言葉の森新聞2015年8月1週号 通算第1380号
文責 中根克明(森川林)

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■■【重要】8月10日(月)-15日(土)は休み宿題
 予定表に書いてあるとおり、8月10日(月)-15日(土)は休み宿題になります。
 先生からの電話はありませんが、自宅でその週の課題を書いて作文を提出してください。ほかの日に教室に来るか教室に電話をして、その週の説明を聞いてから書くこともできます。
 休み宿題のときに、電話の説明を聞かずに自分で作文を書く人は、ホームページの「授業の渚」か課題フォルダの「解説集」を参考にしてください。
「授業の渚」 http://www.mori7.com/nagisa/index.php
「ヒントの池」 http://www.mori7.com/mine/ike.php


■■振替授業について
 振替授業の受付時間は下記の通りです。
 (月~金)9時-19時50分 (土)9時-11時50分
 振替授業は予約制ではありません。作文が書けるときに直接教室にお電話ください。なお、夏休み中は、混みあうことがあるため、20分くらいお待ちいただく場合があります。
 8月11日(月)-16日(土)は、教室が夏休みのため、振替授業もありません。第5週目もお休みです。


■■「桃太郎」を例にした感想文の書き方(つづき)

▼3日目
 やがて成長した桃太郎は、犬と猿とキジを連れて鬼を退治に出かけた。犬は噛み付き、猿は引っかき、キジは目を突っつき、桃太郎は鬼を投げ飛ばした。(物語の終盤から引用する)
 ぼくは、この戦いぶりを見て、ふとぼくたちのサッカーチームを思い出した。サッカーには、もちろん、噛み付きや引っかきはない。まして目を突っついたりしたらすぐに退場だ。しかし、足の速い次郎君、シュート力のある和田君、ピンチのときでもみんなを笑わせるケンちゃんなど、ぼくたちのチームは、それぞれの得意なところを生かす点で桃太郎のチームと似ているのではないかと思った。
 このことを父に話すと、父は、こんなことを言った。
「桃太郎がいなかったら、鬼には勝てなかったけど、桃太郎が四人いても、やはり鬼には勝てなかっただろうなあ」(長い会話をそのまま書くと味が出る)
 ぼくは最初、桃太郎だけが主人公で犬や猿やキジは脇役だと思っていたが、次第に全員がそれぞれの役割で主人公なのだと思うようになった。どうしてかというと、みんなそれぞれの長所があり、その長所でお互いの短所を補い合っているからだ(「どうしてかというと」などの接続語を使うと感想も長くできる)。(結びは、本の主題に関する感想を書く)
▼4日目
 鬼を退治し、宝物を持って村に帰った桃太郎は、それからどうしただろうか。きっと、もう鬼の来ない平和な村で、豊かな自然に囲まれて楽しく過ごしたにちがいない。おばあさんが洗濯をしているきれいな川の横で、犬や猿やキジと水遊びをしている桃太郎の姿が思い浮かぶ。(書き出しと結びを対応させる)
 いま、ぼくたちの街に、桃太郎が戦うような鬼はいない。しかし、ぼくたちの街には、桃太郎が暮らしていた緑の山や青い川もない。もし、桃太郎がいまここにいたら、人間にとって戦う相手は鬼ではなく、きれいな自然を取り戻すことになるかもしれない。そして、その桃太郎とは、たぶんこれからのぼくたちなのだ。(「人間」という大きい立場で考え、自分のこれからの行動に結びつける)



■■休み中は返却講評が遅れることがあります
 夏休み中は、教室が休みになる週と担当の先生が休みをとる週があるため、作文の返却や講評が一時的に遅れる場合があります。ご了承ください。


■■プレ作参加者への賞品等送付完了
プレ作参加者への賞品等送付
 プレ作参加者への賞品送付が完了しました。
 また、じゃんけんゲームに買った人への図書送付、動画紹介を承認してくださった方へのお礼図書券は7月27日に発送しました。
 申し込んでいるものがまた届いていないという方が、もしいらしゃいましたらお知らせください。


