手間をかけること
   中3 あおらは(aoraha)  2025年4月2日

科学文明の発達は人間の日常から手間をどんどん省く。しかし、手間を自分でこなしてこそ成長し、経験した人の個性を伸ばし人間らしさを増幅できる。便利さや快適さを求める人間の欲求が文明を発展させてきたことは事実であろう。しかし、そのために人間本来の財産を多く犠牲にしていることに私たちは気付くべきではないだろうか。私たちが手間のかからない生き方をしている限り、生きることの喜びを感じることはできない。生きる喜びとは決して大げさなものでも派手なものでもなく、心躍る状態、感動に満ち溢れる状態を持てる日々ではないかと思う。私は何事においても手間をかける生き方をしたい。

 第一の方法として、何事にも必要性を見出すことだ。そうすることで、最後まで作り上げたいという気持ちが大きくなり、意欲がわいてくると思うからだ。中学生になってつくづく実感することがある。それは、課題の重要性だ。小学校の頃は少しばかりさぼっても成績には関係せず、少し注意される程度だったのでやらないことも多かった。しかし、中学生になって、課題の一つ一つに努力の対価として成績がつけられる。さらに、その成績は通知表にも記載され、通知表は高校受験でも必要になる。つまり、一つの課題が及ぼす影響が大きくなるのだ。めんどくさがりの私は一年生の頃はほとんど適当に行っていた。しかし、一年の後半になり成績の大切さを知ってからは以前よりも手間をかけて課題をするようになった。レポートなどはとにかく掘り下げ、ノートはしつこいぐらいにポイントを書くようになった。すると、以前よりも成績がよくなり、返却されるたびに以前よりも喜びが大きくなった。最初は面倒くさかった課題も必要性を見つけられたことで頑張ろうと思うことができた。私の行動の始まりは必要性を見出すとこからなのかもしれない。

 第二の方法として限られた時間の中で効率的に物事を進めなければならず、「タイムパフォーマンス」を重視しすぎる社会の傾向を変えることだ。効率化というのは極めて必要なことであるが、個人として考えるとモチベーションや創造性の低下などの悪循環に用いることがある。逆に、じっくりと一つのことに向き合う時間が増えることで自分自身の満足につながり豊かで充実した日々を過ごすことができると思う。スウェーデン出身の科学者、発明家にグラハム.ベルという人がいる。彼は電話機を発明した人で世界初の実用的電話の発明で知られている。彼の家庭は祖父、父、兄弟が弁論術、スピーチ関連の仕事を行っていた。そんな両親や兄弟の姿を見た彼は聴覚とスピーチに関する研究から聴覚機器の実験を行った。そんな彼は実験をする際に大事にしていたことがあった。それは準備に手間をかけることだ。実際に「成功のカギは何よりもまず準備である」と言ってしまうくらい準備を大切にしていた。準備を怠ってしまうと逆に遠回りになると実験の時は実験に使用する用具や手順、方法などに細かくこだわっていた。このようにしっかり「手間」をかけたからこそ彼は発明家として成功できたのではないだろうか。

 確かに、効率よく物事を行うことは大事である。しかし、「大事なものはたいてい面倒くさい」という名言があるように、何事にも手間をかけられる生き方をしたい。