人生謳歌
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年月日
子供時代の遊びには良さがある。
例えば、机に向かって勉強することでは得られない、自発性や独創性を得られる点だ。
子供時代、どこで何をして遊ぶことが多いだろうか。幼稚園児や小学校低学年など、インターネット機器を持っていない年のころは、公園などで遊ぶことも多いと思う。最初は、遊具を正しい使い方で使う。しかし、数日もすると飽きてきて、別の遊び方も発見しだす。また、友達と大人数で遊ぶともっと楽しくなることも見つける。危険な場合もあるので一概にはいえないが、自分で遊びを発明して遊ぶことは独創性や独自性を身に着ける上で大切である。
また、学校を卒業して社会に出たら、もうそこではテストの結果は通用しない。今までの経験で培ってきたものを利用し、工夫して生きるときがやってくる。職種にもよるが、何をしても有り余るほどの時間がある子供時代には、色々な経験を積んでおくと役に立つのだと思う。
しかし、勉強でしか身につかないものもある。
例えば、長時間机に向かって勉強するための忍耐力だ。
私は小学生のころ、あまり真面目に勉強をしていなかった。家に帰ったら宿題もそこそこに、すぐに遊びに出かけるような小学生だったので、当然ながら忍耐力など少しも身についていなかった。しかし、中学生になると、毎日の継続した勉強が必要になる。最初のうちは、一定時間机に向かうことに抵抗があった。勉強時間が確保できないので、当然ながらテストで満足する点が取れない。学力や頭の良さ以前に、勉強をするという行為を受け入れ、自分のために努力できる忍耐力が必要なのだ、と悟った体験だった。
また、勉強することには別の利点もある。
よく、「学校で勉強をしても、将来の役には立たない」という理論で、勉強をする意味はないという人がいる。確かに、職種によっては将来、使わない知識もあるかもしれない。しかし、例えば国語で学ぶ文章の書き方や敬語の使い方など、十分に仕事や日常生活に応用できる知識や学びはあると私は思う。また、「学校で習う知識」そのものではなく、「学校で習った知識を身に着けるための努力」や、「知識を応用するための思考力」なども、勉強をすることでしか身につけられない、生きていくうえで大切な知識だと思う。
漫画の「ドラえもん」の中の世界では、のび太のお母さんがよく、遊んでいるのび太に「勉強しなさい」と叱る。それを見るたびに私は、「なぜ勉強をしなければならないのだろう」と常々思っていた。今から思えば、そのころの私はまだ勉強というものの本質や利点をよく理解していなかった。しかし、ある程度年齢を重ねると、少しずつ、おぼろげながらだが、そう遠くない未来に飛び込む「社会」という存在が見えてくる。多くの人が憧れる場所であるとともに、それほど甘くない、厳しい場所だということも分かってくる。だからこそ、自分が望む人生を送るために、私たちは勉強をするのだと思う。
確かに、子供時代に遊ぶことも、勉強をすることもどちらも大切だ。そして、この二つを両立させるために必要なのはメリハリだ。遊べるときは思う存分遊び、勉強するべき時を自分で見極め、知識や理解を深める。この二つをうまく組み合わせることで、自分にとってよりよい人生を送ることができるのだと思う。