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   小6 みさ(misa)  2025年4月3日

 読書の楽しみは一人でできるという楽しみである。また、読書では表現というものが大事にないってくるが、言葉で個性を表現するには莫大な字が使用され、詳しく説明するにはめんどくさいものとなる。しかし、絵画は作者の思い通りに一枚の紙に思いを封じ込めることができる。しかし、絵画は活字の一行に値する情報を与えることができないのだ。そのことを、「ヴィジュアル」というのだ。つまり、情報と言葉による情報は、互いに他を補うので一方が他方を駆逐するのではないし、一方が他方に代わるのでもない。読書そのものの楽しみとは、知的好奇心のほとんど無制限な満足である。

 私も最近ハマってみている本がある。それは、「そして誰もいなくなった」という本だ。この小説は、嵐が近づく孤島に10人の元犯罪者たちが招待され、一人ずつ順番にいなくなり犯人は誰だと探す物語である。元々島には10人しか居らず、嵐で交通も途切れているため犯人はこの10人に限られている。この話の鍵を握っているのが医者のアームストロングである。結末はどうなるんだとドキドキしながら読む作品なのだが、結末が想像してたのとだいぶ違って死んだはずの判事の人が犯人であった。こういう意外な話しはテンプレートを作るのにも役に立ってくる。

 私は、読書で最も重要視されるのは想像力が磨かれることにあると思う。実際に、脳生理学者で東京大学教授の酒井邦嘉氏は、読書をすることで「言葉の意味を補う『想像力』(行間を読む力)が自然に高められる」と立説している。「行間を読む」というのは、書いてある文章から、書かれていない背景まで想像することにある。たとえば、川端康成『雪国』に「トンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」という文章がある。この文章を読むと、「いったいどんな雪国だろう?」「夜の底が白いって、どんな風景だろう?」と想像しると思う。この想像が、まさに「行間を読む力」というのだ。想像力はビジネスにおいても当然重要な力であり、誰かとやりとりしているときに「上司はなんでこういうことを言ったのかな?」「お客さんからのメールの真意はなんだろう?」と考えるときに想像力を発揮すれば、コミュニケーションを円滑に進められると予測される。

 私はよく作文を書くが、大切だと思うことは周りと違う奇抜な意見も遠慮せずに言っていくことだと思う。愚者は経験に学び、「賢者は歴史に学ぶ」という。出来ることなら、過ちを犯さずに済みたいのが人間である。しかし、いつまでも周りの固定概念に惑わされていると新しい主観の考えを取り入れていくことができない。私は小説に対して求めていることは自分がそこに干渉できるか。実際に体験しているようになれるかどうかである。自分もそこのワールドに入ることでまた新たな考えが得られるのだ。自分の世界と作者の世界を共有できる。そんなワールドを私は大切にしていきたい。