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言葉の森新聞2015年1月4週号 通算第1355号 枝 0 / 節 1 / ID 印刷設定:左余白12 右余白8 上下余白8
  ■1.1月29日、30日、31日は休み
  ■2.第4週は清書。幼稚園生は作文
   ●1.清書の意義と方法
   ●2.清書の投稿
   ●3.朝日小学生新聞の投稿先
   ●4.手書き清書の送り方
  ■3.4週目の読解問題(小1以上)
  ■4.国語力をつけるための国語問題集読書は、音読と対話で補強する
  ■5.自前主義、本質志向、起業精神
  ■6.読書は薬を飲むように読むのではなく、美味しいものを味わうように読む
  ■7.作文の勉強は、先生との触れ合いが大事――どんなによい教材でも教材だけではある時期から書けなくなる
  ■8.創造の時代の準備
 
言葉の森新聞 2015年1月4週号 通算第1355号

https://www.mori7.com/mori/

森新聞
枝 1 / 節 2 / ID
1.1月29日、30日、31日は休み 枝 4 / 節 3 / ID 22039
 1月29日(木)、30日(金)、31日(土)は、第5週でお休みです。先生からの電話はありません。振替授業もお休みです。 枝 6 / 節 4 / ID 22040
作者コード:
2.第4週は清書。幼稚園生は作文 枝 4 / 節 5 / ID 22041
 幼稚園年中と年長の生徒は、第4週も普通の作文を書く練習です。自由な題名で作文を書いてください。
 小学1年生以上の生徒は、清書を行います。
 清書をしたあと、時間に余裕のある場合は読解問題をしてください。
枝 6 / 節 6 / ID 22042
作者コード:
1.清書の意義と方法 枝 5 / 節 7 / ID 22043
 清書とは、これまでに書いた作文の中で内容がよかったものを書き直すことです。内容がよいとは、個性、感動、共感などがあるということです。
 書き直すときは、次の点に留意してください。
(1)漢字で書けるところは漢字で書く。
(2)たとえや自作名言を工夫できるところがあれば工夫する。
(3)似た話や続きの話を書くことによって字数を増やす。
(4)作文用紙の空いているところに絵などをかいてもよい。
枝 6 / 節 8 / ID 22044
作者コード:
2.清書の投稿 枝 5 / 節 9 / ID 22045
 清書した作文は、小学生新聞や一般紙などに投稿してみましょう。
 手書きの清書の原本を、新聞社に投稿したり、コンクールに応募したりする場合は、清書のコピーの方を先生に送ってください。
 新聞社に投稿する際は、作文用紙の欄外又は別紙に次の事項を記載してください。
(1)本名とふりがな(2)学年(3)自宅の住所(4)自宅の電話番号(5)学校名とふりがな(6)学校所在地(町村名までで可)など。
 投稿する際は、ペンネームを本名に訂正しておいてください。作文の中に友達の名前が固有名詞で入っている場合は、イニシアルなどに直しておいてください。投稿する作文の内容は、保護者がチェックしてあげてください。
 同じものを複数の新聞社やコンクールに送らないようにしてください。これは二重投稿といって、もし両方に掲載されてしまった場合、掲載先に迷惑をかけることになります。
枝 6 / 節 10 / ID 22046
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3.朝日小学生新聞の投稿先 枝 5 / 節 11 / ID 22047
 104-8433東京都中央区築地3-5-4朝日小学生新聞「ぼくとわたしの作品」係
(毎日小学生新聞は、作文よりも俳句を中心に掲載しているようです。) 
※清書した作文を投稿しない場合でも、額などに入れて家の中に飾っておきましょう。
枝 6 / 節 12 / ID 22048
作者コード:
4.手書き清書の送り方 枝 5 / 節 13 / ID 22049
 手書きの清書も作文と同じように先生に送ってください、翌月の1週の作文と一緒に返却します。
 パソコンで清書を入力した場合、手書きの清書は必ずしも先生に郵送などで送る必要はありません。 
 手書きの清書のスキャン画像を作文の丘からアップロードした場合も、先生に郵送などで送る必要はありません。
枝 6 / 節 14 / ID 22050
作者コード:
 
