超えていく
    ()  年月日

 今、日本の都会では、路上で物を売る人を見かけることがほとんどない。それに対し、万事がお金本位になってしまっていない国では、まだ路上の商売は賑わっているし信頼もされている。スーダンでは、広い道の脇に煙草屋は黙って座っている。買うのはほとんど常連で、取引の単位は一本である。スーダンの人にとって、煙草は贅沢なものであるからだ。ある日、僕は煙草屋から一箱買おうとした。そちらの方が喜ばれると思ったからだ。しかし、一箱売ってしまうと他の楽しみにしている人の分がなくなるからと断られた。事情を知った僕は一本だけ買いその場で吸った。いい気持ちだった。

 僕は、一人一人との関わりを大切にする生き方をしたい。

 第一の方法は、立場を超えて接していくことだ。僕は、小学校のころからお世話になっている、行きつけ?の自転車屋がある。中学の自転車もそこで買い、壊れたらしょっちゅう持って行っていた。徒歩数分ほどと本当に近くにある店だ。地元の店ということで、店の人はとても濃い。大型の店では、店員と客という関係がしっかりと成立しており、それを超えることはあまりない。しかし、地元の地元民による店などでは違い、店員と客という立場を超えて話すことができる。例えば僕は、中学校のことや、太鼓祭りのことを話した。また、店員と客という立場を超えているため、地元の客が店の人の代わりに店番をしていて、自転車を直してくれるというのもけっこうある。もちろんこれには、最初とても驚いた。地元の店ならではのちょっと変わった風潮だと思うが、僕はそんな雰囲気が好きなので、そのような店を残していける未来にしたいと思う。

 第二の方法は、全体ばかりでなく、個人ともよく向き合っていくことだ。一九三〇年前後に起きた世界恐慌により、経済の危機となった当時、世界的に見ても、他国ではなく、自国のためだけの政策が多く行われるようになっていった。中でも、日本、ドイツ、イタリアは、全体主義(ファシズム)という考え方をもっていた。国民一人一人のことよりも、国家全体のために働くという主義だ。その考え方により、多くの侵略が行われ、それが第二次世界大戦につながっていった。日本でも、国家総動員法などの法律も制定され、国民一人一人があまり尊重されなかった時代であったことがわかる。「知らなかった、ぼくらの戦争」という本がある。著者のアーサー・ビナードが、戦争の時代に生きてきた、日本と関わりのある人々にインタビューをしてまとめた本だ。その中で、戦争が終わり、駆逐艦雪風の残務整理を行った人の話が書かれていた。軍隊の上の人に命令されて、軍艦の機密書類を全て焼くという作業だった。その中には、雪風で戦死した人々の人事関係などの、「生きた証」もたくさんあったそうだ。とても罪悪感に苛まれたとあった。個人を尊重する個人主義が当たり前にあるべきものであり、どれだけ大切であるものかを教えてくれる体験だと感じた。

 確かに、ときには一人が一歩引いて、人々のために動くことも大切だ。しかし、「世界を変えようと思ったら、まず隣の人を幸せにしなさい。」というマザー・テレサの名言があるように、遠くの物に目を奪われすぎずに、近くにあるものを見つめて、一人一人との関わりを大切にできる人間になりたい。