自然との共存
   小6 みさ(misa)  2025年4月2日

 山を登る人達はダイエットをするため、おいしい空気を吸うためなど色々な目的をもって里山へやってくる。その山にも住んでいる農家の人たちがたくさんいるのだ。その人たちの努力のおかげで私達が憧れる美しい景観が保たれているのだ。最近はマナーの悪さが目立ってきている。綺麗な景観を守る里山の人たちにとってはハイカーのマナーの悪さはとくに目に余るのだ。その証拠として最近は「立ち入り禁止」など様々な看板が増えている。また、迷惑してるのは人間だけではなく山に住む動物たちも同様である。開発が進む里山では林が分断され住む場所を失った動物たちがえさを求め町に降りて来た先で車にはねられることもあるようだ。里山の人たちだけではどうにかなる問題ではない。都市に暮らす人々の補助が必要なのだ。

 確かに、自然を大切にするということは大変必要不可欠なことである。昨年の秋、学校での五島の臨海学校に参加したとき、私はそのことを痛感した。それまで、長崎市の山は綺麗な方だと思っていた。しかし、五島に行ってみると、海は信じられないくらい青く綺麗で山はあちらこちらに自然動物が紛れていた。観光用の山ではなく、ある程度の手を加えられたまるで動物と共存しているような山だったのだ。なんとなく私は、山は虫が多くて汚いと偏見を持っていた。私以外にもこのような偏見を持っていた人は多く、皆このことに衝撃を覚えていた。この経験から、美しい自然がどれだけ人々に感性を生みだすのかが身にもって感じた。とある調査によると、初めて五島の海に行った都会の人たちはみんな口をそろえてまるで宝石のようだと好評の声を示すそうだ。都会なわけでもない同じ長崎の人が見ただけでもその姿に感嘆の声をもらすのだからよほど管理をちゃんとしているのだろう。世の中には他の美しい山々もあり、その美しさを理解することによりこの自然を守らなくてはという使命感が働くのではないのだろうか。

 しかし、自然を守らなくてはいけないと思い、手を加えすぎるのもいけないことだ。例えば、山に住む動物のエサがないからといってむやみにエサをやったりすることだ。そうすると、その動物は狩りをしなくとも簡単にエサを手に入れられると思いこみ人間に甘えてしまうのだ。そうなるともはや自然動物というよりペットになってしまうし、もう自分でエサを得ることが厳しくなってくるだろう。この例えは最近問題視されている日本の問題なのだ。人工林などは手入れをしなくては倒れて大変なことになってしまうが、自然は自分の力で生みだしたもののため人がいなくても自分で生きていけるのだ。山も動物と同じで、少し手を出してしまうと次からまた人の力を欲すこととなる。山に道を作ったりするとなると、そこを通る動物たちが車にはねられるリスクがある。このようなことを防ぐには柵を立てたり、周りの草を抜いたりと色々な費用、つまりコストがかかる。この作業をおろそかにすると動物たちが住めなくなり絶滅危機に陥るのだろう。このように変に人間が手を出したせいで絶滅危惧種や絶滅してしまった動物はたくさんいる。それを私達の責任じゃないと思わないでちゃんと問題視することが大切だと思う。

 確かに、自然を守ろうと活動を進めることは大切だ。しかし、一番大切なのは自然のバランスを理解し、むやみに手を出さないことだ。皆さんが山に登る時もゴミのポイ捨てをしないでしっかりとマナーを守って欲しい。「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があるように人もそれを見習うべきだ。今ではハイカーのゴミ捨て問題に悩まれている。そのゴミを漁る手アライグマやタヌキが倍増し、ゴミを求めて人里まで降りてくることもある。動物も同じ命を持っている。人と同じ世界を生きるものたちを理解し、配慮してあげることが大事なのだ。動物と共存を意識し、今の自然状態について考えることによって自然と人の対立ではなく動物と人間の理解が生まれるのではないか。