4.2
中3 あえとく(aetoku)
2025年4月2日
科学文明の進歩により、日常の多くの手間が省かれ、便利な社会が築かれた。しかし筆者は、人間が本来の力を育てるには「必要なる手間」を経験することが重要だと考える。オーストラリアの小学校では、卒業前に数日間の野外活動を行い、判断力や協調性、本能的な感覚を育てている。現代では便利さの裏で、人間の感覚や決断力が鈍ってきているのではないかと筆者は懸念する。生きる喜びは、新しいことを知る感動や期待の中にある。かつての寮生活で見た「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の落書きが、今も筆者の心に生き続けている。自然や人間の魅力を日々発見することこそ、筆者の野心である。そのための方法としては第一に、機械などに頼らず、自分でやってみることだ。キャンプではライターを使わずに自力で火を起こした。一見面倒に思えるが、一からやることで真の楽しさがわかる。
第一に、機械や道具に頼らず、自分の手でやってみることである。僕はキャンプに行った際、ライターを使わずに火を起こした。確かに手間はかかるが、一から挑戦することで、その過程にある楽しさや達成感を味わうことができた。これこそが、本来の人間の力を引き出す方法なのだ。現代の人間は一つのことをするのに楽をしすぎている。それに比べて昔の人々は何から何まで全て手作業でこなしている。僕たちは昔の人を見習う必要があると考える。まずは自分でできるところからやっていけばいいと思う。
第二に、学校教育の中に体験型の学習をもっと取り入れていくことである。田植えや家畜の世話など、自然や命と向き合う経験を通して、子どもたちは食べ物の大切さ、命の尊さ、そして働くことの意義を肌で感じることができる。こうした体験は教科書だけでは学べない貴重な学びとなる。結局一番大切なのはどれだけ勉強できるかよりも教科書だけでは学べない貴重な学びが将来生かせるような人だと思う。もしそういうものを活かせるような人になれたら周りからも信頼されると思う。
確かに、現代社会において便利な道具や技術を活用することは重要である。しかし、「人が旅行するのは、到着するためではなく、旅行するためである」という言葉が示すように、目的地に至るまでの過程にこそ、本当の価値があるのではないだろうか。手間をかけるということは、遠回りに見えて、実は自分自身を磨き、高める近道なのである。私たちは今こそ、便利さの陰にある失われた感覚を取り戻すべきときなのかもしれない。生きることに手間をかけ、日々新しい発見に心を踊らせるような人生こそが、真の「生きる喜び」へとつながる道なのではないだろうか。