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言葉の森新聞2008年6月2週号 通算第1034号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.抽象化能力を高める作文
  ■2.昔話実例(うさぎ/きら先生)
  ■3.りぃちゃんへの手紙(なら/なら先生)
  ■4.いろは歌(モネ/いとゆ先生)
  ■5.宇宙の中の地球(まあこ/ゆた先生)
 
言葉の森新聞 2008年6月2週号 通算第1034号

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森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.抽象化能力を高める作文 枝 4 / 節 3 / ID 12445
 勉強の中には、知識の再現性を評価するものがあります。それは、時間をかけて努力すれば、ある意味でだれにもできる分野です。例えば、「日本でいちばん長い川は」「信濃川」という、クイズ番組のような学力です。
 しかし、本当に考える力のある子は、こういう単なる「知っている」という知識にはあまり興味を持ちません。逆に、考える力のある子供たちが好きなのが作文です。それも、学年が上がり、自分なりに考える要素が増えてきた作文は、書くこと自体が知的刺激になります。
 考える要素のある作文とは、例えば、「宿題はよいか悪いか」という題名を複数の理由で書くというような作文です(中1の課題)。この課題で、中学1年生が作文を書くと、理由を考えるという抽象的な思考ができずに、単なる実例だけを書いてしまう子がかなりいます。しかし、実例を書くのはまだいい方で、中には、「よいか悪いか」という問題の立て方ができずに、「好きか嫌いか」という感覚のレベルで考えてしまう子もいます。(大人でもいると思いますが)
 理由や方法や原因という抽象的な思考をすることができず、すぐに実例を書いてしまう人は、現実の世界もやはり実例としてしか見ていません。そういう人は、話題は豊富なように見えますが、その話題の背後にある本質を考えることはあまり得意ではありません。
 抽象化能力とは、現実の背後にあるより抽象度の高い本質を見る力です。高学年の作文力の中心は、この抽象化能力ですから、作文力のある子は、社会に出てからもますますその学力に磨きをかけていくことができるのです。
枝 6 / 節 4 / ID 12446
作者コード:
2.昔話実例(うさぎ/きら先生) 枝 4 / 節 5 / ID 12451
 中学生からの作文の課題項目に「昔話実例」というのがあります。作文で何か意見をあげて、そのための理由や方法を述べていく時の裏付けになるものを「昔話」から探すという手法です。作文の中に自分のことを書くのがちょっと苦手という人にはおすすめの方法です。昔話を引用してさらに解釈していくことで、字数も伸びるし作品の内容もふくらむからです。
 ところが、驚いたことに「昔話」を知らない人がけっこう多いようです。小さい頃から読む本が多彩に用意されている環境のせいでしょう。読書好きでたくさんの物語・小説を読みこなしている人でも、「桃太郎」は知っているが「わらしべ長者」になるとちょっとわからないというのです。昔話とはもともと「語り継がれる」性質のものですから、語られた経験がないということがいちばんの原因でしょう。私の昔話の思い出といえば、ほとんどすべてが祖母との思い出です。ちょっと怖いお話を聞いた夜は、必ず夢にでてくるほど、おばあちゃんの語りは味のある(すご味のある?)ものでした。
 昔話に書かれていることは「むかしむかし、あるところ」のある人の体験談です。狐やら狸やら、あやしげな動物にだまされたりだまし返したり、ありがたい観音様まで登場するという奇想天外な設定になっています。ところが、自分にはとうてい関わりのない世界と思うその話から、私たちは何かのヒントや励ましや明るい笑いをもらうことができます。昔話は、生きる知恵や力にあふれているのです。むかしむかしの人と、21世紀の私たちが手を取り合っているような感動すら覚えます。
 作文の中に「昔話」をとりいれてみる方法は、ぜひ試してみてほしいと思います。そのためには、まず「昔話」を知ることです。絵本なんてと思わずに、図書館で昔話を読みふけるのもいいですね。手っ取り早く知りたい人には、言葉の森のホームページの「昔話の草」もおすすめです。また、ロングランのテレビ番組で、味のある語りにふれるのもいいですね。
 でも、中学生以上の人には、とくにマンガや絵本で読むわけにはいかないと思っている人たちには、できれば原典にちかいものにふれてほしいと思います。「日本の昔話」(柳田国男)という本が文庫で出されています。180ページほどのなかに108の昔話が収められています。それぞれの昔話が、語り継がれたもののかたちに近いと思いますが、現代文になっており読みやすいと思います。昔の人の声を聞くようなつもりで、ぜひ読んでみてください。おすすめです。
 さあ、5月の作文が始まっています。6月のはじめには進級テストがあります。文字数も目標値まで伸ばしておきたいところです。作文を豊かな内容にするためには、書く人だけの経験や知識だけでは足りません。いかに、人の話をよく聞いて、あるいは読んで、それを引き合いに出して考えていくかということです。家族の会話、読書を活用しましょう。                                               きら
枝 6 / 節 6 / ID 12452
作者コード:kira
 
