私の小さい頃
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年月日
筆者は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わったそうだ。中学校の体育の実技中の事故で、首から下が動かなくなってしまい、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がしたのである。辛い闘病生活の中で、歩けない足と動かない手と向き合って、歯を食いしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのだ。
私は、4年生の時、咳が止まらなくなったことと、虫歯が見つかったため、小児科と、歯医者に行くことになっていた。小児科は午前中しか空いていなかったため、月曜日の学校の前に行くつもりだった。しかしその前の週の金曜日、先生が
「お楽しみ会は来週の月曜日の一時間目と二時間目にやります。」
とクラスのみんなに予告した。二時間目が終わる時刻は十時二十分であるが、小児科と歯医者にいってから学校に行くとなると、間に合いそうにない。私は今回のお楽しみ会をすごく楽しみにしていた。なぜなら、お化け屋敷をやることになっていたからだ。私はお化け屋敷の担当ではなかったけれど、準備の様子を見ていると、棺桶を作ったり、張り切っていたのでとても楽しみにしていた。そのお楽しみ会にいけないと思うと、とてもがっかりしてしまう。先生に行けないことを報告し、時間をずらしてもらうか、お楽しみ会を諦めるか悩んでいた。しかし、自分のことを優先し、時間をずらしてもらうと、一時間目と二時間目の朝から遊べるとみんなが期待しているところに水をさしてしまいそうで、どちらを選ぶか困ってしまった。この時、私は究極の2択のどちらかを選んでいる気分であった。
「周りの人を優先しなくても自分がやりたいならお願いしてみればいい。」
心の中の自分がそう言った。そのため張り切って先生に
「来週の月曜日は、午前中に病院の予約があり、一時間目と二時間目のお楽しみ会に間に合わなくなってしまいそうで。時間をずらしてもらえますか?」
と言ってみた。先生は
「もちろん。何時間目からなら行けそう?」
と相談に乗ってくれた。そして、お楽しみ会は四時間目と五時間目にやることになった。そして先生のおかげでお楽しみ会に楽しく参加することができた。
母は仕事をしていた時、先輩から、
「もう少し大きな声で物事を伝えて。」
と注意をされた。注意を受けたと言う事実に気落ちそうになったけれど、そこを直せば、自分が成長できると思い、気持ちを切り替えたそうだ。
父は、2011年に発生した東日本大震災の電力不足により、特定の時間に電気が使えなくなってしまう計画停電が行われることとなった。普段できていることが急にできなくなる非常に困った状況となったが、気持ちを切り替えて、懐中電灯を使うなどのその状況に合わせた、代替手段考えて行動することで、計画停電を乗り切ることができたそうだ。
私はこの長文を読んで、失敗した時でも、冷静に考えて判断すれば、良い結果になるということが分かった。