言葉の森新聞2011年11月3週号 通算第1200号
文責 中根克明(森川林)

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■■【重要】12月1週は進級テスト。早めの提出も可
 12月1週は進級テストです。1週に用事のある人は、早めに説明を聞いて書いてください。

■■11月23日(水)は休み宿題
 11月23日(水)は、休み宿題です。先生からの電話はありませんが、その週の課題を自宅で書いて提出してください。


■■森林プロジェクトの目指すもの(2)

 (複数の家庭の交流によってバランスよい子供たちが育つ、という話の続きです)
 これは、しつけについても言えます。
 親は、自分がその親からしつけられたことまでしか子供をしつけられません。早起きの習慣のない親が、子供を早寝早起きにできないように、すべてのしつけは、親ができていなければ子供に教えることはできません。
 しかし、他の家庭の子供と一緒に遊んだり勉強したりすれば、しつけはいちばんよいものが無理のない形で共有されていくのです。
 こういう、子供たちの学習を中心とした近所の結びつきが自然にできるというのが、作文や国語の学習の特徴です。
 勉強の内容は、作文や国語にとどまらず、算数数学や、英語や、音楽や、体育にも広がっていきます。すべての習い事には、教え方のポイントになるものがあります。その勘所さえ押さえれば、楽に上達するという秘訣があるのです。
 ところが、多くの習い事の教室は、子供たちの興味を引きつけるための面白おかしい外見に力を入れてしまい、肝心のポイントは二の次になっています。それは、外見に力を入れないと売れないからです。
 ところが、親が自分の子供のために教えるのであれば、そのような外見は必要ありません。ただ本質的に大事なことをしっかり教えていくだけでいいのです。国語の学習の場合で言えば、それは読書を中心にした対話、暗唱、作文です。
 言葉の森は、国語力以外の子供たちの成長のニーズに応えるために、さまざまな教材を開発していく予定です。それは、外見よく売るための教材ではなく、本当に必要なエッセンスに絞ったものになります。
 わざわざ遠方まで、高い月謝と時間をかけて、いい先生のもとに通わなくても、自分の家でほとんどのことは、もっと簡単に身につくのです。
 さて、このときに必要とされるのが大人の創造性です。
 言葉の森の作文課題のいろいろな長文を見ているうちに、もっといい長文を自分が子供たちのために書いてあげたいという人も出てくると思います。さまざまな教材や教え方をどう改善したらよいかということは、実際に自分の子供を教えている親がいちばん敏感にわかるからです。
 そういう親の自主的な教材改善の力で、家庭学習は単なる学習塾や習い事教室の代替物ではなく、それらの外部の機関に委託するよりもはるかに優れた教材力、指導力を持つ学習機会になっていくでしょう。
 日本ばかりでなく、これからの世界は、大不況に突入すると言われています。

