言葉の森新聞2005年3月1週号 通算第877号
文責 中根克明(森川林)

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■■3.1週に作文進級テスト
 3.1週に、作文進級テストを行います。課題フォルダの字数・構成・題材・表現・主題の●印が全部できていることが合格の条件になります。(表現の項目などで「たとえ」と「ダジャレ」など二つ以上の項目が指定されている場合はどちらかができていればその項目は◎です)。キーワードと字数が採点の基準ですので、指定された字数以上で必要な項目が全部入る作文を書いていってください。中学生以上の時間制限については、今回は採点の基準にしませんが、できるだけ時間内に書き上げる力をつけていきましょう。
 手書きで作文を書く人は、項目ができたところにシールをはっておいてください。
 パソコンで作文を書く人は、キーワードを入れておいてください。
 小学生の場合は、提出する前に、おうちの方が字数と項目シールをチェックしてあげてくださるとよいと思います。
 小学2年生までの生徒は、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。1月以降に受講を開始した生徒も、試験は行いますが、全員進級扱いで先の級に進みます。ただし、いずれの場合も、賞状は出ますので、できるだけ字数と項目ができるように書いていってください。


■■耳を澄ませば(にこたん/しおり先生)
<<え2004/790み>>
 昨年からこれまで『災(わざわい)』という字に例えられるように世界各地をたくさんの痛ましいニュースがかけめぐっています。言葉の森は日本のみならず海外の受講生もたくさんいます。ニュースを見るたびに「みんな元気かな。だいじょうぶかな。」とちょっと心配してしまうしおり先生です。みなさんいかがお過ごしですか。
 先生はこれまでの人生の中で、大きな災害や病気・障害にあった経験がほとんどありません。テレビや新聞の記事を見て驚き、悲しみ、感動の涙を流してもスイッチを切り、閉じてしまえばおしまい。まるでテレビゲームのリセットボタンのようです。何度でもやり直すことができ、忘れることができる。しかし、本当は違うのですよね。今、このときも試練と闘い続ける人がたくさんいるというのに。
 「なぜニュースを見るの?」5歳になる先生の子どもが言いました。「こわいよ、おもしろいテレビにかえようよ。」その時、胸がはっとしました。何のため? これらを知ってどうしようというのだろう。私には直接関係がないことなのに……。そのこたえは、まだはっきりとは見つかっていません。しかし、直接関係がなくてもすすんでボランテイア活動をする人々の姿に心がふるえました。このままじゃあ、だめだ。何か「できること」を探していこう。そう思い始めてまずは、身近な不用品(使用済みの切手テレホンカードや空き缶のリングプルなど)を集めて寄贈することをスタートしました。(みなさんの切手ももちろん使わせてもらいますね。)
 みなさんはどうでしょうか。どうぞ、「もし、自分だったら」と想像してみてください。あなたの耳に聞こえてくるのはどんな声でしょうか。心も鍛えてみてください。いつかは自分も出会うかもしれない数々の運命に向かって。瞳を閉じて♪ 心の耳を澄ませて……。
 今月はちょっと難しい話になってしまいましたね。しおり学級のみんなと、こうしていつもどおりに普通に生活ができる幸せをかみしめています。当たり前のようで、本当はとても貴重な時間です。週に一度の作文の学習ですが、同じ目標のためにがんばっている仲間がたくさんいますね。山の便りなどをみて、お互いに支えあって成長していきたいですね。ファイト、オー!
<<え3492み>>


■■「いろいろな言った」「声・顔・動作のようす」(はち/たけこ先生)
<<え799み>>
 まだまだ寒い毎日ですが、ふと見ると、かわいた土やはだかの木のえだから、あさ緑の芽がのぞいていませんか。じんちょうげのいいにおいがし、梅の枝がりんとせいけつな花をさかせているところもあるでしょうね。(沖縄の恭人くんやバンコクのグレープフルーツさんはあたたかい日の光を楽しんでいるでしょうが・・・いいなあ)

 さて、今回から課題の中でみなさんがまちがえやすいところをとりあげていきます。その課題のない生徒のみなさんも、いい作文を書くためには必要なことですので、よく読んでくださいね。保護者のみなさまもご参考までにどうぞお読みになってください。
<<えa/706み>>
第1回目「いろいろな言ったこと」「声・顔・動作のようす」

 この二つの課題は、「会話」を書いたときに使ってもらう課題です。「 」(かぎかっこ)で会話を書いたあと、いつも「と、おかあさんは言いました」「と、先生は言いました」などと「言いました」ばかりを使うのでなく、ちがう表現をしてみようというものです。また、そのときに、どんな顔や声で言ったか、どんな動作をしながら言ったかをつけたしてもらうものです。
 高学年の生徒さんでこの課題がはいっていない生徒さんも、会話を入れるときは、ぜひやってみてください。
 ではこの課題の入れ方で、次の文の中のおかしなところはどこでしょう。(これは、先生が考えた文です)
1・「どうして宿題をやらなかったの?」先生はきびしい顔でたずねました。
  「テレビを見ていて、わすれました」わたしは、はずかしそうに答えました。
2.「ははははは」とつぜん、おとうさんが大きな口をあけてわらいだしました。
  「どうしたの?」わたしは、ふしぎそうに聞きました。
3.「そのかばん、かわいいね」ともだちが、かんしんしたようにほめてくれました。
 「ありがとう」わたしは、うれしそうに答えました。

