再考する
高1 あおそふ(aosohu)
2025年4月2日
「記憶する心臓」という本を読んだとき、臓器移植という華々しい医学の進歩に感銘を受ける気持ちから臓器移植に対する懸念の気持ちが芽生えた。この本の著者であるクレア・シヴィア自身、脳死心臓移植をしたひとで移植の前後に表れた変化についてつづってある。彼女に起こった前後の変化は主に、移植により性格が変わったり、ドナー自身の思い出が夢に出てきたりしたことだ。この話を信じるか信じないかは別として問題なのは私が、なぜ懸念を抱いたのかということだ。それは以下のとおりである。脳死心臓移植には必ず人の死を必要とするからである。人間は、技術の進歩によって人の生死という神の領域に関与してしまったのだ。または、パンドラの箱を開けてしまったようにも捉えることが出来る。我々は、技術の進歩に対して再考すべきだ。
そのための第一の方法として、メリットに隠れてしまっている問題点に目をつけることだ。
誰もが一度は行ったことがあるだろう百円ショップで買い物したときに失敗をしたことはないだろうか。そう、100円という安さに囚われてしまい衝動買いしてしまったものの、機能性が欠けていたりしてすぐに壊れてしまうことだ。最近は三百円ショップや390円ショップとかいてサンキューショップとよぶお店もふえ、百円ショップよりも機能がよく耐久性があったりする。しかし、安さには理由がありこれもまたすぐ壊れてしまいやすい。大きな社会現象となった新型コロナの流行においても百円ショップと同じようなことが起こったと私自身は受け止めている。未知のウイルスが流行するということは、それに対抗する薬が存在しないため新しく薬をつくる必要がでてくる。すぐにワクチンの開発に各国の医療センターがとりかかったもののそんな簡単に出来るわけもなく完成までに長い時間を要した。ついに、アメリカの大学教授がmRNAワクチンの開発に成功した。誰もが、首を長くして待っていたワクチンをいち早く接種しようと病院にいった。当時を振り返ってみると日本人の大多数の人がmRNAワクチンの危険性に目を向けていなかったように思える。通常ではワクチン開発に十年から十五年もかかるところこのワクチンは一年足らずで完成している。その為、mRNAのワクチンによる後遺症が残るということが実際におきているらしい。本当なら具体的に人数を示したいものの、タブーな内容であるため検索がヒットしなかった。それはさておき、ワクチンはある種の病気にかかるのを防ぐためのものであり、とても万能である。その反面、危険性が潜んでいる。私は、決して百円ショップで買い物をするな、ワクチンを打つなといいたいのではない。メリットに潜んでいる問題手に目をむけて物事を考えて欲しいのだ。
また、第二の方法は人間の欲を制御することだ。
ああなったらいいな、こうなったらいいのになぁ、と思わなかった日が一日もないという人に私はであったことがない。人間というのは欲があるからこそ技術が進歩して便利な生活がおくれるようになったとおもえる。欲ときくと、どこか我儘というような負のイメージが連想してしまいがちだが必ずそうとは限らない。お腹が空いたから何か食べたいという気持ちが芽生えるのも欲である、もっと速く走れるようになりたいというのも欲である。欲というのは、向上心をもたらしてくれると思っている。もちろん、欲からうまれた向上心により、予期せぬ事態がおこることもある。その一例が十八世紀から十九世紀末期の間にイギリスでおきた産業革命だ。トーマス・ニューコメンやジェームズ・マットにより蒸気をつかった様々な機会がつくられた。この蒸気機関のおかげで、これまで手織りで織っていた衣服を、機械によってつくられ大量生産が可能になった。また、資本主義という考えも生まれ、資本家たちが労働者に賃金を与え、利益拡大を目指して他社どうしが競走し自由に生産、販売をおこなった。この資本家同士の競争が激化すると、より安く、大量生産をしようという考えが芽生え、労働者に低賃金、長時間労働を強いた。また、子ども達も労働者として働かされた。資本主義社会は、資本家と労働者との貧富の差を生み出したばかりではなく、環境の問題もおこった。具体的によると、工場による騒音や、排水による水質汚濁、そのほかにも大気汚染などだ。資本家たちが、沢山の利潤を得ようという欲をかなえるために奮闘したものの、結果として様々な問題がおこってしまった。誰しもが欲は持っているものの、極一部の人の欲に振り回されてしまう社会というのは避けなくてはならない。そのためにも、個々の人間がある程度の欲を制限する必要がある。
確かに、技術の進歩に毎度、再考していると人間の進歩は一向にすすまないだろう。しかし、技術の進歩というのは、人間の欲を叶えるためにあるのではなく誰もが平等にいきるための一助となるものだ。そう信じて、石橋をたたいて渡るような心構えで、あらゆる物事を再考していくべきだ。