 必要経費をいろいろ削ったとしても、子供の教育にかけるお金は削りたくないと思っている家庭は多いでしょう。しかし、お金をかけなければいい教育ができないと思うのは錯覚です。
 昔は、貧しい家庭の中から、多くの優れた子供たちが生まれました。極貧の中で成長し、世界に通用する立派な科学者になったり政治家になったりした人もいました。
 それは、家庭と地域に教育力があったからです。子供たちは、学校に通う前に、家庭と地域でしっかりと学力の根を張っていたのです。
 今、親の年収と子供の学歴が比例するような状況が生まれているのは、教育にお金がかかるからではありません。家庭と地域の教育力がなくなったために、外部の機関に教育を委託せざるをえなくなったからです。
 だから、委託の費用を出せる家庭でなければ子供にいい教育を受けさせることができないのではないかという勘違いが生まれてきたのです。
 さて、子供たちの教育を中心としてできた結びつきは、子供たちが大きくなってしまっても更に発展していく可能性があります。それは、つながりのある大人どうしで新しい教育を作り出すことです。
 実は、教育とは、農業、工業に続く、未来の新しい産業です。世界の経済が行き詰まっているのは、工業のあとに続く産業が先進国で開発されていないからです。多くの人は、未来の産業を、金融工学産業、情報産業、環境産業、宇宙産業など、工業の延長でしか考えていないので、出口が見つからないのです。
 原点は、真の価値のあるものは何かということです。
 農業は、真に価値のある産業です。それと同じように、人間の創造性こそが最後に価値のある産業になります。つまり、教育(といっても、受験競争に勝つための教育ではなく、人間の創造性を開花させるような教育)が、未来の産業の中心になるのです。
 その動きは、既にさまざまな形で生まれていますが、それを更に加速させるのが子育てを終えた親が集まって互いに自分の得意なものを教え合う社会人の創造教育です。
 この創造教育を新産業として拡大すれば、日本は世界の低迷した経済から一歩早く抜け出せます。
 工業生産は、今は、設備投資さえすれば、どの国でもできるようになっています。日本がそれに対抗して、生産拠点を海外に移したり、国内の生産で人件費負担を減らすために派遣社員化したり外国人を雇用したり、逆に門戸を閉じて鎖国的な政策をとろうとしたりしていては、世界の経済は停滞を続けるだけでしょう。
 日本は、工業の先にある産業、つまり人間の創造産業を切り開いていく必要があります。
 生きた組織とは、内部で富を作り出している組織です。趣味の集まり、上から形成された集まり、補助金や寄付によって運営されている集まり、などはいくら大きな組織であり、長年続いていて重要な役割を果たしている組織であったとしても生きた組織とは言えません。入力以上の出力があるのが生きた組織です。
 それは、生きた生物の定義と同じです。その点で、生きた組織の代表的なものは、ひとつには正当に利益を上げている企業です。もうひとつは国民に支持されている国家です。その生きた国家を支えるものは、国家と個人の間に存在する無数の生きた組織です。
 寺子屋のような教室は、子供たちを育てる教育を行うという点で富を生み出す生きた組織です。
 この組織を更に発展させて、大人どうしが自分の得意なものを教え合うだけでなく、その地域の長所を生かした特産品を作り、それを他の地域に販売できるようになれば、その産業を通じて地域自体が生きた組織になります。
 日本全国にその土地の風土や歴史を生かした産業が生まれ、生きた地域によって支えられた生きた国が作られていくというのが、日本の未来の姿です。そのとき、国家は、よそよそしい権威とルールを押しつけるものではなく、真に国民のための国家となるでしょう。
 日本が創造産業を作り出すことによって、初めて世界経済は再び豊かに動き出していきます。しかし、日本の役割はそれを世界に広げることではありません。
 新しい創造産業は、自然に世界に広がります。日本のすることは、まだ先の可能性が無限にある未来の創造産業をただひたすらに前進させていくことです。
 そういう創造の可能性に満ちた社会の一歩手前に、今、私たちはいるのだと思います。
▽「森林プロジェクト」のページ
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■■受験の目的、勉強の目的

