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言葉の森新聞2013年5月2週号 通算第1272号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.言葉の森の勉強を続ける上で大切なこと
  ■2.小学校低学年の勉強は、
長時間やらないこと、毎日やること

  ■3.タブレットパソコンの手書き入力によって
書き順が大事になる時代に

  ■4.これからは手書きの時代
小学校1年生でも自分で森リンが使えるようになる

  ■5.老の文化と若の文化
  ■6.自然のペット、スズメ
 
言葉の森新聞 2013年5月2週号 通算第1272号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.言葉の森の勉強を続ける上で大切なこと 枝 4 / 節 3 / ID 19149
 言葉の森の勉強を続ける上で大切なことをいくつか説明していきます。
 小学校1、2年生は、いちばん重要な時期です。一般に小学校低学年から作文の勉強を始めた方が、文章を書く習慣がつくので勉強が長続きします。そのために、小学校1年生のころは字数が少なくても、書き方におかしいところがあっても、できるだけ注意したり直したりせずに、いつもよいところを褒めてあげることが大切です。
 文章力をつけるのは、作文を直すことによってではなく、本を読んだりお父さんやお母さんと対話をしたりすることによってです。読む力と聞く力をつける一方で、毎週一回作文を書くので作文が上達します。
 読書や対話が不十分なまま作文だけを書いて、しかもそこで書き方についていろいろ注意されると、作文力が上達しないばかりか書くこと自体が苦手になっていきます。低学年は、何しろ楽しく書いていくということが大切です。
 もし低学年でなかなか書けないという場合は、「親子で書く構成図」という方法で取り組んでください。これで、誰でも書けるようになります。

 小学校3、4年生は、作文が最も楽しく書ける時期です。小学校3年から、題名課題と感想文課題が出てくるので、事前に準備をしているおくことが大切になってきます。事前の準備とは、毎週の長文をできるだけ毎日音読して、それを週に1回お父さんやお母さんに説明し、次の週に書く作文の課題についてお父さんやお母さんの似た話を取材してくることです。
 小学校中学年の生徒でも、作文がなかなか書き出せないという場合も、「親子で書く構成図」の方法で取り組んでください。

 小学校5、6年生は考える力がついてくるので、作文を書くことが小学校3、4年生よりも苦手になってきます。この時期は、感想文が中心になりますが、感想文のもとになる長文は入試問題の説明文の難しいものぐらいのレベルですから、生徒がひとりで読んで似た話を書こうとしてもなかなか書けません。ここでもやはり毎日の音読と、その音読をもとにしたお父さんやお母さんへの説明、そしてお父さんやお母さんの似た話の取材などが大切になってきます。
【参考記事】(ここでyoutubeの動画が見られます)
「書けない子でもすぐに書ける、対話によって作文力をつける構成図の書き方」
http://www.mori7.com/as/1785.html

枝 6 / 節 4 / ID 19158
作者コード:
2.小学校低学年の勉強は、
長時間やらないこと、毎日やること
枝 4 / 節 5 / ID 19154
 小学校低学年の勉強で大事なことは、長時間やらないこと、毎日やることとです。
 そして、一度始めたことはできるだけ長く続けるようにすると、そのほかの勉強も、勉強以外の生活も、いろいろなことが継続しやすくなります。「継続は力なり」という言葉はよく言われることですが、これは勉強でも人生でもいちばん大切なことです。この継続が習慣を形成し、習慣が第二の天性を形成します。
枝 6 / 節 6 / ID 19159
作者コード:
 