枝 61 / 節 15 / ID 22065
3.4週目の読解問題(小1以上) 枝 4 / 節 16 / ID 22051
 小1以上の生徒には、課題フォルダに、4週目の長文をもとにした読解問題を2問載せています。時間のある人は取り組んでください。
 問題数を少なくして、問7と問8の2問だけにしたのは、じっくり解いて満点にすることが目標だからです。
 問1~6も含めた全問を解きたい方は、「問題のページ」で長文と問題をごらんください。ただし、その場合も、必ず全問正解になることを目標に解いてください。
http://www.mori7.com/marason/ki.php
枝 6 / 節 17 / ID 22052
作者コード:
4.国語力をつけるための国語問題集読書は、音読と対話で補強する
枝 4 / 節 18 / ID 22053
 国語力の本質は、その学年相当よりも難しい語彙や内容の盛り込まれた文章を読み取ることができ、また、そのような語彙を使って表現ができることです。
 この難しい文章を読み取る力、つまり「難読力」というようなものは、読み慣れることによって身につきます。
 よく難しい文章に出てくる語彙を逐一辞書で調べて、確実に理解しようとする人がいますが、そういう勉強法は長続きしません。
 また、難しい語彙がいくつか出てくると、もうあきらめて読む気をなくしてしまう子も多いのですが、それではいつまでたっても難しい文章を読めるようにはなりません。
 そこで、大事になるのは、とりあえず声に出して読んでみるということです。
 声に出して読もうとすると、内容に理解できないところがあっても、一応最後まで読み通すことができます。
 文章が理解できないというのは、決して百パーセント理解できないということなのではなく、書かれていることの数十パーセントが理解できないということです。
 ですから、最後まで読み通すと、おぼろげながら文章の全体像がわかってきます。これが読み慣れるということです。
 そして、この音読を、近くでお父さんやお母さんが聞くともなしに聞いているといいのです。
 しっかり聞くと、つい注意したくなるので、お父さんやお母さんは新聞を読んだり家事をしたりしながら、聞くともなしに聞いているという感じで聞きます。
 漢字の読み間違いなどは直してもいいのですが、「もっと大きい声で」とか、「もっと姿勢よく」とか、「もっとしっかり」などという、つい言いたくなるそれ以上の注意はしません。
 子供が音読を終えたら、その読み方があまりうまくなくても、必ず褒めてあげます。その褒め方は、「難しいのをよく読めたね」というような簡単な言葉かけだけでいいのです。褒め続けていれば、音読は自然に上手になるからです。
 次に、その音読された長文の中身について、お父さんやお母さんが自分の体験談をもとに似た話をしてあげます。その似た話は、勉強のような感じではなく楽しい雑談のような感じで話します。
 子供は、音読をして一応全体像がぼんやりとわかったところに、身近な人の身近な似た話を聞くので、その難しい長文を自分なりに理解する手がかりをつかみます。
 理解を確実にするためには、慣れることが必要ですから、その音読は一度で終わらせずに、日をおいて5回ぐらい読めるようにします。問題集で言えば、1冊を最後まで読んだらまた最初に戻り、繰り返す形で5回読むという読み方です。
 繰り返して読むという練習をするときにも、音読は有効です。勉強に自覚を持てない学年のうちは、黙読で読むとすぐに眺めるだけの読み方になってしまうからです。
 国語の苦手な子は、まず第一に、毎日の読書をする習慣をつけます。読書は、易しい本でかまいません。目標は、10ページ以上という楽なものでかまいません。何しろ毎日読む習慣をつけるということが大事です。
 次に、問題集の問題文のような比較的難しい文章を音読し、その音読を身近なお父さんやお母さんとの対話で補強するようにします。
 国語力は、国語の勉強によって身につくのではなく、生活の中で難しい文章を読み慣れることによって身につくのです。
枝 6 / 節 19 / ID 22054
作者コード:
5.自前主義、本質志向、起業精神 枝 4 / 節 20 / ID 22055