●受験の目的は志望校に合格すること、勉強の目的は社会に貢献すること
 受験の目的は志望校に合格することというのはあたりまえのことですが、長期間の勉強をしていると、その目的を忘れてしまうことがあります。
 例えば、塾や予備校で勉強していると、その塾や予備校でいい成績を取ることが目的のようになってしまいます。また、模擬試験は自分の実力を見るためのテストですから、点数が悪くても問題ないのですが、模擬試験のために詰め込みで勉強してしまうような子もいます。
 これまでいろいろな生徒を教えてきて、いつも驚くのは受験の直前になるまで志望校の過去問を解いたことのない子がかなりいることです。
 過去問は、受験間際の力試しにためにやるものではなく、受験の1年前から勉強の方向を決めるためにやるものです。まだ解けない問題は、答えを書き込みながら解いていき、問題の傾向と自分の弱点を分析しておきます。
 過去問は、勉強の軌道修正のためにときどき取り組むことが大切です。そのためには、古い年の過去問もできるだけ用意しておきます。
 受験勉強は、自分のペースで取り組むことが大事です。高校入試、大学入試では、塾の勉強で他人任せに進めるのではなく、できるだけ自分で課題と予定を決めてやっていくことが大事です。中高生で、夏休みに塾や予備校の夏期講習に参加せず、自分で勉強する場合は1日7時間ぐらいの勉強が目安になると思います。
 受験勉強の目的は志望校に合格することですが、勉強そのものの目的は、自分自身を向上させ、将来社会に役立つ人間になることです。志望校の合格はそのためのひとつの手段です。合格したから偉いのでも、合格しなかったから駄目なのでもないということを折に触れて親子で確認しておくと、受験後もしっかりと勉強を続けることができます。
●これからの仕事に必要とされる、得意分野と幅広い教養
 これから世の中は大きく変わっていきます。一つは、新しい発明や発見によって今よりももっと便利で豊かで自然と共存できる生活になることです。もう一つは、多くの人の人間性が向上し、利己心や策略などが通用しなくなることです。
 このような社会では、いい仕事の基準も変わってきます。これからの社会では、自分の個性を生かし社会から喜ばれる仕事ほど、高収入で安定していて自由度の高い仕事になります。
 そのような社会に対応する勉強は、自分の興味や関心や得意技を生かすと同時に、幅広い教科を身につける勉強です。
 いい学校に入るとか、いい会社に入るとか、いい仕事に就くとかいう目的のために、そこに絞った勉強をするという考えだと、目的を達成した時点で勉強も終わってしまいます。
 これからは、自分の個性を生かすために、できるだけ幅広い勉強をし、また勉強に対する向上心も一生持ち続けていくことが必要になります。
●社会に出て必要になるのは、成績のよさよりも人間性
 勉強を受験競争における勝ち負けのようなものだと考えると、知的な能力だけを大事なものだと考えてしまいがちです。しかし、現実の社会の中で仕事に活躍できるのは、みんなから信頼される豊かな人間性を持った人たちです。
 つまり、人間性という大きな枠の中に、勇気、知性、愛、創造性などという分野があり、知性という分野の中に、国語、数学、英語などという教科があるのです。
 だから、家庭での教育では、知性の教育に多くの時間を割くとしても、重要度としては、勇気も、知性も、愛も、創造性もバランスよく育てていく必要があります。
 一生懸命に勉強をしていると、つい点数のところにだけ目が向いてしまいます。子供は特にそうです。小学生の子によくあるのは、自分よりもできない子を馬鹿にするような態度をとってしまうことです。
 子供の言動の中にそういうものが見えたら、それは人間性の教育を行ういいチャンスです。世の中には、いろいろな人がいて、みんなが自分の力の範囲で努力して助け合っているから社会が成り立っているのだということをじっくり話すと、子供はすぐに理解します。


