言葉の森新聞2006年1月2週号 通算第918号
文責 中根克明(森川林)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇創造性を育てる作文・読解・国語◇◆◇◆◇
                              
    毎週担当の先生から電話の指導がある続けやすい通信講座
    自宅で無料体験学習を受けられます
    お申し込みはこちらからどうぞ
    https://www.mori7.com/

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

■■言葉の森の教室に掲示板
 言葉の森の入っているビルの1階に掲示板があります。
 そこが2面使えるようになったので、言葉の森のニュースなどを張り出しました。
 内容は、「今週の言葉の森新聞」「今週のマンガ」「今日のダジャレ」「今日の名言」「今月の入選作品」「作文検定のお知らせ」など盛りだくさんです。毎日更新するので大変です。(笑)
 言葉の森は、駅から2分半のところにあり、近くに港南台高校、山手学院中学・高校、上郷高校などがあるので、通学の生徒が行き帰りに見て楽しんでいるようです。


◆表はウェブでごらんください。
https://www.mori7.com/mori/mori_web.php?ki=20060102#8817

■■褒めることが子供を伸ばす
 人気メルマガ「親力で決まる子供の将来」が本になりました。『「親力」で決まる!』(親野智可等著)です。子供の学力を伸ばすために日常生活の中でできる工夫について書かれている前半部分も、なるほどと思うことが多く、非常に参考になるのですが、後半の、褒め方のテクニックについて書かれた部分は、それ以上に一読の価値があります。そのテクニックをいくつか紹介したいと思います。
 まず、具体的に褒めるということ。一緒に生活していれば褒める材料はどこにでも転がっているはずです。早起きができた、お手伝いができた(食器を運ぶなど、ちょっとしたことでよいのです)、弟の面倒を見たなど、普段は見過ごしてしまうようなことを一つずつ取り上げ、具体的に褒めることが子供の自信につながります。もちろん、これは作文指導にもあてはまります。作文が得意な生徒も得意でない生徒も、とにかくいいところを見つけて褒めてあげます。このとき、字がていねい、名前や数字がくわしく書けた、たとえがすばらしいなど、どこがよかったかを具体的に示すことが大事なのです。実は、私も最初のうちは、低学年でない生徒に「名前や数字がくわしく書けたね。」などと褒めることに少し抵抗を感じていました。でも、一つでも具体的なところを挙げて褒めると、子供の顔が輝き始めるのです。そして、自信をつけた子供はぐんぐん伸びていきます。
 次に、第三者も褒めていたと伝えること。これは、叱るときには絶対に使ってはいけない方法です。(笑)幼い子供は、親がほめるだけでも十分ですが、成長するに従って、子供は少しずつ社会の中での自分の位置というものに関心を示すようになります。そんなとき、周囲の人も褒めていたと伝えることが子供の自信を確かなものにします。また、その第三者と子供との関係を一気によくする効果もあると筆者は指摘しています。
 さらに、その子の思い入れの大きいことを褒めること。子供に限らず大人でも、自分の好きな分野、得意な分野を褒められたときに大きな喜びを感じるものではないでしょうか。しかし、筆者は、「子供がいちばん思い入れの大きいことを褒められることはあまりない」と言っています。それは、「子供が熱中することと大人の期待することは、ほとんどの場合全く別物だから」なのです。たとえば、電車が大好きな子供の場合、作文を書かせてみたら、電車の名前ばかりが並べられていたということがよくあります。そんなとき、多くの大人は、電車の名前をくわしく書くことよりも会話やたとえを入れて、もっと情緒的な作文を書いてほしいと思ってしまいます。でも、大人の価値観を離れ、子供の得意分野に目を向け、そこを褒めてあげるのです。話が大きくなってしまいますが、一つのことに夢中になれる能力は人生を切り開く能力につながります。自分の抱いた夢に向かって迷いなく進んでいかれる力の芽を摘んでしまうのはあまりにも惜しいことです。
 子供の成長を支える親にとって大切なことは、子供の優れている面に目を向け、その部分を引き出し、広げることだと思います。そのためにも、まずは褒めること。欠点を指摘するのは、長所を伸ばしてからでも間に合います。でも、長所が伸びるころには、もう欠点はその長所に覆い隠されてしまっているかもしれません。(シンシア)


