言葉の森新聞2004年10月4週号 通算第860号
文責 中根克明(森川林)

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■■10月29日(金)・30日(土)は休み
 10月29日(金)30日(土)は休みです。宿題もありません。

■■10.4週は清書
 毎月第4週は清書です。担当の先生の説明を参考にして、返却された作文の中から自分でいちばんよいと思うものを選び、作文用紙に清書してください。(一度清書したものは、清書しないように注意してください。また、ほかの人の作文を写して清書にすることのないようにしてください)
 清書は、次の月の4週の「山のたより」に掲載されます。
 清書の意義は、次のとおりです。
(1)これまでに書いた作品をよりよいものに仕上げること(小学生の場合は字数を増やす、表現を更に工夫するなど、中学生以上の場合は字数を短くまとめるなど)
(2)他の生徒の清書を読む機会を持つこと(自分の清書を他の生徒に読んでもらう機会を持つこと)
(3)新聞社に投稿する機会を作ること
 このほかに、(4)パソコンで入力する練習をする、(5)他の生徒の前月の清書に対して感想を書く、などに取り組むこともできます。

 清書の生徒コードの欄には、項目シールの中にあるバーコードシールを貼ってください。(手書きでは書かないようにしてください)
 他の生徒の前月の清書に対して感想を書く場合も、清書と同じようにバーコードを貼ってください。
 絵を作文用紙の裏に描く場合は、表に作文を書かないでください。つまり用紙は1枚の裏表を同時に使わないようにしてください。作文用紙に絵だけをかいた場合も左上にバーコードシールを貼ってください。
 新しく教室に入ったばかりの人は、返却されている作文がない場合もあります。また、返却されている作文の中に清書するものがない場合もあります。そのときは、自由な題名で作文を書いて送ってください。
 清書は、2〜5人のグループ(広場のグループ)ごとにプリントして、翌月の4週に、「山のたより」と一緒にお渡しします。この清書は、インターネットの山のたよりでも見ることができます。
 用紙の空いているところには、絵などを書いて楽しい清書にしてください。色はプリントには出ません。
 感想文を清書する場合は、最初の「三文抜き書き」や「要約」はカットするか、簡単な説明に変えておく方が作品としてまとまりがよくなります。
 中学生以上の人が清書を新聞社に送る際の字数の目安は、500字程度です。長すぎる場合は、新聞社の方でカットされて掲載されることがあります。字数を縮めるときは、いろいろなところを少しずつ縮めるのではなく、段落単位でまとめて削るようにしていきましょう。第一段落の要約と第三段落の社会実例は削除し、名言や書き出しの結びなどの表現の工夫も削除し、第二段落の体験実例と第四段落の意見だけでまとめるようにするといいと思います。
 清書は、ホームページから送ることもできます。作文をホームページから送るときと同じように送ってください。

 よく書けた清書は、自分で新聞などに投稿してください。二重投稿になる可能性があるので、教室の方からの投稿はしません。(港南台の通学生徒の場合は、教室から投稿します)
 手書きで清書を書いている人は、その清書をコピーして、原本を投稿用に、コピーを提出用にしてください。
 パソコンで清書を送信している人は、その清書をワードなどにコピーして投稿用にしてください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(ペンネームで書いている場合は本名に訂正しておいてください)
(2)学年
(3)自宅の住所
(4)自宅の電話番号
(5)学校名とふりがな
(6)学校所在地(町村名までで可)
●朝日小学生新聞の住所
104−8433 東京都中央区築地3−5−4 朝日小学生新聞 「ぼくとわたしの作品」係 御中
●毎日小学生新聞の住所
100−8051 東京都千代田区一ツ橋1−1 毎日小学生新聞 さくひん係 御中