■■勉強力は、小1の最初で決まる

 これは、早期教育をすすめるものではありません。低学年のころに勉強的なことをしすぎるのは、かえって問題があります。
 低学年のころは、勉強の内容そのものよりも、勉強の仕方を身につける時期です。だから、決して長い時間勉強する必要はありません。というよりも、できるだけ勉強などさせずに、楽しく遊ばせておいた方がいいのです。
 しかし、勉強をするときは、小1のころの勉強の仕方がその後の土台となるのだと考えて、慎重に行っていく必要があります。
 では、小1の勉強の仕方では、どういうところに気をつけたらいいのでしょうか。
 第一は、日本語を読む、そして聞くという学習を最重点にすることです。極端に言えば、日本語の力さえしっかりつけておけば、そのほかの勉強はあとからいくらでも間に合います。
 第二は、明るく楽しくやるということです。叱ったり小言を言ったりしてさせた勉強は、すぐに忘れてしまいます。そして、暗い気持ちで勉強させられると、大きくなっても勉強が好きになれなくなります。勉強というのは、本来自分の知性が向上するということでだれにとってもうれしいものです。そういう気持ちが持てるようになるには、小1の最初のころの勉強を楽しくやっていく必要があるのです。
 第三は、毎日同じ時間に同じようなことを行い、極力例外を作らないようにすることです。あるときは1時間もがんばらせ、あるときは何もしないという形では勉強の習慣ができません。平日も、土曜・日曜日も、祝日も、できるだけ同じことを同じようにやっていくことです。
 第四に、親と子の間で言葉にして言ったことは必ず守るということです。
 保護者からの相談でとても多いのが、「子供が親の言うことを聞かない」というものです。その原因の多くは、親が言ったことを守らなかったことによるものです。
 これは、微妙なことなのでなかなか自覚しにくいのですが、次のようなことです。
 親が、子供に、「そろそろテレビを消しておもちゃをかたづけなさい」と言ったとします。子供は、普通、「はあい」と言います。
 ところで、ここで、子供が何も返事をしなかったり、あいまいに「うん」などと言ったとしたら、親は即座に、「返事は、『はい』とはっきり言いなさい」と教える必要があります。このひとつだけでも、その子の家庭や学校での生活態度はしっかりしてきます。
 さて、子供が、「はい」と言ったあと、時間がそのまま5分、10分とたったとします。すると、ここで、子供は無意識のうちに、「返事さえしておけば、すぐにしなくてもいいんだ」「返事だけしておけば、うやむやにしてもいいんだ」ということを学習してしまうのです。
 一度でもこういうことがあると、その後、子供に言うことを聞かせることは難しくなります。いい習慣はつけ続けなければつきませんが、悪い習慣は、たった一回でつくのです。
 では、こういうときの言い方は、どうしたらいいのでしょうか。それは、「あと10分たったら、テレビを消しておもちゃをかたづけなさい」という言い方です。そして、時計の針がどこに来たら10分たったことになるかということを教えます。
 この言い方なら、子供は負担を感じません。そして、ときどき時計を気にしながら、10分たつとしっかり自分の意志でテレビを消しておもちゃをかたづけ出します。親はそれをたっぷり褒めてあげるだけです。
 しかし、もし、子供が10分たっていても忘れてしまったらどうするのでしょうか。そこは、強く叱ることです。しかし、そこで、「今度から××をさせない」などという罰を与えて、叱ることを長期化させるのはよくありません。強く短く叱って、すぐに明るくフォローするというやり方をするのです。一度だけしっかり叱れば、素直に言うことを聞く子になります。
 こういう習慣ができるのが、小1の最初の時期なのです。そして、小1の時期を逃がすと、このような生活習慣は急速につけにくくなります。
 だから、作文の勉強も、小1の最初のころに、言葉の森で始めておくのがいいのです。
 なぜかというと、言葉の森は、小1の最初のころから、日本語の読みを中心とした単純な短い時間の自習を毎日するようにしているからです。
 ほかの習い事では、日本語を読むことを中心にしていなかったり、子供の興味を引くために毎回やることが変化するプリントだったり、毎日ではなく週に何回かの練習であったり、子供が嫌になるぐらい長時間やるものであったりすることも多いからです。
 小1の最初のころに、親がちょっと努力して、子供が楽しく毎日やれる勉強の仕方を工夫しておくと、そのあとの勉強はずっと楽にできるのです。


■■豊かな日本を作るためにーー日本を再び教育立国に(1)
 戦後の経済成長期は、世界中が物不足から脱出しようとしていた時期であったために、常に需要が供給を上回る傾向にありました。
 それは、なぜかというと、工業生産物そのものが発展途上にあったからです。例えば、最初はラジオであったものが、小さな白黒テレビになり、だんだん画面が大きくなり、やがてカラーテレビになるという製品自体の成長があったために、たえず新しい需要が作り出されていたのです。
 しかし、現代は、もうそうではありません。
 中国の13億の人口が、今、テレビの需要の巨大な吸引力となっていたとしても、それは1回限りの需要です。かつての日本が、ラジオ、白黒テレビ、カラーテレビと成長していったような需要ではなく、最初からカラーテレビを手に入れ、あとは買い替え需要しかないという完成した需要なのです。
 そして、今日の工業国は、供給の側もまた完成しています。
 戦後の経済成長の時代には、供給の側もたえず設備を更新し、新しい製品を開発していかなければ、消費者のニーズの変化に対応することができませんでした。
 しかし、今新しく登場した工業国の供給の場合は違います。最初から完成度の高い製品を作るために、やはり最初から完成度の高い新鋭工場を新鋭設備で作ってしまうのです。だから、供給も1回限りという面を持っています。(つづく)


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