■■教育から全育へ

 教育とは、教え育てることです。何を教えるかというと、既に答えのあるものを、先に生まれた先生が、後から生まれた生徒に、主に知識として教えることです。それによって子供は育つと考えたのです。だから、教える場も、学校や教室という空間に限定されたものでした。また、教える年齢は、学童期と呼ばれる一定の期間でした。
 しかし、それは、どちらかと言えば西洋的な学校教育の考え方です。
 日本では、子育ては、そのような狭い概念ではなく、子供の全人格的な成長として考えられていました。したがって、教える人は先生だけではなく、家庭の父母や祖父母、更には地域の大人や年長者でした。また、教える内容は知識というよりも、知識も含めた文化全体でした。教える場も、教室のような場所に限られたものではなく、子供の生活空間全体が教室のようなものでした。更に、子育ては乳幼児期から始まるものと考えられていました。
 だから、西洋的な意味合いの教育に対して、子供の全人間的な教育を全育と呼んでもよいと思います。
 その全育が、これからネットワーク技術の進歩によって復活していくと思います。
 しかし、ネットワークで共有できるのは情報化されたものだけです。
 テクノロジーの発達は、文字の情報だけでなく、音声や動画も情報化できるようにしました。だから、バーチャルの世界は限りなくリアルの世界に近づいているように見えます。
 しかし、リアルの世界の本質は、情報化できないところにあります。それが、身体や感情や場所や時間です。
 身体と感情と場所と時間は、その個人の経験と分かちがたく結びついています。ある場所に何時間いてどんなことをしてどんなことを感じたかということは、ビット化された情報に還元できない個性的なものなのです。
 ここに未来の教育、全育の鍵があります。
 つまり、ネットワークを活用しつつ、リアルの世界とつながる教育です。
 ネットワークの活用だけでは、個人は単なる客体として対象化された生徒という存在にとどまります。今のICT教育の前提としているものは、この個別化された個人なのです。
 しかし、リアルな世界だけでは、個人は全体的な主体性を回復するとしても、その中で焦点を絞った価値ある教育はできません。リアルな世界の密度の薄さを補えるものが、ネットワークの活用なのです。
 言葉の森の寺子屋オンエアと夏合宿も、以上のような位置づけでこれから発展させていきたいと思っています。


■■返ってきたテストを見ればこれからの勉強方法がわかる
 テストが返ってくると、多くの子供とお母さんは、その点数だけを見て、「できた」「できなかった」と言います。
 そして、ほとんどの場合、できたときは、「よくがんばったね」、できなかったときは、「今度がんばろうね」という言葉で話は終わってしまいます。
 だから、何度テストをしても、上がったり下がったり同じところを上下しているだけなのです。
 テストが返ってきたら、できなかったところがなぜできなかったのか考えなければなりません。
 よく、「計算のうっかりミス」とか「漢字の書き間違い」とかいう、偶然のミスのような言葉で片付けてしまう人がいますが、うっかりミスにも必然的なパターンがあります。だから、当然、ミスをしないための確実な勉強法があるのです。
 中学生のテスト結果を見ていると、共通するパターンがあることがわかります。
 国語のテスト結果が悪い場合、その原因は、読む力の不足です。長い文章や難しい文章になると、時間内に読み取れなくなるのです。
 この原因は、難読の不足です。問題集読書と読書を続けることが大事なのですが、ほとんどの生徒は、(1)国語の勉強はやりようがないから何もしないか、(2)漢字の書き取りのような知識的なことだけをするか、(3)問題集を解くような勉強をするか、のいずれかになっています。
 問題集を解く勉強は、読むだけの勉強に比べて5倍から10倍の時間がかかります。つまり、それだけ密度の薄い勉強法なのですが、小学生のころから国語の問題集を解くことが国語の勉強であるかのような刷り込みがあるせいか、国語の勉強というと、国語の問題集を解くことしか思いつかない人が多いのです。
 実は、国語の得意な生徒のほとんどは、国語の問題集を解くような勉強をしていません。というよりも、国語の勉強そのものをしていません。その代わり、読書が好きで、かつ難しい文章を読むことが苦にならないのです。
 英語のテスト結果が悪い場合は、教科書の音読不足です。
 教科書の音読をしているかしていないかは、文の語順の問題の出来具合でわかります。単語がいくつかランダムに並んでいて、その単語を正しく並べて文を作る問題です。この語順の問題は、文法的に理解してわかるものではありません。音読に慣れていれば自然にわかり、音読に慣れていなければいくら文法的に理解しようとしてもわからないのです。
 教科書の音読をしていれば、それに付随して、文法的な知識も理解が早くなります。単語も自然に覚えられます。自分が声に出しているのですから、ヒアリングもできるようになります。問題集や参考書は、知識の仕上げとしてするもので、基本はあくまでも英文の音読に慣れることなのです。
 方法は、1ページを20回以上音読し、そのページを空で言えるようにすることです。更にそれができるようになったら、空で書けるようにすることです。
 数学のテスト結果が悪い場合は、勉強の方法が悪いからです。
 数学は、受験で最も差の開く教科です。だから、数学だけは得意にしておく必要があります。
 一方、国語は受験ではそれほど差がつきませんが、その後の将来の人生で大きな差がつく勉強です。だから、読書や問題集読書は、テストのためだけでなく、自分自身の成長のためにも続けていく必要があるのです。
 数学の成績が悪いのは、1冊の問題集を完璧に仕上げていないからです。いろいろな問題集を8割か9割できたことで済ませているから、数学の力がつかないのです。
 これも、小学校のころから、ただ問題集を解くだけで、できなかった問題を反復して仕上げる練習をしていなかったという勉強法の名残があるからです。
 なぜそういう解くだけの勉強法になりがちかというと、学校や塾で使われている問題集の多くは、解法の説明が不足しているからです。
 中には、小中学生の宿題で、家庭では問題を解くだけにして、答え合わせは学校で行うという形の勉強をしているところもあります。自分で答え合わせをしない勉強は、何時間やっても勉強にはなりません。
 問題を解くというのは単なる作業で、本当の勉強は、答え合わせをして、間違いの原因を理解し、その問題を自力で解けるようになるまで繰り返すところにあるからです。
 以上の、国語、英語、数学の勉強法は、すべて家庭で、市販のすぐ手に入る問題集を使って、自分の力だけでできるものです。数学の問題で解法を見て理解できないところがあれば、それは親に聞くか、facebookの「中学生の勉強相談室」で質問するか、寺子屋オンエアの「生徒掲示板」で質問すればすぐに教えてもらうことができます。
 しかし、そういう質問の必要が出てくるのは、全勉強時間の中のほんのわずかです。ほとんどの勉強は、自分の力だけでやっていけます。
 現在のように、学校も塾も至れり尽くせりの環境が整っているように見えながら、勉強の成果が出ていないのは、子供も親も、教わる勉強に慣れていて、自分で進める勉強をしていないからなのです。


