先生との思いで
小5 すみれ(aeyosu)
2025年4月1日
「パシン。」
先生と最後のハイタッチだった。
4年3組の担任山崎先生が離任すると聞いたときはとてもショックだった。
いつもおもしろくて授業中ふざけて歌ったり踊ったりしていて、4年全体で大人気の先生だった。とくに小野君という男の子を気に入っていて、小野君に問題を解かせるために月と日にちを、掛け算や割り算や引き算をしてかならず5という数字を出すのだ。しかもその数字は小野君の出席番号だったので、先生は小野君を指さして問題の答えを言わせるのだ。
少人数算数の時、私は山崎先生のクラスで算数を教わることになった。4年1組担任の石井先生は、山崎先生とラインでやり取りをしていたらしい。そのメールで送られてきたのは野球の大谷翔平選手のすがたを最初のページに映し出して、次のページには大谷選手の顔が山崎先生の顔になっていた。山崎先生が少人数クラスのみんなに見せるとみんなは大笑いして、2分くらい教室は笑いで包み込まれ、自分も面白すぎて笑ってしまった。
離任式、離任する先生の話の時山崎先生のばんになった。先生の話は短かった。
「最高です。最高です。最高です。6年間ありがとうございました。」
他の先生の話は長かったけれど先生だけ、シンプルで短かったのでとても学校全体の児童が好きなんだと感じて、授業のことを思い出した。
授業中、トイレに行きたい人がいると「トイレに行っといれ。」と大声で4年3組のみんなにばらすのだ。またみんなは笑いだしてその授業はずっと笑っていた。
お母さんは大学生の時、先生とクラスのみんなでイタリアへ行ったらしい。夜はパスタを食べて、散歩に行ったらしく散歩中、先生が歌いだしたそうだ。その歌はイタリアで有名な歌だったらしい。先生が歌い始めてしばらくすると、イタリアの人が集まってきて、一緒に歌ったり踊ったりしたそうだ。お母さんは先生が歌っている歌を習ったことがあるそうで、一緒に歌ったらしい。お母さんはイタリアの人たちは陽気なんだなと思ったそうで自分もそう思った。
他の学校に行かないで、同じ学校にいればいいのに。そう思うとお父さんが教えてくれた。山崎先生の学習のことを違う学校に広めるためだとわかった。他の学校でも山崎先生は面白いことをしているのかなと思う。