森の編集室(削除修正追加 / /▼ダウンロード /▲アップロード
削除 修正 追加
枝:0=件名、1=先端タイトル、2=章◆、3=節●、4=題名■、5=小見出し▼、51=小見出し▼、52=小見出し●、
6=本文、61=改行、7=テーブル、8=絵図、9=終端タイトル

言葉の森新聞2004年12月3週号 通算第867号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.「パワー?Sフォース」(森川林/なね先生)
  ■2.長文音読について(りょんこ/よお先生)
  ■3.好きなことを大切に(雨/ばば先生)
  ■4.フォア文庫(けいこ/なら先生)
  ■5.おしゃべり? それとも無口?(すずめ/みり先生)
  ■6.内側の世界と外側の世界
 
言葉の森新聞 2004年12月3週号 通算第867号
文責 中根克明(森川林)

枝 1 / 節 2 / ID
1.「パワー?Sフォース」(森川林/なね先生) 枝 4 / 節 3 / ID 7323
 「パワー?Sフォース」という本を読みました。これは、今後の人間社会のあり方を大きく変える本になりそうです。
 キネシオロジーという、筋肉の動きや筋力を測定する運動機能学の分野があります。Oリングテストなどもこの一種で、人間の筋肉が自分の体にとってよいものと悪いものを判断していることが、今では多くの人に理解されるようになってきました。
 Oリングテストは、食べ物などに関して、よいものと悪いものを判断する方法でした。実は、これだけでも食品業界に与える影響ははかりしれません。Oリングテストを使って、夕飯のおかずを買うようなことが一般化すれば、コマーシャルやパッケージの工夫などは無意味になります。
 このOリングテストを、食べ物以外のあらゆる分野に適用したのが「パワーVSフォース」という本の内容です。と言えば、もう内容は明らかでしょう。書物についても、人間についても、政治についても、その真実度が測定できるというのです。
 人間には、第六感というものがあるようです。それは、実は不思議な力ではなく、このキネシオロジーのようにもともと人間に備わってはいるが、意識的に自覚するにはあまりに微妙な感覚の総称なのだと思います。Oリングテストもキネシオロジーも、特別な方法ではありません。だれもが持っている感覚を見えるようにしただけです。とすれば、やがて特にそのような方法に頼らなくても、漠然とよいもの悪いものを見分ける感覚が人間に育ってくるということは充分に考えられます。
 これまでの世界は、権謀術数(けんぼうじゅっすう)によって支配されてきました。力の強いものや作戦のうまいものが勝利するという世界です。しかし、真実の姿が見えるようになれば、よいもの正しいものに自然に力が与えられる世界になるでしょう。これは、遠い未来の話ではなく、既に私たちの周囲で起きつつあることだと思います。
 そしてやがて、その夢のような世界が登場したあとに、人間がすべきことは、寝て暮らすことではありません。(笑)人間の社会から、これまで必要悪だと思われていたあらゆる理不尽なものが消滅したあとに来るものは、人間の本史です。私たちが今生きている社会は、人類の前史が終わりつつある時代なのだということを、この「パワーVSフォース」を読んで改めて実感しました。
枝 6 / 節 4 / ID 7324
作者コード:nane
2.長文音読について(りょんこ/よお先生) 枝 4 / 節 5 / ID 7325
 今月は長文音読についてお話します。長文音読にかぎらず学習というものは「継続」がなによりも大切です。国語の読解力は、漢字の書き取りテストのように、今日勉強したから明日のテストでよい点数が取れるというようなものではありません。成果が表われにくいというのが続けにい原因のひとつでもあるのですが、毎日少しずつでも続けていると、半年、一年後には、必ず成果が表われてきます。継続の成果はわからないうちに少しずつ貯えられていて、数ヶ月後に、作文の中で「うまい!」と思わせるような光る表現が見られるようになるのです。
 本をたくさん読んでいる生徒は非常に豊かな表現力を持っています。また高学年になると、感想文の際に三文ぬきがきや要約がありますが、読解力のある人はその文章の選び方が非常に的確です。
 長文音読は、毎日といっても何時間もする必要はありません。時間がない、または負担に感じるようでしたら、ほんの五分、十分でよいのです。どんな科目についてもいえることですが、一週間のうち一日だけ一時間学習するよりも毎日十分ずつするほうがずっと効果があります。本当に十分で効果があるのだろうかと思う前に、ほんの十分です、続けてみてください。数ヶ月経つと、難しく感じていた長文が前よりもすらすら読めていることに気が付くでしょう。自分で力が付いてきたと感じられるようになると、学習を続けるのがどんどんたやすくなってきますよ。
     
