです。
彼は1883年、彫刻家・高村光雲の長男として東京に生まれました。1956年死去・享年(きょうねん)73 歳でした。
 父の影響と、日本画を学んでいた姉の影響を受け、幼いころより美術に親しんでいたようです。1906年に、アメリカ、ロンドン、パリと遊学し、芸術を生み出す決意をしました。十和田湖畔にある「乙女の像」や、「手」等等。すぐれた作品を数多く残しています。また、美術・彫刻の他にも、ボードレールらの詩を学び、帰国後、美術評論、評伝で活躍しました。1914年、処女詩集『道程』で芸術院賞を受賞しました。ヒューマニズムあふれる生の賛歌を、力強く口語自由詩に表現しています。「冬が来た」の詩も、この詩集の中にあります。

 数多くの、光太郎が創った詩の中でも、先生は、特に、この詩が大好きです。寒波が日本列島をすっぽり覆って、戸外へ出ると、思わず身がすくんでしまうような、厳しい寒さが続く日には、きまってこの詩が、心の中をよぎり、「寒さにちぢこまっていては、駄目だな! 」と我が身に言い聞かすことにしています。

 冬の寒さだけでなく、人生の荒海や、困難にも、臆することなく、堂々と立ち向かっていくような気迫(きはく)が強く伝わってきます。どうしてなのでしょうか? ・・・・・それは、彼が、おきまりのありふれた言葉でなく、自分の感性で生みだした「自分の言葉」で、表現しているからだと思います。「公孫樹(いちょう)の樹も箒(ほうき)〜」、「もみこむやうな〜」「刃物のやうな〜」というふうに、比喩(ひゆ)、すなわち、たとえの表現を駆使(くし)して、厳寒の情景を詩にあらわしています。文語体なので、「ような」が、「やうな」という、表記になっておりますが、冬の光景を、詩の中で、見事に、描き出して(えがきだして)いますね。

作文でも、やはり、『自分の言葉』で書くことは、とても大切です。「この目でしっかり物事を見つめたまま」、「心の中で感じたまま」を、素直に文章で表現すると、人の心を打ち、揺り動かすようなすぐれた作品に仕上がります。
 常日頃から、「あれっ?」と直感し、いつもと違う外界からの刺激を受けたとき、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を、充分に働かせて、認識し、自分の頭のメモ帳に、大切にしまいこんでおきましょう。それを、作文の時間に、いっぱい生かしてみるといいですね。
 これからも、ますます、自分を鍛え(きたえ)、作文に磨きをかけていくように、努力したいものですよね!(^^)!  この冬だからこそ、頑張りましょう。
 
会話を活用!(あおぞら/あお先生)
 作文の項目に会話というのがありますね。その人らしい会話を入れて、作文にめりはりをつける練習です。
 会話には、あなたの見方、感じ方、意見ではない、まったく別の人間の言葉がそのまま入りますよ。はっとする会話を入れて、めりはりをつける道具として大いに活用してください。
 たとえば、次のような会話があります。

●その人らしい口癖などを使う
「あせることはない」
と、父がぽつりと言った。その後ろで
「早くしなさい!」
と母がどなった。
※それぞれ、お父さんらしく、お母さんらしいでしょう。>^_^< お父さんやお母さんの性格についても話題がふくらませますね。

●方言を使う
「これ、ほかしといて」
とおばあちゃんが言いました。「ほかす」というのは保管するではなく、捨てるという意味の大阪弁です。
※方言やお年寄りの言葉には味わいがありますね。方言の説明やお年寄りの人柄の説明などにも話題がふくらませますね。小さな子の言葉もかわいいですよね。

●ジーンとした言葉を使う
「僕は自分がきらいになった」
と僕がうつむくと、すかさず母が
「私は大好きよ」
とにっこりした。
※自分がジーンとした言葉は、必ず人もジーンとします。ジーンとしたときにメモをとっておくのがいちばんですが、そんなことしている状況ではないですかね……。(^_^)

言いたいことを伝える(くじら/たま先生)
 最近「日本語が乱れている」とか「国語力が低下している」と言われます。日本に生まれ育った私たちが、「日本語が下手になっている」という事実。何だかおかしな話ですね。
 下の二つの例を読んでみてください。

(1)「お誕生日会があったんだよ。プレゼントを見て『わあ〜すごい』って言ったんだ。それにすごいごちそうがあってさ、・・・」

(2)チャリンコでサーって行ってたらさ〜、前からオバチャンが出て来て『あっ』と思ったら、ガ〜ンってぶつかって、ドォーンって感じで、超サイアク〜。周りみんな見てるしさ〜・・・(続く)」