枝 61 / 節 7 / ID 19166
 言葉の森で小学校低学年から勉強を始めた子は、誰でも途中で一度や二度はスランプに陥ることがあります。ある学年のときに、その前の学年よりも字数も森リンの点数も下がるということがあります。しかし、そういうときでも細く長く続けていた子は、その後必ずまた再び実力を伸ばしていくようになるのです。
 そのようにして、高校生まで勉強続けた生徒は、文章を書くことに対する自信がついてきます。文章力は大学入試の小論文試験などで使うこともありますが、それ以上に社会に出てから大きく役に立つものです。
 なぜこういうことを言えるかというと、小学校低学年から高校生以上まで続けた生徒をたくさん見てきたからです。その反対に、途中でやめてしまった子は、その理由がどうであれ、やはりもったいなかったと思います。受験などで多忙のためにいったん退会せざるをえなかった生徒は、また時間を見てできるだけ早い時期に再開するといいと思います。
 高校生まで継続する力は、小学校低学年のころの勉強の仕方にあります。
 低学年の勉強で大事なことは、成果を上げることではありません。成果を上げようとすると、どうしても長時間勉強をさせたり、難しい問題をできるようにさせたりしたくなります。大事なことが成果をあげることではなく子供が自分の力で毎日勉強する習慣を作ることです。
枝 6 / 節 8 / ID 19167
作者コード:
3.タブレットパソコンの手書き入力によって
書き順が大事になる時代に
枝 4 / 節 9 / ID 19152
 タブレットPCとスマホの登場によって。日本語の書き方も大きく変わりそうです。
 これまではキーボードから入力することが主流でした。携帯電話が普及することによって、一時親指入力が広がりましたが、現在スマホやタブレットPCなどで主に行われているのは、音声入力と手書き認識入力です。
 特に日本語では同音異義語が多いことから、音声入力やキーボード入力よりも手書き入力が今後広がっていくと思われます。
 手書き入力で大事なことは、字が上手かどうかということよりも、読みやすいかどうかということになります。さらに新しい要素として、これまで以上に書き順というものが重要になってきます。
 また、音声入力で重要なのは、聞き取りやすい話し方をすることです。音声入力であれば、たくさんの文字数を楽に話すことができるので、作文の価値は量よりも質だということがますますはっきりしてきます。
 音声入力を構成を意識して書くためには、事前の構成メモ(構成図)が必要です。したがって作文を書く上で大事なことは、書くことそのものよりもその前の考える過程、つまり考える中身になってきます。
 現在、論文でコピー&ペーストのような書き方が容易になっています。すると、論文の価値は、内容が立派かどうかということよりも、自分らしいオリジナルな中身があるかどうかということになってきます。
 今日インターネットの世界では、テキストだけではなく画像や音声さらに動画も多用されるようになっています。作文を表現学習のひとつと考えるならば、文章は中心となるとしても、その文章を補完するものとしての画像や音声どはこれからますます重要になってきます。つまり、作文も、作文を中心としたプレゼンテーションのような学習になってくると思われます。
枝 6 / 節 10 / ID 19160
作者コード:
4.これからは手書きの時代
小学校1年生でも自分で森リンが使えるようになる
枝 4 / 節 11 / ID 19155
 5月1日のfacebook記事に、手書きの話を書きました。
 どうやって書いたかというと、手書きで書いたのです(笑)。
 やり方は、まず、スマートフォンでNoteAnytimeβを起動。mazec2βという文字認識ソフトとつなげているので、指で書いた文字がすぐに認識されます。
 (いずれのアプリも、android、iOSに対応しているようです。このアプリを作ったMetaMojiは、一太郎の浮川さんの作った会社です。さすが。)
 同音異義語の変換と選択という作業がないので、キーボード入力より、考えの流れが中断されません。これは、日本語入力にとって画期的なことです。
 英語などは、同音異義語が少ないので音声入力も簡単なのですが、日本語の音声入力は、同音異義語に加えて漢字で書くか仮名で書くかという選択もあるので、かなり大変です。
 その点、手書き入力はそういう煩わしい、文章を書くのに本質的なことではない操作で頭を悩ますことがありません。
 手書きで書いてテキスト変換した文章をコピーして、そのあとtumblrというブログサービスに投稿してみました。これでインターネットに接続すれば、いつでもどこからでも利用できます。