枝 6 / 節 6 / ID 7326
作者コード:yoo
 
枝 61 / 節 7 / ID 7338
3.好きなことを大切に(雨/ばば先生) 枝 4 / 節 8 / ID 7327
突然ですが、私には趣味というものがありません。「好きなこと」がないのです。これは悲しいことです。仕事や家事育児が空いた時間、ぽっかりと空いた時間に何をしたらいいのか分からないのです。
子供のころは好きなことがいっぱいありました。毎日、毎日、寝ることも食べることも忘れて夢中になったことがたくさんあります。次から次へと「好きなこと」も見つかりました。
どうして「好きなこと」がなくなってしまったのでしょう。たぶんそれは小学校から25才まで5回も受けた受験とそのための勉強でしょう。小学校5年生から25才までずっと「やらなくちゃいけないこと」に日々追われていました。そうしたら「やりたいこと」が分からなくなってしまいました。

私の弟は「やらなくちゃいけないこと」をちゃんとやらないで「好きなこと」ばかりして親や先生に怒られていました。学校の成績もひどいものでした。でも彼には今でも「やりたいこと」がたくさんあります。しかもその一つを職業にして、今は社会で活躍しています。
もう一つあります。私のいとこは小学校から学校にほとんど行かず、好きなマンガや絵を描いて過ごしています。彼女は二十才過ぎのとき、才能を認められて雑誌社にマンガの連載を書いてくれませんかとスカウトされました。(でも彼女はマンガを仕事にすると「描かなくてはならない」状況になってしまうからといって断ったのです!)

難しい話になってしまいますが、人生ってなんだろうと私は思いました。身を粉にしてがんばってきた私の今はなんだかつまらない人間です。でも叱られてばかりいた弟は今では生き生きとして、しかも好きなことを仕事にするということまでできました。
やらなくてはいけないことは、確かにやらなくてはいけないものです。だからといってがむしゃらに「やりたいこと」を我慢してがんばり続けると、現代社会で急増している「無趣味人間」になってしまいそうです。どんな人生を送るかは人それぞれですが……。
作文は「私は何がしたいんだろう」「私は何を考えているんだろう」という自分の心の声に耳を澄ます作業でもあるのです。小学校や中学校で自分の心に耳を澄ませば、自分がどんな人生を送りたいか、どんな大人になりたいか、はっきり見えてくる日がくるでしょう。

