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言葉の森新聞2005年6月2週号 通算第890号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.楽しく勉強をしよう
  ■2.命の大切さ(コスモス/ほえみ先生)
  ■3.「こんなこと」書いていいよ(けいこ/なら先生)
  ■4.パソコン書きのすすめ(ひまわり/すぎ先生)
  ■5.書き出しの工夫(ミニー/さらだ先生)
 
言葉の森新聞 2005年6月2週号 通算第890号
文責 中根克明(森川林)

枝 1 / 節 2 / ID
1.楽しく勉強をしよう 枝 4 / 節 3 / ID 7924
 勉強は、苦しみながらする方が本物だと思っている方が多いようです。
 確かに、子供が自覚して勉強する年齢になってからは苦しいことも、本人にとっては一種の喜びですから、苦しいことが一概に悪いわけではありません。高校生のころになると、朝から晩まで勉強をして充実感を感じるということもよくあります。明け方まで勉強をして、薄明るくなった空を見て満足感を持った経験のある方も多いでしょう。
 しかし、小学生のころは、勉強の動機が自分の内側から出てくる時期ではありません。そこで、真面目に勉強をさせようとすると、ダメだったら罰を与えるという発想になりがちです。
 例えば、今週書く予定だった作文を、つい遊びすぎて忘れてしまったというとき。「遊んだあなたが悪いんだから、今週、二つ書きなさい」というお母さんが多いと思います。このときの考えは、これで懲りれば次からはちゃんとやるだろうということだと思います。これは、これで一つの生き方です。決まったことをきちんとやるという習慣を子供のころからつけておけば、社会生活もスムーズに行きます。
 しかし、私(森川林)はこういうとき、ほとんどの場合こう言ってきました。「忘れたことはもういいから、今週からちゃんとやっていこう」。それも、しぶしぶ言うのではなくいつも明るく言ってきました。
 苦しい思いをして身につけたことは、定着しません。罰を与えて、よくなる子はいません。人間は、もともと楽しいことをして、褒められて成長していくのです。
 先日、免許証の更新に行ってきました。シートベルトをしていなかったので減点になり、見たくもないビデオを見せられることになりました。見る気がないので、放映中ずっと目をつぶって瞑想していました。そのビデオが、悪い人を罰する発想そのものです。主人公のやることなすこと、すべて悪い方向に向かっていくので、このビデオをしっかり見た人は、潜在意識的に事故を起こしやすくなったと思います。私だったら、もっと楽しく、危ないところをうまく切り抜けてよかったというビデオを作ります。採用されないと思いますが。
 子供のころに勉強をしたとかしないとかいうことは、どうでもいいことです。それよりも大事なことは、どれだけ幸福な時間を過ごしたかということです。
 幸福な子供時代を過ごした子は、大きくなってから逆にがんばりがききます。苦しい思いをするのは、子ども自身が自覚的に苦しい道を選ぶ時期になってからで十分なのです。
枝 6 / 節 4 / ID 7925
作者コード:
2.命の大切さ(コスモス/ほえみ先生) 枝 4 / 節 5 / ID 7916
 コスモス学級のみなさん、こんにちは。新緑が目にまぶしい季節となりましたね。普段忙しくしているみなさんも、なるべく外の空気に触れてリフレッシュしてみてください。そして低学年のみなさんは、外遊びを思いっきり楽しんでください。
 今月は生きること〜命の大切さ〜について考えてみたいと思います。みなさんもJRの脱線事故については知っていますね? 電車に乗る時、事故が起こるなんて考えたことありますか? たしかに人間が運転しているのだから絶対に起こらないとは言い切れません。でも、大部分の人が事故が起こらないという前提で安心して乗っているわけです。それなのに100人以上もの犠牲者を出したあの事故。ミスではすまされないですよね。あの事故で亡くなってしまった人たちはもちろんですが、突然、家族や友人を失ってしまった人たちの悲しみを思うと胸がとても痛みます。今まで当たり前のように存在していた人が、ある日突然いなくなってしまう。他は何も変わらないのに、その人だけがいない。そんなこと想像できますか? あまりにも突然に失われた命を思うと何も言葉が出てきません。
 人は「生きているのが当たり前」と思いがちです。でも、当たり前ではないのです。今日元気に生きていたとしても明日必ず生きているという保証はどこにでもないのですから。だから先生はその時、その時を大切に生きたいと思いました。何気なく時間を過ごすのではなく、あとで振り返ってみて「生きていて良かったな」と心底思えるような生き方。今を一生懸命生きるということは大切なのです。生きたいとどんなに強く願ってもかなわない人、逆に自分から命を絶ってしまう人、本当にいろいろです。でも、みなさんには自分の人生を主体的に生きてほしいのです。みなさんの人生の主人公はまぎれもなくみなさん自身です。お父さん、お母さんからもらった大切な大切な命。その命を生かすも殺すもみなさん自身なのだということを考えてほしいのです。
 先生にも3人の子供がいます。長男は4歳、下の双子(両方とも男の子)は2歳です。双子が生まれるまでは大変でした。まだお腹の中で栄養をとらないといけない時期に、生まれそうになってしまいました。もしその時に生まれてしまっていたら、今の彼らはいません。そうなるのを防ぐために、先生はずっと入院していました。小さな体で苦しみを誰よりも耐え、一生懸命がんばってくれた彼らに、そして小さめだったけれど元気に生まれてきてくれた彼らに感謝の気持ちでいっぱいです。人が生まれてくることは決して当たり前ではないということを実感しました。命の尊さを身をもって体験できたことは良かったと思います。
 「生きることの意味」をみなさんも自分なりに考えてみてください。そんなに難しく考える必要はありません。何も考えずに生きるのではなく、ああしたいな、こうしたいなという自分の気持ちに素直になればそれで十分です。したいことをするために、またなりたいものになるために自分がやるべきことをやっていれば、立派に「主体的に生きている」ことになりますよね。低学年のみなさんにはちょっと難しいテーマになってしまいましたね。低学年のみなさんはとにかく毎日を楽しくすごすことを目標にしてみてくださいね。
枝 6 / 節 6 / ID 7917
作者コード:hoemi
3.「こんなこと」書いていいよ(けいこ/なら先生) 枝 4 / 節 7 / ID 7918
 みなさんは、作文教室の生徒として毎週作文に取り組んでくれていますが、ほとんどの小・中・高校生にとっては、作文は学校で先生に言われて書くもの、というイメージが強いと思います。小学校に入学したばかりであればいざ知らず、何度か作文を書くうちに、知らず知らず書くことを選別するようになります。その選別のものさしの一つに「こんなこと書いたら……」というものがあるのではないでしょうか?

