直観と挑戦
中2 あえさみ(aesami)
2025年3月2日
日本人が淡白であるかわりに持続力にかけているといわれるのも、生活感覚に左右されているところが少なくないのではあるまいか。わが国では千年ちかい昔でも、女性は男性と肩をならべて名歌を数多く残している。やはり風土的因子によるものだと考えられる。「いひほせ」ないためには論理でもなんでも犠牲にしてかえりみない。私たちは自分が経験してきたいくつかの観点で物事を見る。直観は生活していくうえで無意識に活用されるものだ。複雑な場合でも私たちは直観にたよることが多々あると感じる。感覚は人にとって大切で、非常に強力なツールとなる。理屈ではなく直感に訴えようとする日本的なコミュニケーションの取り方はよいと思う。
第一に直感は相手の感情に寄り添うことができるからだ。直観にまかせて話すほうが人間味あふれる会話になると思う。コミュニケーショは人の心を豊かにし、相手にまで影響する。それは相談されているときもだと感じる。私は友達に悩みを打ち明けられ、内心驚いたとは思うが、直観で大丈夫だと感じた。聞いて思ったことを話すと心が少し軽くなったといわれた。悩みをすべて言葉にされたわけではないが察した。直観は自分の経験したことを思い浮かべるため、とても説得力があると改めて感じた。直観はコミュニケーションにおいて言葉以上のちからを持ち、相手に寄り添うために必要なことだと思った。
第二に直観は論理的な思考を経ずに物事の核心に近づけるからだ。その背景には、脳が過去に経験した知識を瞬時に処理し、感覚的に正しい結論を導くことが出来る。つまり、人間の直観は自分の今までの体験を用いて考えるため核心に近づくことができるということだ。それはとても重要なことだと思っている。ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴィルスキーの研究では人間の直観的判断と論理的判断のちがいについての研究をした。その中の一つに直観的判断の大切さがわかるデータがあった。実験内容としては、実験の参加者に異なるリスクを提示し、百ドルあればもらうか、もらわないかという質問を出した。確実にもらうといった人の確立が八十パーセント、貰わないといった人の確立が二十パーセントとわかれた。なぜかときいたら、直観的な判断のほうが自分の経験にもとづき、確実性をじゅうししていて、感情的な面もあるとかえってきた。このように人間は感情や経験に基づいて選択することが多い。結果的に直観とは挑戦することのいっかんだと私は思う。もし、失敗したとしても挑戦しなくては成功も何もつかめないだろう。だから直観は大切だ。
たしかに、ものごとに慎重になり、理屈で考えを広げることも大切な時はある。軽はずみな行動は、良いとはいえない。だが、「辞書のような人間になるのではなく、辞書をうまく使えるような人になることが勉強の目的である。」という名言もあるように直観的なコミュニケーションの取り方はひつようだと感じる。