あきあやさん、素晴らしい作文をありがとうございます。自然と人間の関係について深く考える内容で、読み手に多くの思考を促す作文になっています。特に、地元の自然を探索するエピソードは、具体的な観察が生き生きと描かれており、あきあやさんの自然への親しみが伝わってきます。また、時間が経過するにつれて変化していく自然の様子を通じて、人間活動が自然に与える影響について考えさせられる部分は非常に印象的です。
文章全体を通して、自然との関わり方や、それがどのように変わってきたかの歴史を振り返ることで、読者にも自身の生活と自然との関連を考えるきっかけを提供しています。これは非常に重要な視点であり、多くの人にとって考えるべき問題です。
さらに、あきあやさんの文章の中で、「その姿はまるであわのようだ」という表現は、カマキリの卵を非常にイメージしやすくするたとえであります。このような表現を使うことで、読者は具体的なビジュアルを思い浮かべやすくなります。
総じて、この作文は自然と人間との共生について考えさせる内容であり、あきあやさんの深い洞察と表現力が光るものでした。今後もこのような視点で多くの人々に影響を与える文章を書き続けてください。
項目評価:
-内容の深さ:非常に良い
-表現の豊かさ:非常に良い
-読みやすさ:良い
-文章構造:良い
◎たとえがうまく使われています:「その姿はまるであわのようだ」
◎一般化の主題がよく書けています:「人間にとって自然とは、過ぎたるは猶及ばざるが如しということわざがあるように、何もかも、人が住みやすくするためにそこにあったものをかえると、名の視差がなくなってしまうのである。」
内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎
字数/基準字数:1604字/1200字
思考点:70点
知識点:65点
表現点:86点
総合点:76点
(新しい森リンで仮の点数を出しています)
■思考語彙 25種
着くと,なると,なると,そのため,と思う,飛ばざる,するため,たちにとって,と思う,するため,と思う,なれば,と思う,おらざる,たらしい,たはず,建つらしい,ことにより,たはず,と思う,人間にとって,及ばざる,するため,かえると,と思う,
■知識語彙 38種
一番,乾燥,人参,人間,伐採,動物,印象,友達,反対,問題,場所,小川,居場所,山奥,山道,工業,年生,建物,影響,悪影響,日本,普段,植物,毎回,清掃,発達,祖母,管理,経験,自我,自然,舗装,裏側,裏山,視差,記録,長野,高校生,
■表現語彙 119種
あわ,いっぱい,いつ,いろいろ,うち,かかわり,きれい,こと,ことわざ,ころ,すみか,そう,そこ,それ,たくさん,たち,ため,ところ,どこ,はず,ひとで,ほう,ほか,ぼく,もの,ゆう,よう,ろ,カエル,カマキリ,クモ,クラス,ジャガイモ,タヌキ,ネズミ,バッタ,一つ,一番,中,乾燥,二,人,人参,人間,今,伐採,何,僕,先,前,動物,匹,印象,卵,友達,反対,名,問題,四,場所,姿,家,小川,居場所,山奥,山道,川,巣,工業,年生,庭,建物,影響,後,悪影響,数,日本,昔,春,時,普段,植物,様々,母,毎回,気,水たまり,池,清掃,生き物,生まれ,畑,発達,県,祖母,管理,経験,者,腰,自我,自然,舗装,花,草,虫,蛇,裏側,裏山,視差,記録,話,誰,近く,逆,長野,首,高校生,魚,鹿,
■経験語彙 42種
おる,かえる,しまう,すぎる,せる,できる,なくなる,られる,れる,わかる,上がる,住む,出る,分かる,包む,及ぶ,増える,変わる,巻く,建つ,建てる,忘れる,悲しむ,捕まえる,探す,植える,残る,泳ぐ,湿る,産む,盛り上がる,着く,空く,聞く,育てる,見つかる,話す,誘う,通る,通れる,過ぎる,飛ぶ,
私が市場に行く道は