 多くの場合、学校の先生は、「○○さんのこの作文がよかったね。」という言い方で「いい作文」を紹介してくれます。そして、それは、先生やお父さんお母さんたち大人が読んで、「ん〜、いい子だね。」と言ってくれそうな内容のことが多いです。そういう経験が重なると、「こんなこと書いたら……」という思いが生まれ、本当の自分の気持ちを表現することに、ブレーキがかかってしまうのです。
 今回、たまたま、二つの事例にぶつかりました。一人は、小4生のMちゃんです。この子は、観察力・表現力、そして、作文を組み立てる力は群をぬいている、とてもよく書ける子です。毎回、字数たっぷりに、よく考えた作文を提出してくれます。あるとき、「おや、こんなことを書いている……。」と思ったことがありました。冬、学校の先生にはばれないように、こっそりカイロを持っていった話です。学校の作文にはこんなことは書けないとMちゃんは思ったかもしれませんね。言葉の森の作文だと、学校にばれることは(たぶん)ないはず……ないしょの話を書いたことで、何だか、秘密めいたワクワク感が作文に加わっています。どちらかというと、今まではきっちりとしたまじめな印象が強かったMちゃんの作文ですが、ここに親しみやすさも加わりました。今までわかりにくかった、Mちゃんのおちゃめなところも伝わってきます。その作文を書いたころを境に、Mちゃんの個性がより強く作文にあらわれてきたようです。
 もう一人は、小5生のK君。いつもお風呂そうじを担当しているそうです。本当は、お風呂そうじはあまり好きではなく、「いやだなぁ。」と思っているとのこと。でも、「怒られるから仕方なくやっている。」のだそうです。そのことを作文に書いたら、とすすめてみると、「書いたら、もっと怒られるかも。」と心配そうです。大切なのは、そう思ったことよりも、「いやだ。」と思いつつもそうじをしていることなのです。いやいやながらもそうじをしたら、お母さんは「ありがとう。」と言ってくれます。その言葉があるから、「まあ、いいか。」と思って、次もそうじします。これは、すべて作文に書けることです。そして、おそらく「怒られるから仕方なくやっている。」ことを隠した作文よりも、ずっといい作文になるはずです。
 つまり、「こんなこと書いていいのかなぁ。」と思ったことは、実は、とてもいい作文の題材になることが多いのです。私たち人間は、楽しいこと・うれしいことだけでなく、はずかしいこと・かっこわるいこと・いやなこと・悲しいことにもたくさんぶつかります。怒ったり、投げやり気分になったりすることもあります。それら全部が「私」なのです。だから、「こんなこと書いていいのかな。」と思ったら、心配せずにまず書いてみましょう。きっと「私」らしい作文になるはずです。書けば、「どうして、書いていいのかな、と心配になったのだろう?」と自分に問いかけるきっかけになります。