枝 61 / 節 7 / ID 12458

枝 6 / 節 8 / ID 12459
作者コード:
3.りぃちゃんへの手紙(なら/なら先生) 枝 4 / 節 9 / ID 12447
 りぃちゃん、元気ですか? りぃちゃんの担当をしていたのは、もうずいぶん前のことになりますね。4年前にりぃちゃんが書いてくれた作文『シエラレオネ』のことは、今もよく覚えています。この国について書かれた本を、私は昨日から読み始めています。『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』(イシメール・ベア 河出書房新社)という本です。りぃちゃんが書いた作文は、「『シエラレオネ』あなたはこの国の名前を聞いたことがありますか?」と始まっていました。日本の子どもたちで、この国の名前を知っている人は、どのくらいいるのでしょうね。りぃちゃんの作文を読むまでは、私自身もほとんど知識がなかったことを、今更ですが白状します。りぃちゃんの作文を読んでいなかったら、今、読んでいるこの本を手にすることもなかったかもしれません。
 4分の1ほど読みました。まだ、作者は「少年兵士」にはなっていません。しかし、既に、内戦に巻き込まれ、反乱兵からの無差別攻撃から逃げるために、極限状態に陥っています。食事も睡眠も満足に取れず、時には、虐殺された人たちを踏み越えて逃げなければなりません。自分も、出会う人も、お互いに信頼できず疑心暗鬼になってしまいます。実は、これは「極限」ではないのだということを、これから読む残りページ4分の3が暗示しています。これから先を読むのは、正直、気が重くなってしまいます。しかし、読まなければなりません。
 作者イシメール・ベアさんからの「日本の読者の皆様へ」というメッセージが、本の最初にあります。少し長いのですが、引用します。
   *  *  *  *  *
 日本の方々にお伝えしたいのは、世界のいろいろな文化に接してほしいということです。異なる文化に接して異なる考え方を知ることは大切です。そこから得た知識によって悲惨な状況を防ぐことができます。それは、国際社会の中でとても大切な貢献の第一歩でもあります。自分に何ができるかは、その知識から生まれてきます。
   *  *  *  *  *
 りぃちゃんの作文を読む前は、私には知識はありませんでした。知らないということは、存在しないということと同じです。無関心は冷酷なことなのですね。知ることの大切さをこの本は訴えていますし、そして、数年前にりぃちゃんが私に問いかけてくれました。「先生、シエラレオネって国、知っていますか?」そのときのことを思い出し、私は「この本を読まなくてはならない。」と強く思ったのです。
 りぃちゃんは、学校で行われた講演でこの国のことを知り、ボランティアに興味を持ちました。「自分がボランティアという夢をかなえることで、他の人が夢を持てるように」そう考えましたね。「自分に何ができるか」ということを、しっかり考えて書いた作文は、あるコンクールで大きな賞を受けました。では、私には何ができるのだろう。遠い国に直接働きかけなどできるのだろうか。ちっぽけな一個人の力など、何になるだろう。……やっと、一つだけできそうなことが見つかりました。作者のメッセージを、作文の先生として、みんなに紹介することです。「知ることは大切なんだよ。」これはシエラレオネという国についてだけではありません。幸いにも、私たちは「知る」ということについて、材料や方法を豊富に与えられているのですから!
 知ることによって、新たな疑問も生まれます。その疑問を解消しようとして、さらに知ろうとします。その積み重ねの中で、作者の言うように「自分に何ができるか」が少しずつ見えてくるのではないか、と思います。
 りぃちゃん、あの頃考えていた「私の夢」……実現に向かって進んでいますか? それとも、他の夢を見つけましたか? 
枝 6 / 節 10 / ID 12448
作者コード:nara
 