私もここ何年かは作文という好きなことを見つけて、自分のやりたいことが少しずつ増えてきています。作文は自分を見つめるのにとても大切なものなのです。
枝 6 / 節 9 / ID 7328
作者コード:baba
4.フォア文庫(けいこ/なら先生) 枝 4 / 節 10 / ID 7329
 みなさんは『フォア文庫』を知っていますか? 図書館などにも置いてあることが多いので、知っている人・読んだことがある人も多いでしょう。この『フォア文庫』は、岩崎書店・金の星社・童心社・理論社という出版社が共同でフォア文庫の会というものを作って、子どもたち用にいい本を用意しようと始められたものです。テレビで「○○つながり」という言い方をしたりしますが、今回の私の文章は、フォア文庫つながりのできごとのことです。
 さがしていた外国の物語(子ども向けです)が、フォア文庫の中に見つかりました。たまたま、家の近くの古書店(ブックオフ)にあったのです。なんと、150円。(笑)その物語そのものはさておき、本の最後に書いてあった「1994年フォア文庫15周年にあたって」という文章が、あたたかくてとてもすてきです。子どもたちに、たくさん本を読んでほしいという気持ちが、しっかりと伝わってきます。長くなるので、少しだけ引用します。もし、手元にフォア文庫があったら、ぜひ、一読してみてくださいね。
 ☆ 少年少女のみなさんが、これから乗りだしていく人生という大海には、さまざまな出会いが待っています。……そうです。本を読むということは、いろいろな人生に出会うことでもあります。また、未知との世界との遭遇(そうぐう)でもあるのです。……みなさんが、さまざまの本の世界にふれ、そこから自分でものを考え、創造的にたくましく自分の人生を航海していくことを心から願っています。
 このフォア文庫の会は「朝の読書」を応援しています。みなさんの学校でも、朝の読書時間があるのではないでしょうか? 1988年、千葉県の高校の先生方が提唱し、本を心の栄養として子どもたちに生きる力を育ててもらおうと始めたのが「朝の読書」運動だそうです。その後運動は、全国の小・中・高校に広がり、現在の実践校は12000校を突破しているそうです。今年は、第一回「朝の読書応援ブック」寄贈が実施されたとのこと。めざましい活動実績がある学校に、一度に本が80冊贈られたとか。さっそく本を手にしている子どもたちの写真が、新聞に載っていました。
 このフォア文庫の会のメンバーでもある理論社が、中高校生向けの新書を創刊しました。中高校生向けの新書といえば、岩波ジュニア新書が有名です。内容も、種類も、充実していますね。そこに、理論社や筑摩書房が参入しました。フォア文庫の会で地道な活動をしてきた理論社が、どんな新書の出版計画を立てているか。楽しみです。中・高校生向けとしてはありますが、おそらく、大人にとってのわかりやすい入門書としても、大いに使えるはず。みなさん、書店に出向いたときには、ぜひ、新書コーナーに足を運んでみましょう。
 私は、げんかつぎとかが好きで、ここ数日で、これだけ身のまわりに「フォア文庫」絡みの話がふってわいたということは、何かのお告げにちがいない、と確信しました。そう、これは「学級新聞の題材にせよ!」ということだったのでしょうね。読書の秋は、まだまだ続きます!
枝 6 / 節 11 / ID 7330
作者コード:nara
5.おしゃべり? それとも無口?(すずめ/みり先生) 枝 4 / 節 12 / ID 7331
 教室にくるみなさんは、あっとうてきにおしゃべりな人が多いかな。全体的にみても、先生のこどものころより、よく話をするこどもがふえたようにおもいます。とくに、男の子。むかしから、女の子はおしゃべりとされていましたが、男の子については、人によっては、「男のくせにべらべらしゃべるな」なんて、おこられたりしました。(どうしてかしらね)
 目で合図(あいず)、みぶり手ぶりでつたえる、首(くび)をかしげる・たてにふる・いやいやをする。動作(どうさ)だけでも、あるていどのことはつたえられますが、(それをつかって、うまくことばにしたのが、手話=しゅわですね)ふくざつなないようや、こまかいこと、せんさいなきもちなどは、なかなかひょうげんできません。
 小さな赤ちゃん。生まれたばかりのときは、泣いて(ないて)ばかり。そのうち、泣きかたもいろいろになり、さらにわらうようになり、かたことをはなしはじめます。おとうさん、おかあさんは、さいしょは、赤ちゃんがどうしてほしいのかよくわからなくて、おろおろするけれど、泣きごえをききわけ、顔(かお)のひょうじょうを見て、赤ちゃんのうったえをりかいするようになります。そして、はじめてのおたんじょうびごろ(ローソク、1本ね)、ことばらしきことをいいはじめたことにかんげきします。さらに、2,3さいになって、まだしたたらずながら、せいかつにひつようなことがかなりはなせるようになると、ずいぶんらくになった気がします。
                          
 話せるということは、こちらのいうこともわかるということです。これでおたがいにコミュニケーションがとれるのです。(じっさいは、きくことができるほうがさきで、話せるようになるのはあとですね)みなさんもこういうじゅんばんで、お話ができるようになったのだとおもいます。ここまでくると、こまかいこと、ふくざつなこともだんだんつたえられるようになり、人とかかわるのがうまくなります。

