ふしぎといえば
中2 あえもま(aemoma)
2025年4月2日
「ふしぎ」といえば「私」という人間がこの世に存在しているということほど「ふしぎ」なことはない。学校の成績やお年玉、その多くは数字に換算できる。しかし、数字だけでなく、自分自身の物語の中でわかる自分も大事なのである。
確かに、客観的な指標があるからこそ、自分を見つめ直すきっかけになることがある。以前、テストで学年順位が出たとき、自分ではできたと思っていたのに、意外と下のほうに名前があり、ショックを受けた。よく見ると、時間配分やケアレスミスなど、小さな甘さが数字に表れていた。また別の日、漢字テストでも覚えたつもりでいた言葉をいくつも書き間違えてしまい、点数は低かった。どちらも、なんとなくでやっていた自分に気づかせてくれた出来事だった。そこからは、勉強の量だけでなく、やり方や集中力まで見直すようになった。他にも、運動の記録や通知表など、いろいろなところで数値によって自分を評価されることがある。このように、結果が数字ではっきり見えるからこそ、気づけたことがある。数字はときに厳しいけれど、だからこそ、自分の成長に必要なヒントをくれる存在なのだと私は思う。
しかし、目に見えない心の部分こそ、自分という存在をつくる大事な一部なのである。これには、宮沢賢治の話が挙げられる。宮沢賢治の思想には、仏教の教えや人間の幸せなど、さまざまな要素が表れている。中でも私の好きな「雨ニモマケズ」という詩には、病気がちでつらい状況でも、他人のために生きようとする優しさと強さが込められている。宮沢賢治は、生前はあまり評価されなかったにもかかわらず、「誰かの幸せのために」という思いを胸に詩や童話を書き続けた。その心が作品に表れているからこそ、今も多くの人の心を動かしている。アインシュタインも「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」と語っている。これは、社会の常識や数字にとらわれず、自分の内側にある思いや価値観を大切にすべきだという意味だと私は思う。夢や信念、優しさといった感情こそが、私らしさをつくる土台になっているのである。
このように、人間には、他人との比較などの客観的な指標によって評価され作られる自分と、生まれ持った信念、夢などの素の自分によって作られる自分とがある。どちらも大切だが、最も大切なことは、「これは自分だ」と胸を張って思える気持ちを持ち続けることだと思う。たとえ成績が思うようにいかなくても、まわりと比べてうまくいかなくても、自分だけの夢や考え方、こだわりを持って生きることが、私という存在の軸になる。数字も自分の物語もどちらも含めながら、自信をもって言える自分のことがあればいいのだと思う。だから私は、これからも自分らしさを大切に生きていきたいと思う。