 経済がリセットされるとき、新しく生まれる三つのトレンド。
 カタカナ語を使わずに言うと、経済の行き詰まりがいったん終焉を迎え初期化されるとき、新しく生まれる三つの社会的精神的傾向。かえってややこしい(笑)。
 その三つのトレンドのうちの一つが、自前主義、つまり生活の基本はできるだけ自分たちでやろうということです。
 これまでは、物やサービスを買うという形で、あるいは行政のサービスを受けるという形で、他人任せにすることが一般的でした。
 しかし、これからは、生活に密着したものは、自分たちの家庭や地域の中で、自前でやっていこうという動きが出てきます。そして、その範囲は、生活の周囲から次第に広がっていきます。
 二つ目が、本質志向です。
 自分たちでやるから、自然に本質的なものを志向するようになります。
 農業でも、商品化して人に売るときは、曲がったキュウリではだめで、何しろ見た目のよさが重要になります。しかし、自前で作るときは、曲がっていようが虫が食っていようが気にせずに、何しろ安全なものを作るようになります。
 これが、農業に限らず、あらゆる分野で起こります。
 その本質志向の普及を加速させるのが、インターネットによる情報交換です。
 三つ目が、起業精神です。
 自前主義、本質志向なら、自分の得意な分野で社会に貢献しようという人が次々と出てきます。
 そして、世界の大きな流れは、大企業になればなるほどますます人件費を削る方向に進みます。なぜなら、工業時代の物を売る仕事は、サービスという「物」を売る仕事も含めて、既に供給が過剰になっているからです。
 まだ途上国には膨大な需要があるという人もいますが、人間の求める需要は人間の自然の数に応じてしか増えませんが、機械の作る供給は機械的にいくらでも増やせます。だから、膨大な需要もすぐに供給で埋め尽くされるのです。
 そこには当然環境の問題も出てきますが、環境保護もまた新しい需要として、新しい供給によって埋められていきます。
 こうして、これまでの大衆消費社会はそのまま残りますが、それはもはや社会の後景に退き、それに代わって、各人が各人の好みに応じて生産する社会が生まれてきます。
 やがてそのミニ生産の中から、突出したものが出てくると、それが「道」の文化として確立するようになります。
 この「道」の文化は、高度化するにつれて、広い裾野を形成するようになります。こうして、日本発の新しい文化的経済が生まれるのです。
枝 6 / 節 21 / ID 22056
作者コード:
6.読書は薬を飲むように読むのではなく、美味しいものを味わうように読む
枝 4 / 節 22 / ID 22057
 物語文の文章を読んで、その内容について質問をすると、まるでその物語の中を生きてきたようにありありと答えられる子がいます。
 そういう子は、物語文の読解問題でも、問題を見たあと、わざわざ元の問題文に戻る必要はありません。本の中で自分が経験したことですから、何を質問されても自分の経験を思い出すように答えられるのです。
 物語文に没頭するような本の読み方をするためには、子供のときに、やはり没頭する読書をしている必要があります。
 子供が没頭する読書は、大人の目から見れば、くだらない本に属するものが多いはずです。
 しかし、誰もがすすめる有名な本を、薬でも飲むかのように律儀に読むよりも、面白くて止まらなくなるような本を飽きるまで読む方が、物語を味わう力がつくのです。
 しかし、面白い本にただ熱中するだけでは、いつまでも易しい本を繰り返し読むことになります。
 易しい面白い本に熱中するとともに、ちょっと難しい文章を毎日音読する練習をしていくといいのです。
 これが、楽しい多読と、難しい精読という読書の両輪です。
 そして、学年が上がるにつれて、読書は楽しい多読から、難しい精読に移っていくのです。
枝 6 / 節 23 / ID 22058
作者コード:
7.作文の勉強は、先生との触れ合いが大事――どんなによい教材でも教材だけではある時期から書けなくなる
枝 4 / 節 24 / ID 22059
 言葉の森では、小学校低学年から始めて高校生の終わりまで勉強を続ける生徒がよくいます。それらの生徒は、必ずしも大学入試で小論文を使うわけではありません。しかし、毎週長文を読み600字から1200字の文章を書くことが自分のためになるからと思って続けている生徒が多いのです。こういう長期間の指導をしている作文教室は、ほかにはないと思います。
 作文の勉強というのは、実は、低中学年のころは誰でも簡単にできるのです。それは、表現する内容自体がやさしいからです。
 しかし、そのやさしい段階でも、教材を与えられてすぐに作文を書けるという子はあまりいません。短文の穴埋めをするような練習はできますが、ひとまとまりの文章を書くのは、子供にとってもやはり負担が大きいからです。
 これが、高学年になり説明文や意見文の課題になると、難しさは更にはっきりしてきます。教材の使い方をアドバイスする親や先生がいなければ、高度な作文はなかなか書けません。
 言葉の森の作文指導が、ほかの通信教育の作文講座と違うところは、担当の先生がその生徒に応じて事前のアドバイスをするところです。生徒が内容を深く理解していれば、その理解に応じて更に高度な説明もできます。反対に、生徒の理解が十分でないと思えば、その不十分さに応じてよりわかりやすく説明することができます。
 また、作文を書いている途中に、教室に電話をして書き方を聞くこともできます(実際には、そういうケースはあまりありませんが)。こういう人間の触れ合いのあるところが、言葉の森の指導の特徴です。
 これからの教育は、この人間の関わりというものが更に重要になってきます。
 最近では、ゲーム機のソフトで、漢字を覚えたり英単語を覚えたりするものも開発されています。もちろん、それはそれで楽しく利用してよいのですが、そういう勉強の仕方に熱中するのは最初のうちだけです。
 人間が持続的に勉強に取り組むためには、やはりそこに人間との関わりが必要なのです。
 通信の教材でも同じです。子供が自分の力でやれるようなものは、わかりやすい段階のものだけです。低中学年のころは、簡単にできますが、学年が上がり課題が難しくなり、子供が自分で物事を考えるようになると、教材だけでは作文の勉強は続けられなくなります。
 だから、低学年のまだ簡単な課題のうちから、教材が送られてくるだけではなく、先生とのやりとりが毎週あるような勉強を進めていくのがよいのです。
 受験期になると、中学3年生や高校3年生で、昔、言葉の森で小学生のとき受講していてその後いろいろな事情で続けられなくなった生徒が、「小論文の試験があるので、もう一度勉強をしたい」と連絡してくることがあります。
 そのとき、多くの生徒が、「小学生のときに教えてもらった○○先生に」と、先生の名前を覚えていて連絡してくるのです。こういうことは、教材だけでの通信講座ではまずありません。
 言葉の森では、これから、作文指導以外に、他の教科も寺子屋オンエアで指導していく予定ですが、それらもすべて先生と生徒の触れ合いを中心にした勉強として進めていきたいと考えています。
枝 6 / 節 25 / ID 22060
作者コード:
8.創造の時代の準備 枝 4 / 節 26 / ID 22061

