ふだん私たちは、コインを
中1 なかすけ(nakasuke)
2025年4月2日
ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。けれども、もちろんコインは、年じゅう円形に見えるわけではない。水平方向から眺めれば、あきらかに、薄い長方形に見えるはずだ。しかし、ものはためしに「コインは長方形だ。」という文を口に出していってみると、なぜか、まことに異様な発言をしているような気がする。レトリックは、私たちの認識と言語表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえに、もっと別の視点に立てばもっと別の展望がありうるのではないか・・・・・・と探求する努力のことでもある。創造力と想像力のいとなみである。自分の視点と自分の言葉づかいだけが正しいと信じ切ってる人は、想像力ないし創造力を欠けているために、自分とはことなる立場から見える景色を思い描くことができない。レトリック感覚は、発見的な認識には欠くことができない上に、人をできるだけよく理解するためにこそ必要なのだ、ということになる。新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解のためにも、こんにちほどレトリック感覚の必要とされるときは、かつてなかったように思う。僕は物事を多面的に見るという考え方は良いと思う。
第一の理由として、新しい発見や学びがあるからだ。作文の構成を考えるとき、お題に対して、一つの考え方よりも、別の視点から考えることによって、新たな考えや気づきが生まれ、発想が豊かになり、広い視野で考えることができる。そして、多面的思考力が身につくことで、問題解決がスムーズになったり、人間関係が円盤になったり、新しいアイデアが生まれたりする。また、他の人だったらどのような考え方をするのかを考え、自分以外の立場として考えることも大切である。
第二の理由として、一方的な見方では、物事の本質を理解できないからだ。例として挙げると、人生を一つのことだけに時間を費やすより、自分が興味を抱いた様々なことにチャレンジする方が、色々な経験をすることができて楽しむことができる。ただ敷かれたレールの上を歩んでいく人生より、そのレールから別のレールへ、時には脱線して自分の人生を進んでいくのだ。一つのことだけでは、自分の本質、ましてや、人生の意味や価値すらもわからなくなってしまう。多方面の見方をすれば、自分を自分が理解できるようになるはずだ。
確かに、物事を一つ方面から深く見ていくことで、得られることや学べることはあるし、時には必要になってくる。「読書とは、自分の頭で考えることではなく、他人の頭で考えることである。」という名言があるように、物事は自分だけで考えれば、他の考えを知ることはできない。つまり、多角的な視点で物事を捉えようということだ。