■■ユーモアって、むつかしいね(ひとみ/かもの先生)
 みなさん、こんにちは。寒くなりましたね。かぜを、ひかないようにね。
「言葉の森」の課題に、ユーモアを書く、というのがありますね。これ、なかなか、むつかしいですよね。このあいだ、大学生のお兄さん、お姉さんたちと、ユーモアについて、どう書いたらいいか、一緒に考えてみようと、話したことがあります。
 と言っても、そう安々とはいかないのが、ユーモアです。で、仕方がないから、うまあーくユーモアを書けている文章を、一緒に読むことにしました。そのなかで、宮脇俊三さんの「時刻表二万キロ」という文庫本を参考にしました。
 この人、出版社に勤めていたのですが、休みの日が来ると、その前日、仕事が終わるやいなや、すぐ東京駅に走って行って列車に乗り、いい齢をして国鉄(いまのJRです)の全線完乗をめざし、それをやってのけた人です。
 そのことを書いたのが、この本です。
 そのなかに、北海道の白糠(しらぬか)線に乗ったときの、「汽車好きな牛」という題の文章があります。
 <…行くほどに、線路に沿って小さな牧場がいくつも現れてくる。上茶路(かみちゃろ)の駅のすぐ脇にも一〇頭ばかりの牛の放たれた牧場があって、そのなかのまだらの一頭が草を食(は)むのをやめてこっちを眺めている。牛や馬が汽車を眺めるのは珍しい。一日三往復しかないし、汽車好きな牛かもしれない>
と、こう書いておいて、最後の一行、その結びのしかたは、こうなのです。
 <しかし彼が汽車に乗るとすれば最期(さいご)の時しかないだろう>
 これ、面白さ、わかります? わかりますよね。
ユーモアのスパイスは、微量にして適量、たった一語でいい、と教えてくれた人がいます。ほんとに、そうだなあ、と思うのです。
 ユーモアを課題にされたときに、それは、ほんとに、ほんのちょっぴりでいいんだよ、というふうに考えてみてください。


■■読書好きは外国語もうまい(はちみつ/おと先生)
 またうきうきする季節がやってきました。年末は行事が多いですよね。あわただしくて、ばたばた。かぜもはやりそうな気配です。楽しいこともたくさんですが無理をしないようにしたいですね。
 自分の子供のことで恐縮ですが、英語が上達したいと言ってます。外国の人と直接コミュニケーションができると世界が広がるからです。学校の勉強でも長文読解が苦手で、すらすら読みこなせるようになりたいとか。読み取るスピードも早くなりたいし、問題を解く力もつけたいと言っています。英語のオンラインでの講習を受けています。学校で教科書以外に渡されている副読本を使って勉強しています。先日その英語塾の先生とお話する機会がありました。しょっぱなから内容が難しいらしいです。日本語として読んでも難しいそうです。だから国語の読解力がないと難しいだろうと言われました。
 お話の中でも塾に来ていた男子学生の話が興味深かったので紹介しますね。高1から入塾させられ、ほとんど英語の力がありませんでした。最初、しょっちゅう時計を見て、勉強にも集中できない生徒でした。ところがその生徒は小さい時から読書が好きだったそうです。いろんな本を良く読んでいたそうです。問題プリントより長文をやりたいと言うので、簡単なものから物語など長文を渡して読ませていたそうです。そのうち英語に興味を持ち始め、時間も忘れるくらいになったというんです。めきめき英語も上達したそうです。「子供の頃の読書がいかに大事かということを実感したわ。」と話されてました。
 読書力があると、英文の長文を読んでいて知らない単語が出てきてもかなり読めるようです。前後の文章から意味を推測する力がついているんですよね。知らず知らずのうちにトレーニングしているようなものです。好きな本、たとえゲームの攻略本やおしゃれの本などのようなものでも数多く読んでいると、中にわからない言葉が出てきても上手に読み飛ばしながら大意をつかみます。めんどうなのでいちいち辞書で引いたり、人に聞いたりしません。話が途中で中断してしまうからです。これも数をこなすと知らなかった言葉の意味をだいたい把握できるようになります。ときどき的外れもありますが。
 ちょうど子供がキング牧師の演説をやっていました。ぶつぶつ言いながら。「何でこんなの覚えなきゃいけない。」と。超勉強法の野口悠紀雄さんによると、「大統領の演説はあらゆる知識層の全国民に理解できるように平易な言葉で、しかしリズム感のあるよく練られたた文章でできている。だから英語を学習する外国人にももってこいである。20回も繰り返し読めば、誰でも覚えられる。このようなクセを積み重ねることが習得の早道だ」とありました。
 いつも子供に言っています。「言葉の森をきちんとやれば、だいたいの勉強は十分なんだよ。それも一生使うし。英語の勉強だって言葉を英語に置き換えるというだけで、やり方は同じだよ。」毎日、音読。これしかないですねぇ。


■■「意味記憶」と「方法記憶」(むり/むり先生)
 今月は、久しぶりに最近読んでおもしろかった本をご紹介しましょう。

 「海馬」池谷裕二、糸井重里 (新潮文庫)

