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   中3 あおさみ(aosami)  2025年4月1日

 日曜日の夜は少し忙しい。なぜなら明日月曜日はゴミの日だからだ。渋々ゴミ箱を勢いよく掴んで、中身を市の規定のゴミ袋に投げ入れる。あれっとゴミの中に手を伸ばして掴むと、やっぱり無くしたビーズが入っていた。高かったやつだったからよかったと、ゴミを捨てるのはそう悪くもないと思うのであった。私は、ゴミようなものも生かせるような人間になりたいと思う。ゴミをリメイクやリサイクルによって生まれ変わるように、失敗や後悔から次に生かせる人間になりたい。



 その第一の方法として、何事にも挑戦することだ。私はエベレスト山に登るわけでも、太平洋を泳いで横断するわけでもないが、日々何かに挑戦し続けていると思う。最近は特にそうだ。慣れない課題に取り組み、一つでも苦手だと思い込んでいるものがなくなればいいなと思う。小学生の頃の体育の授業で跳び箱があった。早く終わってほしい一心で時計を睨みつけていたら、先生から、8段を跳んでみてと言われた。空耳かと思ったが、注目を浴びているのを感じ、我に帰った。口から飛び出てきた心臓を吐き出し、無我夢中で助走をして跳んだ。ガタン、と音がしたが、跳べた。嬉しさと、もっと早く跳んでおけばよかったことの悔しさが半々で私の跳び箱人生に幕が降りた。あの時から何事もやってみようという小さな勇気を持ち歩くようにしている。始める時は怖いしうまくいってほしいと祈る。そんな時はやらない後悔よりやった後悔と思ってほしい。私も今年は高校受験だ。何事にも挑戦して悔いのないようにしたい。



 第二の方法として、物事を客観的に見ることだ。「野球というスポーツは3割打てば一流選手になります。つまり一流選手でも、残りの7割は凡打しているわけです」この言葉は野球の松井秀喜選手が言ったものだ。私たちは成功している人を見ると、その輝かしい功績や実績ばかり着目するが、そうのような人たちも、数知れない苦労や失敗を経験してきたに違いない。失敗に終わった打席から、何を学ぶのか。自己反省をし、他の人からも意見を聞く。そして課題を明確にする。失敗をすればするほど、データが増える。意見に添えるデータ実例、根拠が多い方が説得力が上がる。そう考えると失敗した方が、成功した時に、その功績に足跡が残り、証となってくれるだろう。またより完成度が高いものとなると思う。スポットライトに浴びている人を見ると、自分が暗闇の中に置いて行かれているような気分になる。だが、よく見てほしい、そのスポットライトを浴びている人にもくっきりと影があることを。物事を、さまざまな角度から見ることで、自分を見つめ直すきっかけになる。





 確かに、成功や結果は自身や功績になる。しかし、「雑草とはまだその美点が発見されていない植物のことである」という言葉があるように、ゴミもリメイクやリサイクルするための「材料」なのである。失敗も後悔も、見方を変えれば自分を成長させてくれる材料なりうる。ゴミの中にもきらっと光るかけらが落ちているかもしれない。また、失敗や後悔という自分にとってマイナスになってしまうこともあるものを掬い取ってあげることは、過去の頑張ってきた自分を認めた敢えてあげることになる。歩んできた人生、頑張ったねと褒めてあげてほしい。