 私はよく「お母さんが怒るかもしれないと思っているかもしれないけれど、それを書いたことでいい作文になったら、お母さんはきっとほめてくれるよ。書こう書こう。」とはっぱをかけます。どんどん「こんなこと書いて」いいよ!
枝 6 / 節 8 / ID 7919
作者コード:nara
 
枝 61 / 節 9 / ID 7928
4.パソコン書きのすすめ(ひまわり/すぎ先生) 枝 4 / 節 10 / ID 7920
 エディタについて

 文章を入力するとき、ワードをお使いになる方が多いかと思いますが、実はワードでの入力はあまりおすすめしていません。理由は、機能が多すぎて逆に使いにくいからです。機能を完全に使いこなせる人にとっては、すばらしいツールかもしれませんが、私などは、「そこまでしてくれなくていいのに……。余計なお世話だ。」と思ってしまうこともあります。(笑)
 そこで、言葉の森では、ウィンドウズの場合は「秀丸(有料)」「TeraPad(無料)」で、マックの場合は「Jedit(有料)」というエディタソフトをおすすめしています。『学習の手引き』に詳しい説明がありますので、使ってみようと思う方はご覧になってください。

 項目シールの代わりに

 毎週、作文を書くときに、みなさんが一番気をつけていること。それは、●印のついた項目を作文に入れることですね。きちんと意識して項目を入れたという意味で、手書きの場合はシールを必ずはってもらっています。でも、パソコンで送信する場合、シールをはるわけにはいきません。どうしたらよいのでしょう。
 実は、ちゃんと代わりの方法があるのです。それは、<<○○>>という文字列を文中に入れること。(すべて全角)○○の部分には、「構成」「題材」「表現」「主題」のいずれかを入れてください。しかし、この文字列を毎回入力するのは、シールをはるよりたいへんですね。そこで、この四種類を辞書登録してみましょう。たとえば、「こ」「だ」「ひ」「し」で変換できるようにしておきます。そうすれば、シールをはるより簡単!

 森リン(自動採点ソフト)