■■自学自習のスタイルの勉強を寺子屋オンエアで

 国語、算数数学、英語の勉強の基本は、きわめて単純です。国語は、多読と難読の復読です。算数数学は、1冊の問題集を完璧にです。英語は、教科書の音読と暗唱です。
 こういう勉強を毎日同じようにやっていれば、無理にがんばらなくても自然に勉強はできるようになります。
 ところで、こういう勉強は、塾や学校でやるものではありません。家庭で自分ひとりでやる方が、最も能率よくできるものなのです。
 塾などで、生徒が黙々とひとりで勉強するのをただ見守っているだけということはまずありません。先生は、必ず何かを教えようとします。
 生徒が自分で勉強するのをただ見守り、質問があったときだけ簡潔にアドバイスをするという先生は、まずほとんどいません。先生にとっては、自分のペースで教える方がずっと楽だからです。
 同じことは、家庭でも言えます。特に、子供が小学校低中学年のとき、お母さんやお父さんは教えたがるのです。それは、教える方が親にとっても子供にとっても簡単にできるからです。
 ところが、教える勉強が中心になると、勉強の仕方が、問題を解くようなものになってきます。問題を出してテストをして○×をつけて、×のところを教えるという勉強が中心になってしまうと、かえって実力がつかなくなるのです。
 なぜ問題を解く形の勉強がよくないかというと、できた問題はもともとやらなくてもできた問題ですから、その問題を解いている時間はただ解く作業だけの無駄な時間だからです。
 また、できなかった問題は、すぐに答えを見て解法を理解しそれを反復して自分のものにするというのが本来の勉強なのですが、ほとんどの子は時間をかけて考えるだけで終わり、できなかった問題をせいぜい一度か二度やり直して終わったことにしてしまうからです。
 勉強の中心は、国語でも数学でも英語でも、解くことではなく読むことにあります。それも、反復して読むことが大事です。
 それは、人に教わる勉強ではなく、自分でやる勉強です。教わるのは、自分でやっていてわからなかったところだけでいいのです。
 そういう自学自習のスタイルの勉強を、寺子屋オンエアで広げていきたいと思っています。


■■新しい教育方法の提案、寺子屋オンエア講師養成講座
 日本の教育は、諸外国と比べれば総体ではうまく行っていると思います。しかし、教育の本来の理想から見れば、不十分なところが数多くあります。
 第一は、受験のための枝葉の知識の詰め込みに追われ、真に実力をつける教育になっていないことです。
 第二は、学校や塾という外部の機関に依存し、家庭や地域に根ざした教育になっていないことです。
 第三は、点数化されるものだけを重視し、文化を伝える教育になっていないことです。
 第四は、競争に勝つことが目標になり、独立と創造を目標にした教育になっていないことです。
 これらを克服する新しい教育方法として言葉の森が提案するのが寺子屋オンエアです。
 これは、インターネットを利用して子供が家庭で自由な時間に勉強し、それを講師がリアルタイムでトータルに見守り必要なアドバイスをするという教育方法です。
 リアルタイムでというのは、子供が勉強している間、常に実際の先生が近くにいるということです。
 現在のネット教育の多くは、子供の勉強の結果を機械が処理するだけで、人間の先生はネットの向こう側にいます。
 だから、子供の興味をひくいろいろな工夫がなされているように見えても、それで意欲を持続できる子は少ないのです。
 トータルにというのは、子供が勉強している様子が、そのまま先生には手に取るようにわかるということです。
 通常の通信教育では、先生には勉強の結果が伝わるだけで、その子がどのような状況で勉強したかまではわかりません。
 勉強の結果と同時にその過程も見られるので、勉強だけでなく、勉強の仕方や、勉強以前の生活の工夫のようなこともアドバイスすることができるのです。
 更に大事なことは、寺子屋オンエアは、家庭での自学自習を勉強の基本としていることです。
 今の子供たちは、学校でも塾でも人に教わることに慣れています。しかし、教わっている間は本当の実力はつきません。
 教わったあと、自分なりにその勉強を身につける学習をすることによって初めて実力がつきます。
 勉強の基本は自学自習で、手取り足取り教えてもらうのではなく、わからないときだけ質問できる人がいれば、それが最もよい勉強環境なのです。(つづく)


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