■■長文の主題を自分のものにしよう(はち/たけこ先生)
 高学年以上のみなさんは、長文を読んでいて、「これは前の長文とにた話だな」と思ったことはありませんか? え、前の長文のことなんか、すっかりわすれてる(笑)? なんてはずは、ありませんよね? けっこう考えながら、賛成意見や反対意見、まとめの主題を書いているはずですから。
 たとえば、ニシキギ7月2週目、「そこをなんとか」。「そこをなんとか」ということばは、日本人のものの考え方がよくあらわれたもので、外国語に翻訳することはできない。外国人がたのみを断るときは、そこに確固とした理由があるのでもうそれ以上いくらたのんでも応じてくれない。しかし日本人は義理人情の世界なので「そこをなんとか」とたのまれると時と場合に応じて、たのみをきいてしまう。日本人の「ノー」には「イエスという余地がふくまれた余白の美があるのだ」という内容でした。そのあと8月3週目は、「国際人とは一体」。国際人とは「外国人を相手に、自分の考えを伝えたり、心をかよわせることのできる人」であり、そのためには「論理的思考の訓練を学校でしなければならない」「だから日本ではもっと国語教育をしっかりしなければならない」という内容でした。この二つの感想を書いてみて、「ん?」と思わなかったでしょうか。「日本人はことばの意味にいろいろな余白をふくませている」のに、論理的に話さなければいけないとは? この解決方法は外国人に「日本人の考え方はこうですよ」というところから説明していくことではないでしょうか。またミズキ7月2週目「最近、と言っても」は、「日本はあらゆる点で西洋の文化文明をとりいれたにもかかわらず、雑種文化の国でなく、世界にも類例の少ない併存文化の国になった」ということが書いてあります。生徒のグレープフルーツさんのあげた実例は「サッカーワールドカップで、日本人は日本以外の国も好きなら応援して他の国の人を驚かせた」ことなどで、「併存文化になることにより国際理解が深まる」と賛成意見を書きました。そのほかにも書ききれませんが、「日本の文化と外国の文化のちがい」「国際理解」というテーマはくりかえしでてきます。そのとき、前の作文では自分はどのような意見や主題を書いたかを、思い出してほしいのです。そして、作文に書かなくても、それを結びつけてほしいのです。それこそが、「考えを深める」「自分の意見をもつ」訓練になるからです。
 そのほかにも「自然と人間の関係」などよく見られるテーマはありますよね。これらは、受験にとってももちろん準備しておいたほうがいいテーマですが、それだけではなく、「現代の日本人として生き」ようとすれば、一生のテーマになることだからなのです。


■■「頑張る」(みかん/ななこ先生)
 「がんばれ! ニッポン!」
 この夏、いくどとなく耳にした言葉ですね。わたしは、応援していた男子サッカーの日本代表チームが早々に負けてしまったので、「つまらないオリンピックだなあ」実は、最初そう思っていました。
 ところが、柔道、体操、マラソン、レスリング・・・・・・。いつのまにか、日本チームのすばらしい活躍に引き込まれていきました。
 「がんばれ! ニッポン!」は、「頑張る」という言葉の意味と、五輪のスポーツ精神がぴったり合ったネーミングだと思いますが、昭和11年のベルリン五輪のときにNHKのアナウンサーが「前畑(競泳選手の名)ガンバレ!」と思わず絶叫し、その素朴さが国民の胸を打って「頑張る」が、市民権を得たといいます。
 では、それまでは・・・・・・。「頑張る」という言葉は、使われるとしたら「悪い意味」だったそうです。辞書には「頑張る」は「我に張る」から転じたものとあります。我を張ることとは「風変わりな自己を主張すること」であり、協調性を好む日本の社会にはなじまなかったのでしょう。今や「頑張る」選手より、「我を張る」選手の時代ですが(笑)。
 五輪キャンペーンのスローガンとして、「ガンバレ! ニッポン!」は、まだまだ健在ですが、「がんばらないダイエット」「がんばらない介護」「がんばらない育児」今や、スローガンやキャッチフレーズとして「がんばらない」が、堂々と使われるようになりました。
 私たちや、子どもたちの人生においても「がんばるとき」と「がんばらないとき」をうまく使い分けていくことが大事かもしれません。
 私は個人的には「がんばる」という言葉がなぜか好きです。何かに特別がんばってきたわけではないのですが、「がんばる」という言葉は、いつもそばにある身近な言葉です。
 今大会で、金メダル有力候補といわれていた女子レスリングの浜口選手は惜しくも銅メダルでした。彼女の心の中のくやしさは計りきれませんが、「私の人生の中では、金メダル以上のものを経験させてもらった」と言ったときの晴れやかな笑顔が印象的でした。がんばった自分をこんなふうに認めてあげられる人は、幸せだなあと。「ガンバレ! ニッポン!」すっかり五輪にはまってしまった今年の夏休みでした。