 海馬(かいば)とは、脳の中にある記憶に関係する場所の名前です。この海馬で、大切な記憶といらない記憶をわけたり、記憶と記憶を結びつけたりしているそうです。この海馬の機能を説明することで、人間はどんなふうに物事を記憶するのか、頭がいいとはどういうことなのかをわかりやすく解説してくれる本です。こういうと、なんだか難しそうな本に思えるかもしれませんね。でもこれは、海馬の研究者である池谷さんと、脳のことはあまり知らない糸井さんの対談形式で書かれている本なので、とても読みやすく、途中をとばしてもちゃんと楽しむことができるので、時間のある冬休みなどにぜひ挑戦してみてほしいと思います。

 この中で、私が特におもしろいなぁと思ったのは、「意味記憶」と「方法記憶」という考え方です。漢字や単語をなどを単に暗記するのは「意味記憶」、自転車の乗り方や難問を解決する筋道のつけかたなど、自分で試して覚える記憶を「方法記憶」といいます。この「方法記憶」という考え方が、私にはとても新鮮でした。
よくスポーツなどでは、「体で覚える」という言葉を使いますね。これがまさに「方法記憶」です。「方法記憶」は覚えるのに時間やくふうが必要な場合が多いけれど、一度覚えるとなかなか忘れないという特徴があります。
自転車の乗り方や泳ぎ方は、ずっとやっていなくても忘れないと言われますよね。
漢字も、覚えたと思っても何回も何回も書くことで、「覚えたはずなのに忘れてしまった」ということが起こりにくくなるようになるのではないでしょうか。
言葉の森では3ヶ月間同じ重点項目で書いていきます。学期ごと変わらない重点項目もありますから、そのうち「またこれかぁ、毎度同じだなぁ。」なんて思うこともあるかもしれません。でも、これは作文の書き方を「方法記憶」に残しているのですね。いつの日か、自転車に乗るようにさっそうと作文が書けるようになるはずです。
<<え2005/50み>>


■■絵画でつづる源氏物語(ミニー/さらだ先生)
10月に父の百か日法要のために実家へ帰り、その時名古屋市にある「徳川美術館」 に行ってきました。その美術館は、みんなも知っている江戸時代に天下を取っていた、あの尾張徳川家に、代代伝えられた重宝が収められているところです。そこで、「絵画でつづる源氏物語」 の展示を開催していたので見に出かけました。

 「源氏物語」 は耳にしたことがあるよね? 今からおよそ千年の昔、紫式部によって著された「源氏物語」 は平安時代から現代にいたるまで、さまざまに絵画化されてきました。
展示室の中には、「源氏物語」 を描いた絵巻や屏風(びょうぶ)、色紙、扇がところせましとならんでいました。冊子になった「絵詞」 は、場面場面の絵が描かれ、詞書(ことばがき=絵巻の説明文) が、さらさらと、とても達筆な字で書かれていました。印刷技術もその頃はなかったでしょうから、その冊子を貴重なものとし、大切に大切にあつかわれ、読まれていったのかなあ と先生の思いは、鎌倉時代へ飛んでいったのです。この絵を描いた人たちは、「源氏物語」 を読み、自分でその場面を想像し、絵にしていったのでしょう。「源氏物語」 は、彼らにとってどんなにか楽しみな本だったか想像できます。また、絵にして描いていく時間は、どれほど楽しかったことでしょう。そして、その絵巻を手にした人々は、わくわくとときめきながら紐をほどいたことでしょう。こんなにもたくさんの絵巻は、同じ「源氏物語」 を描いたものでありながら、描き手のそれぞれの個性をを輝かせ、人々を楽しませました。そして、気が遠くなるほどの長い時間、愛されてきたのです。
  <<え1678み>>
 私たちも本を読みながら、いろいろな場面を自分で想像しているよね。そこに入り込んでしまって、その場に実際に居合わせているような気さえしてしまう。笑い、涙し、感動する。そんな楽しい時間は、かけがえのないものです。展示されている屏風は、あの有名な江戸時代の、狩野探幽や、俵屋宗達のものもありました。彼らもやはり、源氏を読み、想像した絵を描くことは、とても楽しかったのではないかと思えるのです。
 中には、「源氏物語」 が描かれた「かるた」 や「貝合(かいあわせ)」 もありました。美しい貝合はお嫁入りの道具でもあったようです。それだけ、「源氏物語」 が愛されてきたことがよくわかります。テレビやビデオもない世界での、最高の娯楽だったのでしょう。多くの展示物は、とても興味深いものばかりでした。先生にとって、楽しい「源氏物語」 との触れ合いでした。
                