枝 61 / 節 11 / ID 12457
4.いろは歌(モネ/いとゆ先生) 枝 4 / 節 12 / ID 12449
 いろはにほへと ちりぬるを
みなさんは、この続きを知っていますか?
 
 ゴールデンウィークに、家族で栃木県の日光へ行ってきました。昨年修学旅行で訪れたばかりの長男は、みんなを案内するのだとお手製のガイドブックを片手に大張り切り。私も日光へ行くのはしばらくぶりなので、わくわくしながら出かけました。
 神奈川の自宅を出てから4時間程で日光市街に到着し、華厳の滝と中禅寺湖を目指していろは坂にさしかかりました。いろは坂とは、カーブごとに「いろは・・・」の文字が順番に表示されている急坂で、秋には木々の紅葉が美しいことで有名です。 
 「いろは坂と呼ばれるようになったのは昭和初期で、カーブが48カ所あることから、ロープウェイのガイドがアナウンスで呼んだことが始まりだそうです。」
 長男は、得意満面でガイドブックを読み上げます。カーブが近づく度に、小さな看板に記された「い1」、「ろ2」、「は3」の文字を見つけては「い〜〜っ!」「ろ〜〜っ!」、「は〜〜っ!」と絶叫する次男もとても楽しそうです。
 紅葉のシーズンには大渋滞で身動きが取れなくなるという道も、新緑のこの時期には車の数も少なく、主人はカーレーサーのように快調にコーナリングを決めていきます。
「あれ、ガイドさん、説明の続きはどうしたの?」
「・・・オレ、ちょっと気持ち悪くなっちゃったよ!」
どうやら右に左にと体を揺さぶられて、車酔いをしてしまったようです。私は、長男の気分を紛らわせようと、こんな話を始めました。
 「いろは歌には、全ての仮名文字が使われていて、ちゃんと意味がある歌なのよ。」
いろはにほへと ちりぬるを
 わかよたれそ つねならむ
 うゐ(い)のおくやま けふ(きょう)こえて
 あさきゆめみし ゑ(え)ひ(い)もせす ん
 
(色は匂えど 散りぬるを
 我が世誰ぞ 常ならむ
 有為の奥山 今日超えて
 浅き夢見じ 酔いもせず)
 
 「香りよく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。この世に生きる私たちも、いつまでも生き続けられるものではない。人生という険しい山道を、今日もまた1つ超えて。はかない夢は見たくないものだ、酔いもせずに。」
 「へぇ〜。お母さん、よく知っているね!!」
と、息子たちは目をまんまるくして驚いています。
 
 実は、その昔両親といろは坂を通ったとき、母が教えてくれたことです。「こうやって、家族と一緒にささやかな幸せを感謝して楽しむことが大事と言っている歌なのよ。」と、母がしみじみと話していたことを思い出します。
 「でも、お父さんもお母さんも、酔いもせずに、は無理だよねぇ。」
「そうだよね、2人ともお酒大好きだもんね!」
と、くすくす笑う2人の横顔を見ながら、次に息子たちと一緒にここを通るのはいつになるのかなと思いました。
 もしかしたら、今度はガールフレンドと、または奥さんや子供と一緒に行くからお母さんはいいよ、と言われるのかもしれません。きっと、当時の母も同じような気持ちでいたのでしょう。
 その時が来たら、またいろは歌の話を思い出してくれるといいなと心の中でそっと思いました。