 自動採点ソフトで、自分の送信した作文の点数が見られることも、パソコン書きの良い点の一つです。だからといって、この点数にこだわって、一喜一憂(いっきいちゆう)する必要はないのですが、送るたびに「今回は何点かな。」と、楽しみが増えますね。ちょうどネット作文コンクールも開催されていますので、ふだん手書きの人も、今まで書いた作品の中から一つ選んで、ためしに入力してみるのもいいでしょう。
 自動採点ソフト『森リン』で、点数を上げるコツはいろいろありますが、ここで一つだけみなさんに伝授しましょう。それは、語彙(ごい)を増やすこと。何やらむずかしそうに聞こえますが、そんなことはありません。文章の中に出てくる同じ言葉に注目してください。「この言葉、何度も出てきたな。」と思ったら、別の言葉に言い換えられないか考えてみましょう。たとえば、「思いました」という言葉を「心の中に浮かんだ」「頭の中で何度もつぶやいた」のように、工夫してみることです。これになれてくると、同じ言葉をくりかえし使うことが気持ち悪く感じられて、自然に別の言葉に置き換えるようになります。また、この練習をしているうちに、「この場合はどんな言葉が一番ぴったりくるのかな?」と、言葉を慎重に選ぶようにもなります。
 毎日の長文音読、読書で、自分の使える言葉をどんどん増やしていきましょう。




                    
枝 6 / 節 11 / ID 7921
作者コード:sugi
 
枝 61 / 節 12 / ID 7929
5.書き出しの工夫(ミニー/さらだ先生) 枝 4 / 節 13 / ID 7922
 連休も終わり、またいつもの生活がもどってきました。楽しいお休みを過ごしたことでしょうね?! 先生の家では、この春仙台に行った長男が帰ってきてにぎやかなお休みとなりました。「お兄ちゃん、やせたんじゃあない?」 と妹に言われ、お風呂上りに体重計にのってみると、3キロやせていたようです。料理本を片手にごはんを作ってはいたようですが、自炊のひとり暮らしはなかなかたいへんみたい。おかげで、先生の作ったごはんを「おいしい、おいしい!」 と食べていました。「親のありがたみ」 をほんの少しだけわかったようです。

 「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」

 「親ゆずりのむてっぽうで、子どものときから、そんばかりしている。」 

 さて、この二文はなにの小説の【書き出し】でしょう? 
前者は、多くの人々がこの一文をそらんじることのできる川端康成(かわばたやすなり)の「雪国」 です。実際にこの「雪国」 を読んだことがなくても、この冒頭(ぼうとう)だけは知っている! という人がたくさんいるみたいです。この一文で、読者の目の前にも、暗いトンネルから抜けたあと、ぱあっ! と雪国の景色が広がります。この美しい書き出しは、たったの一文なのに私たちを本の中にひきつけていきます。
 後者は、夏目漱石(なつめそうせき)の「坊ちゃん」 の書き出しです。この本を読んだことがある人もたくさんいるでしょうね。「いったい、どんな人なの?」 とちょっとびっくりするよね。そして、「おもしろそう!」 なんて興味(きょうみ)がわき、次の文へ目が移っていきます。

 どちらの文も日本を代表する文学者の作ったものですが、みなさんも同じように「言葉の森」 で【書き出しの工夫】(小学3年生ごろから) をしていることに気づきます。

「今日○○ちゃんとなわとびをしてあそびました。」 とか、
「私は毎朝七時におきます。」 というように作文を始めるのではなく、書き出しに会話、色、音、情景(じょうけい)を入れていきます。

「やったぁ! 二重とびができた!」 
今日の休み時間、○○ちゃんとなわとびをしました。

「ジリリリリ」
めざまし時計が鳴りひびいています。

という【書き出し】にすると読み手はぐっと引きつけられますね。楽しいよね?! 手紙を書くときも同じことが言えます。「お元気ですか?」 の一文で始めるのはちょっとさびしいね。その前に、「街の木々の緑があざやかにかがやいています。」 「今日ふっと○○ちゃんのことを思い出し、ペンを取りました。」 の文が最初に書いてあると、とてもすてきにか感じます。そう、【書き出し】はとてもたいせつなものだということがわかりますね。そして、その【書き出し】を工夫することは、楽しい作文へとつながっていきます。みんなもどんどん【書き出しの工夫】をしてみて! そして先生をどんどんあなたたちの書いた作文へひきこんでいってほしいなあ!
「えっ! なにがあったの?」 とちょっとおどろいたり、ぱあっ! とその情景が先生の目にうかぶような一文をつくってみてね。楽しみにしています。
枝 6 / 節 14 / ID 7923
作者コード:sarada
枝 9 / 節 15 / ID 7923
 
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