普段私たちはコインを
中1 あきあや(akiaya)
2025年4月2日
普段私たちはコインを丸いものと見なしている。水平方向から眺めれば明らかに薄い長方形に見えるはずだ。
レトリックとはそのように多角的に考え、かつ多角的な言葉によって表現してみることである。新しい視野を獲得するためにも、また、相互理解のためにも、こんにちほどレトリック感覚の人用とされるときは、かつてなかったように思う。私はこの感想文を読み
、物事を多角的に見ることは、良いと思う。
私は、小学三年生の頃から、算数の授業が難しく感じた。中学年になり、低学年の頃とは異なり、内容が断然難しかった。数字たくさん使い、同じ内容の問題を沢山解いていた私は、算数に対する苦手意識は変わらず、小学校を卒業した。中学校生活が始まり、初めての授業をした。数学の授業があり、私は、気分が上がらなかった。しかし、授業をしてみると、小学校の時とは違かった。規則を持った数は、文字で表し、省略することが可能になった。私はそこで、小学校でやっていたものとは異なることが分かった。数学という言葉から勝手に、難しさを感じていただけで、実際、そこまで似ているものではなかった。長くなる数は、簡単に省略できるようになり、難しい計算も、文字を使って表すことができるのだ。そこから私は、物事を多角的に見るようになった。
私は、小さな時から、よくスイカを食べることがあった。毎回夏になると、真っ赤なスイカを、クーラー涼しい部屋で食べるのが毎年の楽しみだ。小学三年生のころ、驚きの情報を耳にした。それは、スイカは赤色だけでなく、黄色い色もあることだ。しかもそのスイカは、赤いスイカよりも甘いそうだ。僕はそれを聞いて、なぜ甘くておいしいスイカがあるのに、いちいち赤いスイカを作るのだろうと思った。だが、小学五年生になり、僕は、黄色いスイカが始まりではなく、赤いスイカが先にでき、そこから黄色いスイカが出来たのではないかと思った。色々な図鑑で調べたところ、今流通している黄色スイカは、赤いスイカの後にできた物だということが分かった。私は、その事実を知った時には、驚いた。それは、まだその時には物事を多角的に見る事が出来ていなかったからだ。多角的に見る事によって、物事を受け入れやすくなるとわかった。
多角的に見ないとこで、そのものと大きな特徴を捉えやすいといういい面もある。けど広い視野を持つことによって新しい知識や発想が生まれる