小6 あきあや(akiaya)
2025年3月3日
私が市場へ行く道は、いかにも自然発生的な細いやさしい道だ。ところが、その道は最近アスファルトが敷かれてしまった。しかしほとんど車も通らない昔ながらの通り路のようなものまで舗装する必要は果たしてあるのだろうか。そんなものにいちいち心を止めながら、ゆっくりと子供は楽しみながら歩くのであった。このことだけは忘れはならないのだ。
僕は、二年生のころ学校の授業で学校周辺を回って自然を探しに行くというものがあった。学校の近くには、小さな川がある。そこの小川を中心に、自然を探しに行った。僕たちは、昇降口のまえで待っていた。顔を上にあげると、さっそく自然が見つかった。鳥だ。鳥は春になり、自分たちの巣を修復したり、拡張したりと忙しい時期に入っていた。いろいろなところに飛び回り、木の枝を探しに出かけていた。みんながそろい川のほうへ向かおうとしていた。鳥のほかにも向かう途中にたくさんの虫がいた。後で思い出せるように、忘れないうちにたくさん記録した。川に着くと、池には魚がいたり、少し湿ったことろには、数匹のカエルがいたりした。特に一番印象に残ったのは、カマキリの卵だ。カマキリは少し細い草の先のほうに卵を産み春になるといっせいに、生まれ巣から出てくるのだ。巣は、とてもふわふわしていそうなものに包まれている。その姿はまるであわのようだ。四年生になると、たくさんの経験をした。前のクラスも様々なひとでいっぱいだった。そのため、昔のことについて話すことが多かった。その中で、二年生のころ、自然を探しに行ったことが話に上がった。話は自然を探しに行ったことでとても盛り上がった。話を聞いているうちにぼくは もう一度同じ場所に行きたいと思った。友達を誘い行くことにした。だが小川の姿が変わってしまっていた。バッタは数匹しか飛ばず、水たまりに行ってもないもいない。ゆういつ池に腰が泳いでいたぐらいだ。僕がとても気になっていたカマキリの卵もどこを探しても一つしか見つからなかった。しかも中は何もなくとても乾燥していた。僕は、普段人が通りやすくするために行っていた川の清掃が、ほかの者たちにとっては悪影響になっていると思った。人が通れなくなってしまったら、誰も管理できなくなってしまう。だが人が通りやすくするためにきれいにしたら、逆に植物や虫などに影響が出てしまうと思った。そのことは大きくなればわかると思っていたが、今になっても難しいところだ。実際日本も工業を発達させすぎで、生き物の居場所がなくなりつつある。この問題をどうしていくかは、とても難しいことだと分かった。
母の祖母の家は、長野の山奥にある。山道はあまり舗装されておらず、クモやネズミなど、様々な動物が出る。中には、近くの高校生が蛇を捕まえて、首に巻いている人もいたらしい。母の祖母の家には、とても広い畑がある。そこにはジャガイモや人参などを育てていたそうだ。畑だけではない。家の裏側には、裏山があった。そこには、タヌキや鹿、とても珍しい生き物まで、いろいろな動物のすみかになっていたそうだ。しばらくし、また長野県に行くことになった。だがその時の姿は変わっていた。家の後にあったはずの裏山がなくなっていた。そこには新しく家が建つらしく、伐採されてしまったのだ。母は、毎回行くようなところではないけれど、なくなってしまったことで、とても悲しんだそうだ。建物を建てることにより、人とのかかわりが増えることがあるが、それとは反対に、未自我にいたはずの動物たちが少なくなってしまうのではないかと思った。
人間にとって自然とは、過ぎたるは猶及ばざるが如しということわざがあるように、何もかも、人が住みやすくするためにそこにあったものをかえると、名の視差がなくなってしまうのである。これからは、家の庭の空いているところに少しでも花を植えられたらいいと思う。