<<え2016/396pみ>>
これは、いい例を調べたね。
「川端康成『雪国』では、芸者の駒子が主人公のしまむらの誘いを断る場面で「遊びに来れないわ」というら抜き言葉を用いている。
この総合かもよく考えた。
「最終的に自分の中に「自分は正しい使い方ができる」という自負が生まれることだと思う。」
結びの感想は、ら抜き言葉を超えて、更に一般化して考えてもいいよ。
すみひなさん、作文を拝読しました。
まず、ら抜き言葉についての説明が非常に詳しく、言語の変化への理解を深める良い導入になっています。文中で「ラレル」の機能とその仕事の多さを解説している点が印象的で、言葉の背後にある文法的な知見をしっかりと把握していることが伺えます。
また、複数の意見がバランスよく提示されており、それぞれの立場から言葉の使い方を考える姿勢が見て取れます。公式な場と日常会話での言語の使い分けについて触れている点も、実社会のシチュエーションを考慮した上での意見形成となっており、理解が深まります。
さらに、文化的な背景も考慮に入れた議論が展開されているのも見逃せません。日本特有の「和」を重んじる文化と言葉の関連性に言及しており、語学だけでなく文化学的な視点からもアプローチしている点は高く評価できます。
最後に、自分の言葉へのスタンスを述べることで、読者に対しても考える機会を提供しています。これは、自己反省だけでなく、言葉を通じた自己表現の大切さを感じさせる素晴らしいまとめです。
項目評価:
-複数の意見がよく書けています。
-文化的な視点も含めた議論が展開されています。
-総合化の主題がよく書けています。
内容◎ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎
字数/基準字数:1266字/600字
思考点:80点
知識点:85点
表現点:81点
総合点:82点
(新しい森リンで仮の点数を出しています)
■思考語彙 23種 32個 (種類率72%) 85点
しかし, 確か,。しかし,。つまり,。もちろん,。例えば,。確か,あるかも,あるから,いくべき,からこそ,か可能,か考える,と可能,と思う,と考える,は単なる,は確か,・可能,使うべき,守るべき,直せば,言えば,
■知識語彙 64種 95個 (種類率67%) 82点
一員,一理,一番,一語,主人公,仕事,会社,作品,価値,保守,優先,公式,共感,前者,助動詞,効率,区別,印象,品位,問題,場面,変化,大切,実力,尊敬,川端,年配,康成,後者,情報,意味,意見,意識,採用,文化,文字,文学,文章,日本,日本語,曖昧,最終,本質,歴史,無理,発信,発表,相手,知識,社会,簡単,経験,自分,自発,自負,芸者,英語,複雑,言葉,選択,重要,関係,雪国,駒子,
■表現語彙 112種 179個 (種類率63%) 79点
確か,。確か,うえ,か可能,こと,さ,しいら,しまむら,そう,たち,と可能,は確か,ぶん,ほう,もの,よう,ら,わけ,スピード,スマート,フォン,・可能,一つ,一員,一理,一番,一語,中,主人公,人,人々,今,仕事,会社,作品,使い分け,使い方,価値,保守,働き者,優先,公式,共感,前者,助動詞,効率,区別,印象,受け身,和,品位,問題,四つ,場,場面,変化,大切,実力,尊敬,川端,年配,康成,後者,情報,意味,意見,意識,感じ,抜き,採用,文化,文字,文学,文章,方,日本,日本語,曖昧,最終,本質,歴史,気持ち,無理,物,発信,発表,的,相手,知識,社会,私,簡単,経験,考え方,自分,自発,自負,芸者,英語,複雑,言葉,言葉づかい,誘い,誰,遊び,選択,重要,間違い,関係,雑,雪国,駒子,
■経験語彙 43種 70個 (種類率61%) 83点
かしこまる,か考える,くだける,くださる,こなす,しまう,しれる,つく,できる,と思う,と考える,みなす,られる,れる,与える,伝わる,似る,作る,使う,使える,入れる,学ぶ,守る,挙げる,敬う,断る,書く,来れる,求める,生きる,生まれる,用いる,直す,積む,落ちる,表す,表れる,見れる,話す,違う,選ぶ,重んじる,頼る,
■総合点 90点
■均衡点 8点
古くて新しい社会
中2 すみひな(sumihina)
2025年4月3日
「見れる」「来れる」「食べれる」――これらはいわゆる「ら抜き言葉」と呼ばれる表現だ。私自身、日常会話ではつい使ってしまうが、「ら抜き言葉」は助動詞「ラレル」の仕事の多さから生まれたそうだ。敬いや受け身・自発・可能の四つの意味を一語でこなす「ラレル」は、まさに働き者だ。だが、そのぶん使い分けが複雑で、人々が簡単に使える「レル」に頼るようになった、というわけである。しかし、言葉の本質は保守的なものであり、正しい日本語を使うべきだという考え方もある。しかし、私はこの意見に一理あると思いつつも、「正しいかどうか」だけではなく、「相手に伝わっているか」「使いやすいかどうか」なども言葉を選ぶうえで重要だと考える。
私は「正しい日本語を守るべきだ」という意見にも共感する。確かに、公式な場や会社の発表などで「見れる」と言えば、「この人はちょっと雑だな」と思われることもあるかもしれない。このような場では私は正しい日本語を使った方が良いと思う。さらに、日本には「和」を重んじる文化がある。経験を積んだ年配の人の方が実力に関係なく優先されることが多いのだ。しかも、「来れる」は英語に直せば「I can~」と可能を表すが、「来られる」は「来てくださる」の尊敬か可能か区別がつきにくい。そんなふうに曖昧さがあるからこそ、正しい言葉づかいを学ぶことには意味があると思う。
しかし、私は新しい考え方も採用していくべきだと思う。若い人などが「ら」を入れて話しているのを私はあまり見たことがない。そのままもう一つの正しい日本語としてみなすのもよいと思う。また、ら抜き言葉は知識人の文章や文学作品などにも表れている。例えば、川端康成『雪国』では、芸者の駒子が主人公のしまむらの誘いを断る場面で「遊びに来れないわ」というら抜き言葉を用いている。つまり、ら抜き言葉は単なる言い間違いではなく、日本語の変化の歴史であるということだ。物についてはスマートフォンが挙げられる。誰もが文章を書き、情報を発信できるようになった。効率とスピードが求められる今の社会では、「使いやすさ」が優先されるのも無理はない。もちろん、言葉の品位が落ちてしまうのは問題だが、変化の中にも意味や価値があることは確かである。
確かに、正しい言葉を使って昔ながらの日本語を守ることも、新しいら抜き言葉を日本語として使うのもいいことだ。しかし、一番大切なのは、最終的に自分の中に「自分は正しい使い方ができる」という自負が生まれることだと思う。言葉や文化は生きている。自分たちがどのような言葉を選択して文化を作っていくかは、どのような社会を作っていくのか考えることと同じだ。「見られる」と「見れる」は、意味は似ていても、前者のほうがかしこまった印象を与えるし、後者のほうがくだけた感じで話しやすい。1文字違うだけで印象の与え方がこんなにも違うのだ。私はまだ正しい使い方ができるという自負はないが、社会の一員だという気持ちを意識していきたいと思う。