書いている途中でも、書き終えたあとでも、親や先生が「これは、おもしろいね」「それは、いいね」と、子供の書いた内容のいいところやおもしろいところをどんどん認めてあげることが大切です。
多少おかしいところや変なところがあっても、子供が書いた内容をできるだけ尊重してあげてください。
これと反対に「これは、こうした方がいいんじゃない?」「そこは、ちょっとおかしいんじゃない?」などという否定的なアドバイスをすると、勉強でいちばん大事な子供の意欲をそぐことになります。
大事なことは、いい作品を仕上げることではなく、手順にそってできるだけ自力で書く力をつけることです。
感想文の指導には、生徒ひとりずつ異なるアドバイスが要求されます。更に作品として完成させるためには、書いている途中にも頻繁にアドバイスをする必要が出てきます。
このような対応は、普段の勉強の中ではできませんので、夏休みの宿題のための感想文指導は、教室では行いません。
宿題として感想文を提出しなければならないという事情のある方は、
教室で練習した長文の感想文で似た話のよく書けたものをベースにして、ご家庭で書き直していかれるといいと思います。
また、どうしても書いた作品を見てアドバイスをしてほしいという場合は、担当の先生ではなく、言葉の森の本部に直接ファクスでお送りください。折り返しファクスとお電話で説明します。(これは有料となります。)
言葉の森が読書感想文指導を行うまでは、感想文の指導というものはどこでも行われていませんでした。
ただ書かせて、上手に書けているものを表彰するというやり方がどこでも普通に行われていました。
そうすると、小学校低中学年の子供はどういう書き方をするかというと、最初から最後までのあらすじを長々と書き、最後に、「楽しかったです。」などというような感想を書いておしまいにするのです。
こういう何の勉強にもならない、ただ読書嫌いや感想文嫌いにするだけの教育がずっと行われていたのです。
もうだいぶ昔の話になりますが、読書感想文の書き方を教えてほしいという要望があったので、言葉の森で読書感想文講座を開いたことがあります。参加したのは、小3から小6ぐらいの生徒でした。
3日間の講座で、全員がひととおり感想文を仕上げました。
そこまではよかったのですが、秋になると、その子たちから次々と、「学校代表に選ばれました」とか、「コンクールに入賞しました」などの声が届きました(笑)。
それで、あまり上手に書かせるのも問題だと思い、読書感想文講座は、その年だけでやめたのです。
ただし、入賞を目的にしなければ、感想文の勉強自体は、意味のあるやり方で進めることができます。
今年の夏休みは、その意味のある読書感想文講座を開く予定です。
■■教えない勉強によって、子供の成長は途中から加速する
ある、先生どうしの会合の中で、次のような質問がありました。
「生徒に、算数や数学の分からないところを質問されて、すぐには答えられ答えられない場合、どうしたらよいか」
このようなことを聞かれて、私はとっさに、
「先生は教えるのが仕事ではないので、子供に自分で考えさせるといい。もし、それでもどうしてもわからない場合は、子供がお母さんに聞くようにするといい」
と言いました。
すると、ほとんどの先生は、「そんなあ」という感じで笑っていたようです。
しかし、これは、実はきわめて重要な教育の原則なのです。
それは、教えないことによって子供が真に成長するからです。
もし子供にわからないことを聞かれて、すぐその場で教えれば、そのときは理解が早まりその直後の成績はよくなるでしょう。
しかし、そこで教えられたことは確かにすぐに身につくように見えますが、その定着の仕方は浅いので、すぐに忘れてしまうことが多いのです。
そしてその代わり、教えてもらうことを繰り返して身につくのは、人に教わって学ぶという勉強姿勢の方なのです。
教わって学ぶことに慣れた子は、教えを乞う勉強を続けていきます。
すると、大学入試までは、教えを乞う勉強法で何とかやっていけますが、やがて途中から教えてくれる人はいなくなります。
すると、そこで成長が止まってしまうのです。
もし教えられなければ、自分で考えて理解しようとするはずです。
中学3年生までの義務教育の勉強は、どんなに難しく見える問題であっても、解法を見れば誰でも理解できるようになっています。
解法がない問題を考えるのは時間の無駄ですが、解法がありさえすれば誰でもわかるようになっているのです。
確かに、自分で理解しようとする勉強は能率が悪いので、成績はなかなか上がりません。
しかし、ここで身についているものは、単に成績ではなく、自ら学ぶという姿勢なのです。
自ら学ぶ姿勢を持った子供は、教える人がいなくなっても自分で学んでいきます。
だから、途中から勉強が加速し、それまで能率よく教わってきた生徒をやがて追い抜いてしまいます。
シュタイナー教育の例に見られるように、小学校の低学年のうちはまるで無駄な遠回りをして遊んでいるように見える教育が、途中から自力で学ぶ姿勢によって加速していくのと同じです。
この自ら学ぶ姿勢は、学校を卒業し社会に出てからも続きます。
モンテッソーリ教育を受けた子供たちが、社会に出てから創造的な仕事をすると言われるのは、やはり自ら学ぶ姿勢を身につけて成長したからでしょう。
ただし、もちろん、義務教育の勉強の中にも、子供がいくら考えても分からない問題というのはたまにあります。
その理由は、解法の説明が、その子にとっては不十分だという場合があるからです。
そのときはどうしたらよいかというと、それはお母さんが一緒に考えて教えてあげるのです。
お母さんが教えることも、確かに専門の先生が教えることよりも能率は悪いように見えますが、ここで身につくものは、親が一緒に考えるという家庭の教育文化なのです。
そして、もしそれでも分からない場合があれば、そのときは能率のために専門の先生に聞くというふうにすればよいのです。
中学3年生までは、子供の勉強のわからないところは、家庭で親が一緒に考えるのがよいと思います。
大事なのは、勉強の内容でありません。
内容が大事になるのは、学問の先端を行く創造的な勉強をする場合だけです。
学校教育のレベルでの勉強は、内容はすでにすっかりできあがっています。その具体的な形が、解答付きの問題集です。
だから、内容を身につけることよりも、その身につけるときの方法や姿勢を身につけることの方がずっと大切なのです。
元キャノン社長の賀来龍三郎さんは、高校時代の恩師から、数学は公式から自分で考えて解けと教えられました。
その勉強法は、大学入試では時間切れという結果に終わり役に立ちませんでした。
しかし、社会に出てからはその姿勢が本当に役立ったと気がついたというのです。
子供の本当の成長を考えるのであれば、今成績を上げることよりも、将来にわたって続く勉強の姿勢を身につけることを第一に考えていくべきなのです。
「憤せざれば啓せず」という言葉があります。
自ら発奮して学ぼうという気持ちのないうちは、教えても素通りしていくだけです。
しかし、そういう子ほど、すぐに聞きたがります。
だから、先生の仕事は、教えることではなくその子にやるぞという気持ちを起こさせることです。
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