 手書き入力の利点は、文字以外に、絵や図も簡単に書けることです。そして、小学校1年生でも、テキスト入力ができることです。
 漢字変換機能もあるので、自分の書いたひらがなの文字を漢字に変換すれば、漢字も覚えられます。(たぶん、そういう勉強的な使い方をする子はあまりいないと思いますが)
 これで何がいちばん変わるかというと、小学校1年生から森リンという小論文自動採点ソフトを使えるようになることです。森リンは、文章を解析して、表現の多様性や思考性や語彙の難易度を数値で表します。だから、自分の書いた文章が客観的にどういうレベルにあるかということを判断できます。
 これまでの作文指導は、人間が評価する形しかありませんでした。人間が評価するときのいちばんの欠点は、評価力のない人が文章を評価すると、欠点を指摘するだけで終わってしまうことが多いというです。これで、多くの子が作文嫌いになってきたのです。

 これから、家庭でもタブレット端末を使うことが多くなると思います。
 たぶん、今年あたりから、小学校1年生の子が、自分で手書きで書いた作文を、言葉の森の「作文の丘」からテキストで送り、「今日の作文の森リン点は、80点だった」などと喜ぶような日が来るのではないかと思います。

【参考ページ】(宣伝するわけではありませんが)
「あらゆる端末で使える手書きノートアプリNote Anytime」
http://product.metamoji.com/ja/anytime/


