矛盾はよい(清書)
   中1 すりりんご(akimano)  2025年4月4日

 世の中では矛盾を頭から悪いものと決めかかっている人が多い。劇薬には、病気を治すものと不用意に使うと命とりになりかねぬものがある。矛盾にも、良いものと悪い物があり、嫌われる矛盾は良いものを除外して考えているようである。劇薬にも矛盾にも敬遠した方が安全である、というのに似たところがある。芸術では、単純な合理にいろいろと仮名をつけて、お引き取り願っている。月並みの句などは、かすかな平面的連続を敏感にかぎつけ、それを嫌ったものとみることができる。私は、矛盾にも良さがあると思う。

 第一の理由に矛盾がないと、楽しむ時間が減るからだ。楽しむ時間というのは、お笑いや替え歌、落語を聞いたりする時間のことだ。矛盾とは、前に話したことと後に話したことがちがっているということを意味する。だから、お笑いも替え歌も落語もこの矛盾という要素が使われているといえる。楽しむ時間で矛盾が特に使われているものはお笑いだと思う。お笑いでは、矛盾を有効活用することでお客を楽しませている。ほとんどの人が芸人が言ったこと、演技したことに笑うだろう。この笑う時間がなかったら私たちはどうやって日々の楽しむ時間を確保するのだろうか。私は、どうしていいかわからなくなり、戸惑ってしまうと思う。だから、矛盾という要素を取り入れることは大切だ。

 第二の理由に矛盾の意見があることで、新たな発見があることだ。小学校の頃、道徳の授業で議論をした。その内容は、マンションに住んでいるAさんとBさんのどちらの味方につくのかというものだった。Aさんは、隣の部屋のピアノの音がうるさいという意見。Bさんは、ピアノを弾くのが趣味で毎日ピアノを練習しているというものだ。そして、AさんとBさん、どちらの味方につくか?というものだ。私は、Aさんの味方に付いた。理由は、憲法でも定められている文化的な生活を送る権利がAさんは守られていないからだ。しかし、Aさんの理想通りになると次は、Bさんが不満を抱いてしまう。そのあと、Bさんは防音シートやピアノを置く位置を変えて、Aさんが快適に生活を送れるようにしたそうだ。このBさんの行動のおかげで、Aさん、Bさんのどちらともの生活をしやすいようにしたのだ。矛盾は、お互いを知ることができる発見にもなったのである。

 確かに、つじつまが合っていることも大事である。しかし、「悪書を読まないことは、良書を読むための最初の条件である」という名言があるように、悪いと思っている矛盾を利用してみることで矛盾の良さが分かってくるだろう。矛盾を認めることにより、物の見かたを変えることができる。また、道徳の授業であったように、異なる意見の結果が考えやすいというメリットも矛盾にはあるのだ。だから私は、矛盾にも良さがあると考える。