■■美しい○(モネ/いとゆ先生)
 今日、息子が学校から帰ってくるなり、「美しい○」という言葉で、○の中に入れる良い漢字はないか、と聞いてきました。どうやら、来年の書き初め大会で書く言葉を考えてくるというのが、本日の宿題のようです。
 「美しい○、ねぇ? 美しい目、というのはどう?」「なんだか、めがね屋の宣伝みたい。じゃ、美しい体は?」「そんなの、かっこ悪いよ。」
 書きやすくて、見ばえも良く、新年にふさわしい漢字というと、探すのがなかなかむずかしいものです。

 そもそも書き初めという行事が広まったのは、江戸時代のことで、当時はおめでたい詩歌などを書いていたようです。元日の早朝に井戸からくみ上げた水をつかって墨(すみ)をすり、恵方(その年の吉とされる方角)に向かって書くのが習わしだったようです。
 この書き初めを、1月15日のどんと焼きで燃やして、炎が高くあがればあがるほど、字が上達すると言われています。せっかくの書き初めを燃やしてしまうなんて、なんだかもったいない感じがしますね。

 さて、「美しい○」の話にもどりますが、「心、という字はどう?」と提案したところ、「心はねぇ、バランスの取り方がむずかしいんだよ。」と言われました。なるほど、2つの点の大きさや位置などによっては、みょうに間のびしたバランスの悪い字になってしまいそうです。
 そして、その時ふと思ったことは、「字だけでなく心そのものも、バランスを取るのは、むずかしいなぁ。」ということです。

 人はだれでも心の中に、うれしい気持ち、悲しい気持ち、楽しい気持ち、つらい気持ちをかかえて生きています。何かのきっかけで、悲しい気持ちやつらい気持ちばかりが心の中にいっぱいになってしまうと、バランスは、ぐらぐらとくずれ出します。
 そういうときは、自分の好きなことに熱中してみたり、だれかに話を聞いてもらったりして、なんとかバランスを取りもどそうとしますが、なかなか思うように心は言うことを聞いてくれませんよね。
 大切なことは、人間はだれもがそうやってなやみながら生きているのだということです。うれしいことや楽しいことばかりの人生はありえません。何度もつらく悲しいことにぶつかりながら、それを乗りこえる強さと、人のいたみをわかってあげられるやさしさを持つことができるのだと思います。

 結局、息子は、「美しい心」という言葉に決めたようです。ぜひ、バランスの取れたきれいな字を書いてほしいものです。


■■幸せになる方法
 幸せになるためのいちばん簡単でいちばん確実な方法は、今の自分がすでに幸せであることを知ることだと思います。たくさんの愛情を注がれて今の自分があること、そして、自分の内にある大きな可能性などなど。ほかの誰でもない自分自身を信頼し、自分に期待すること、それが生きがいにもつながる、本当の幸せではないでしょうか。

 自分の外側に期待するとあてがはずれたときに大きな失望を味わうことになります。たとえ、一時的に欲求が満たされたとしても、その満足感が永遠に続くわけではありません。ほしかった物がやっと手に入ったとき、そんなときは確かにうれしいけれど、そのうれしさはいつか色あせるものです。

 私たちは、一人一人が自ら光を発する太陽のような存在なのだと思います。自分で明るさやあたたかさを発信できるにもかかわらず、他人に照らしてもらうこと、あたためてもらうことばかり考えていると、いつしか自分自身の輝きを失ってしまいます。また、自分から周囲を照らすことは、自分の内にある不安や恐れを消すことにもつながります。

 自分の幸せは自分で作り出すものです。他の人や外側の世界にそれを求めていてはいつまでたっても本当の幸せをつかめません。また、先のことを思いわずらったり、他人と比べてばかりいると、今ある幸せさえも逃げていってしまいます。自分を信頼し、自分に期待すること。これができていれば現実に一喜一憂することもなくなるはずです。どんなことがあっても乗り越えていかれるという覚悟を決めて進んでいくと、不思議といいことが魔法のように振りかかるものです。うそだと思ったらやってみてください。(笑)

                                      山田純子(メグ)

  <<え437み>>
  


----------------------------------------------------

■MagMagからのメールマガジンの登録と削除は下記のページで
(▼ダイジェスト版 マガジンID:0000000226)
https://tinyurl.com/ybkrlw5b
(▼完全版 マガジンID:0000132951)
https://tinyurl.com/yakxr3w3
■これまでの言葉の森新聞は下記のページで
https://www.mori7.com/mori/
■ホームページ
https://www.mori7.com/
■メール
mori@mori7.com
【事務局用】 ユーザー: パス: