言葉の森新聞2023年1月3週号 通算第1739号
文責 中根克明(森川林)

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■■子供の頭をよくするのは、塾や学校ではなく、家庭での読書と対話

●動画:https://youtu.be/OWnQb8OB2_I

 言葉の森のオンラインクラスでは、どのクラスも毎週子供たちの読書紹介を行っています。
 全員の読書紹介なので、どうしても10分から15分はかかります。
 その分、学習時間が短くなりますが、学習の時間と同じように価値ある時間なので、これからも続けていく予定です。

 その読書紹介で、子供たちの今後の学力の見通しがつきます。
 自分の好きな本を読むのが基本なので、どういう本を読んでもいいのですが、その本が家庭の文化力を表しています。
 その文化力が、その後の子供たちの成長に最も関係してきます。

 いい塾に行って、宿題を毎日やっているから安心だという考えの人がいますが、子供たちが成長するのは、塾や学校ではなく、家庭での毎日の読書と対話です。

 読書について、時々気になるのは、小学校低学年でいつまでも絵本のような本ばかり読んでいる子です。
 絵本の内容はいいのです。
 感動する話や、心が明るくなる話が載っている本です。
 しかし、それが絵と単語のような短い言葉だけで書かれています。

 繰り返しますが、それはそれでいいのです。
 漫画でも、図鑑でも、子供が好きな本なら何でもいいのです。
 問題は、そういう本しか読んでいないように見えることなのです。

 一方、文章の多い本を読んでいる子でも、「○年生の名作」「○年生の伝記」のような指定された教科書のような本を読んでいる子は、読書の楽しさを感じる機会がなかなか生まれてきません。

 子供の読書の傾向は、親の読書力を反映しています。
 読書好きの親であれば、子供にとって面白くて価値ある本がどういうものかということが大体わかります。

 子供は、絵ばかりの軽い本や、怖さや下品さで気を引くようなレベルの低い本に手を出しがちです。
 何度も言いますが、それはそれでいいのです。
 しかし、そういう本ばかり読んでいるとしたら、親はそこに危機感を持たなければなりません。
 それが、家庭の文化です。

 小学校高学年や中学生、高校生では、また別の問題があります。

 第一は、読書量が少ないことですが、それはオンラインクラスに参加した最初のうちだけで、毎週の読書紹介の中で次第に改善されていきます。

 第二は、短編集が多いことです。
 長いひとまとまりの文章ではなく、すぐに読み切れるような文章がいくつも載っている本です。
 「○分間で○○」のような本がよく読まれていますが、読書力のある子は、そういう本は気軽に読めるが物足りないと思うはずです。

 第三は、殺人事件のような話で読み手を引き付ける物語の本です。
 何度も言いますが、そういう本も含めて、自分の好きなものは何でも読んでいいのです。
 しかし、何でも吸収できる貴重な時期に、そういうレベルの低い本を読んでいるのは、もったいないことです。

 読書は、自分の心の成長と思考の成長のために読むものです。
 そういう本のおおまかな基準は、やはり古典と言われているものになります。

 しっかりした内容の本や、古典の本を読むときに役に立つのが付箋読書という方法です。
 付箋読書のよいところは、数分の短い時間でも利用して分厚い本を読めることです。
 しかも、複数の本を並行して読めるので、自然に読書量が増えます。

 小学校低中学年では、まだ古典と言われるような本はありませんから、それをカバーするのが家庭での対話です。
 家庭で、お父さんやお母さんが、子供の心と頭を豊かにするような話を折に触れて話してあげるのです。

 この対話が、小学校高学年になってからの作文の中で生きてきます。
 そして、中学生以降の読書力や作文力の土台になります。

 対話は、ただ長くたくさん話せばいいというものではありません。
 逆に、ただ長いだけの話は、子供の聞く力や考える力を低下させます。
 簡潔に要点を絞って中身のある話を面白くしていく必要があります。
 そういう話のもとになるものは、親の読書生活です。


■■作文の通信教育は時代遅れ。作文の通学教室は個別指導が難しい。作文のオンライン少人数クラスは実習と対話と読書紹介と個別指導がある
●動画:https://youtu.be/DkQCY-ltCe0

 ほかのところを批判するつもりはありませんが、これから作文の勉強をする人の参考になるように、作文の勉強はどのようにしたらいいのかということを説明します。

 昔、作文や小論文は通信教育という形で勉強するのが普通でした。
 なお、言葉の森は、作文という言葉で小論文も含めているので、以下、作文という言葉で書きます。

 なぜ作文の学習で通信教育が主流だったのかというと、作文の勉強をするというニーズが少ないために、通学教室ではまとまった生徒指導ができなかったからです。

 しかし、近年、中学入試でも、高校入試でも、大学入試でも作文試験を課すところが増えてきました。
 そこで、次第に通学教室という形でも、作文指導ができるようになりました。
 だから、作文の通信教育は、今は時代遅れになりつつあります。

 以上が現状です。

 しかし、現在の通信教育も、通学教室も、十分な指導ができているとは言えません。

●作文の通信教育の場合

 通信教育の場合は、勉強のほとんどを家庭に任せる形になります。
 だから、子供が小学校低学年のころは勉強ができますが、高学年や中学生以降になると、本人の自覚が強くなければ勉強が続かなくなります。

 作文の勉強というものは、他の勉強に比べてきわめて精神的負担の大きい勉強なので、よほど強い意志がなければ続かないのです。

 これに対してオンライン少人数クラスの作文の勉強は、45分の授業の中で、子供たちが一斉に作文を書き始めます。
 一緒に勉強している友達と作文を書き出すので、作文を書くハードルはかなり低くなります。

