交差する温もり
   高1 あうそな(ausona)  2025年3月1日

  近年、子どもたちの身体の異変は一層顕著である。中学校、高校ではアパシーという無力感と無感動が教室を支配しており、この背景にはあもちろん陰湿ないじめが存在している。また、他者への無関心も浸透している。他者への気配りがない訳ではないが、それはすれ違っていて、大人に対しては根底的な不信の感情となって現れる。そのつながりの中では「出会い」も「対話」も生まれない。もう一つは、モノや言葉という道具との出会いの経験も著しく貧困である。リテラシーは自己を構成し世界を構成する基本的な作業だが、その文化は急速に衰退しつつある。喪失しているのは一人称の語りであり、ゴシップが彼らの日常生活を構成しているのだ。私たちは、もっとモノや人との関係に意識を向け、その価値を深く認識するべきだ。

 そのための方法として一つ目は、丁寧さや温かさを大切にすることだ。物や人の扱いや接し方が適当になっている要因の一つに、心のこもったことをしたりさせられたりした経験が少ないことが挙げられると思う。私は数年前まで転校前の友人と文通をしていたこともあり、その時から趣味はレターセットやカード集めだった。今は文通はしなくなったものの、家族や友達の誕生日や応援したいときに、箱からカードを選び少しのイラストとメッセージを書いて渡している。中にはお守りのようにしてカバンにつけてくれる子もいる。そういうのを見ていると、手作りで心のこもったものの温かさや秘めているパワーに気付かされた。人の温もりを感じてからこそ、自分の存在の必要性を確認でき同時に安心できるものだ。カタチとして目に見えようと見えなくても、心からの贈り物や言葉、行動は、関係を強く深いものにしてくれる。そしてこれは連鎖であり、人から人へと繋がっていく。だからまずは自分が丁寧さや温かさを人に分け与えるべきだ。つまり、モノや人との関係に価値を見出すには、心もこもった言動が欠かせないのである。

 第二の方法は、学校教育が生徒に長期的で広い視野を持てるよう導くことだ。私の通う高校は進学校というのもあり、社会問題に向き合い自分でデータを分析してディスカッションする授業など、視野を広げ考えを深める機会が少なからずある。生徒同士で意見交換し良い刺激を受けることができる。そのためかクラスでは、仲間内でも互いに尊敬し合う良い空気が流れ、男女性別関係なく交流し、良い人間関係を築けられていると思う。人は、一時的な関係で自分に何も影響を与えないと思い込んでいると、無頓着に軽視するようになる。その事態を防ぐためには、物事の先を見据えて見つめる力を身につけることだ。近代看護の母として知られるフローレンス・ナイチンゲールは、看護師としての職務を通じて、患者との深い繋がりを築いた人物である。クリミア戦争での活動において、彼女は土台となる衛生環境を改善し、病人との直接的な接触を通して、看護の重要性を世に知らしめた。ナイチンゲールは「患者を単なる病人ではなく、心と体を持つ人間として向き合う」ことが彼女の信念であった。彼女のしたことはまさに、実態を見極め考察し、個人の意見や考えなどの内面の深層に目を向けることにも密接に結びつくだろう。要するに、長期的で広い視野を持つことは、現状の改善や適切な人間関係の構築を行い、持続可能な社会の実現へ進む大きな一歩となるのだ。

 確かに、物事と関係を断ち切ることは、効率的で負担が少ない。しかし、そのやり方はいずれ世の中を利己的で、発展のないものにしていくだろう。今ある国や人への支援や募金等も無くなり、自己中な人ばかり格差が広がり世の中はどんどん廃れていくと思う。肩並べても多少の縁。学校や電車で隣にいる人も、自分と出会うべくして何かしらの縁があって出会った人であるから、大切にすべきなのだ。それはモノも同様である。どこで誰と何とつながるかわからない。これこそ人生を面白く豊かにしてくれる理由なのだ。私はこれから、常に素直な姿勢と周囲への感謝の気持ちを忘れずにいたい。そして、いろんな人と繋がり広い世界を見ていきたい。