サヨナラ福ちゃん
小5 あかたよ(akatayo)
2025年4月1日
サヨナラ福ちゃん
「じゃあね、元気でね。」
一筋の涙が頬をポロリと流れた。4年生でお世話になった担任の福ちゃんが定年退職で辞めるからだ。福ちゃんは25歳で明星学園に就職してから40年勤続したが体力に限界が来たので、引退することにしたらしい。明星学園では毎日がとても楽しかったそうだ。元4年2組の僕らは、「教師生活最後の教え子」という記念すべき称号をもらえたような気がして、少し自慢に思えた。僕にはもう一つ、心に残る別れがある。それは5年前の幼稚園を卒園した春休みだ。小学校へ入学するために練馬区から三鷹市に引っ越した。慣れ親しんだ環境や幼稚園の友達とのお別れはとてもつらかったことを覚えている。
福ちゃんとの最後のお別れは終業式だ。ぼくは少し前から得意な工作でプレゼントを作って用意していた。飛び出すカードも作り手紙も用意した。しかし、数日前からから熱が出てしまったので、残念ながら終業式は欠席した。プレゼントを渡せない悔しさと先生にお別れを伝えられない悲しさ、さらに体調の悪さが交じり合って、残念な気持ちで胸がいっぱいになり、落ち込みながら布団にくるまって寝ていた。熱が数日続いた後は咳に悩まされてしまい、結局2週間ほど外出が出来なくて家で安静にしていた。そんな中、福ちゃんから電話がかかってきた。「体調どう?成績表や上履きなどあるけど。先生は27日の午前中が最後なんだ。」ぼくは「取りに行きます!」と即答した。会えないと思っていた福ちゃんに会える喜びで胸が高鳴った。いよいよ27日、ぼくの体調はまだよくなかったけど、学校へお母さんと向かった。久しぶりの外、空に向かって深呼吸してみるといつの間にか桜が満開だった。学校で受付をすると直ぐに、福ちゃんが飛んできてくれた。会えた時は嬉しさのあまり、胸の中の心苦しさが一瞬にして吹っ飛んだ。福ちゃんは「太陽!やっと会えたね」と僕の頭をなでながら元気いっぱいの声とニコニコ笑顔で言った。それから先生と一緒に4-2のクラスへ行った。この教室との別れも感じながら荷物を整理した。福ちゃんに会えて、話も出来てたので最高に嬉しかった。お母さんも、先生と個別にお話ができて大変喜んでいた。福ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいだった。
お母さんの思い出に残る別れをきいてみると、やはり僕の小学校の為に5年前に引っ越しをした時だそうだ。慣れ親しんだ生活環境や近所のお友達とお別れしたことが寂しかったらしい。引っ越しの前後は大忙しで、寂しさを感じる時間がなかったそうだ。でも引っ越しが終わると、心にぽっかり穴が開いたようになり、どっと寂しさが押し寄せてきたと言っていた。でも新生活の出会いに、また心の穴は埋まっていったらしい。離れていてもラインなどで連絡を取り合うことで、心はつながっているから安心しているそうだ。ぼくも福ちゃんに手紙を書こうと思った。
人との別れは寂しいけれど、別れがあるからまた出会いがあることがわかった。一生のうち深い付き合いをする人は10人程度と聞いたことがあるので、そういう人に出会うまでは色々な出会いと別れを楽しもうと思う。それに離れていても、手紙で連絡が取れるから心は伝わる。今は新5年生になって、担任とクラスの仲間との新しい出会いに毎日ワクワクドキドキしているけれど、落ち着いた頃にまた福ちゃんに手作りプレゼントを作って手紙と一緒に送ろうと思う。福ちゃん楽しみに待っててね。