■■パソコンの利用(みのり/まこ先生)
 私は、学年に関わらずパソコン入力に慣れている生徒には、パソコンで作文を書くようにすすめています。なぜなら手書きの負担を減らすことによって「作文」つまり文を考えることに専念できると思うからです。作文の内容を考えるときに、誤字・脱字の訂正にまで気を配るのはなかなか大変なことです。せっかく毎週作文を書く勉強をしているのだから「作文」に力を向けてほしいと思うのです。作文は書くことが大事なのではありません。何をどんなふうに書くかを考える作業が一番大事なのです。自分の体験や人から聞いた話、あるいは読んだ本のことを思い出しながら自分の意見や感想を考えるのです。私はこの作業にもっとも時間をかけてほしいと思っています。低学年の生徒の場合は、おうちの人と話し合うことでこの作業を行います。
 もう一つ、パソコンで作文を書いて送信してもらうと、自動採点システムで作文に点数がつくというメリットがあります。この点数を気にしすぎる必要はありませんが、自分の作文にはどんなクセがあるのかを知るにはいい機会です。この点数を励みにがんばっている生徒もいます。どんな作文が良い点数をとっているのかを参考に読んでみるのもいい勉強です。ここで注意してほしいのは、得点の高い作文の方が得点の低い作文よりも優れているとは限らないということです。機械は人の気持ちや心までは計れませんから、これはあくまでも一つの目安と考えてください。
 毎週作文を書くことに少々うんざりきていた生徒がパソコン入力に変えたところ、すっかり立ち直ってしまったということもありました。それどころか字数が飛躍的に伸びたのです。それまでは、用もないのにパソコンで遊んではいけないことになっていたそうなのですが、作文のおかげで堂々とパソコンが使えると喜んでいました。
 以上、パソコンで作文を書く場合の長所をあげてみました。もちろん長所もあれば短所もあります。それぞれの家庭の事情や環境のこともありますので何が何でもパソコンというのではありませんが、何が何でも手書きと思い込む前に、一度考えてみられてはいかがでしょうか。
 <<えa/2795み>>