   
枝 6 / 節 13 / ID 12450
作者コード:itoyu
 
枝 61 / 節 14 / ID 12456
5.宇宙の中の地球(まあこ/ゆた先生) 枝 4 / 節 15 / ID 12453
 「地球の出」「地球の入り」「満地球(まんちきゅう)」……何だか変な言葉です。 月から見た地球の姿をこう言うのだそうです。
 先日、宇宙航空研究開発機構 JAXAが打ち上げた月探査衛星「かぐや」から送られてきた映像を見て、研究者のお話を聞くというイベントに参加しました。「かぐや」には、地形カメラをはじめとする15種類の観測ミッションがあって、月の地表や地中、周囲の環境についてさまざまなデータを収集しているそうです。最新の技術によって、これまでわからなかったことを知る喜び、今後広がる数々の可能性。「かぐや」が現在、研究者や私たちにもたらしているものは、夢や希望に他なりません。

 月の表面は、ご存じの通りクレーターだらけでデコボコしています。他の天体や隕石が衝突した跡ですが、月は地球と違って大気がないために、今でも隕石が頻繁に落下しているそうです。かぐやで地質を観測したり鉱物を発見したりすることで、将来には人間の居住空間を作ることができるかもしれないとのことですが、隕石がバンバン落下してくることを考えると、地下に作るのがよいそうです。(^^;)
 水も緑も空気もないデコボコの地表は、太陽の光をあびれば照らされますが、ただただ土ばかりです。月の映像は延々と続く冷たい砂漠を見ているようでした。

 知らずに見たら「白黒の映像か?」と勘違いしてしまいそうな月の地面の映像。その地平線から日が昇るがごとく姿を現したのは地球です。白黒の月面、漆黒の空、その彼方から頭を出してきた青は、うそのように明るく美しい青でした。これが「地球の出」。そして月の空に浮かんだまん丸の地球が「満地球」。まぎれもなく私たちが存在する地球は、まっ黒の空間に“浮かんで”います。その映像を見たとき、私は自分自身が宙に浮いたような落ち着かない感覚になりました。
 そのとき、言葉の森の長文『一人一人の話が』(龍村仁/ユーカリ12.3週)を思い出しました。この長文には、“宇宙飛行士が宇宙空間で地球を見たときに、「私という存在は『私』という個人ではなく地球の全ての生命を含んだ『我々』なのだ」と意識する”ということが書かれています。その感覚が少しわかったような気がしました。

 月から見た地球は、輝くように鮮やかで、地形もはっきりと見えます。その地上で今この時も人間同士は、争ったり、憎しみ合ったりしている。そのことが、とても情けなくなりました。
 地球が星だということを知らない時代の人々が、自分の欲のままに となりの土地を奪い合ったのは、当然起こってきた感情であったのでしょう。 しかし、「無」ともいえるまっ黒な宇宙に私たちは浮かんでいるという事実を目にしたら、「私」も憎い相手もみな美しい地球の一部なのだということがわかります。「我々」は広い宇宙の中にぽつんと浮かんだ星で、身を寄せ合って生きているのです。

 月にある鉱物を利用してホテルを作り、月旅行ができるようになる時代も遠からず来るかもしれないというロマンのある話がありました。そういうことを一つの目標にして夢や希望を広げるのは、すばらしいことですね。
 ただ、そこに人間の利害や争いは起こらないでしょうか。地球の土地は誰のものでもなかったのに、いつの間にか誰かのものになってしまいました。誰のものでもない月も、早い者勝ちで競い合う、権力や商売の対象になってしまわないでしょうか。 地球上で歩んできた人類の争いの歴史を月でもくり返してしまうのではないか、そんな不安が胸をよぎります。
 月から地球を見れば、誰もがきっと思いを一つにするでしょう。個人の欲や人間同士の憎しみは生まれないような気もします。人間が月に進出するのであったら、地球人という仲間として歴史を刻んでいってほしい、そんな夢と希望を抱きました。



         
枝 6 / 節 16 / ID 12454
作者コード:yuta
枝 9 / 節 17 / ID 12454
 
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