春の人類理解学
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弥生、それは3月の旧暦のことである。3月は理科的にも春とされており、様々な食物が旬を迎える季節でもある。しかし、そんな穏やかな一面を見せる春だが、人間が困ることもあると思う。それは天候の急激な変化である。「三寒四温」という言葉もあるように、春は日によって温度が変わる。しかも、それだけでなく朝晩の温度差も大きい。「五月病」という言葉もあるが、日々のストレスなどをきっかけに鬱になってしまう点では、この春に人間が悩まされていることも「弥生病」になるのかもしれない。さて、そんな春の寒い日、布団に潜りながらこんな本を読んだ。

その著者はこんな事を言っていた。「日本人も外国人も悪意はないが「悪い思い込み」をそれぞれに対して持っているはずだ。しかしそれはお互いの理解にとって大きな妨げとなる。」たしかにそうだ。日本人はアメリカを始めとする様々な国の人が持っていない感性を持っていると思っている人が多い。間違いではないかもしれないが、同じ人間なのだから、時間をかけて理解する人もいる。実際に、アメリカの人で落語を楽しむ人もいる。それだけでなく、日本発祥であるアニメを観光するために日本に様々な外国人が来ていることからも日本のことを諸外国は理解、少なくとも共感しているということが言えるだろう。そして筆者は終わりに「私は悲観的な話でこの話を終わらせたくない。日本と外国は今後お互いを理解し合うことができるだろう。」という形で終わらせた。しかし最後の文を見て具体的な対策はどうするの?等と質問を浴びせられて困っている著者の姿が想像できたので、ここは僕が一肌脱いで方法を考えてやろうではないかと思った。寒い床を歩くのはめっぽう気分が乗らないが、そろそろ起きないといけないということもあり、冬眠からさめたばかりの昆虫のような動きでパソコンに向かった。

まず、今後の関係を改善するならば、今の関係を見直す必要がある。日本、アメリカと順々に見ていこう。まず、日本について考えた。今の日本は題するならば「日本の物はやはり日本の者」であろう。そんな日本が目的とすべきことは自分の考えが全てだと思わないことだろう。日本のものを通して外国を批判するのは日本の文化も一緒に嗤っていることになる。次にアメリカだ。僕はアメリカに行ったことないから筆者の話から推測すると、題して「人類みなアメリカン」である。「は?どういうこと?」と思った人もいるかも知れないのでちゃんと説明すると、自分の国のものは日本人も理解してくれるはずだ、と思っているということだ。これも行き過ぎると相手に嫌な思いをさせることがある。一種の押し売り業者みたいだ。そんなアメリカが目指すべきところは人のことを考えられるようになることだろう。

日本、アメリカとそれぞれの目指す姿を見てきたが、これは一般の人にも言えるはずだ。前者の場合、自分の考えに縛られた状態では大切なことに気づけないことがある。理科の実験のように失敗した原因を究明するには多角的な視野が必要なのだ。

後者の場合、人とかかわらずに生きるなんて不可能である。Dr.STONEでも主人公の石神千空は石化から目覚めたあと、まず初めに人手を増やすことを考えた。しかし、人と関わるうえで相手のことを考える力がなければ、関係の破綻につながってしまうのだ。

前者、後者はどちらも一般に求められるスキルだ。どちらが大切かなどとは決めることができないし、決めることでもない。しかし、このスキルより大切で忘れてはならないことがある。よく学校の教師が人間関係で揉めた生徒に「人っていう字はな、人と人は支え合って生きていますよっていう意味が込められてるんだよ!」といっていると思う。そのように前者も後者もまず「相手」がいないと成り立っていない。まず相手に対する敬意を示すのが大切なのだ。

だからまず、日本人も、アメリカ人も相手のことを大切にするところから始めなくてはならない。パソコンに打ち込んだ議論を見返して、結局はここからだなと改めて思う。相手のことを敬うことは簡単そうで意外と難しい。だからこそ皆すべきなのだろうと思った。春の天気はよく乱れる。しかしいずれ夏が来る。人間と季節がわかり合える日も近づいてきているのかもしれない。