矛盾が必要な理由
   中1 あかえか(akaeka)  2025年4月3日

 矛盾が必要な理由                                    あかえか                                     いつから世の中が矛盾を恐れるようになったのか知らないが、頭から悪いものと決めてかかっている人が多い。どうも、矛盾には、良いものと悪いものがあって、嫌われる、いわゆる矛盾は、良いものを除外して考えているようである。一度、矛盾が不毛だと知れると、我も我もと論理性へ走る。論理が前提としているのは、同一次元での一貫性のある連続である。論理的一貫性とは、裏返してみれば、同類同質的なものが近接状態で数珠つなぎに並んでいることに過ぎないではないか。芸術では、この単純な合理にいろいろと仮名をつけて、お引き取り願っている。月並みの句などという言葉は、かすかな平面的連続を敏感にかぎつけ、それを嫌ったものとみることができる。                     



私は、多少の矛盾は良いものだと思う。                      



そう考える理由は第一に、矛盾がないときれいな物事ばかりになってしまい、世の中や、身近な環境が面白みのないものになってしまうと思うからだ。私が去年度通っていた小学校のクラスには、とてもノリ

のよいひとがあつまっていて、くらすのなかではやっていた、「五の言葉をリズムに当てはめ、それを分解して言い、つなげていく」というあそびをほとんど毎日給食中にやりながら、お昼ご飯を食べていた。しかし、たまにそのリズムや言葉がおかしくなったり、言葉の発音をわざとおかしくする人がいた。そのため、その遊びの中で何回も笑いが起き、とても楽しいものになっていっていた。そのようなことを毎日繰り返していると、なぜか、いつの間にかクラスの雰囲気がとても明るいものになっていた。                               



多少の矛盾が良いと思う第二の理由は、矛盾をすることで、様々な、多くの経験をすることができるからだ。例えば、音楽で楽器を演奏するときに、楽譜に書いてあるようにしか演奏できなかったら、その曲を演奏している人が何人もいたとしても、ほとんど変わりのないものになってしまうと思うからだ。そのため、その人その人の個性や、思いが込められていない演奏になってしまい、音楽を聴いて感動するなどの非常に大切な経験をできないと考えられるからだ。              



確かに、世の中や身近な環境の中にある矛盾をすべて認めてしまったら、人間の考えることの収拾がつかなくなってしまうかもしれない。しかし、少しの矛盾を許し、矛盾とうまく付き合っていくことで、社会を明るく保ち続けられると思う。