「いいえ」と日本人

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 一般に欧米人は、質問に対して「いいえ」と言うときに、教師がビクッとするほど強い調子で答えることが多い。英語の否定は質問を受ける側の、現実の行為の有無に向けられている。だから英語では「ノー」とはっきり言うことができ、むしろ、事実を事実としてはっきりと否定することが、相手の尊重にもつながるわけだ。しかし、日本語の返答では、否定が「質問」の方に向けられているために、微妙な心理がからんでくる。そして自然と「いいえ」が控えめとなる。控えめな態度によって、否定が事実だけに限定されることを、無意識のうちに示唆しているといえるだろう。

 欧米人のように「いいえ」をはっきりということは大切だと思う。日本人は、「いいえ」をはっきり言わないために、損をすることが多いと思う。私も、相手に物を欲しいか聞かれたとき、いらないとは言えずに曖昧にごまかしていた。結局、それは私の物となってしまった。ことわることが苦手なので、ことわりきれなかったためだ。こんな時、欧米人のように「いいえ。いりません」とはっきり言いたいと思う。曖昧にごまかすことが、自分にとっても、相手にとっても最善なのだと思っていたが、「いいえ」ということによって、後悔しなくてすむのかなと思った。

 しかし、日本人が「いいえ」をはっきりと言わないのは相手に対する思いやりの気持ちが働くからだ。相手の気持ちを配慮する日本人の奥ゆかしさは大切にすべきだ。「いいえ」ということによって、相手が嫌な気持ちにならないかどうかをよく気にしてしまう。「かぐや姫」でも、月に戻るから無理だと分かってはいても、かぐや姫は結婚を断らなかった。昔話に出てくるように昔から、日本人は「日本人らしさ」としてこの習性をもっていたことがわかる。相手が傷つくことを防ぐために、この習慣はあるのだろう。

 確かに誤解のないように自分の意志を伝えていくことも相手に対する思いやりを持つこともどちらも大切だ。しかし、いちばん大切なことは、「悪いことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言があるようにはっきり言うべきときとそうでないときとを見分け、その場に応じた態度を示すことだ。