 これは二つとも、先生が実際に聞いた会話の一部です。文字だけ読んで、状況をすべて把握(はあく)することができますか?(笑)
 言いたいことをきちんと相手に伝えるのは難しいですね。目の前に話し手がいれば、相手の表情や、身振り手振りなどから、ある程度のことは推測(すいそく)することができますし、それでもわからなければもう一度聞きなおすこともできます。しかしこれを文章にするとなると、話はちょっと違ってきます。
 上の例の場合、話し手は自分の言いたい気持ちだけが先走ってしまい、相手にうまく伝わるかどうかを考えていません。(1)では、「いつ」「どこで」お誕生日会があったのか、そして「だれの」お誕生日会なのかもわかりません。プレゼントをもらい、すごいごちそうがあったのはわかりますが、「だれが」「どんな」プレゼントをもらったのか(どんなごちそうがあったのか)、「わあ〜すごい」と言ったのは「だれ」なのか、ごちそうをどうしたのか(食べたのか食べていないのか)もわかりません。
 (2)の例はもっと難しい! 実際に会話を聞いていても、ほとんど意味がわかりませんでしたが(笑)、どうやらこういうことのようでした。「今朝、自転車に乗っていたのだが、見通しの悪い道だったので、角を曲がってきたおばさんに気づくのが遅れてぶつかってしまった。お互い自転車だったので、二人はそのまま倒れてしまい怪我をした。ちょうど通勤・通学時間だったので、周りにたくさんの人がいて見られてしまい、恥ずかしかった」。

 ものごとをきちんと相手に伝えるには、「いつ」「どこで」「だれが(だれと)」「何を」「どうした」という要素が入っていなければなりません。そのときに応じて「なぜ」「どのように」なども付け加える必要もあります。
 そしていちばん重要なのは、「思ったこと」です。作文は新聞記事ではないですから、事実を述べるだけではなく、自分が感じたこと、相手の気持ちを推測すること(中学年以上)、体験からわかったこと(高学年以上)をきちんと伝えることが大切なのです。
 言葉の森のみなさんは、これらがきちんとできています。たくさんの長文や本を読み、毎週作文を書くことによって、説明の仕方・気持ちの伝え方が上手になっているのだなあと、本当に感心します。

 先生は、みなさんが今やっていることは「貯金」なのだと思っています。少しずつでもコツコツ続けていくことによって、立派な財産となることは間違いありません。貯金をおろそかにして、将来大金を使おうというのは、到底(とうてい)無理な話です。(借金をして大変なことになりますよ(笑)。)

 本を読んだり、作文を書くことが楽しいなと感じている人、どんどん貯金を増やしていってください。反対に「最近、課題が難しいなあ」「書くことが思い浮かばないなあ」と感じたり、時には「嫌だなぁ、面倒くさいなぁ」と思うことがあるかもしれません。しかし、今まで続けてきたことは、しっかり「貯金」されていることは間違いありません。先生が保証します!
 これからもみなさんが「貯金」を楽しく続けていけるように、先生も精一杯応援していますよ!!
「記念」となる作品を(ぺんぎん/いのろ先生)
 生徒の皆さん、こんにちは! 「言葉の森」を始めてから、毎週(まいしゅう)文を書く、ということになれてきましたね。一人ひとりが、自分の学校生活、スポーツや部活(ぶかつ)、家での食卓(しょくたく)や遊びの様子、大人っぽい考えごとを見つけ出し、「こんなことがあったよ」、「あんなことがあったよ」と、作文の中に書き込(こ)んでくれています。おかげで実(じつ)に豊かな時間が、みんなの毎日を作っているのだなぁと、わかります。まるで貝がらが何年もかけて、すてきな真珠(しんじゅ)をゆっくり、じっくり作っているみたいだな、と、先生は感じています。
 「言葉の森」は、小学生時代に「記念(きねん)」となるような作品をどんどん書いてほしい、という願いをこめて指導(しどう)しています。中学生、高校生の方も、今、どういう体験(たいけん)をし、何を感じ何を思ったのかを書き込むことは、意見文(いけんぶん)を書く上でとても大切ですね。項目(こうもく)でいうと、「体験実例(たいけんじつれい);小学生では“自分だけがしたこと”」部分(ぶぶん)です。素晴らしい意見文には必ず良い体験実例がセットになって入っています。長文を読んでいてもそう思いませんか?
 皆さん、ではどうすれば記念となる作文を書くことができるでしょうか。むずかしく考(かんが)える必要(ひつよう)はないので安心してください(笑)。それは、「今/今週/今月」を「記念に残そう」と思って、作文を書いていくこと、これに尽(つ)きるからです。「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない。」という名言がありますが、逆に言うと、「自分の心のうちにあるもの」を書けばいい、ということなのです。自分が見たもの、聞いたもの、思いついたものを紙にのせてあげるだけでいいのです。先生は、そのお手伝いをしています。皆さんがそれらを作文用紙(さくぶんようし)にのせやすいように、です。
 「今+今+今=未来」、とある心理学者(しんりがくしゃ)が言っていました。「記念」となる作品を残せるのは「今」だけです。それこそが未来を作っていくのですね。「今、何を書こうかな」という気持ちに素直(すなお)に書いてみたらいいですね。先生のためにでも、言葉の森のためにでも、お家の人のためにでもなく(笑)、「自分のために」。 背伸(せの)びしても、しなくてもいいです。無理をしても、しなくてもいいです。「今」を残すこと、それが良い作品の第一の心得(こころえ)であり、作文を「とても意味(いみ)のある時間」にする、とっておきの方法なのです。作文の日を、「今/今週/今月」を記念に書きとめる、大事な時間にしてみてはいかがですか?
 
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