 これから来るのは、創造の時代です。創造の時代というのは、世の中で、創造にこそ価値があると多くの人が考える社会です。
 今の社会でも、もちろん創造には価値があると言われています。しかし、今の社会では、創造以外のものが、大きな価値を持つかのように流通していて、その割合の方がずっと大きいので、多くの人は生活の必要から、その創造以外のものを中心に自分の生活や人生を考えていかざるを得ないのです。
 ところが、たぶんこれから、政治や経済の変動の中で、非創造的なものは居場所を失っていきます。それらは、もともとなくても済むものか、あるいは必要なものであるならば、人間ではなく機械に代替していくものだからです。
 しかし、そのことによって、これまでその非創造的なものに依拠して生活していた人が困るかというとそういうことはありません。この地球上の人間の生産力は、人間の消費力をはるかに上回っていて、ただそれがいままで現れていなかっただけだからです。
 これまでの人間の関心は、衣食住の確保という安全や安心の面に過度に向けられていました。しかし、それらの安全が保障された社会では、人間の関心は自然に創造に向かいます。
 しかし、創造は、単に気持ちを切り換えれば誰でもすぐにできるようになるというものではありません。価値ある創造力を育てるためには、それなりの方法や努力が必要になります。
 新しい社会では、自分の創造性をどう育てるかということが、多くの人の関心の中心になってきます。
 今、私たちがすることは、その創造の時代を準備することなのだと思います。
枝 6 / 節 27 / ID 22062
作者コード:
枝 6 / 節 28 / ID 22063
作者コード:
枝 9 / 節 29 / ID 22063
 
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