■■「備えあれば憂いなし」(ひなた/いのあ先生)
 みなさん、こんにちは。三学期制の学校は新学期が始まりましたね。今学期は運動会や文化祭、マラソン大会やクリスマス・・・ と、いろいろなイベントがあるかと思います。その準備というのもまた楽しいものですね。
 先日、私の住む群馬県では浅間山が噴火しました。私の家では鳥を飼っているのですが、噴火の少し前に一斉に騒ぎ始めました。しばらくして雷のような音がして、浅間山が噴火したとのことでした。私の家は浅間山から遠いので、被害という被害は出ていませんが、浅間山近隣の人たちのことを思うと他人ごとではいられませんでした。また、私は群馬に伝わる浅間山の次の話を思い出さずにはいられませんでした。昔、天保の時代に浅間山が大噴火を起こしました。そして流れ出た溶岩が見る間に辺りの町を飲み込んでいきます。町で一番高いところにある神社の階段を上りきった少しの人々だけが生き残りました。その階段も途中までは溶岩に飲み込まれてしまいました。生死を分けた階段。噴火がおさまったあと、その生死の境目の段に、年老いた女の人をおぶった若い女の人の、二人の遺骨があったのでした。あと一歩上ることができれば生き残れたのに・・・ 。そのときの写真が今も伝わっています。おぶさったままの形の二人の遺骨。現在、その神社の階段はその生死を分けた境目から下は溶岩に埋まり、その上の部分だけが残っています。子供のころ、そこに立ったときは涙なくしてはいられませんでした。こんなにも自然とは恐ろしいものかと思ったものです。自然災害というのは予期することができず、また、その自然の威力は私たちの力などはるかに及ばない強大なものです。その自然の威力を前にして、私たちができることはなんでしょうか。自分の身を守るだけでもやっとではないでしょうか。九月一日は防災の日でした。国民の三分の二が地震に対する備えを何もしていないそうです。かく言う私もそうでしたが。備えというのはその準備をしておいた物が実際に役に立つということよりも、準備をしてあることでパニックに陥らずにすむということが大切なのではないかと思います。非常時に冷静でいられる人はいないでしょうから。「備えあれば憂いなし」というくらいです。
 作文に置き換えてみても、備えというのはとても重要なことです。例えば大好きなお肉があります。(題材)それを料理する方法はたくさんありますね。焼いたり、煮たり、揚げたり。その肉のおいしさを引き出せるかは料理の腕にかかっているわけですね。題材を料理すること、作文を書くことも同じです。いかに料理できるかは、みなさんがもつ表現力次第です。たくさんの料理方法を知っていれば、その場に合わせて料理することが可能です。いろいろな表現を知っていれば文章の書き方もその場に合わせた表現ができるはずです。そのいろいろな表現を自分の中に蓄えること、それが本を読む目的の一つです。みなさんの中には題材がたくさんあるはずです。それをうまく表現する力を読書によって養っていけるといいですね。作文においても「備えあれば憂いなし」です。「継続は力なり!」
<<え118み>>


■■たとえのたとえ(あおぞら/あお先生)
 「まるで○○のよう」のたとえはどの学年も共通の項目です。皆さん、毎回、すばらしいたとえを考えてくれていますね。
 さて、しかし、とてもよく書ける人にかぎって、失敗してしまうときあります。「まるで」が使えているのに、「まるでへたくそ」というふうになったり、「〜よう」が使えているのに、「このようにする」というふうになったり。このふたつは残念ながらたとえではありません。実は「まるで」にも「〜よう」にもたとえ以外の別の用法があるからなのです。言葉をたくさん知っている人がまちがうのもうなずけますね。
 そこで、今日は先生が考えたたとえを10連発。文法的な説明よりも例文を聞くほうが感覚がつかめます。読んでみてね↓
<<え5368み>>
1、僕は走った。まるでメロスのように。
2、森の中をどんどん行くと、まるで『ヘンデルとグレーテル』に出てくるようなお菓子の家にたどりついた。
3、探していた妹が、まるで僕のことをはじめて見るような目つきで立っている。
4、おまけに、まるで食べ過ぎてうごけなくなったリスのようにプクプクだ。
5、僕が口を開くより先に、「まるで逆立ちしたサルみたいに顔が真っ赤ね!」と妹は笑った。
6、僕はまるでくたびれた運動靴のようなきもちでへたへたとそこに座り込んだ。
7、妹はまるで奇術師のような手つきで空中をさっとひとかきして、チョコレートをつかみ、僕に差し出した。
8、僕はそれをゆっくり味わうと、そのあとはまるでスイッチの入ったロボットのように、ひたすら、お菓子の家を食べ始めた。
9、「おにいちゃん、まるでフードファイターのようね」
10、妹はにっこり笑うと、まるでうさぎのようなやわらかな手で僕の手を引いてお菓子の家の中へと連れて入った。
<<え4317み>>

 なんだか、シュールな話になっちゃいました(^^ゞ さて、言葉の森のたとえの項目の説明(インターネットで見られます)には、次のように書かれています。「練習の方法としては、家庭の中でゲームのようにたとえを使うやり方が効果的で、大人も子供も楽しめます」 楽しそうなので試してみてください。
 今月もみなさんのユニークなたとえを待っています。来月の学級新聞ではみんなの9月の作文の中からすてきに書けたたとえを紹介しますよ(^o^)丿


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