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言葉の森新聞2003年4月2週号 枝 0 / 節 1.001 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.新年度スタート
  ■2.「光る表現」と「清書」は第4週に
  ■3.受験(その2)
 
言葉の森新聞 2003年4月2週号 通算第792号
文責 中根克明(森川林)
枝 1 / 節 1.002 / ID
1.新年度スタート 枝 4 / 節 1.003 / ID 4542
 4月1日から新年度が始まりました。
 今学期の課題は、12月1週の進級試験の結果によって、先の級に進む人と同じ級をもう一度繰り返す人に分かれています。同じ級を繰り返す人も、6月1週の進級試験の結果によって先の級に進むことができますから、字数や項目が全部できるようにがんばっていきましょう。
枝 6 / 節 1.004 / ID 4543
作者コード:
2.「光る表現」と「清書」は第4週に 枝 4 / 節 1.009 / ID 4548
 これまで「光る表現」は、学年別に毎週プリントしていましたが、今年度から、「広場」という名称にして毎月第4週にまとめて載せるようにします。
 生徒や先生との交流を目的としたもので、全員がなんらかの形で掲載されるようにしていく予定です。
枝 6 / 節 1.01 / ID 4549
作者コード:
3.受験(その2) 枝 4 / 節 1.011 / ID 4550
 間延びしていますが^^;3.4週の記事の続きです。
 我が家の子育ての方針(無方針)は、たっぷり遊ばせる、好きなことはルールを決めてやらせる、国語力だけはつけておく、でした。
 この中で最も大事なものはもちろん、たっぷり遊ばせるです。人間が生きていくいちばん大事なことは幸福に生きることですが、この幸福感は子供時代の幸福な経験によって形成されます。幸福な経験とは、まず家族から愛されること、そして好きな遊びをたっぷりすることです。
 ルールを決めてやらせるということについては、テレビゲームは15分まで、テレビは1時間まで、漫画は読んだら捨てるということで自由にさせていました。「スラムダンク」全巻だけは、家族全員の猛反対があって捨てられませんでした(^^ゞ
 国語力をつけておくということに関しては、対話をする、読書をさせる、長文音読と短文暗唱を毎日続ける、ということでやっていました。
 国語力があれば、あとは何とかなると私は常々思っています。現代の社会では、英語や数学の成績が受験で大きなウェイトを占めていますが、社会に出てから役に立つ第一の学力は国語力です。確かに英語ができないといろいろな面で不便です。また数学ができないと、数学的な考え方そのものを避けがちになります。しかし、国語力があれば、それらの不便や弱点はカバーできます。しかし逆に、国語力がないと、ほかの能力がいくらあっても大きなハンディを背負うことになります。
 国語という言葉を使うと、英語・数学・理科・社会と同列の一つの教科のように思われてしまいますが、国語とは実は日本語です(あたりまえですが)。日本語を使う能力とは、思考力そのものです。「英語と数学はできるが国語が苦手」ということは、「英語と数学はできるが、思考力が苦手」と言っていることと同じです。
 だから逆に、国語力さえしっかりついていれば、英語と数学は比較的短期間で力をつけることもできるのです。
 さて、こういう教育方針でしたから、我が家の二人の子供の小学校時代の成績はごく平凡でした。しかし、二人とも、国語とバスケットボールとキーボード入力の三つだけは自信があったようです。というか、それしか自信がなかった。
 ただし、国語の成績は国語の実力とは若干違います。子供たちが小学校中学年のころ、国語の問題で出された設問に、自分なりの考えを書いてはよく×をもらってきていました。例えば、「このとき○○はどういう気持ちだったか」などという問題で、自分なりにいろいろ想像して書いてしまうので、考えすぎの×となってしまうのです。そういうとき、私は、「これは×だけど、おまえの考えの方がおもしろいからいいんじゃない」と笑って済ませていました。(いいかげん)
 国語の成績がよくなったのは、高学年になって、「国語の問題で要求されている答えは、問題文の中にある」ということを自分なりに発見してからのようです。
 国語のテストには、このようなテクニック的な要素があります。「消去法で考える」というテクニックも、知っている子と知らない子では、大きな差が出ます。しかし、これらのテクニックは、数時間で身につけられるものです。勉強の中心は、テクニックを学ぶことではなく、やはり文章を読む力をつけるという本道に置くべきでしょう。
(つづく)
枝 6 / 節 1.012 / ID 4551
作者コード:
枝 9 / 節 2 / ID 4551
 
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