制限を付ける
高2 さとり(wamaro)
2025年3月1日
一つは量についてのもの。もう一つは制御と管理に関するものである。この物質主義的な考えは、しかし、直接の飢えが解消されるにつれてどんどん拡大解釈され、今や他人と違う衣服とか、広い家とか、あるいは隣よりも大きな車、世界に一つしかない絵画、等々、とどまることを知らない。人間の欲望は無限であるのに、地球のサイズは有限だったのである。そこであらためて人は、昔から自分たちがかかえてきた問題には量と制御できないし管理の二面があったことに気付いた。量よりも制御が重要になっている、それなのに量を中心に考えている社会に問題がある。
その原因は、欧米に追い付け追い越せという時代が長かったからである。当時は欧米化を進めるにあたってコスト削減にも力を入れていた。それが今日まで一つの考え方として強く根付いているのだろう。私も実際にモノを買うために気をつけていることは「多い」もしくは「安い」かである。そこでメイクを初めてすぐの頃、値段の相場が分からず海外からの多くて安いリップを買ったことがある。そこで冬場の少し乾燥したところに塗ってみると三十分後にはティッシュで押さえると少し血が付くくらいにガサガサになってしまった。そのため母の使っているリップを借りて塗ってみると徐々に良くなっていった。私はこの経験を通して量より質ということを肌をもって実感し、学ぶことができた。だがこの経験は大人にこそ多いのではないだろうか。スーパーにある特売でごくまれに食卓に出てくるような調味料それをちょっと増量しているものをいつか食べるだろうと思い買うことはないだろうか。それはほとんど使われずに消費期限がくる経験はだれでも経験していると思う。すなわちこれこそが量が制御を上回ってしまった証拠でもある。そこで自分の普段の様子を思い出し、それを抑止よくにすることが大切だと思う。やはり、質より量を優先させていることに問題がある。
もう一つの原因として、社会全体にまだ量を中心として評価する傾向にあるからだ。現代の会社のほとんどが従業員の働きがいより、売上高を重視する傾向がある。恐竜も巨大化し筋肉の量を付けることが進化の中心となっていた。そのため氷河期という環境の変化が起きた際、適応するというシフトチェンジを早急にすることが出来ずに滅びてしまった。学業でも、座ったまま何時間も勉強するよりも歩いたり、ランニングをしながら英単語を暗記する方がいいという研究結果がでている。日本はその点、今では有名になりする人も増えているだろうがやはり、数をこなしていた方が真面目に学業を取り組んだという認識が強く出てしまう。特に昔の人は文武両道が当たり前と思っている人が多いだろう。この際に出てくる文武両道とは、本当の意味で休む暇なく勉強と運動を繰り返していることを表している。今でこそタイムパフォーマンスという言葉があるが昭和でいうタイパは寝る、ご飯、お風呂、勉強の四つで構成されていたことだろう。しかし、本当に大切なことはそれを通して長時間続けることが出来るような精神の制御を個人の力でこなしてしまうことではないだろうか。
確かに、世界にはまだ量の不足に悩む地域もある。しかし、「量をこなしていない者に質を語る権利はない」というように過去の歴史や物資の面でも量をこなしてきた今こそ質の重要性を見ていくべきではないだろうか。やはり、量よりも制御が重要になっている、それなのに量を中心に考えている社会に問題がある。