今、日本の都会では、路上で
中3 あおにま(aonima)
2025年3月3日
今、日本の都会では、路上でものを売る人を見かけることがほとんどない。
日本のように万事がお金本位になっていない国では、まだ 路上の商売は賑わっているし信頼もされている。スーダンの首都はるハルトゥームである日、路上のこの煙草屋から一箱買おうとした。一度にたくさん売れば、簡単に儲かるわけだから種草屋も喜ぶだろうと思ったのだが、一箱は売れないと言われた。つまり、このタバコやにしても、毎朝早く、その日に売る分だけを仕入れてくる。だから、ぼくが二十本も買ってしまうと、昼休みの一服を楽しみにしている誰かの分が足りなくなる。事情を知ったぼくは、一本だけ買って、いい気持ちになった。だから、私たちは人間的なコミュニケーションを大切にして生きていくべきではないか。
そのためには第一に、人との触れ合いを大切にしていくことである。最近はインターネットが発展してきて人と話す時に毎回合わなくても済むようになってきた。しかし、同時に人と顔を合わせる機会が減少してきていると言うことでもあるので、いざ友人と再開したときに久しぶりすぎて、どのように会話をすればかがわからなくなり、あまり会話が弾まないことがないことも少なくもないと思う。人と出会う機会を減らさないようにするには人と会ってのコミュニケーションをめんどくさがらないことが大切だ。大半の人は家から出るのが面倒で、人と会う機会が減ってきている。そこでて、外に出てみて友人とコミュニケーションを取ると、コミュニケーションの面白さがわかるようになるかもしれない。それは、やはりインターネットでは感情的な表現を記号でしか示すことしかできないが、実際に顔と顔を合わせて話すと感情表現がとても豊かになると思う。
第二には、社会自体も機械に頼らず、人間どうしの触れ合いを重視したものしていくことである。エジソンは、蓄音機などを発明したことからもわかるように機械の力を充分に活用した人だったが、子供時代は、小学校の先生による機械的な指導で退学を余儀なくさせられた。エジソンは先生がただ教科書に掲載されている文章をそのまま生徒に伝えていることが面白くないと思ったそうだ。そのエジソンの可能性を最大限に引き出したのが母親の人間性だった。彼の母親はエジソンが不思議に思うことを例に例えてエジソンが納得するまで説明をしていた。また彼はそれでも納得がいかない場合は自分で実験をしていた。例えばどうやって火が燃えるのかが知りたくて入れの倉庫を燃やしたことがあるそうだ。
確かに、大量生産や大量販売は、豊かな社会を生み出した。しかし、私たちは原点に戻って、社会の基盤となる人間のコミュニケーションということに目を向けるべきである。「経験は、最良の教師である」という名言があるように、人間が成長するための貴重な経験は、人間との触れ合いの中により多くあるのではないだろうか。