 みなさんわかりましたか? そうですね、自分が言うときは、「〜そうに」ということばを使うと、どこかおかしい文だと気がつきませんでしたか? 「〜そう」というのは、「自分がほかの人を見て、こんなふうだなあと感じたとき」に使うことばです。「自分が自分を見て、こんなふうだなあ」とは会話をしているとき、思いませんよね。
 自分の会話では「〜そうに」ということばを使わずに、ちがうことばにおきかえてみてください。
 たとえば、いろいろなおきかえかたがありますが、1は「はずかしくなって」とか「小さな声で」「しょんぼりして」「うつむきながら」など。2は、「ふしぎに思って」や「首をかしげて」など。3は、「にこにこして」や「むねをはずませながら」などがあると思います。
 こういう書き方は自分で本を読むときに、どんなふうに書いてあるかなあと気をつけてみるといいですよ。
 高学年のみなさんも「言いました」ばかりが続くことのないように、いろいろとくふうしてみてください。
<<え797み>>


■■「甘えさせること」と、「甘やかすこと」(みかん/ななこ先生)
<<えa/746み>> まもなく立春を迎え、暦の上では春となります。待ちわびた春が、一歩一歩近づいていますね。とはいえ、まだまだ寒い毎日ですが、冬のさいごを元気に乗り切りましょう。

 最近読んだ雑誌のインタビュー記事に興味深い話がありました。
 『「甘えさせること」と、「甘やかすこと」というのは、似ているけれど全く違います。私たちはよくそこを混同してしまいます。子どもが親の愛情をほしがったらその場で与える。「抱っこして」と言ったら抱きしめる。「話を聞いて」と言ったらその場で話を聞いてあげる。これは、「甘えさせる」ということ。一方、「ジュースがほしい」と言ったらいつでも与える。これは「甘やかす」こと。物を与えて手をかけることが愛情だと思い込んでいる親が多いのではないかなと思います。』
 「日本家庭福祉会」の理事長である波多野ミキさんという女性のインタビュー記事の中の言葉です。
 私も日々の子育ての中で、この「甘えさせること」の難しさを感じています。子どもが「今日ね・・・」と話しかけてきても「今忙しいからあとでね。」と、あと回しにすることもしばしば。そして、あとになって「さっきの話は、なんだったの?」と、聞いたところで時すでに遅し・・・。子どもの「話したい!」という気分はすっかりなえてしまっています。子どもにゆったりと向き合う心の余裕を持ちたいと思う反省ばかりの日々です。
<<え882み>> 
 また、子どもをしつける時には、昔から「七つほめて、三つしかれ」と言われているそうです。それくらい、しかるよりほめるほうが効果が大きいということです。言葉の森の作文指導もそうですが、たくさん直してほしいところがあっても、子どもに言うのはせいぜい一つか二つです。いろんなことを言われても、子どもは忘れてしまいます。人間は、いやなことは忘れるようにできているからです。そのかわり、よくできたところをたくさん見つけて、たくさんほめたあとで、「ここをこうしたらもっといいよ。」と一つか二つ話をすると、気分よく聞いてくれる子が多いのです。
 大人はつい、感情にまかせて子どもをおこってしまいますが、なぜしかられているのか子どもがきちんと理解できるようなしかりかたを心がけたいものです。そして、しかることは最小限に、ほめることを中心にした生活を送りたいと思います。なかなか難しいことですが、大人が変われば子どもも変わると思います。まず、私たち大人が変わっていきましょう。
<<え2004/790み>> 