 しかも、言葉の森の場合は、事前の予習を発表する時間があるので、ウォーミングアップができている状態で、作文を書き始めることができます。

 この予習の発表についても、もしこれが、通信教育で先生と生徒の一対一の指導しかないとしたら、子供は十分な予習をして来ません。
 事前の準備をしていなくても、一応書けることが誰でも書けるからです。
 しかし、その日に書くことを決めていなければ、もちろん充実した作文は書けません。

 オンライン少人数クラスであれば、生徒どうしの交流の中で予習を発表する時間があるので、子供たちは自然に書くことを準備して授業に臨みます。
 だから、毎回、力作を書くことができるのです。

●作文の通学教室の場合

 作文の通学教室の場合は、一斉指導をする形になることがほとんどです。
 しかし、作文力は、生徒による個人差が大きいので、ごく初歩の段階以外は一斉指導には向きません。
 これが、小学校でも、学年が上がると作文指導ができなくなる理由です。

 一斉指導は、数学や英語のような答えが一律に決まっている教科であればできます。
 しかし、答えの決まっていない作文のような勉強には向かない指導形態なのです。

 通学教室における個別指導は、主に添削という形になりますが、添削を受けるだけで上手になる子はまずいません。
 意味ある個別指導をするためには、先生が口頭でそれぞれの生徒に直接話をする必要があります。
 しかし、通学のクラスの中で、生徒全員が作文を書いているときに、先生が一人ひとりの生徒を呼んで個別指導をするという仕組みをとっているところはまずありません。

 昔の言葉の森の通学教室は、全員が作文を書いている中で、先生が一人ひとりの個別指導を口頭で行っていました。
 しかし、小学校高学年や中高生で考える作文を書いている生徒は、周囲で話し声が聞こえると、書くことに集中できません。
 それで、教室での個別指導は、毎回かなり苦労して行っていました。

 この通学教室は、2020年春のコロナ休校の際に廃止したので、通学生徒は現在すべてオンラインクラスに移っています。

●オンライン少人数クラスの場合

 オンライン少人数クラスであれば、全員が作文を書いている中で、先生は、生徒を別の部屋に呼んで個別指導をすることができます。
 また、少人数のクラスであれば、互いに予習を発表したり、読書紹介をしたり、月に1回は作文を発表し合ったりすることができます。

 こういう対話や交流ができる人数は、1クラス4~5名までです。
 だから、1クラスで10人もいる場合は、意味ある少人数クラスとは言えません。

 オンライン少人数クラスが、作文の通学教室に比べて優れている点はほかにもあります。
 それは、自宅からの参加が容易であること、欠席した場合の振替が容易であることなどのほかに、同年齢、同進度の生徒でクラスを作りやすいことです。

 なぜ同年齢、同進度の生徒でクラスを作りやすいかというと、オンラインの生徒は、全国から参加しているからです。
 例えば、東南アジアやオーストラリアにいる生徒は、日本と時差が近いので、日本にいる生徒と同じクラスに参加しています。

 オンライン教育というと、多くの人は、子供がひとりでオンラインの動画を見るだけというイメージで考えています。
 実際、多くのオンライン教育と呼ばれるものは、そういう運営を行っています。
 申し訳程度に双方向の対応をしているところもありますが、その双方向も、集団一斉指導の枠内での限られた双方向です。

 オンライン教育が真に意味ある教育であるためには、1クラス4~5人という少人数で、生徒どうしの対話や発表がある中で行われる必要があるのです。

●未来の学校

 言葉の森が考えている未来の学校のイメージは、日本全国からオンライン少人数クラスに参加でき、日常的にオンラインで学習している生徒が、夏休みなどにリアルに集まり、自然の中で合宿し交流するという形です。

 そこで学ぶ内容は、これまでの国語、数学、英語、理科、社会のような基本的な教科だけではありません。
 従来の教科とともに、作文、創造発表、プログラミング、読書、自然体験のような思考力、創造力、共感力を育てる教科も、同じように重要な学習として行われるようになります。

 作文の勉強は、単に作文試験があるから行うというのではなく、子供たちの思考力、創造力、共感力を育てるというビジョンの中で行っていく必要があります。


■■中学生の子供の「さぼり」と「反抗」にどう対処するか
●動画:https://youtu.be/xRvdntt1lw4

 中学生のころは、子供はよく悪いことをします。
 それを、主体性の表れと考えることです。

 もちろん、その悪いことについては厳しく叱ります。
 しかし、その叱っている気持ちの背後で、「こういう悪いことができるぐらい成長したんだ」と温かい目で見ておくことが大事です。

 逆に言えば、叱られないような子は、かえって困るのです。
 叱られるぐらいの子でなければ、世の中の荒波に抗して生きていけません。

 「葉隠」に、次のような言葉がありました。
 うろ覚えですが、「酒を飲め、嘘をつけ、博打をしろ。それぐらいの者でなければ大きな仕事はできない」という内容です。

 基本は、真面目にやっていくことです。
 しかし、いざというときには大博打を打てるようなことも必要になります。
 社会で活躍している人には、誰でも、そういう経験がひとつやふたつはあると思います。

 悪い子は、機会があれば、まともな子になることができます。
 しかし、悪いことができない子が、悪い子になることはできません。

 子供が悪いことをしたら、厳しく叱ることです。
 それは、どちらかと言えば、お父さんの役割になります。
 たぶん、それをお母さんが優しくフォロウするようになると思います。
 父母で一緒に厳しく叱ってはいけないのです。

 そして、何年も経ってから、みんなで、「あのときは、あんなことがあったよなあ(笑)」という思い出話になるのです。

















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