====facebook記事、ここから。
 これからは手書きの時代になりそうです。
 特に日本語は音素数が少ないので、同音異議語が多いからです。
 それがダジヤレを作りやすいという利点にもなっていますが。
 むかーし、十五年程前ですが、やはリタブレットで、小学校低学年の子に手書きでパソコン入力をしてもらったことがあります。
 当時の子供たちが今年ちょうど大学四年生ぐらいです。
 そのころはまだ機能が低くて手書きはストレスがたまりました。
 でも、今の手書きは全く快適です。
 たぶんこれからの作文は、タブレット作文になると思います。
 もう、字がきたないとか、漢字を使わないとかいった小言はなくなります(笑)。
 キーボードの歴史は、せいぜい数十年。手書きの歴史は、その百倍はあります。
 新しいツールによって古い文化がよみがえってきたのです。
枝 6 / 節 12 / ID 19161
作者コード:
5.老の文化と若の文化
枝 4 / 節 13 / ID 19150
 日本では、江戸時代のころ、「老」という言葉は尊称として使われていました。例えば、幕府の役職でも、「大老」「老中」「若年寄」などという言葉がありました。一方、今でも、自分を謙遜する場合、「若輩」などという言葉を使います。水戸黄門が、ご老公として諸国を旅したのも、こういう文化の背景があったからでしょう。
 江戸時代の武士の勤務には定年制がなく、何歳でも本人が希望するまで勤めることができました。もちろん、家督を子供に譲り早々と引退することもできました。
 長寿の人には、「老衰」と称して褒美が与えられました。当時は、「老」も「衰」も褒め言葉でした。姥捨て山(うばすてやま)のような話とは正反対の文化があったのです。
 江戸時代の日本人の子育ての基礎となった「和俗童子訓」は、貝原益軒の晩年81歳のころに書かれたものです。
 また、日本文化のもうひとつの基礎となっている武士道の源流とも言える「葉隠」は、山本常朝が主君の死のあと隠棲した地で聞き書きとして書かれたものです。
 これに対してヨーロッパの思想や文化のひとつの背景となっているデカルトの「方法助説」は、デカルトが20代の初めに考えた思想がもとになっています。
 デカルト自身は、物質と精神のそれぞれについてバランスのとれた考えを持っていましたが、デカルトの思想は、主にその物理的世界観だけが一人歩きする形でその後の科学技術文明の基礎となりました。
 「葉隠」の中に、こういう話があります。
 ……世の中にはわかるものとわからないものとがある。
 わからないものの中には、よく考えてわかるものと、時間がたてばわかるものとがある。
 また、いくら考えても、時間がたってもわからないものもある。……
 これに対して若いデカルトの考えはこうでしょう。
 ……世の中にあるものは、すべてわかるようにできている。
 わかるためには、それをできるだけ小さく分けて、わからないものがなくなるまで細分化していくことだ。……
 こういう考え方の差異が、勉強の仕方の違いにも結びつきます。
 日本的な「老」の勉強法の典型的なものは、「読書百遍意自ずから通ず」でしょう。欧米的な「若」の勉強法は、「わからないところがなくなるまで分けるスモールステップで」です。
 この二つの異なる方法論をうまく組み合わせることがこれから必要になってきます。
 老の文化と若の文化の差は、教育の分野だけでなく、政治の世界にも経済の世界にもあてはめることができます。
 今、政治の世界で常識のように思われている三権分立や多数決による民主主義などは、もともと人間が個々ばらばらの存在で、個人のエゴイズムによって行動するという人間観をもとに成立しています。その前提自体を見直すこともこれから必要になってきます。
 近代の資本主義と科学技術の文明は、欧米の若い文化を基盤にして成立しました。
 しかし、その文化が今行き詰まっています。環境の破壊、科学技術の暴走、戦争の危機、金権の政治と文化などがその端的な例です。
 この行き詰まりを切り開くことができるのは、日本で育まれていた老の文化です。なぜなら日本の社会は、外見上欧米化は進みましたが、その精神の中ではまだ日本古来の文化が息づいているからです。
 欧米の若い文化と日本の老の文化を融合する際に大事なことは、外見上の欧米と外見上の日本にとらわれるのではなく、その背後にある文化としての欧米と文化としての日本を見ることです。
 教育の方法論についても、この文化的な見方がこれから必要になってくるのです。
枝 6 / 節 14 / ID 19162
作者コード:
6.自然のペット、スズメ 枝 4 / 節 15 / ID 19156
 鳥インフルエンザが問題になりそうな時期に、あまりいい話題ではないかもしれませんが、教室の近くに来ている野鳥たちの話です。
 言葉の森の通学教室では、昔オカメインコや文鳥を買っていました。ヒナから育てた手乗りのオカメインコや文鳥なので、よく教室の中を自由に飛び回っていました。
 しかし、オカメインコや文鳥は、もともと南の国にいる鳥なので、日本の冬の寒さには屋外では耐えられません。そこで今はペットの小鳥ではなく、言葉の森の近くに来る野鳥たちを手なづけることにしました。野鳥といっても、スズメやハトやカラスやツバメです。
 でも、この中でカラスだけは、性格のいいカラスと悪いカラスがいるようで、性格のいい方の(たぶんハシボソガラス)は温和なのですが、性格の悪い方のカラス(たぶんハシブトガラス)は、ほかの鳥たちをいじめるようなのです。やがてその性格のいい方のカラスも来なくなってしまいました。そこで、カラスはペットからは除外。
 毎朝餌をやっているうちに、スズメたちはだんだん慣れてきて、お腹がすくと窓の外で鳴き出すようになりました。やがて、そのスズメが言葉の森の建物の東側にある電気メーターに巣を作ってしまいました。電気メーターなので、たぶん冬でも温かいのでしょう。先日、その巣からヒナのスズメが飛び出してきました。
 今は住宅事情でペットを飼えない家庭も多いと思いますが、子供たちはみんな動物好きです。マンションなどでもベランダに小鳥たちの巣を置いておけば、家でペットを飼わなくても、自然にいる生き物たちと接する機会が増えるのではないかと思いました。
枝 6 / 節 16 / ID 19163
作者コード:
枝 6 / 節 17 / ID 19153
作者コード:
枝 6 / 節 18 / ID 19164
作者コード:
枝 6 / 節 19 / ID 19157
作者コード:
枝 6 / 節 20 / ID 19165
作者コード:
枝 9 / 節 21 / ID 19165
 
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