社会の中の自我
高3 かたおか(kataoka)
2025年4月2日
この時代はまさに転換期である。古き良き伝統と新しい技術が交錯する時代の変わり目なのだ。そのような時代において、私たちはこれから自分らしさを求められているように思う。例えば、大学入試では総合型選抜やAO入試の枠が増加している。そのような社会の中で、将来、人々が本来持っている自我を見失うことが問題になる。
そのための対策として第一に、目的意識を強く持つことだ。私たちは日々生活する中で、常にスマホやパソコンなどの世界とつながるツールと共に過ごしている。それゆえに、ネットサーフィンという言葉もあるように目的もなくネットの世界に滞在する時間が増えたように思う。私は目的もなくXなどを未漁っていると、誹謗中傷や人が文字上で貶しあっているものや可愛らしい犬の画像など、雑多で溢れかえっているため、疲れてしまう。脳みその記憶領域に余計なものがたくさん詰め込まれている感覚になる。何の目的もなく旅する時間は今の時代貴重な存在である。しかし、ネットサーフィンはこれとは真逆のものだと思う。なぜなら、旅には動機、あるいは旅をしたいという感情が伴うが、ネットサーフィンにはそのようなものは伴わないからだ。放浪旅行が時間を溶かすものだとしたら、ネットサーフィンは時間が溶けるものだと思う。便利なものは身近にあるが故に、それを使いこなすが難しい。どんな調べ物をするときでも、自分の定めた目的に向かう意識を軸としていなければ、ネットの海に呑まれ、脱線を繰り返し、自分が何をしたかったのかさえ忘れてしまうだろう。
第二の対策としては、考えることをやめないことだ。これは、今の時代だからこそいえることだと思う。なぜなら便利なものがたくさん出てきて、人々の自我がなくても文章が作れるし、さまざまな方面において自動化もどんどん進んでいるからだ。私にとって思考力とは武器である。計算や文章を作る速さは、圧倒的に人より人工知能が優っている。しかし、私たちが日々対話をして、関係を築くのはAIではなく生身の人間である。思考過程を踏まなくても答えがすぐに出るこの時代に、考えることはすごく馬鹿らしく思えるかもしれない。だが、先人が考えていなければ人工知能はこの世に存在していないし、今の生活は全く違うものになっていたかもしれない。それほどに人が考える力は偉大なのである。自我を見失わないためには、考え続けていかなくてはいけない。
確かに、便利なものを使って、効率よく幸せになれるなら自我などなくても良いかもしれない。しかし、私たちは幸せになるために考えるのではなく、考えることで幸せに気がつくのだ。考えることは人の中に自我を生み、その人自身を形成する働きであると思う。個人は社会の大きな動きの中に組み込まれつつも、必ずしもその大きな流れに身を任せなくても良いのだ。己を貫き通す自信と、その自己を培う思考力が大切になるのだと思う。