■■「継続は力なり」の名言は素晴らしい(すずらん/おだ先生)
 今月はこの名言が実証され、私にとって嬉しい話題をお知らせします。
 私は言葉の森の講師をして14年ぐらいになりますが、その間たくさんの生徒さんとの交流がありました。最初は港南台の教室での出会い、そして電話だけの指導になっての声だけの出会い、とてもまじめな生徒さんばかりで感心している毎日です。
 そのなかで、一人の生徒さんのことを思い出を交えて書いてみます。
 生徒さんをI君としておきます。彼はいま大学生で、もう私の授業から離れて6年ぐらい経ちます。
初めてI君に出会ったのは小学2年生の頃、かわいい真面目な小学生でした。言われたことはきちんと守り、そのころ実践していた漢字書取などの宿題のチェックは忘れたことはありませんでした。他の生徒さんたちはどちらかというと「わすれた〜」とほがらかに言うことが多くて、注意するほうも気が抜けてしまうほど賑やかな腕白集団というなか、一人まじめに、教室で決められていたことをまじめに守っていました。少々体調が悪くても休まずに通っていましたし、作文の題に沿って自分で納得がいくまで考えて書いている様子は今でも忘れられません。
 そんな彼を中学2年生まで担当してきましたが、高校からは他の先生が担当し、大学に見事合格して、いまは大学生活をエンジョイしているようです。小学生から中学生までの変化の大きい成長期、だんだん声変わりしていく少年の考え方に、私も頼もしく思ったり、考え方に賛成したり、こう考えた方が良いのではと話し合ったりの数年間でした。反抗期もあったと思いますが、とにかく好青年に成長したことは間違いありません。
 どうしてそう思うのかという、その訳は……。
 毎年届く年賀状に、その時の状況など書いてくれるのですが、今年の年賀状には、大学のレポート提出が多くて、しかも字数が多いことが条件、かなり大変なのだが、言葉の森でずっと書いてきたことで、書くことに対して抵抗無く取り組めるということが書いてあったのです。10年以上続けた言葉の森の勉強が彼にとって大きな力となり、自信になっていることが分かる文面に、思わず「継続は力なり」の言葉が浮かんできました。
 何事も、続けることは簡単なようで難しいことですが、コツコツと続けているうちにそれが生活の一部になり、それがないと忘れ物をしたような気持ちになることがあります。
 彼が続けることができたのはご両親の励ましがあったことでしょうが、「自分で決めたことは納得がいくまでやる」という気持ちが強くなければ続かなかったと思います。大学生になっている今、続けていたことが花開いていることが感じられ、私にとっても教えられることが多い内容でした。
 言葉の森でも、長文音読、短文暗唱など、地味にコツコツやらなければならないことがあります。でも、それが基礎となり、力になり、困ったときなどにあのとき暗唱していた文章だと思い出して慰めになったりすることがきっとあると思います。
「継続は力なり」です。私も実践しながらいろいろなことを蓄えていきたいと思います。
<<えa/711み>>


■■子どもたちの感性(いろは/いた先生)
<<えa/699み>>
 立春を迎え、暦の上では「春」ですが、まだまだ寒い日が続いていますね。「こんな寒いのに春だなんておかしい!」と叫びたくなりますが、やはり春は近づいているようです。冬至が過ぎてから日が長くなった気がしませんか? ついこの間まで5時には真っ暗だったのに、「もう少しあそべるかな?」という感じがしませんか? わたしは夜になるとなにもする気にならない人間で、冬の間は活動時間が本当に短かったのです。5時までに夕飯のしたくができていなければ、「ああ、今日も負け組みだな……。」なんてつぶやいて、時間の少なさをなげいたものです。でも今は5時になっても「まだいける!」と活力がわいてくるのです。うれしい! とはいえ、「時間は自分で作るもの」。自分で作った時間の制約にしばられていてはいけませんね。
 二月は「逃げる月」と言われ、またたく間に過ぎていきます。時間に追いてきぼりにされないよう、しっかり歩いていきましょう。(^-^)
<<え1111み>>
 二月といえば「受験シーズン」です。作文、小論文で入試を受ける子たちを見ていると、自分のことを思い出します。私も大学受験で小論文を書きました。私の受けた試験は「言葉の森」の感想文と同じように長文を与えられ、それについて「どう思うのか」を書くものです。みんなが長文を読んで感じるのと同じで、「よく、わからないな〜」という文章でした。(^^ゞ それでも書かなければなりません。目標字数に達しなければなりません。どうやって「わっかんないな〜(笑)」という文章からたくさん書くのでしょう。それはみんなが書いている方法と全く同じで「にた話」をたっぷり書くのです。
 先生の書いた小論文は長文の内容とかけ離れていました。でもよく書けたという自信はあったのです。というのも「にた話をたっぷり書いた」「伝記実例もたっぷり書いた」「自分の考えも中心からずれることなくたっぷり書いた」からです。どんな長文でも自分の体験にぐっと近づけることができればいいのです。だから長文の内容と違っていても全然問題はないのですね。というよりも正解、不正解なんて感想文にはないのです。
 お母様方から質問を受けます。「うちの子、感想文の内容が長文からずれているのです。」「国語のテストの点数が悪いのです。」その質問への回答は「心配要りません」の一言につきます。どんなものにもたくさんの見方ができます。横から見れば長方形、でも上から見れば円形。お子さんが円をみて「四角」と答えると「大丈夫かしら?」と不安になる気持ちはわかりますが、逆に四角に見えた子供をほめてあげてください。
 一つの方向からしか見られない子より人と違った見方ができる方が魅力的ともいえるのではないでしょうか。いろいろな角度から見られる子供は深く考えすぎて、国語問題を間違えることがよくあります。これも問題に慣れることで考えを手前でとめる訓練ができると思います。
<<え1111み>>
 私は生徒の感想文を読みながらいつも「どうかこの感性が壊れることがないように。」と願っています。言葉の森を続けている間、私は子どもたちの感性を尊敬していきたいと思っています。なぜなら凝り固まった考えのわたし以上に子供たちは新鮮な視点で長文を読んでいるからです。
 長文を読んで「わっかんないな〜」と感じたとき、長文のどの部分でもいいので自分の体験と似た部分を探してください。お父さん、お母さんに聞いてみてください。きっとまた新しい世界が広がりますよ。
<<え1693み>> <<え1702み>>


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