 さて、今学期(こんがっき)、会話(かいわ)を「 」で入れるれんしゅうをしている人も多いですね。たのしくあそんだ話、けんかした話、そういうとき、たいけんしたできごとの中にかならず、会話があったはずですね。それを思い出してかいてみましょう。そうすると、会話のまったく入っていないものとくらべてどうですか?先生は、会話をいれることによって、その場面(ばめん)が、ぱっと目の前(まえ)にあらわれるような気がします。どうしてでしょうか。口から出たことばは、きこえたあときえるけれど、作文の中でまたよみがえるからです。そうすると、ほかのぶぶんもきゅうにいろづいて、生き生きしてくるのです。
 「会話! 」ってすごいでしょう。自分(じぶん)いがいのだれかに、おもうことをつたえ、あいてからもうけとるためのすばらしい道具(どうぐ)ですね。それは、そのときだけでなく、かきとめておくと、なんどでもよみがえるのです。こえやひょうじょうのきおくとともに。だから、「えー、かいわなんてないよー」といわずに、おもいだしていれてみましょう。さくぶんがぐっとよくなりますよ!
 学年の大きい感想文課題のおともだちは、なかなか会話をいれる機会がないかもしれませんね。でもこのことをよくおぼえておいて、いつか効果的に使ってみてくださいね。

 先生ね、このあいだしょうかいしたハムスターのクロちゃんは、声をださないので、モルモットのモルモトさん(50ものこうほからかんがえたにしては、かなりかわいそうななまえ)と会話をしようと毎日(まいにち)がんばっています。いまのところ、だいこうぶつのキャベツがほしいときだけ大きな声でなくのですが、ほかはしずかにしています。
 いつになったら、モル語(ご)をおしえてもらえるのかなあ。           


                                   すずめ^;^
 
枝 6 / 節 13 / ID 7332
作者コード:miri
6.内側の世界と外側の世界 枝 4 / 節 14 / ID 7335
 文章を書くときには、自分の内側を深く探ることと、自分から離れることの両方が必要とされると思います。小学生の項目に「自分だけがしたこと」や「自分だけが思ったこと」という項目がありますが、これらは、自分らしい個性や感性を表現するということです。他人とは違う自分、そんな自分の内側から湧き出る感情を素直に表すことは大事なことです。しかし、一方、自分の枠を抜け出して、外の世界との関わりを記すことも大切です。小学生低学年なら、友達との会話を書いたり、誰かの気持ちを推測して書いたりすること、高学年なら「人間にとって」などという言葉を使いながら一般化することがこれにあたります。中学生以上では、自分の問題から離れて人間全体、社会全体の問題として意見を示すことがこれにあたるわけです。

       

 そもそも人間は、自分の内側の世界と外側の世界とのバランスを取りながら生きていると言えるでしょう。必ずしも境界線のはっきりしない二つの世界を行ったり来たりしながら成長していくのが人間なのかもしれません。文章を書くという作業は、そんな二つの世界のバランスを取るにはとてもいい方法だと思います。私たちは、さまざまな体験からいろいろなことを学んでいます。それらの学びの成果を自分の中に積み重ねていくだけでなく、外の世界に照らし合わせることで、その学びはより深いものとなって刻まれます。

       

 人間は、誰もが自己中心的であると言えるでしょう。自分のことをいちばん大切に思うのは当然のことです。自分の存在を主張し、幸せに生きていこうという意志を持てるのは自分しかいません。しかし、誰もが自分のことしか考えなかったら、社会の秩序は成り立ちませんし、もちろん、自分も幸せになれません。人は他人との関わりの中で生きています。また、自分という存在も大きな宇宙からみたらほんの小さなものに過ぎません。そこで、他の人々に目を向けること、大きな社会の流れを把握することが必要になってきます。すると、この世の中に普遍的な何かがあることに気づかされます。そんな気づきを文字にするとき、たぶん、自己というものの幅が広がっているのだと思います。

       

 自分の内側で起こった具体的な出来事を抽象的な考えにまとめていく、自分の感情を主体的に発信するだけでなく、客観的にとらえる、そんな作業を繰り返していると、それまで見えなかったものが見えてきます。そして、自分という「とりで」の周囲に引いた境界線が少しずつ広がっていくことに気づくでしょう。文章を書くという作業を通して、人間的にも成長できたらこんなにすばらしいことはありません。言葉の森で勉強しているみなさんも、歩幅の差はあっても書くたびに必ず前進しているのです。
                                                                                                                                                       

                                山田純子(メグ)
枝 6 / 節 15 / ID 7336
作者コード:jun
枝 9 / 節 16 / ID 7336
 
ホーム